2015年11月11日水曜日

楽しみが1つ失くなった

いつもより2時間ほど遅れて、夜の最寄り駅に降り立った。

一緒にスタートした人と肩並べて愚痴り合い、その後ぷらぷらとウインドーショッピングを楽しみ、

電車に揺られそしていつも見慣れた最寄り駅に降り立った。

いつもと同じ光景が目の前に広がるはずだった。

もう何年もこの時期には変わらないものがあるはずだった。

少なくとも昨日の夜はあった。

今日の昼間のいつかの時間に切られたのだろう、これから一番きれいな時期を迎えるはずだった

イチョウ並木のイチョウの木がすべて丸裸にされていた。

本当にこれから12月の頭にかけてが一番きれいなイチョウ並木になる道だ。

最寄り駅を出てすぐの大通りは、道路と大きな建物か店しかなく、コンクリート一辺倒だ。

そのコンクリート一辺倒のところを毎年鮮やかにするのが、そのイチョウ並木だった。

たしかに、毎年おおよその葉っぱが落ちると枝を切る作業はしていた。

だけどそれは本当に木が半分以上裸んぼになってからのこと。

これから一番の最盛期を迎えるというこの時期に、イチョウの枝がすべて切り落とされるのは

前代未聞だ。

誰の決定なのだろう。

どこの誰の決定かもわからないけれど、このイチョウ並木の良さを全く知らない誰かが、その姿を

一度も拝むことなく、今日作業日にしようと勝手に決めたのだとしか思えない。

これがかの有名な河村市長なら、そんな全国に名を馳せる前に街の景観を残すための配慮を

先にして欲しかった。

それにしても、一体どんな理由で今年はこんなに早くイチョウの枝を落とすことになったのだろう。

わたしは自分の住んでいる地域のことなど何一つ誇るものがないけれど、このイチョウ並木だけ

は他の何にも代え難いぐらいに素晴らしいものだと思っている。

どんどん寒くなって息も白くなって・・・という頃、冬の澄み切った空気の中に黄色が鮮やかに映る

あの光景がたまらなく好きだった。

青い空の中に生える黄色も、夜のスポットライトに照らされた黄色も、どちらもとても素敵で、毎年

毎年それはそれは楽しみにしていたことだった。

毎年この時期だけは、日々その通りを歩きながら眺めるのが好きで、疲れて家に帰ろうとする日

でも、そのイチョウ並木を見るだけでなんだか心が洗われるような気がしていた。

ほんと誰の決定なのだろう。

誰かは知らなくても、この良さを知っている人ではないことは一目瞭然。

知っている人なら、絶対にこんなに早い時期に切り落とす決断などできなかっただろう。

まして雪が降るわけでもないのに、なぜこれから!というこの直前の時期に切り落とすのか。

人間って勝手だなぁと思う。

特別何も施さなくても、葉っぱは勝手に時期が来たら落ちる。

木は勝手に丸裸になる。

何でその自然の摂理を守れなかったんだろう。

誰に迷惑をかけているわけでもないこのイチョウたちを切り落とす意味なんてあったのだろうか。

失われた楽しみ。

また生えてくるけれど、今年もたっぷりと堪能したかったイチョウ並木だけあって、何とも言えず

切なさが込み上げる。

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