2015年10月11日日曜日

残念すぎる近所の祭り

昨日と今日、近所の小さなお祭りだった。

何のお祭りなのかはわからない。

だけどわたしはこの祭りが毎年大嫌いだ。

とにかく非常に不快な騒音だけが辺りに響き渡るだけで、どうにかならないものかと思っている。

自分が子どもの頃に出た祭り、色んな場所で見た祭り、どれもこれもそこに傾けるエネルギーと

時間が普通はある。

いきなり祭りの日の当日を迎えて、知らない踊りを踊ったり太鼓を叩いたりはしない。

もちろん見物客の人がそこに混じって踊るとかであればわかる。

そうではなく、主催側の方のグループが練習なしで本番を迎える、そういうことはこの近所の祭り

に出会うまで知らなかったけれど、現にそういうものも存在する。

とにかく、太鼓の叩き方も騒音の他の何でもない。

体育の授業で使うような笛も適当にピーピー吹いている。

そこに子どもたちのどなり声で「元気を出ーしーてー、わっしょい、わっしょい」がずっとエンドレスで

流れる。

とにかく締まりがないし、すべてだらしない雰囲気だけが伝わってくる。

窓を閉めても音が通過する位だ。

昨日の夜、すぐ近くの通りを通ってびっくりした。

100メートル位の道路がどうもメインで、そこの通りだけに笹に提灯をぶら下げたものが5本、

数個連なった提灯を玄関に飾っていた家が3軒。

実際はもっとたくさん家があるし、笹の葉を飾るスペースも十分にある。

なのに、そこだけが祭りの雰囲気を出すために装飾された場所なのだ。

子どもたちは他の場所も練り歩くにしても、なぜそこだけにしか飾らないのかわからない。

そして昨日日中に出掛けた時、その数十人の規模のわっしょいグループを目にしてわかった。

これまでそのグループを直接目にしたことはなく、昨日初めて目にした。

まず男の人が誰もいない。

おじいちゃんを数人警備か何かの係で見たけれど、その練り歩きには子どもと母親しかいない。

そして歩き方もものすごくだらだらしている。

子どもがだらだらするのは百歩譲っても仕方ない。

大人までだらだらしている。

見ていても「何だ、あの変な団体は??」と言いたくなる位に体たらくだった。

はっきり言って騒音だけが数時間響き渡る行事だから、止めて欲しいと本気で願っている。


ふと、自分の子どもの頃の祭りを思い出した。

住んでいたところは、毎年8月の第4土日になると大きな祭りが開催されている。

日曜日は、町内ごとに仮装行列を成し、踊りや音楽を披露するだけではなく賞を競うこともした。

そのために夏休みの平日の夜は、男の子は笛や太鼓の練習、女の子は踊りの練習をするのが

常だった。

全然面白くなかったけれど、そこで町内の友達に会えるのが楽しかった。

もちろん子どもたちだけで練習するはずもなく、日中は働いている子供会の役員に当たっている

お父さんお母さんたちも皆総出で参加する。

仮装行列用の軽トラックよりもう一回り大きい位のトラックの装飾は、毎年職人の大工さんを中心

に夜な夜な作業が繰り返されていた。

当日も、「移動するための場所」と「ここは町内の人にお披露目をする所」だとか、「ここは審査員

がいる所」だとか、大人たちが的確に指示を出してくれたから、力を入れるところと抜くところが

子どもながらにもはっきりとわかった。

だからしっかりと踊らないといけない箇所では、みんな一丸になって真面目に踊った。

もちろん鼓笛部隊も同じように、お披露目する時はものすごく真剣に演奏していた。


そういうのを思い出した時、そういうことを知って大人になれて良かったなぁと思った。

こんな言い方はひどいけど、今住んでいる近所の子どもたちは可哀相だとさえ思う。

もちろん昨今の事情や地域性の差はあるにしても、人に見せるために練習を重ねること、

みんなで一つになって何かを生み出すとそれを見た人が感動すること、そういうことを知らぬまま

大人になってしまうのは残念だと思う。

子どもの頃は、その強制的な参加や練習が面倒だとも思ったし、今日は行きたくないなぁなんて

いう日ももちろんあった。

それでもこの経験があるとなしとじゃ、雲泥の差だと思う。

もしうちの近所が祭りに力を入れていたとしたら、太鼓の音も子どもたちの声も騒音としては

届かなかっただろう。

むしろ「こんなものが聞けてラッキー」とさえ思ったかもしれない。

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