2016年5月25日水曜日

夕暮れと珈琲とレーズンケーキ

1週間前の水曜日の夕暮れに「夕暮れと珈琲とレーズンケーキ」の3つが揃った。

2人のうちの1人の妹が名古屋に遊びに来て、妹を名古屋駅で送り届け、適当に駅をうろついた

後は家に帰ってきた。

2日間ともあちこちを歩き回ったから体は程良く疲れ、家でのんびりしていた。

前の晩、近所のスーパーで食後に2人で食べようということでレーズンケーキを妹が買ってくれた。

だけど夕食だけでおなかがいっぱいになり、夜のおやつは結局やめた。

また1人になった部屋の中には、夕暮れを知らせるオレンジ色が差し込んでいた。

向かい側のクリーム色のアパートもオレンジ色に染まっていた。

いつかの誕生日に友達が贈ってくれた素敵なマグカップを出し、そこにインスタントコーヒーを淹れ

そして例のレーズンケーキを適当な器に盛り付けた。

窓の向こうに見える夕暮れの色と白い磁器でできたコーヒーカップとレーズンケーキを見比べて、

何とも言えない幸せ感が広がった。

何てことないものたちの集合なのに、そのどれもが欠けてもいけない位にきれいに調和していて、

そしてそれらのものたちと居合わせる瞬間がとてつもなく幸せだった。

レーズンケーキはほのかにレモンの味がして、わたしの好きなタイプの味だった。

夕暮れもそのコーヒーカップもレーズンケーキも、わたしが自分で用意したものは1つもない。

夕暮れは勝手に太陽が沈んでいくものだし、コーヒーカップもレーズンケーキも運んできたのは

わたしじゃない。

友達も妹も、それぞれが用意したものがこんな場所でシンフォニーを奏でるとは思ってないだろう。

夕暮れは毎日同じじゃない。

そもそもその時間帯に家にいられることの方がうんと少ないし、仮にいたとしても毎回晴れて毎回

きれいな夕陽が差すとは限らない。

友達が贈ってくれたカップには、ストーリーがある。

贈ってくれた時に、それで一服してまたさらなる創作活動へのひらめきへと繋がる一小道具として

活躍してくれたらいいという願いを込めてくれている。

そんなストーリーを付けてプレゼントをもらうこと自体すごく少なかったから、それを聞いてわたしは

うんと感動した。

今回妹とわたしは、夜のおやつにありつけなかったけれど、気付けば2人で過ごす夜はいつも

おやつがセットで付いてくる。

わたしが足繁く妹のアパートを訪ねていた頃は、必ず夜のおやつをどこかで購入してきた。

適当にごはんを作って食べて、その後テレビを見ながらまたおやつを分けて食べるのが暗黙の

了解となっていた。

だから今回もそんな流れだけは自然とできていた。

こういうことってどれだけの確率ですべてがきれいにぴったり重なるのだろう、と思う。

夕暮れも、コーヒーカップの贈り物も、レーズンケーキも、本当にたまたま同時多発した。

その時わたしは1人だったけれど、ちっとも寂しくなかったし、むしろこのいくつものことが重なった

ものたちを前に感動さえ覚えていた。

こういう小さな幸せって買えないんだなってわかる。

どれも値段のつけようがない。

そしてどこにも売っていない。

「夕暮れと珈琲とレーズンケーキセット 1000円」とかあるわけがない。

1週間前のことだし、あの時の幸せ感は当然感覚としてはすっかり立ち消えたけど、それでもあの

特別な感じの記憶だけはこの1週間消えることがなかった。

どこにも売っていない夕暮れと珈琲とレーズンケーキのセット、この言葉を頭の中で何度も何度も

繰り返した。

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