2018年10月27日土曜日

振り返りノート〆生きる喜びと生きる楽しみ

2017年9月27日の日記より〜

私、今「死にたい」って思ってない!!!!
もっと生きて、もっと色々な体験したいって思ってる、そしてそういう思いを無理せずに自分が持てることがとっても嬉しい。



彗星のごとく現れたその人は、また彗星のごとくいなくなった。

あまりにも一瞬だった。

地球や宇宙銀河の歴史から見たら、その人が私の人生にいた時間は、私たち人間が感じる1秒とか2秒ぐらいの時間でしかなかったかもしれない。

それでもその人が私の人生に登場したことで、私の人生は大きく変わった。

アニメのシーンとかで、それまで破壊された自然が何かをキッカケに一気に取り戻されて、草木が生い茂って、花が咲き乱れ、空が灰色から青に変わるシーン、あんな風にして息吹が吹き込まれる、それに似ていた。

ちょっと大げさに聞こえるけれど、でも本当に私は何度か人生で死にたいと思ったことがある。

あまりに辛すぎたりあまりに過酷な状況で、死んで楽になりたい、そう思った自分がいる。

それは恋愛も然りで、私にはちょっとヘビー過ぎた体験があったりして、心のキャパを超えた時、「死」という願望がふっと湧くという恐ろしいものがあった。

ここ数年で、自殺する方が後々大変とわかって死にたいとは思わなくなったけれど、それでも「生きたい」となったわけじゃなかった。

どちらかと言えば、辛いことや苦しいこと、自分でももうコントロールできない外側の出来事たちを前に、とりあえず嵐が過ぎるのを待つ、そういう姿勢でしかなかった。

その人と離ればなれになることも、それはそれは悲しくて心が悲鳴を上げるような出来事で、そこから先の人生にその人がいないことは受け入れられなかった。

その人の場合、出来事的には大して大きなものではなかったけれど(私の人生の前半部分は、普通に考えて全体的にヘビー過ぎた)、心の衝撃具合が半端なかった。

付き合ってもいない人を相手に、よくぞそこまで泣けるな…と冷静になると思うぐらいに、自分では想像もできないぐらいに心が悲しんでいた。

のちに、魂的な繋がりの人という情報を得て、その感覚は納得したけれど。

不幸自慢するつもりはないけれど、私が体験した数々のわけのわからない状況は、実際にそうしたことを体験することで自殺する人たちもいるぐらいだから、本当にヘビーはヘビーだったと思う。

それまでのことが人間としてキツイ体験だとするなら、その人との別離は魂としてキツイ体験だった。

だけどこれがとても不思議で、その人がいなくなった日、私は死にたいとか人生から逃げたいとかは一切思わず、代わりにもっともっと人生を楽しみたい、そう思った。

人生を楽しんで生きている人からしたら当たり前のことのように見えるかもだけど、私の中ではこれまで感じたことのない画期的な変化だった。

悲しい渦中にいるのに、心が苦しい渦中にあるのに、私は人生をもっと楽しみたい、そういう気持ちをあの日持っていた。

私は社会人になるまで、ただの一度も「朝が来て何の抵抗もなくその日1日を迎える、そしてそのフラットな気持ちで仕事に行く」ということを体験したことがなかった。

中学まではいじめの巣窟に向かうわけだから、気持ちが明るくなるわけがなかった。

いじめられてなくても、女の子の人間関係はちょっと私には厄介で、子どもながらに変な気の使い方とか根回しとかで、心は落ち着かなかった。

高校からは人間関係がガラリと変わったけれども、それでも「学校が楽しい」なんてただの一度も思ったことがなかった。

もちろん楽しい時間もあったけれど、人がよく言う「学校楽しい!」という何の根拠もない感覚が私にはさっぱりわからなかった。

私にとって社会に出ることは、とても疲れることだった。

今思うと、色々過敏に感じ取ってしまうし、色んな人間模様の背景とかがわかってしまうから、落ち着かなかったんだと思う。

だから私は学校の日よりも、自分のペースで何も気にせず穏やかに過ごせる休みの日をこよなく愛していた。

30代に入ってから体験した半引きこもり生活がわりかし平気だったのは、そういう自分の性質的なものもあったと思う。

大学もまたちょっと違っていて、学業的な追い込みや人間模様やら、ネガティブ思考にはならなかったけれども、落ち着くのともまた違っていた。

だから、私は社会人になって初めて、当時は興味のある仕事に就いたこともあって、朝をフラットな気持ちで迎え、そして楽しく仕事に通うという体験を手にした。

「学校に行くのが楽しみ」っていう人たちはこういう感覚なのかもしれない、と思った。

その仕事を辞めてからはまた波瀾万丈な人生になっていくわけだけど、人生であれこれ大変な時期を過ごしたことで、私は意図的に楽しみや希望を見つけることに関しては天才的に上手くなった。

なんなら時間やお金、人、エンターテイメント性がなくても、楽しみも希望も見つけられる、ある意味強運体質にはなった。

でもそれは、トレーニングして筋肉を付けるのと一緒で、元から備わったりとか自然に身に付けたのとは違っていた。

そんな私の人生において、その人は全く違っていた。

本当にいるだけで、その人が存在しているだけで、目の前の世界は変わった。

努力もしていないし、探したのでもない。

目の前の興味のない仕事・喋らない仕事を前に「やらかしたな、この選択\(ー_ー;)/=3=3=3」とさえ思って当初は仕事に行っていた。

深く考えず安易に飛びついたら、仕事も職場の雰囲気も自分に合わなくて、でもなのに何でこの仕事は何の問題もなくスムーズに決まったんだろう?なんて思っていた。

だから、状況的に悪くはなくても決して良いとも言えなかった。

そんな中にその人はいて、その人の存在をはっきりと認識した瞬間からすべては変わった。

とにかく毎日が楽しくて仕方なかった。

気持ちは勝手に高揚するし、その人を一目見るだけでウキウキするし、いなければガッカリし、戻ってくると「あっ!帰ってきた♪」と毎回感動してた。

用事が発生するのも大歓迎だった。

後輩くんに交代してからの方が時間が長かったけれど、その人との間に起こるイレギュラー的なことは後輩くんになってからピタリと言ってもいいぐらいに止んだ。

電話を取ったシーンを思い出したけれど、いつだったかも相手に頼まれてその人を探しに行ったことがあった。

急ぎの電話か何かで折り返しますと言ってから電話を切って、その人を探しに行った。

単なる電話の折り返しをお願いするだけでも私はテンションを上げていた。

その人の姿を見つけると丁度他の電話中で、もちろん伝言という素晴らしい用事があったからその場で待機、本来見放題だったけれども、反対に恥ずかしくてガン見も出来ず、目を泳がせながらチラ見しながら電話が終わるのを待っていた。

ちなみにこの時が初めてその人にメモ(折り返し先と電話番号)を渡した時で、それから何時間か経った時にそのメモがその人の机の上に置かれていて、別に意味は何にもないけれど嬉しかった。

自分が手渡したものがちょっとだけ長くその人の手元に残っているのが嬉しかった。

多分シュレッターにかけないといけないものだったから、もしくは電話で何かをメモったから置いといただけだと思うけれど。

そういうことで喜んでいたから、本当に毎日がパラダイス状態だった。

いない時は、私はそっと事務所の予定表を出して、「何で今日いないの?」と予定を確認していた←完全に使い方を間違えてた人。

後輩くんに代わってから、鍵当番について「当番って替えられないんすか?」って事務さんに訴えていたことがあった。

それ聞いて、その人は実際早起きで苦ではなかったのか、それとも仕方ないと思ってやっていたのかは知らないけれど、黙々とやっていたんだろうなぁと知った。

後輩くんは「〇〇〇さんは何も言わなかったんすか?」とか言っていたぐらい。

ちなみに鍵当番の見方も私は全く他の人たちとは違う視点で見ていて、その人の名前を見て「絶対にいる日」という、その確認のためだけに見ていた。

当時の私は、もちろん働くために仕事に行っていたけれど、そんなのは見せかけの目的だった。

私は毎日その人に会うために仕事に行っていた。

それは気まずい感じになってからも変わりなかった。

ごはんに誘って気まずくなってから変わったことは、それまでと同じようにその人のことを見れなくなったことだけだった。

1日中事務所にいる日でも、見るに見れなくて、もういなくなるのに見にくいのが本当に残念だった。

見られるのも嫌だろうなぁ、と私なりの訳の分からない気遣いをした。

その当時一度ネット回線がおかしくなって、その人が子機を持ちながら回線会社とやり取りしていたことがあった。

その人が目の前の修繕に一生懸命だったのをいいことに、そしてその時私は普段座りもしない場所に座っていたラッキーを存分に生かして、その人の姿を仕事放ったらかして見まくっていた。

室内の隅っこだったから、私は誰に遠慮することもなくその人の後ろ姿を見ていた。

最後の日以外でしっかりと見れたのはその時だけだった。

後輩くんに代わってから、システムがダウンした日があって、その人が子機持ってやり取りした時以上に大故障していた。

後輩くんには興味もないから「壊れたんだな〜、大変そうだな〜」ぐらいな気持ちで一度だけチラッと見たけれど、あとは見ることもなかった。

その人に関しては、自分でもすごい記憶力だと思う。

暗記しようとしても覚えられないことがたくさんあるのに、その人がいた風景は私の脳裏に焼き付いた。

それは最後までそうだった。

会えることが嬉しくて、そしてそれを私は記憶した。

気まずそうにされてやりにくかった時も、無視されるような形で悲しくなった時も、いなくなると知って心がどん底に沈んだ日々を送っていた時も、それでも私は会えて嬉しかった。

その人に会えることが何よりも喜びだった。



仕事以外の部分にも変化は起こった。

派遣の仕事を始めた数年前より、仕事に着ていくための服を買うようになった。

会社によっては「オフィスカジュアル」というドレスコードを定めていたところもあって、やむなしに私は服を買いに行っていた。

ぶっちゃけ、あまり好きでもない服を買うのはお金がもったいないとすら思っていた。

という私が、その人を意識するようになってから、喜んで仕事兼プライベート用の服を見に行くようになった。

自分の好きな服を選ぶけれど、なんとなくオシャレな感じだといいなぁとか思いながら選ぶのは楽しかった。

化粧やスキンケアにも興味がほとんどない私が、去年は違っていた。

私の人生史上初めて、スキンケアも通常のものにプラス2つ足した。

化粧品も新しく買った。

そんなことしてもその人から見えるわけじゃないけれど、そうしたことを楽しんでやっている自分がいた。

ダイエットも頑張った。

きれいになりたい…、初めてそういう気持ちでダイエットをした。

太ったからヤバイとか周りから見て見苦しいからとかではなく、自分がきれいになりたいという史上最高に前向きな理由でのダイエットをした。

人生で初めて、書店でダイエット誌のコーナーに行って、ダイエット特集オンリーの雑誌を買って、大真面目にその中の道具を使ってエクササイズをしたり、他の痩せる方法も試した。

しかも三日坊主じゃなく、2ヶ月ぐらいは本気でやっていた。

イケメンで背も高くスタイルも良いその人を前に、今の自分よりもきれいになりたい、そう思った。

その人の人生の中には綺麗な人や可愛い人たちが登場してきただろうし、その人たちと張り合うつもりはなかった。

でも、私は私でせめて自分の中でできることはしたいと思った。

それは楽しい努力だった。

私は長いこと、女の人がきれいにすることの意味が理解できなかった。

何で自然体ではダメなんだろう?って思っていた。

付き合った人たちはそういうことを気にしない人たちばっかりだったから良かったけれど、一歩外に出るときれいにと言うより取り繕うみたいな行為が私にはどうしても理解できなかった。

でも、その人が登場して変わった。

相変わらず自然体が一番楽チンだし一般的な女子偏差値は低いけれども、自分自らきれいになりたいと思って自分を整える楽しさを知った。



その人は、いなくなった今も、思いもよらない形で私の人生に貢献してくれてる。

最近のマイブームは、嫌なことがあったり自分・他人の許せない行為や言動があった時、一度それをその人がしたことに置き換える。

これが本当に不思議で、その人がしたとするなら、怒りが鎮まったり、仕方ないかとなったり、自分のことの時は自分のその部分が許せたりする。

初めてそうした時、自分のことだと思うと自分を責めまくるけれど、もしその人が今の私と同じ状況なら、私は責めるどころかそれを理解したい!寄り添いたい!と思う自分に気付いた。

これは使える!と思って、それ以降も心のケアをする時にその人を使って自分への攻撃性を抑えたり、他人への不満を軽減したりすることをよくしている。

すごい濫用っぷりだけど、メンタルヘルスにはこの上なく良い薬だから、勝手にコッソリとその人を使わせてもらっている。

私ひそかに思っていることだけれど、その人のことなら何でも受け入れられるのかもしれない。

その人だけは、その人が何をしてても反対にしてなくても、決して嬉しくないことを私に対してしても、嫌いになることも幻滅することもなかった。

その人に対して感じるものは、とにかく次元が違いすぎた。

私はその人のことを受け止めたいとも理解したいとも思っていないけれど、本能的な感覚でその人のことを受け止められる・理解できる気がする…、そういう風に感じている。

理由も根拠もないけれど、多分私はその人がどうであったとしても、嫌いになんかなれないんだと思う。



振り返りノートを書きながらも、同じことを何回か逡巡した。
(逡巡…Google先生いわく「決断をためらう、グズグズする」ことらしい)

最近読んだ婚活ブログやそこに書かれていた恋愛カウンセラー的な人たちの言葉に何度かハッとした。

今の状態は、「脈がない」というものに匹敵する。

世間一般では、そんなところに未練タラタラなのはとても否定的に捉えられているし、そもそも気持ちは実はそこまでなくてそれを何かにすり替えてしまっているのでは?、思い出を美化しているのでは?とか、まぁかなり辛らつな意見が目立つ。

私の勘違いワールド、思い込み突進、単なる痛い人…、言われたらその通りだと思う。

自分でさえも理解できない気持ちを持っている。

自分で自分のことも否定した。

だけど、私はやっぱり書いた。

どういう風に言われても仕方ないようなことを書き続けた。

私が何よりも欲しい結果は、「伝えない後悔をしないこと」だったのかな…なんて思っている。

今しか紡げない一期一会を、今逃しちゃいけない気がした。

勘違いでも痛い人でも何でもいい。

それよりも、今この瞬間にしか伝えられないことがある。

それを伝えたい、ただそれだけの気持ちでここまで書き続けた。

書いていてわかった。

いつかの未来には書けないこと。

今でも抵抗がぎち一杯だった。

抵抗力も半端なかったけれど、今はまだ伝えたい想いが上回っていた。

だから書けた。

本人に伝わってるのかどうかわからない。

それでももう今しか私が書けない気がした。

世間一般的におかしいことも、本当に色々と勘違いなんじゃないかと思うことも、承知の上だった。

このまま風の便りもなく、終わるのが関の山だと思う。

だからと言って「伝えない…」とはならなかった。

便りがあろうがなかろうが、本人からの反応があろうがなかろうが、これが私の意地だった。

こっそりでもいい。

読んでもらえて、何か1つでも伝わったらいい。

私が書いたこと、私が感じていたこと、その中の1つでもその人に何か響いたら嬉しい。

そういう気持ちで書いていた。



書きながら、時々今自分がどこにいるのかわからなくなる時があった。

確実に今は2018年なのに、書いている内容があまりにもリアルすぎると、一瞬2017年の1年ぐらい前にいるような気持ちになった。

過去に未練があるのでもなく、戻りたいというのとも違う。

でも、ふと今日という日が2018年だということを念頭に置かないと、まるで今目の前が1年前になったりした。



振り返りノートのラストが見えた2日か3日前の夜、ふと出てきた言葉。


【愛されなかった記憶より愛した記憶が残る】


「愛した」だと言葉が重いから、変更文をあれこれ考えた。

「相手にされなかった記憶より、誰かを大切に愛おしいと思えた記憶が残る」

言葉を変えると、インパクトがイマイチだった。

とりあえず相手にはされなかった。

愛されなかった。

たしかに、望むような関係は手にできなかったし、なのに何でこんな風な心境が今も続くのかはわからない。

でも、死ぬ間際に自分の人生を振り返ったら、あんなにも誰かのことをいいと思えた、その部分だけ克明に思い出す気がした。

相手にされなかったとかは、もうどうでもいい風になってる気がする。

私の中に残るのは、間違いなくその人を見てその人を想った気持ちや時間だと思う。



最後に、その人がいた時間を記録したノートから言葉を抜き出したい。

おばあちゃんになって毎日時間を持て余すような感じになったら、それを読み返したら楽しそうだなぁと思う。

手紙の下書きや予定表、自分のメモ、そのノートなんかを1つの布製の大きなポーチにまとめて入れている。

ノートは4分の1程度しか使っていない。

多分もうこのまま書き足すことはしないような気がする。

でももうそれでいいと思っている。

抜粋するところは、その人が仕事の資料の探し物をした時に見つけられなくて、やり取りした時のことを振り返って書いたもの。

書いた日は1年前の11月4日(土)になっていて、天気は雨だった模様。

場所は絶対に起こるわけない賭け事を昼休みにした場所で、その日は雨ゆえに車の中にいたとわかる。

車のハンドルを机代わりにして、思い浮かんだまま書いたことを覚えている。

外の天気と一緒で、書きながら泣いたことも覚えている。

これから私がどんな風な人生を歩むかも知らないし、誰かと一緒に生きることになるかもしれない。

でもどんな風でも、書いたことは変わらないだろうなぁと思う。

かけがえのない時間だった。

命があることへの感謝は尽きなかった。

生きることが喜びで、生きているからこそ居合わせることのできた空間と時間だった。

小さな一期一会が毎日あって、その一期一会に心弾ませて、こんなにも人生って楽しいんだ!と心底感激した。

ある1人の人が同じ空間にいてくれるだけで、その場所は飛びっきりのパワースポット&アミューズメントパークに変わった。

私にはそこの事務所が夢の国だった。

その人の一挙手一投足に注目して、見ているだけで私は楽しかった。

苦しい時間もあったけれど、私の意識にはキラキラした時間が刻まれた。

そして、その人が人生に登場してくれたおかげで、自分は何にもしなくても人生には楽しいことがある、ということを本気で知ったし、そしてこれから先もそういうことがあるだろうと心から信じられるようになった。

私はかなり早い段階で(多分このシリーズ開始の頃)、最後の振り返りノートの題名だけは決めていた。

『生きる喜びと生きる楽しみ』

それがその人からもらったものだったから。

その原点となったその人とのワンシーンを振り返って書いたのが下のもの。



本当に愛おしい瞬間で、本当に愛おしい存在で、その瞬間を人生の中で迎えられたこと、それが自分の人生において、何十年分の1年のある1日(1/365)のたかが数分の出来事でも、そして今離れててこれ書いててもうただただ会いたくて寂しくてそれでワンワン泣いて泣くことになっても、やっぱりあの瞬間があって良かった。私の人生に〇〇さんが現れてくれて良かった。



「自分の世界の中に〇〇さんがいるだけで、本当の本当に幸せだった。」

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