2018年10月21日日曜日

振り返りノート>最終日のシーン

最後のシーンについて、私なりに感じたことをここでは書こうと思う。

最終日の振り返りに混ぜなかったのは、振り返りとは少し位置が違うのと、またまた私の超独断と偏見に満ち満ちた話だから、そことは一線を画して書きたかった。

最後にその人と挨拶を交わしたシーンも、そしてその後私が帰る時に見たその人の後ろ姿もよく覚えている。

脳内再生率、No.2か3を狙えるぐらいに再生してるから、今回改めて振り返らなくてもそのシーンは忘れることなく記憶にしっかりとある。

当たっているかどうかはわからないけれど、私はなんとなく最後の日、その人はわざと私を避けたような気がしている。

私は余程のことがなければ、いつも定時きっかりに上がっていた。

しかもその職場はきっかり上がっても誰も何も言ってこないところだったから(内心は知らない)、私は毎日時間になれば帰っていた。

しかも私の仕事の良いところは、その日に終わらせなくてもいいことだった。

だから定時上がりをしても誰にも迷惑がかからなかったし、咎められることもなかった。

もちろん急なものがあればそれはさすがに私も残った。

だから、その人からしてみても、私の上がる時間は簡単に予測がつくわけで、たまたまなのか意図的なのか、私が帰る時間の前後にその人は事務所から姿を消した。

で、時間が経てば経つほど、その時の行動は意図的だったのかな…と思うことの方が増えた。

自分の脳内のおめでたさ加減には呆れるけれども、今回勇気を出して話してみようと思う。

私は、その人が意図的に最後の挨拶を避けようとして、そして最後の最後私と絶対に顔を合わせなくて済むように背中も向けて見ないようにしたのかなと思っている。

当初は私が嫌すぎてそうしてるのかと思ったけれど、実は違う理由だったのかな…とこの1年ぐらいをかけて思うようになった。

その違う理由について話したい。

今だいぶ冷静に物事を眺められるようになって、1つ思ったこと。

この1年、本当に色んなことがあったし、不思議な体験も多かった。

そんなこんなの中で、私が1つどうしても解せないことがあった。

その人に対して感じるもののレベルとか深さとか種類とか、とにかくそれがこれまでの人生経験とは大きく異なっていた。

自分で書くのも嫌だけど、冷静になって考えると色々おかしい。

・38歳(当時)の独身女が
・相手のことをほとんど知らないのに
・まともに会話もしたことがないのに
・相手を誘い出し断られ
・さらには相手からも避けられたのに
・長くて重たい手紙を書いて渡し
・全く連絡が取れないのに1年以上も想い続ける

ストーカーとも取られかねない内容だったりもしくは完全に頭のいっちゃった人と思われても仕方ない。

普通の感覚ならそこまでしないし、もう今頃次の出会いに目が向いていてもいいと思う。

だけど、そんなおかしなことになってまで今ある現実を体験している私側にも言い分がある。

何せそれまでの数年間で何百回もの心理ワークを自分1人でもやったし、そして数十回は他人からしてもらったことのある私からすると、その人に対して感じる心の部位や感情の種類が、明らかにこれまでの人生では体験したことのないものだったりする。

マニアックな話だけど、例えば「悲しみ」1つとっても、体験別に悲しみを感じる体の部分が変わってくる。

愛もそうで、恋愛、親子愛、家族愛、夫婦愛…と並べると、同じ「愛」でも感じ方が違うのがわかるかな…と思う。

心理ワーク系は意識の状態も変えたりするから、言うなれば頭だけで物事を捉えている時と、ものすごく集中していて何かが閃く時とでは意識の状態が違う。
(β波・α波・θ[シータ]波とかの話)

なんなら専門家からしてもらった時の心理ワークで、私は退行という手法を使って4歳前後の自分に戻っていって、その時に感じた感情を追体験するなんてこともしている。

何が驚いたって、そんな昔のことでもそこに対して正しい設定がされると、きちんと当時の感情を鮮明に思い出すことができる。

そうした意識の状態の違いなんかもあれこれ体験してるわけで、そうした諸々を並べて見ても、その人に感じる諸々のことはもはやこれまでの体験のどれにも当てはまらないものばかりだった。

それだと例としてわかりにくいから、恋愛にしよう。

異性関係はたしかに不器用だけれど、人を好きになったことも付き合ったこともある。

もうこれ以上誰かを好きになれないという体験もしている。

そうした全てを並べて見ても、やっぱりその人に対して感じるものは、あまりにも未知過ぎた。

付き合ってる人同士が「相手のどういうところが好きなんですか?」と聞かれて「わからないけど好きなんです」と答えるのは微笑ましい。

何が!とは具体的に言えなくても、何かがしっくりいっているんだね、言葉にできなくても何かが好きなんだねと読み解くことができる。

でも今の私に、付き合ってもいない相手、そして相手の何も知らない私に、「相手のどういうところがいいんですか?」と聞かれて、「わからないけど良いんです」と答えたら、本当に単なる痛い人でしかない。

自虐的というより、本当に世間一般的に見たら、そう見えるのが普通だと思う。

私はこの1年、びっくりするぐらいにたくさん泣いた。

それも奇異(奇妙+異常)だった。

何でその人のことを思うと涙がボロボロ出てくるのか、私には正直理解できなかった。

涙が無意識に出てくる時は、何を悲しんでいるのか知らないけれど、ものすごく深いところが反応して涙が出ているのはわかる。

言葉では説明できないし、他の人や他の場面では起こらない現象だから、余計と特殊だとわかる。

で、この1年色んな情報がやってくる中で一番しっくり来たのは「魂の繋がり」だった。

またかよ、魂話…って感じもあるけれど、でもこれ以上ない、一番しっくりくるから私は何度でも言う。

今の私では感知できないレベルでもそれが魂が感知していて起きているとするならば、あの説明のつかない感覚や涙もものすごく納得できる。

泣こうと思って泣けないのと一緒で、その人を思って涙が流れる時の感覚は、心理ワークではそこまで導けない。

その人のことを思い浮かべれば、今はその感覚を体験しようと思えばできるけれど、でもその人以外をきっかけにしてその感覚になろうとしてもなれない。

だから感覚としてすごく限定されたもので、さらに言うと、もしその人に出逢わなければもしかしたら私は今生では体験しなかったかもしれない感覚だとさえ思っている。

前置きが長くなったけれど、この1年で私が思ったこと。

もしかして、相手も私と同じような又は似たような感覚を感じてるんじゃないのかな…と。

例えば水たまりに石ころを投げたとする。

左半分だけゆらぎが生じて、右半分は静止したままなんてことは絶対にあり得ない。

この一連の感覚を振り返ると、私1人の側だけに何か大きく影響している、と考えられないわけでもないけれど、もしかして双方に影響してるのかな…と思うことが増えてきた。

1回だけのことで判断するのはちょっと信憑性に欠けるけれども、私がそう感じた瞬間がある。

その人は外に気持ちを出すタイプではないし、自分のことを相手がわかるように表現するのも苦手な人だと思う。

いつだったか職場の人が言っていたのが、その人があまりに顔に出さないから、実はすごい大変な状況だったのに気付かなかった、だった。

それぐらい外に出さず自分の中で全部抱えるタイプの人なんだと思う、基本的には。

というその人が、ある物を探しても見つからなかったようで、その一部始終を後ろから見ていた私が声をかけたことがあった。

その時のその人の反応に私は心底驚いた。

仕事のやり取りだし、何も特別なやり取りでは全くないし、何てことないものだった。

なのにその人は、照れてるのか恥ずかしいのか他のもっと違う感覚かはわからなかったけれど、すごいぎこちなかったのと、表情も見たことないような表情だったのと、えっ⁉︎もしかして女の人に慣れてないとか?なんて疑ったぐらいに、とにかく普段のその人からは想像もできない反応が返ってきた。

ちなみに女の人に慣れてないってことはないと思う。

他の女の人たちとは普通にやり取りしてたから。

私が新参者だから、慣れてなくてそうだったのかもしれないけれど。

ただ、私も同じように反応したかもしれないと思った。

もしその時の役割が逆で、私が探し物しててその人が不意に私に話しかけてきたとしたら、多分私も同じような反応をしたんじゃないかと思う。

不意打ち過ぎて、自分の感情を隠せなかったかもしれない…そう思う。

さっきの感じたことのない感覚の話と双方に影響があるんじゃないかの話と魂の話を組み合わせて見てみると、私は「もしかして…」と思うことがある。

この意味不明でやたらと勢力の強い感覚をその人も感じてるとするなら、避けたくなる気持ちもわからなくもない。

感覚自体がかなり特殊だし、影響力は強いし、平静を保ちたい人からすると、積極的に持ちたい感覚では絶対にない。

相手が私のスイッチを入れたように、もし私が相手のスイッチを入れるのだとすれば(もちろん私はそんなことしてるつもりはない)、逃げたくなるかな…と思う。

だって、いきなり涙がボロボロ流れてくるなんて普通は困る。

涙が流れなくても、何かしら心に影響はあるだろうから、それをもろに受けると平穏無事な毎日とはいかない。

多かれ少なかれ自分を保てないところが出てきてしまう。

例えば、他の人たちとは普通に話せるくせして、その人になった途端話せないどころかすごい緊張する、そしてそれが例えば「気になる人だから緊張する」とするなら、これまでの気になる人の緊張度合いが1とするなら、その人の緊張度合いは100になる。

どんな種類の感情もその人相手だと通常の数百倍強く感じる傾向があったから、良くも悪くも「平常心を保つ」なんてのは難しかった。

そして、魂として考えるなら、やっとやっと出逢えた人だとするなら、離れる時の悲しみや切なさは半端ない。

やっと出逢えたのに離れる。

私の中で潜在意識と魂は違っていて、潜在意識は今の人生で起こったことを全て記憶している部分、魂は今生だけではなく過去に生きていたとされる全ての人生のことを記憶している部分、という風に捉えている。

余談だけど、私が知った自分の過去世は、
・ペンジュラムを友達のようにして使っていた10歳ぐらいまでしか生きられなかった男の子
・40代ぐらいの穏やかな物書きの女性
・40歳ぐらいのお坊さん(多分相当な禁欲生活を送っていたと思われる)
・20歳ぐらいの侍男子

証明のしようがないけれど、そんな話を耳にすることになった、ということは私にとって必要だから耳にしたと私は解釈している。

潜在意識は、今の武士俣史子人生のみの記憶しかないけれど、魂の方は武士俣史子+上の人たちの人生の時の記憶+他にも生きただろう人生すべての記憶を持ち合わせている、そう思っている。

色んな人生の中で色んな人たちと関わったのは間違いなくて、そしてその時の人たちはまたどこかの人生や今回の人生でも出逢ったりするんだと私は思っている。

中には1回ではなく何回も何回も出逢う魂もいると思う。

それを思うと、私がいきなり誰にも習わず調べたりもせずペンジュラムが使えたこともわかる。

過去世からの記憶が今に引き継がれてた、と思う方が、あの並大抵ではない使いこなし方に納得できる。
(スピリチュアルな体験に慣れてる人たちから見ても、私のペンジュラムの正確さや的中率はゾッとするものがあるらしい)

書くことも、基本的に苦にならない。

それも過去世からの引き継いだ記憶の1つだと思う。

その人との出逢いはペンジュラムや書くことととても似ていると私は思っている。

他の人たちとは一線を画している。

あのよくわからない涙とか、本当の本当に体の奥側の方から湧いてくる感情とか、それは単に38歳までの自分の経験から来ているのではなくて、魂が生きたこれまでの人生の記憶から来ているもののような気がしてならない。

そうだとするならば、本当に理解に困っていたその感覚がわかる。

だから、離れる・肉体的に物理的にまた会えない生活になるとなった時、ものすごい強い感情が噴出したことも納得できる。

自分の心も含めて人間の心理は複雑怪奇過ぎるし、全てを読み解くことなんかできない。

私が勝手に解釈しているだけで、それだって真実ではない可能性も十分にある。

その人は、最後の挨拶の時も私が時間が欲しいと言ってできないと言った時も、一瞬だけ私の方を見た。

最後の時はとても冷たい目ではあったけれど、見た。

できないと言った時の目の表情は、冷たくはなかったけれど、じゃあそれが何かとはそれを表現する言葉を私は持っていない。

それでも私の方を見上げるようにして見た。

見なきゃいいのに…と思わなくもなかった。

単に怖いもの見たさだっただけかもしれないし、相手の目を見ないで話すのは失礼だと思ったのかもしれない。

でも、普段のその人を見ていると、嫌なものは徹底的に避けるみたいな感じがしたから、たしかに十分避けられてる風だけど、その避けたいの意味も少し違うんじゃないかと感じる。

最後にその人とまともに話した時、その人はとても優しい目をしていた。

それはもちろん私が危害を与えていないからだと言ってしまえばそれまでだけど、それだけの理由であんなに優しい目ができるとはちょっと思えない。

私は普段から、空気感とか雰囲気とか周りの風景とかは相当強く記憶に残る。

だけど、意外に残らないのが人の表情。

空気感は覚えているから、それに近い表情はなんとなく記憶に残るけれど、それもあまりない。

2歳の姪っ子の表情すら、あまり記憶に残っていない。

多分私は普段から人の表情をよく見ていないと思う。

見たところで大半は忘れる。

そんな中、その人だけは全く違っていた。

その人の表情だけはやたらと記憶に残った。

少し離れたところから盗み見したものも含めて、とても鮮明に残っている。

顔の細かいパーツは全く見てなかったから(見たくても恥ずかしくてガン見もできなかった)、その人の顔のパーツの形は全く知らない。

だけど、顔全体の表情と目の表情とそしてその人が放ってる雰囲気とその人の周りに流れてる空気感、それだけははっきりと記憶している。

あの優しそうな目は誰にでも向けてるかもしれないけれど、普段からそんなにバンバンと見れるものではなかった。
(仕事中なんだから当たり前か…)

あの表情や空気感が、もしその人も無意識だけど私にだけ向けられたものだとするなら…。

本当に穏やかで温かい感じの時間が流れていた。

その時も、まともではないことを話しかけて、内容も「何言ってんだこいつ?」ぐらいのもので、私からしてもとてもおかしなことを言っているという自覚は大いにあった。

それでも私の個人的なメモが流出する方が絶対に困るから、言わざるを得なかった。

机の汚いのが初めて嫌だと思った。

何でそんな爆弾みたいなものを後輩くんとの机の境目に置いているの?と思った。

少なくとも3日ほどその放置状態は続いていて、しかも日に日にメモの位置は後輩くんの机側に移動していて、どう考えても気付いてるとは思えなかった。

普通の感覚では、気付いていてあの状態にしてるとは考えられなかった。

それに気付いてもらうべく、少なくとも安全圏に避難させて欲しくて、そのよくわからないことを言いにいった朝があった。

自分でも何すごいヘンテコな話をしてるんだろう…と思いながらも背に腹は変えられず、とにかく言うだけ言わないと!と思って話しかけた。

朝から何トンチンカンなこと言ってるの?って感じだったけれど、その人はさらりと対応してくれた。

その時の表情と言い空気感と言い、私は朝から猛烈にテンションが上がった。

自分のしょうもない用件なんかぶっ飛ぶぐらいに、本当にその人は素敵だった。

営業用の顔ではないと私は思った。

本当にその人本来の良さが最大限に発揮された表情と空気感だった。

年齢から言えば相手もおじさんなわけで、そして社会的な立場もあって、そして場所は職場。
(年齢はおじさん域だけど、その人は俳優さんじゃないけれどその人たちのように全くおじさんには見えない)

なのに何でそんなにスレてないの?と言わんばかりの空気感をその人は持っている。

少年ぽいわけでも若者というわけでもない。

反対に落ち着いた大人の男というのとも違う(落ち着いてはいるけれど)。

男の人で仕事に邁進してるオーラとも違う。

仕事命!みたいな男の人たち特有のオーラがあるけれど、それとも違う。

その人が醸し出してるのは、それのどれとも違う異次元のものって感じだった。

勝手に予想すると、多分ずっと同じ職場に勤めていると思うけれど、全然曲がっていない。

理不尽なことも無茶苦茶なことも組織の中だから絶対にあると思うけれど、そういうことに影響されないのか、本当に人として素地がきれいで透明な人なんだと感じる。

誰しもが人のオーラの真似はできないけれど、その人の持っているものは本当に真似できない。

関係ないけれど、その後その人の同期という男性が一度事務所に来たことがあった。

その同期の男性は、私がそれまで目にしていたそのぐらいの年齢の男性社会人の典型的な感じの人で、全然違和感がなかった。

その人は仕事はきちんとしているのに、言うならそういう典型的な部分がかなり薄くて、代わりにその人独自のオーラが全面に出ている、そんな風だった。

話が逸れまくった。

元の最後の日の話に戻そう。

詳細は省くけれど、その人が「わざとですか?」と言いたくなるぐらいに、最後の最後私から背中を向けてすごく変な位置に立っていた件。

絶対に私の姿が見えない位置に立っていた。

見えないと言っても、広い事務所ではないから、私が帰る時は私がお疲れ様でしたと言えば周りの人たちもお疲れ様でしたと返してくれるから、見えなくても少なくともいなくなるぐらいのことはわかる。

とてもはっきりと無視をされたかな…と私は思っている。

そこまで嫌だったんだと当時は思った。

そうやって片付けることにもした。

だけど、腑に落ちたわけではなかった。

小さな引っかかりがあったけれど、他の感情でいっぱいいっぱいで、引っかかりはかなり隅の方に追いやられていた。

そのことに対して腑に落ちたのはそれから4ヶ月後のことだった。

当時のブログから抜粋すると。

>>>
これをものすごく私のいいように解釈したとするなら…。

過去に私が先に死んでいく姿を見たとして、まぁ今回は私は死ぬわけでもないしむしろいなくなるのは相手の方だったけれど、そういう最後の瞬間を見たくないと魂の部分で感じたとするなら、あの背中はもしかしたらそういう意味だったのかもしれない。

だって立っている位置自体も変だった。

普通に立つなら、むしろ背中を向けるんじゃなくて私から見ると私の方を向いて立つ方が自然だった。

なのにわざわざ背中を向ける場所にあの時は立っていた。

そう、わざわざその位置に行かないとそういう立ち方にはならないでしょ!?という感じの場所に立っていた。

事の真相は知らないけれど、魂の再会という視点で物事を見ると、ちょっとこれまでとは違った風景や情景がそこには見える。
>>>

今年の2月にホロスコープの鑑定に行った時、過去世のペンジュラムの男の子の話を聞くことになった。

過去世とか輪廻転生の話はそれまでも多少の知識として聞きかじってはいたけれど、私自身の過去世を聞くのはその時が初めてだった。

その男の子は病弱で10歳前後で死んでしまったとのこと。

今生私はその男の子の意志をとても強く引き継いでいる、と不思議な透視力のある鑑定士さんに言われた。

その内容に納得したのには2つの理由がある。

1つは、その子はペンジュラムを自分の体の一部のように、自分の大切な相棒のように、とても大切に持っていたこと。

その時の能力的なものを今の私が引き継いでいると考えれば、自分のペンジュラムの使いこなし方はものすごく納得がいく。

もう1つは、今生の私はとても健康体を与えられていること。

長生き仕様の体におそらくなっていると思う。

それは長く元気に生きて色々体験したい、そういう想いを反映できる体を選んでいると思う。

真実は知らないし、全て私の想像でしかない。

だけど、あれから1年が経過した今、その人が見せた姿は、関わり合いになりたくないという意思よりも、別の意思があの行動に繋がっていたのかもしれないと思う。

その死にゆく男の子の死を、そのすぐ近くにいた(とされる)その人が目撃する立場だとするなら、自分の近い人が亡くなる瞬間なんてそう何度も見たいもんじゃない。

今の私は死なないし、いなくなるのはその人の方だったけれど、今の人生以外の記憶も重なってのあの行動だとするなら…、あの背中を向けた最後の瞬間の想いはその人さえも気付いていない魂からの強い想いからかもしれないと感じる。

別離の瞬間、それはすごい痛みを伴う。

見なければ痛みがないわけではないけれど、直視するよりかはちょっとだけでも痛みが軽減できる。

それが魂レベルとなれば、余計と痛みは強くなる。

私が自分で思うのは、魂レベルのものになると、もう自分では感知ができない。

色々おかしな感情は交錯するけれど、何でそんな気持ちになるのかとか、自分が何を感じてるのかは、全く理解できない。

頭脳や知識、経験則からの理解は不能で、ただただよくわからない感情を伴った体験だけがある。

その人が最後に向けた背中は、たまたまそういう状態だったとももちろん捉えることができるけれど、そうではないもっと深い意味や感情が渦巻いてそうだった…と思う方が今では自然な気さえする。

私の妄想劇もいいところだけれど、どうしても、どうやっても、その思いが断ち切れない。

私はその人じゃないからその人の気持ちはわからない。

それでも、私は自分が感じた小さな違和感は、単なる勘違いとかではないと思う。

自分の人生で感じる小さな違和感は、その時には意味がわからない。

けれど、時間が経ってある未来の地点に立った時に、突然その違和感の理由がわかる出来事が起こったりする。

その人の後ろ姿や立っている場所やそれまでのその人の普段のクセとか、色々重ねて見た時に感じた違和感も、そういうタイプのものだった。

意味はわからないけれども、何か別の意味合いがありそうな小さな予感のするものだった。



「これが最後じゃない」そう私は思って、その人にとっての最後の日、職場を後にした。

こうやって一通り書くと、単にその人にとって私は厄介者で好みでも何でもなくできればこのまま会わずに済ませたい人、と解釈するのが普通だと思う。

興味のない異性に寄ってこられても困るから、無視するのが冷たくするのが背中を向けるのが一番、というのは定説かと思う。

私が受け入れたくなくて自分の都合のいいように解釈してるのかもしれない。

でも、1年近く自分の心を見つめ続けて、そして最後の日、何も考えずに私はとっさに「これが最後じゃない」と一瞬ものすごく強く思った時とを振り返って、終わった気がしない。

こんな風に1年も何もなければ希望なんてないし、このまま何もなくいつかの寿命がきたら死にゆくだけかもしれないとも思う。

それでも、その人は他の人たちとは全く違っていた。

知らないことばかりで、何がそんなにも心が動くのかわからなかった。

ある種の心の更年期的なものかと思ったりもした。

おばちゃんたちがアイドルにキャーキャー言うみたいな。

でもそうじゃなくて、本当に縁のあった人、だと考える方が自然は自然だった。

色んな流れによって運ばれて、出逢う前に未来に起こる出逢いのヒントとなるようなことが幾つも起こって、「時が熟す」という意味の満月の日に出逢って、色んな偶然でその人とちょっとだけやり取りして、そしてある日を境にその人は私の中にいることになった。

ドラマでも書けるんじゃない?と言わんばかりのストーリー満載だった。

そして、私は全身全霊でその人を見て、細胞中でその人のことを記憶に残そうとし、そして細かなこともものすごく鮮明に覚えた。

覚えたと言うより、記憶に色濃く残ったと言う方が正しい。

その人と離れるのは、本当に発狂レベルだった。

理性を持った大人で社会人だから、外にいる時は平静を保って何事も無いように日常をこなした。

1人になると、色んな感情がどっと押し寄せてきて、私はもうどうしていいのかわからなかった。

涙は止まらないし、どこからその強い感情は出てくるの?という感じだった。

寂しくて体が痛くなるなんて初めての体験だった。

最後の日のシーンは、飽きることなく何度も何度も思い返した。

意味なんてないのかもしれない。

それでも私には全てが特別だった。

まさか私は1年後にその時のことをこんな風にして綴るなんて思ってもいなかったし、1年もすれば忘れるのかと思っていた。

でもそうはならなかった。

忘れられないどころか、とにかくずっとずっとその人はいた。

そういうのは自然の流れに任せるのが一番、と思うようになってからは、ますます自由に思いは勝手に鎮座した。

色々そんな予定じゃなかった…と思ったけれど、仕方ない、そうなってしまった。

色々おかしいとは思っているけれど、ここに書いたことは本心だから、今回勇気を振り絞って書くことにした。

私が色々変なのは今さらだからもう仕方ない。

だけど、言わなきゃ伝わらない。

だから伝える。

だから書く。

多分だけど、
39歳の私は((((;゚Д゚)))))))こんな風だけど、
魂の私は♪♡(((o(*゚▽゚*)o)))♡♪こんな風かもしれない。

書いて死ぬわけでも処刑されるわけでもないからいいか、とそれぐらいの気持ちで書いている(爆)。

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