2021/09/27(月)
肌寒い朝を迎えた。
夜中から雨が降ったようで、今も外からポタポタと雨粒が屋根に当たる音がする。
鈴虫の声も聞こえる。
太陽が顔をはっきりと出している。
4年後の今日は、今日という区切りの日にふさわしい天気な感じがする。
4年前の当時、私は毎朝仕事に行く前に家のお墓参りに行っていた。
イケメン上司のことはもう神仏(かみほとけ)に頼むしか術が無い、そういうレベルでしかどうにもならないことという認識だったから、毎日毎日休みの日もせっせと墓参りをした。
よく覚えているけれども、当時その朝の時間帯はいつも雨が絶対に降っていなくて、傘を持って墓参りをした日は1日たりともなかった。
雨が多い新潟県ではとっても珍しいことで、天気ひとつ見ただけでも、何かに守られている、そんな気持ちになった。
そしてイケメン上司がいなくなった翌日の朝、墓参りの時間に初めて雨が降った。
それ見て、自分が泣く代わりに空が泣いてると私は本気で思った。
そんな日から4年が過ぎた。
*
日記帳の中は、2017年9月15日からスタートしていた。
本当はその前に友達の結婚式で熊本に行った時の記録を書いていた途中だったけれども、私はそれらを遮ってイケメン上司のことを突如書き始めた。
「旅行記も旅の途中でやめてしまった日記も終わってないけど、今どうしても書き残しておきたいことがあるからそれを先に書く。今じゃなきゃ書けない。」
そのように書き出していた。
日にちは具体的に書いてはなかったけれども、その日の日記の中で私はイケメン上司の机周りが日に日にきれいになっていく様を記録している。
「〇〇さんの机周りが日に日にきれいになっていく。仕事専用と思しきダウンがなくなった時、あぁ本当にお別れなんだって実感が嫌でも湧いた。あのゴチャゴチャしていた机がトレードマークみたいだったのに、ずい分スッキリしてきて、それがまた1つ寂しさに拍車をかけた。そこにいるっていう存在感、空気みたいなのが本当になくなる。何でこんなにゴチャゴチャしてるんだろうって思ってた日がなつかしい。」
この4年の間のどこかにそのダウンの話は書いた。
事務所は大型店舗のコンビニくらいの広さだったけれども、私は最初にそこに行った日からとにかく部屋の超すみっこ且つ見えにくい場所にあるにも関わらず、黒い薄手のダウンの存在が気になって仕方なかった。
他にもっと特筆すべき点が絶対にあったと思うし、例えばその事務所に100人の人が訪れたとするなら、私以外誰もあのダウンに目もくれないんじゃないかと思うけれども、私にはどういうわけか最初からそこがやたらと目立っていて妙に気になる風景だった。
衣替えも毎年超面倒くさいと思ってやるタイプだから、別に6月の夏日にダウンがあっても基本気にならない。
なんだけど、やたらと目を引いて仕方ない、この事務所の印象は?と聞かれたのなら、あの黒いダウンです、と答えてしまいそうなくらい、なんだか知らないけれども異様な存在感をダウンは放っていた。
なんならそのダウンを見て「ねぇあなた、ダウンはどうしたの?」と奥さんから聞かれたりしないんだろうか?と、誰のものかまだわからなかった時にそんな想像さえ私はしていたくらいだった。
そして、そんなこと聞かない奥さんなのかもしれないし、単身赴任なのかもしれないし、そもそもそんなこと聞いてくれる奥さんなどおらず独身かもしれないし…、とそんなことまで私は勝手にストーリーを考えていたくらいだった。
それがイケメン上司のものだと認識できたのはもっと後だったし、その後も真夏日でもそれはずっとそこにあって、常に季節とミスマッチしていたけれども、その存在感たるや最後の最後まで大きなものだった。
だからある朝仕事に行ったら、そのダウンが無くなっていて、私はそれを見ただけで大粒の涙が出そうなくらいにショックを受けた。
異動のことは聞いたものの、どこかでまだ半信半疑だった。
けれども、ダウンが無くなった日、異動は本当なんだと私の中にはっきりと示された。
机がきれいになっていくよりも、私にはそのダウン1枚が部屋の風景から無くなったことの方が衝撃が圧倒的に強かった。
今でも当時のそのダウンのある風景ははっきりと覚えている。
多分そんなの誰も覚えていないと思うし本人さえも忘れていると思うけれども、私の中では一番はっきりと記憶に残っていると言ってもいいくらいに強く鮮明に残っている。
*
今日は早々とシャワーしてご飯食べて寝支度して、それであとはブログを書くことだけに集中しようとしていた。
ヤフーニュースを見たら最後、国民の各種コメントにハマって気付いたら1時間半近く経っていて、それでようやくここに戻ってきた。
ごはん食べてるあたりから洗い物をするところまで、いきなりとてつもなく寂しさが噴き出した。
(ここからは28日に変わった夜中の3時に目覚めて書いている。)
4年前ほどの衝撃はないけれども、あの時の感覚に近い感覚が出てきた。
なんなら日中はまたありえないすったもんだな仕事中の沈黙トラブルがあって(私からすると、上に立つ人たちが今未来の炎上を意図して放火してるようなもの)、それが実にザワザワする内容だからしばらくはそのことに気を取られていた。
そちらに気が向くくらいに4年も経つとこんな風なんだとさえ思っていた。
だけど、テレビを見ていても、ごはんを食べていても、気持ちは過去を弔うかのように静かにしんみりとしていった。
大丈夫な気でいたし、基本的に今の日常は大丈夫な感じでやり過ごせているけれども、やっぱりすんごい寂しいんだなと思った。
今月末に海外転勤のために異動になる人が関係者に挨拶に回っていた。
私は言葉を交わさなかったけれども、その光景を見ていて、先日書いた「接する人」という言葉を思い出した。
その異動する人は、それこそ1年半以上同じフロアにいたし、やりとりも皆無ではなくて小さなやりとりと裏側ではその人のぶっ飛んだ発言により今回のカタログ大幅改訂の時の英訳は本当に受難がいくつもあって、その人の思いつき的な一言で私はとんでもなくたくさんのかなり専門的な労力と知恵をフルに出さないといけなかったけれども、それでもその人と私の間には何もなく、何も残らず(仕事のことは恨みたくなるくらいに酷かったけれども)、次にその人が転勤でまた新潟に戻ってきても私はいないし、その人と私とがどうこうなることもない。
イケメン上司が異動のための最終日と同じ日に似たような状況下を目の当たりにするわけだけど、片や「接する人」で片や「無の人」。
時間の長さとかやりとりの多さとか関係ないんだと思った。
私の中で、イケメン上司が「接する人」として人生に登場してくれたことは、今もものすごく特別なこととしてあるし、本当の本当に良かった。
100人とか普通にいるフロアの中で、もし当時のイケメン上司と私もその状況下で出逢ったとするなら、接する人としてイケメン上司は私の人生には現れてくれなかったと思う。
あのイケメンの人異動するんだなぁくらいか、下手すると「あの人は誰なんだろう?」状態、もっと下手すると同じフロアにいることさえ気付かずに終わったかもしれない。
程良い事務所の面積と大きさが、イケメン上司と私とを知らない誰かから「接する人」に格上げしてくれるのにピッタリだった。
たった1人、それが人間関係的には何の発展もなく関係さえ無いというようなものであったとしても、自分にとってその1人が人生に現れてくれたことで自分や自分の人生が心底救われることがある。
イケメン上司は私にとってのそういう人だった。
何にも関わりが無いし、こうして今も好き放題あれこれ書かれてどんな面持ちでこの事態を見ているのか全くわからないけれども、もはやイケメン上司側がどうだとかいうことは関係なくなっている。
私にとって、イケメン上司が人生に現れてくれてそれで私が生きることに対してもう一度きちんと向き合えるようになった、そのことが全てだと思う。
前回のブログに書いた通り、私はペンジュラムにまつわるとあるグッズを購入した。
昼休みに自分の仕事のパソコンからまた見て、やっぱりこれだ!と確信して、ペンジュラムに聞かず、即自分のiPhoneで今度は同じページを開いて注文した。
そのグッズがいつか本当に稼働して色んな人生の旅を経験する時に、イケメン上司が新潟にいた最後の日に買ったということが9月27日の日の新たな意味に加えられる。
ただただ物悲しい1日じゃなくて、別の新しい意味も自分で付け足すことができる。
*
頭が寝ぼけてきたから、これだけささっと書いて終わりにしたいと思う。
分厚い封筒を押しつけた後、イケメン上司がいなくなるという時までほとんどイケメン上司の姿の記憶がないのは、当時は本当に嫌がられてるようにしか見えなくて、申し訳なさやこれまでみたいにチラチラと盗み見するように見るのも悪いかな…とそんなことを思って見ないようにしていた。
もちろん気まずい気持ちもあった。
なんだけど、4年経った今思うのは、もうどうせ嫌がられるならじゃんじゃん見ておけば良かったなということ。
いつか会えなくなるということを信じたくなかった気持ちもあったからなのかもしれないけれど、私は当時「見納め」なんていう発想は全くなかった。
もう見たくたって見れない現実がすぐそこまで来ていたわけで、そうなるともうずっとずっと見れないままになる。
もっと見てもバチ当たりなことにはならなかったのにな…と悔やまれる。
見なかったことがとても悔やまれる。
その間で思う存分というか割と自由に見れた日が1日だけあった。
ある時、ネット回線がおかしなことになったらしく、イケメン上司はその修理や調整やらを電話の子機片手にあれこれやらなきゃいけない日があった。
多分サポートセンターみたいなところに電話しながらやり方を確認して、それで線を抜いたり差し込んだりしていたんだと思う。
その時私は作業机の方にいて、その机の向こう側の本来の席がある列の真ん中辺りにルーター的なものがあったのかどうか、とにかくその辺りにイケメン上司は立ってもしくは屈んで色んな作業を必死にしていた。
その姿を私は作業そっちのけで見ていた。
そちらをガン見していても、イケメン上司は私に背中を向けていて気付かないし、仮に周りの人たちから私が見ていると知られても、そうした緊急事態があったわけでそれを見ているように見えるだろうから、何ら制約はなかった。
イケメン上司や他の人たちには申し訳ないけれども、私はネットの不具合に心から感謝していた。
そんなことでもなければ、私の2メートルないくらいの目と鼻の先にイケメン上司がいて、それを好きなだけ見ていられるなんていうおいしい状況はその時一度きりで、このままもっと不具合が続いてイケメン上司がそこに居続けてくれたらいいのに!とさえ思っていた。
後ろ姿をガン見できたのはその時一度きりだったと思うけれども、私は本当に穴が開くくらいにイケメン上司の姿を観察していた。
神様がくれたご褒美なんじゃないかと思ったくらいに、ものすごく至福感の高い時間だった。
向こうはバタバタしていててんやわんやだったけれども、私だけがあの時1人その状況を喜んでいたんじゃないかと思う。
おかしな話だけれど、私はその時のイケメン上司の体を折り曲げる角度みたいなのさえ相当鮮明に記憶に残っている。
しかも視界を遮るものが何もなかったから、丸っと姿が見える位置にいて、私は1人で狂喜乱舞していた。
そんな風にしてもっともっと見れたら良かったのになと思う。
どう思われてもいいから(痛い人でも気持ち悪いでもいい)、開き直ったら何でも書ける。
その時のことが最後の10日間くらいの中で唯一遠慮なく見ることのできた時間だった。
正しくは、4ヶ月弱の時間の中で一番長い時間自由に見れたのがその時だけだった。
時間にして数分でしかなかったと思う。
でもそれが4年経った今もこんな風に自分の中に鮮明に残っている。
魂の記憶。
魂が必死に記憶しようとする時ってこんななんじゃないかと思う。
他にもイケメン上司の姿は色んな光景と共に記憶に残っているけれども、どれもこれも視覚的なことよりも感覚的な感じで記憶に残っている。
視覚は時間と共に少しずつ薄れていきそうな気がするけれど、感覚はずっと残る。
そういうものを私はこれからも自分の中に大切にとっておきたい。
もう会えないのは仕方ないから、せめて記憶の中で自分の心の中で飽きるその時まで何度でも何度でも反芻したい。
書いてたら涙が自然と出てきたけれども、それは心がきちんと動いている、心がある証拠だなと思った。
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