2018年10月12日金曜日

味噌ラーメン

味噌ラーメンを来月食べに行こう!

大きなスーパーとホームセンターがくっついた店の中で決めた。

去年の9月の半ばのことだった。

その頃すでにカウントダウンが始まっていた。

最終日がいつかもわからなかったけれど、たとえどんなに多く見積もっても、もう両手で数えられるぐらいに日は迫っていた。

私にはその先の日々を全く想像できずにいた。

1人の人が人生の中からいなくなるその世界が想像できなかった。

何にも楽しみを見出せなかった。

そのXデーが来たら、そのまま時間が止まるような気がした。

時間だけは進み続けても、私の中の時間は止まる…。

何を想像しても恐ろしかった。

そのラーメン屋さんは町の情報誌かそんな類いの何かで見つけたと思う。

写真が美味しそうだったのか、紹介文章が美味しそうだったのかは忘れた。

でも行ってみたい!と思っていた。

そしてふと、その大型店舗にいた時に、来月の同じ日に1ヶ月記念もとい1ヶ月自分なりにがんばったよの労いにそのラーメン屋に行こうと決めた。

その時の私は何でも良かった。

できれば大きい方が良かったけれど、それは高望みしすぎだから、小さな楽しみでもいい、何か1つでも近い未来に楽しみを持っていたかった。

九州での結婚式のおかげですでに2回も大型国内旅行を済ませた去年は、もうそれと同じレベルの楽しみを設定するのは難しかった。

だけど、何かしら楽しみがないと9月の終わりから自分がどうやって時間を過ごしたらいいのか皆目見当もつかなかった。

そんな時にふと「ラーメン屋さんだ」と思った。

そして私は予定通りきっちりその人がいなくなった日から1ヶ月後にそのお目当てのラーメン屋さんに1人で行ってきた。



1年以上が過ぎた。

10月に入ってから、張り詰めていたものがプチンとはじけた。

どうでも良くないけれど、「奇跡は起きない」と言い聞かせ、そしてこれから先交わることのない世界を生き続ける覚悟みたいなのを静かに積み立てるようになった。

自分の気持ちを引っ込めるようにして、「もう終わりだよ」と静かに自分に告げる。

ラーメン屋のことを書いたのは、今日は書けると思ったから。

月末になった時にますます今の気持ちの傾向が強くなったとするなら、私は多分もう書けない。

さらに先の未来は、もっともっと心を閉ざすか離す可能性が高い。

自分なりに色んな形で伝えてきたつもりだった。

伝えたことは後悔していない。

全部本当のことだったし、心にあるものをそのまま言葉にして出した。

私の見ている風景を知ってて欲しくて、とにかく書いた。

もちろん全て書けたわけではないけれど、主要な話は全て網羅した。

でも私がこの1年で知ったのは「繋がらない」ことだった。

iPhoneが落下して画面が派手に割れる2週間3週間前ぐらいのこと。

その頃、どういうわけか携帯のメールに迷惑メールが毎日入るようになった。

その迷惑メールが厄介だったのは、送信アドレスがAmazonや楽天、mixiの連絡メールの@以下と同じアドレスだったこと。

だから、1つ1つのアドレスのブロックはできてもサーバーのアクセス制限まではできなかった。

だからまたすぐに次の迷惑メールが来て、本当にうんざりしていた。

今はピタッと止んだけれど(色々対策はした)、その時に携帯のアドレスを変更することも考えた。

それぐらいに嫌だったから。

私は携帯のアドレスは携帯電話を持ってから一度しか変えたことがない。

それも多分今から12年以上前の話。

今回、アドレス変更をしても困らないと思った。

もうメールでやり取りする人は限られているから、いっか!と思った。

でも次の瞬間、「困る」と思った。

連絡を取れる手段がなくなると思った。

だからそこで思いとどまった。

代わりに何とか迷惑メールを阻止するために色々策を講じた。

その後、今度はiPhone落下により機種変となった時に、またもや同じ心配をした。

もし電話番号もメールもLINEも全て変更になるような事態になったら連絡を永遠に取れなくなるんだと思った。

すっごくおかしな発想だと自分で本気で突っ込んだけれど、現実に相手の人が私に連絡を取ろうと思ったら、私は今ある個人情報をそのまま継続できないとダメなんだとわかった。

だから私は機種変が無事完了するまでに何が怖かったかって、1つは自分のそのアドレスとかLINE、番号なんかの情報が飛んで使えなくなってしまうことだった。

最後まできれいに使えたから良かったけれど、実は前のiPhoneはApple Storeの店頭でお墨付きのエラーを持っているものだと知らされていた。

電話をかけて繋がった瞬間電話が止まってしまうという、そういうエラーが続いて修理に出そうとした時のことだった。

本体交換で様子見することになった。

意味はよくわからなかったけれど、私のものは電話本体ではなくシステムにエラーが起こっていて、もしまた何かしらのエラーが発生した場合、システムの修理になってその場合データが飛んだり使えなくなる可能性もないとは言えない、そう言われていた。

そういうこと普通にあるんですか?って聞いたら普通はないし、担当者は少なくとも自分が担当した中では初めて見たと言われた。

よりにもよって機械音痴の私にそんな不具合システムが来て、次いかれたら困るなと思っていた。

それもあって、機種変と同時にデータ移行も無事にいくのかものすごく心配した。

自分でも何ていう小さな可能性にそんなにも神経を尖らせてるのかと思ったけれど、真っ先に思いついたのはそれだった。

体制的には繋がれるように、それだけは整えようと私はした。

そちらは見事に解決したから心配する必要がなくなった。

だけど「繋がらない」ものは繋がらない。

それをこの1年見続けてきたわけで、そして1年ではなく1年以上が経過した10月からはますますその繋がらないところが自分の中で目立ってきてしまった。

繋がらない自分の世界と相手の世界。

私には忘れられないものでも、相手にしたらそうではなく相手の人生がきちんと進んでいる…。

そしてそこに私はいない。

2週間前の私は、1年前を振り返ることが楽しみでもあった。

23日、24日、25日と振り返って、本当に1年前にタイムトリップして、当時の心情や光景をものすごくリアルに思い出していた。

だから、その後に続く日々はもっともっと濃密だったから、もっともっとリアルに色んなことを思い出すんじゃないかと思った。

だけど、iPhone落下事件に始まり、ワタワタしているうちにその日々は過ぎ、そして10月に入ったらもう1年ではなく1年「以上」経ったんだというのをものすごく強く感じた。

1年以上になってから、景色が変わってしまった。

要は、もう去年の今ももうすでにその人はいなくなっていた。

9月のその時までは、1年前はその人がいた時間で、その当時を振り返ることができた。

だけど、1年が確実に経過してからというもの、1年前の今も、そして今年の今現在も、どちらも共通してその人がいない。

去年はまだつい最近のことでその人がいなくなったことを受け入れられない私ではあったけれど、今年は違う。

1年前を振り返っても、もうそこには私しかいない。

もう多分生涯繋がらないんだ……

それを本当に感じるようになった。

そして繋がらないという現実を受け入れ出したら、今度は振り返ることが辛くなってきた。

繋がらないものを振り返っても悲しくなるだけだった。

時間はいくらでもある。

去年の私が書いたものの中に色んな思いが書かれている。

だけど私は読む気になれず、もうずっと日記帳を開けていない。

読んで振り返ってもその人と繋がれないんだとわかったら、読みたいものではなくなってきつつある。

だから振り返りノートもこのまま書かない気もしている。

書かないと言うより書けない。

気持ちが入っていかないから。

そこに気持ちを傾けても繋がらないから。

もう二度と会えない。

そうなら私はもう閉じよう。

自分の気持ちを閉じよう、そっと奥の方にやって、いない人生を歩こう。

そういう気持ちがちょっとずつ出てきたのが今月に入ってからだった。



このブログは続ける。

だけど、これまでみたいに私側の風景を書くことはもうしなくなるんじゃないのかなぁと思っている。

もしかしたらまた書くのかもしれないけれど、自分でも書けなくなっているのがわかる。

繋がらないのであれば、伝え続けることに意味が見出せなくなった。

私はこの1年、本気で奇跡を信じた。

私に伝えたい言葉があったように、その人にも伝えたい言葉があったんじゃないかと思った。

思ったと言うよりもそう感じた。

その人の口から出てきた言葉は聞いた通りの言葉だった。

だけど。

目では別のものを訴えているようだった。

言葉と声と目とがバラバラだったように私には感じた。

だから、私はもしかしたら繋がる時が来るかもしれないと思った。

現実的には繋がれなかった。

けれどその辺りからどんどんとその人を表すサインが私の日常にバンバン飛んでくるようになった。

そしてこの1年、色んな人たちから不思議な話を山ほど聞いた。

否定できないぐらいに色んなことが、点と点ではなく線として結び付き出した。

すべてはその人に出逢うために起こっていたんじゃないかと思ったぐらいに色んなことが繋がり出した。

自分の過去さえも、それが選びたくなかったものでも、全部が全部必要なピースで、その1つでも欠けたとするならその人に出逢う物語にはたどり着けなかったことを知った。

そうした色んなことがわかった時に、私は奇跡が起こるかもしれないと思った。

信じたい気持ちというよりも、必要なことなら起こる、私の意思なんか関係なくして起こる、そう思った。

もしその人が自分の言葉を語る時が来るとするなら、それは時空を超えてその人が今世に持ち込んでまで伝えたい言葉なんじゃないかと思った。

これは1年経った今だから思う。

明らかにあり得ない、計算さえできない数々のことが引き起こされてまで、すべてはその人と今生きる世界で引き合わせられたのではないかということ。

そういう風にしか説明のつかないことばかりだった。

そしてもしそうだとするなら、その人はその人で伝えたい言葉を持っている。

私が信じた奇跡は、そうした感覚があったから。

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