2022年12月16日金曜日

似て非なるもの

2022/12/7
朝通勤中に虹が見えて、よくよく見てみると二重の虹で、私は遅刻しそうなのにも関わらず途中で脇道に入って、田んぼだらけの開けた場所に出た。出てみるとなんと二重の虹が地平線の端から端まで180度のアーチを形作っていて、生まれて初めて180度の虹、しかもダブル・レインボーを見た。で、iPhoneでその様子を撮影しようとしたら、さっきまで確実に80〜90%あったはずの電源が突然切れて、画面は真っ暗になって何も動かなくなった。本気で遅刻しそうだったから泣く泣くあきらめて、でも奇跡的にこの1枚だけは無事に写真に収めることができた。




真夜中に洗い物をした。

寝る前にスイッチが入って洗い物をするだなんて私にしては珍しい。

(洗い物がシンクに溜まっていても基本気にならない人( ̄∀ ̄;)


昨日(12/12)今日(12/13)と誰に文句を言ったらいいのかわからない、いつかは終わるとわかっていても差し迫る締切と与えられてる時間が反比例している、完成させなければいけない量の多さに辟易としながら、残業3時間を含めた11時間の仕事を月火と週の始まりにやった。


気分はすでに週末くらいの疲労感があり過ぎる。


どんな風でも明日というか今日になった水曜日に提出だから、それで終わってくれる。


会社の大事な資料60枚近いものを、内容は専門職の人が、そしてそれを形にするための裏方のサポートを私がしている。


すでに1週間近い時間を割いてやっていて、なのにそれを周りが当たり前のことと思っているのか、「誰でもいいからやってくれたら良い」と思っているのか、正社員すらやらないクオリティーのものをなぜか派遣の私がやるという、毎度ながら摩訶不思議な体制が敷かれている。


最近ことさらに「いつかは終わる」と自分に念じている。


世の中はボーナス時期で、私の耳にも今期は2.1ヶ月分の賞与が与えられていると入った。


自分自ら正社員のオファーを断っているからボーナス云々も自分のところには1円も入らないのは割り切っているからいいものの、とにかく正社員の人たちが何十万のボーナスを得て定時上がり遅刻早退なんでもありの楽な仕事で、派遣の私がフルタイム残業付き役員級の重たい仕事担当というのがいつも以上に腑に落ちない。


21時前に今日はポイント還元デーのスーパーに仕事帰り寄った。


料理酒を切らしていて、とにかくそれだけを買って、週末に買い物した分のポイントを加算してもらおうと思って行った。


ガランとした夜の田舎のスーパーはのんびりとできて私はかなり好きな空間だったりする。


スーパーに入るか入らないかの頃合いに、「そうだ!お礼のお菓子を買おう!」と思いついた。


今回の激務資料の専門職側の担当者、麦島さんにチョコとかそういう類いのものを買って渡そうと思った。


今月で4年目を迎えたけれど、麦島さんとはこれまで一切関わることがなくて、麦島さんの存在を知ったのは1年くらい前に私がいつも頼りまくりのイケメンエンジニア硬派さんが「麦島はイケメンでいい奴です。俺の同期です」とかなんとか言ったのが最初で、ようやくここ数ヶ月でどの人が麦島さんかわかるようになってきた。

(「麦島」にしたのは、土曜日の午前中のローカル番組に出てくるアナウンサーに似ていて、そのアナウンサーが麦島さんだから。)


硬派さんには「硬派さんの方がイケメンです」と言ったし、麦島さんは絡みが全くない上に周りの人たちから麦島さんの怒りモード系のエピソードも聞いてて、「怖えー」と思って絡みがないのはこれ幸いとさえ思っていた。


今回も初のタッグを組むにあたり硬派さんに最初間に入ってもらってお互いにやりとりできるようにしてもらって、とにかく怒りのスイッチなどを発動させないように最大限配慮して仕事をしようと思った。


元々私側が裏方業務な上に、くっきりと仕事割をするなら本来なら麦島さんが全て担当しないといけないということがあったにしても、麦島さんはいざ一緒に仕事をしたらめちゃくちゃ良い人な上にきっちりと丁寧かつ正確な仕事をする人だと知った。


大御所からペーペーまでの色んな人たちと仕事のタッグを組むことをしてきた中で、麦島さんは5本の指に入るくらい、ちなみに同じ手の資料担当者の中では一番丁寧に仕事をする人で、尚且つ私の仕事の見直しも本当に事細かくしてくれて、何せそここそ毎回してもらえないことゆえに超感動した。


おかげで本当にスムーズに作業は進んだし、私の抜けっぷりは相変わらずでもそれを静かにフォローしてくれてめちゃくちゃ助かったし、とにかく仕事がとてもしやすい人だと知った。


明日出してさえしまえばもう麦島さんと関わることはないだろうから、色々なお礼の意味も込めてちょっとしたチョコをあげようと突然思い立って、それで料理酒やお買得品をかごに入れた後、お菓子コーナーに立ち寄って大人のキットカットとかいう小さなパッケージのチョコを買った。


真夜中の洗い物をしていた時、「チョコを渡す練習みたいだな」と思った。







量と値段と味なんかを見て(多すぎず少なすぎず、一度に食べきれなくても保管しやすくて、値段も相手が受け取りやすい100円台で、味に間違いがなさそうなものを基準にしていた)1分もかからずさっとかごに入れた時に、過去の大きなスーパーの飴売り場の前で右往左往していた時の自分のことを思い出した。


これもまた過去のどこかのブログに書いた記憶があるけれど、まぁいっかと開き直って書いてしまおうと思っている。


しばらくの期間、気付くとイケメン上司はいつも咳をしていた。


咳が止まらないわけではないけれど、1日の中で何回か咳をしていた。


ある日の仕事帰り、職場から車で5分もかからないようなところにある大きなショッピングセンターのスーパーに立ち寄った。


イケメン上司にのど飴を渡したらどうかと突然思い立った。


で、何十種類どころか下手すると100超えの3桁は種類がありそうな飴売り場の前で、私は買う買わないをさんざん迷った挙げ句結局は何も買わずに帰ったことがあった。


もちろん、種類が豊富すぎて何も選べなかったんじゃない。


実際に、一番オーソドックスなのがいいんじゃないかと思ってそれを手にレジに行く選択肢もあった。


けれど私は買えなかった。


「全く話したこともない人から突然のど飴なんか渡されたら恐怖だろうな」とか「飴なんかいきなり渡したら超ヤバい人、ストーカーみたいに思われるかも」とか「もし自分が興味のかけらもない人からそんなことされたら、嬉しいよりも怖さしかない」とか、そんなことをいくつも思って何もできなかった。


言い方を変えると、嫌われたくなかったんだろうなと思う。


何かしらの接点が欲しいといつも思っていたけれども、どうしたら接点が持てるのか当時はわからなかったというか今もわからない。


麦島さんのはサクサクと選べて、朝からチョコなんか持って行った日には本当に変な人だと思われそうだけれど、どう思われてもいいし、チョコを渡されても「いいんですか?ありがとうございます」くらいは社交辞令で言ってくれそうな人だから、こちらも余計なことは考えずに渡せる。


イケメン上司ののど飴を見に行った時はそうじゃなかった。


選べない理由や自分の中の気持ちがありすぎてどうにもできなかった。


そんなことが真っ先に思い返されたチョコの買い物だった。







麦島さんとの共同作業はとにかく半端ないやりとりを要するものだった。


1日に数回、体育館の端と端くらい離れている席をお互いに行き来して、行くまでもない時は内線電話で確認した。


どうしても麦島さんを捕まえないといけない時は置き手紙をして、電話をもらったら席に伺いますと書けば麦島さんは電話はせずにわざわざ私の席まで来てくれた。


時々は硬派さんにも全体のプロセスに関わってもらわないとで、麦島さん硬派さんというイケメン2人と私の3人でやりとりするということも数回あった。


気力体力共にやられた私は栄養ドリンク的なジュースを買って、そして飲んだ後紙コップを社員食堂内の所定のゴミ箱に入れないとでそれを捨てに行こうとしたら、暗い廊下の中で向こう側から麦島さんが歩いてくるのが見えた時があった。


紙コップは後でいいと思って、麦島さんを呼び止めて、今少し時間があるなら2人で硬派さんの席に行って今後の進め方を相談したいと言った。


快諾してもらって2人で硬派さんの席に行った。


そうした一連のことをしながら、何でイケメン上司の時はこういうやりとりが一切なかったのかなと思った。


麦島さんもベラベラと余計なことを話す人ではないから、世間話とかも基本はしない。


世間話はしなくてもいいから、せめて仕事での絡みがあれば朝イチで席に伺って「◯◯さんおはようございます」と挨拶したり話せたり、謎の強行スケジュールを強いられて愚痴を言い合ったり、そういう仕事を共にしたら当たり前にありそうな、少なくとも数日間の関わりで麦島さんと持てたやりとりはイケメン上司の時にはなかったなと悔しい気持ちで思った。


そんなやりとりが日常的にできていたのならものすごく楽しかっただろうなと思う。







チョコは無事に締切当日の最終日の朝に渡せた。


笑顔でチョコを受け取ってくれて、一瞬場が和んだ。


最終日も朝イチで麦島さんの席に行って、諸々打ち合わせて、出す直前までお互いに何度も行き来したり電話したりした。


麦島さんは途中で別の問題発生で借り出されることになったらしく、その時もわざわざ電話をくれて約束の10時に追加資料を出すことが守れなくなってしまってすみませんと言ってくれた。(10時の約束さえもそもそも速すぎる設定で、硬派さんと2人で仕事が早いと驚いた。)


ちなみに催促することは多々あれど、相手側から予定がずれてしまうことを知らせてもらってさらには謝られたのは4年目に入った今の仕事で初めてのことだった。(報連相がクレージー過ぎるくらいにダメダメな社風の会社だから、麦島さんタイプはものすごく珍しい。)


ようやく全てが終わったのは19時になる少し前だった。


麦島さんと硬派さんの2人宛てに感謝のメールを出した。


麦島さんは「武士俣さんがいなかったら間に合わなかったです」と言ってくれたし、硬派さんは「いつも助かってます」と言ってくれて、さらには麦島さんと硬派さんは同期ということもあってお互いにもお礼と次の類似案件もよろしく的な言葉があった。


そんなイケメンたちとの共同作業が終わって気付いたことがある。


翌日、硬派さんは何せ同じ部署だから、私の席にわざわざ来てくれて今回の案件の終了を労いに来てくれた。


麦島さんは体育館の端と端くらいに席が離れているからそういうことはない。


ようやくその強烈な仕事から解放されて何回も白目を剥きそうになりながら1日のらりくらりと過ごした。


麦島さんを一度くらいは見かけたように思うけれど、麦島さんの姿を探すとか会えなくて寂しいとかそういう気持ちは湧いてこないことに気付いた。


そんなの当たり前のことかもしれないけれど、そうなってみて初めてイケメン上司がいた時のことたちが当たり前ではなかったんだと改めて気付かされた。


仕事に行く日は毎日まずはイケメン上司の姿を探した。


視界に入ると安心したし、反対にいないと「今日は何の予定?」と週間スケジュールを引っ張り出してきてイケメン上司の名前が何かしらの予定に出ていないか確認したりした。


イケメン上司がイケメン行為を私にしてくれた時は、そのすぐ後からイケメン上司の姿を帽子を目深にかぶっているのをいいことに探した。


ガン見するとおかしいから足元のスニーカーをチラチラと自分の視界に入らないかと探した。


イケメン上司がいない日はガッカリしていたし、いるはずなのに事務所にはずっといない時はヤキモキしたりした。


当時は一喜一憂することに忙しかった。


ほんの少しだけ麦島さんはイケメン上司と似ている。


顔とかじゃなくて、多くを語らないところとか、黙々と仕事を進めるところとか、そういうのが似ていた。


顔は違うけれども、同じクラスにいたのならつるんでてもおかしくないなと思う。


立て続けに麦島さんを入れて3人の人とこの1週間ほどで仕事を共にしたけれど、他の2人は全然タイプが違うけれど、麦島さんはよくよく考えたらイケメン上司とタイプ的に似ている感はある。


声も高さと質感の系統が似ているけれど、電話を何回かした中でいつも「この声じゃない」と無意識に思っている自分に気付いた時はなんだか可笑しくなってしまった。


全てにおいて基準がイケメン上司なことに気付いた。


さらに言うと、連日何回も何回もやりとりしてそれが終わった今は何も絡みがなくいつもの日常に戻って行った時、麦島さんから見たら私など何でもないわけで、イケメン上司からしたら5年以上経過した人などもはや存在感などないんじゃないかと思った。


たった1日でも存在感が薄れるのに、5年なんてとんでもない時間だし、ブログも私がゆっくりペースなアップなのに倍速で比例してイケメン上司も見てる風ではあるけれど回数激減なのはわかる。


ここから先はもうこの薄れていく感じに慣れていくしかないのかなと思ってみたり、何か天変地異などが起こって突然イケメン上司が連絡くれないかなと叶う気配ゼロの願い事を自分の中で反芻してみたり、もしかして当時のことは幻のことだったんじゃないかと疑ってみたり


今回麦島さんというすごく仕事ができる人にあたって、私の中で「仕事できる人=カッコいい人」なんだと気付いたけれど、その方程式に気付いた時にイケメン上司からして「◯◯な人=可愛い人、可愛らしい人、ときめく人」みたいなのだって当然あるだろうから、そんなの5年もあれば色んな何か存在感がある人なんていただろうなぁと思ったら、もう私がイケメン上司の人生の中におじゃまする機会には恵まれないんだと静かに沈んだ気持ちで思った。


唯一救いだったことは、麦島さんとやりとりした時に「こういう(在り方が)カッコいい人がいる」と思えたことで、残りの人生でまた誰かに出会えるかもしれないと思えたことだった。


イケメン上司みたいな人を基準にするとそんなの無理だと思うけれど、イケメン上司を基準にしなければ世の中にはまだまだたくさん人がいるし自分がいいなと思える人だっているはずと思えた。







水曜日に提出した資料は今日金曜日の午後の終業1時間前くらいにお上のお叱りメールと共に再提出の催促がされて戻ってきた。


お叱り箇所については麦島さんじゃないと対応できないことばかりだった。


お叱りメールをもう一度きちんと読んだら、末尾にある2項目だけ私でも即対応できるものだった。


硬派さんは忙しい風だし部長も忙しいしどうしようかと思ったけれど、とりあえず直すだけ直して用意した後に、その直したデータをそもそも私が直して良いのかと麦島さんに渡して良いのかを忙しそうに動き回っていた硬派さんを捕まえて聞いた。


OKをもらって、それで関係者にメールを出した後即麦島さんに電話を入れてデータを直したことと直したデータの保管先は今メールで送ったことを伝えた。


ワンコールですぐに電話に出てもらえることや小さなやりとりだけれどそれもさっとできるところが、イケメン上司の時は欲しくて欲しくてたまらなかったのにほんと手に入らなかったなと、そんなことを思いながら電話やらメールやらをした。


相変わらず麦島さんの電話越しの声を聞きながら「この声じゃない」などと思ったりもした。


声のトーンや高さはけっこう似ていると感じるけれどもやっぱり違う。


声にも指紋と同じで声紋というのが1人1人全く異なるみたいなことをサスペンスドラマか何かで聞いた気がするけれど、本当にその通りだなと思う。


本当に違う。


似て非なるもの。


電話越しの声はやっぱりイケメン上司の声ではなくて、そして変な言い方だけれど、麦島さんの声は回数としてはたくさん聞いたけれどもなぜかあまり印象に残らなくて、今もこれを書きながら「どんな声だったかな」と思い出すことができない。


終業間際のそれも金曜日で休みが見えているタイミングできたものが、これ相手がイケメン上司なら、わざわざ直したページを印刷してそれを席まで届けに行っただろうなと、そんな自分のやりそうなことまで想像できた。


そしてその与えられた仕事を嬉々としてやってルンルンで鼻歌まで歌いそうな勢いで紙を届けるフリしてイケメン上司に会いに行っただろうと思う。


と同時に不思議だなとも思った。


麦島さんはいきなり超密にやりとりせざるを得ない状況になったけれども、やりとりの回数や中身は濃くてもだからと言って関わってない時間はいるのかいないのかさえもわからない。


一方で、イケメン上司は本当に仕事の絡みが全くなくてひたすら棚からぼたもち状態で天から降ってくるのを待つ他なかったしそれさえも数えるくらいでしかなかったけれど、関わってない99%側の時間はイケメン上司が私の中にいなかったことはない。


常に存在感増し増しであって、そこに棚ぼた案件が運良く来るとさらに存在感アップという感じだった。


改めてイケメン上司の特別さはよくわかったし、あの感じは特別というより唯一無二だと思った。


イケメン上司がいた時空間にはもう二度と戻れないし、生きているうちに会えることももうないだろうと考えるとやるせない気持ちはモリモリ湧くけれど、あの感覚はこの先も私の中でずっとずっと生き続けてくれるし自分の中にいつも自分に寄り添ってあってくれるものだと思う。


それがイケメン上司が私に残してくれたもの、そんな風に感じている。

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