2018年12月16日日曜日

もし自分が商品なら…

「自分を商品として考えてみる」

「商品」はそのままだけど、他の部分は多少言葉を変えている。

そのワンフレーズを見た時、私はゾッとした。

この人、何言ってくれてんの?と思いつつ、もし自分が商品ならどうなるのか…を考えてみた。

商品揃え豊富な大型のスーパーとか、デパ地下で一定のクオリティーが保たれている店舗では、私は間違いなく規格外になる。

スーパーなんかだと、割引ワゴンの中に置かれるものがある。

最初、野菜の見切り品が思い浮かんだけれど、あれは違うと気付いた。

野菜たちは一度は鮮度抜群で店頭に並んでいた。

だけど、売れずに残って見切り品コーナーへ行っただけ。

一度はトップの座なり規格内の席を手にして、その後単に日にちが経ち過ぎたという理由で2軍へ。

そちらではなく、日用品や乾物とか調味料関係の見切り品コーナー。

日用品なんかは基本的に賞味期限はない。

だけど、それらの価値がお客さんから見出してもらえず、店の責任者たる人たちにより、勝手に見切り品へと変わる。

何が言いたいかと言うと、私は大多数の中に紛れると、間違いなくそういうことになってしまう。

一般大衆受けする感じではないのは、よくわかっている。

でも、代わりにこういうところでなら…というのがスーパーやデパ地下をすっ飛ばしてすぐに思い浮かんだ場所がある。

小さな個人経営のお店で、この店に人は入っているんだろうか?と大抵の人が思ってしまうような店。

でも、一歩中に入ると、中は店主さんが好きなものだけを集めていて、どれもこれも個性的でそれぞれの良さがある。

100人いたら100人が好きなものどころか目を向けないものでも、その中の1人だけはピンと来て手に取ってくれる、そういうもの。

自分を商品に喩えるなら、私は自分をそんな風に見ている。

ちなみに、その文章を書いた女性は、自分のことをデパ地下にしかないような高級菓子の名前いくつかを出して、それと一緒と言った。

もちろん、ドン引きした((((;゚Д゚)))))))。

私はその商品たちの価値を知らない。

だけど、そうした商品たちが、本当に本物を名乗れるものか、実はブランドだけで中身は大したことないのかはわからない。

これは私が否定的に捉えてるとかではなくて、現実的にあった話。

某デパ地下でいつも大行列を成す某製菓店があった。

自分のために買おうとは思わなかったけれど、そんなに有名店のものなら…と思って、私は人の家に遊びに行く時にその菓子を買って持って行った。

その家の人たちには「某デパ地下でいつも混んでる店のもの」と言って渡した。

そうしたらビックリ仰天。

なんと、その店の大元は、製菓店関係者じゃなくても日本全国老若男女が知っている大手メーカーが出しているお店だと初めて知った。

その人たちはその道の人たちゆえ、業界の細かいことをよく知っている。

大手資本に支えられた高級路線のお店ではあるけれど、所詮スーパーに並ぶ〇〇と一緒だよと教えられ、度肝を抜かれた。

おみやげは喜んでくれたけれど、みんなで大笑いしたのは言うまでもない。

そう、デパ地下にはそうしたものも紛れ込んでいる。

いくら高級そうに見えても、実は大したことなかったり、法的にギリギリなことをしてたりと、当事者たちから話を聞くと、あのきらびやかなイメージもずいぶんと変わるものがある。

全部がそうだとは言わないけれども、本当の背景は現場を見ないとわからないこともたくさんあるんだなと思った。

で、冒頭の文章を書いた女性。

私にはどうすごいスイーツなのか全然知らないから価値のほども知らないけれど、少なくとも私が文面から感じたのは「ブランド力」とそのブランドが謳っている「個性」であって、もしそれが私のとんだおみやげ同様、実は一般大衆向けのメーカーのものと知ったらその人は間違いなくその例に挙げたものたちを選ばないだろうと思った。



書いていて、もう1つ思い出した。

名古屋にいた時にこよなく愛してやまないお店があった。

そこは本当に辺ぴな場所に店を構えていて、知る人ぞ知るみたいなお店だった。

私も検索して知ったのか、散歩して知ったのかは忘れたけれど、とにかくある時そのお店と出会った。

雑貨屋兼コーヒーショップで、超本格的なコーヒーなのになぜか1杯200円という破格の値段で出してるお店だった。

注文を受けてから1杯1杯丁寧に淹れていく。

豆も道具も一流品なのは、その店に置かれているものを見ていたらわかる。

その時に添えられたクッキーがあまりにも美味しくて、それで帰る頃、お店の方にクッキーがどこのものなのかを聞いた。

店頭に売られてると聞いて、私はそれを買って帰った。

私はスイーツ好きじゃないし、基本的に甘いものを買って帰ることをしない。

だけど、そのクッキーはあまりにも美味しくて買った。

クッキーのパッケージを見てさらに驚いた。

他県の障害者施設で作られたものだった。

こんな言い方をしたら差別的な発言みたくなるけれど(←そういう気はない)、私はまさかそのお店の人に聞いてまで買ったクッキーが障害者施設で作られたものだとはゆめゆめ思わなかった。

今のところ人生の中で、それ以上に感動したおいしさのクッキーには当たっていない。

障害にも色んな種類、色んなレベルがある。

これは人から聞いた話だけれど、そのクッキーに出会う前に聞いて納得したことがある。

某大手企業で障害者枠があって、そこでは農園経営的なことをしていると聞いた。

障害者枠で採用されるのが、そこは身体ではなく知的障害、それも自閉症の生徒を積極的に採用するとのこと。

何をするのかと言えば、徹底した温度や湿度管理が必要な農作物らしく、その温度と湿度の管理をひたすらするらしい。

教えてくれた人(←障害児教育の専門)いわく、一般人は逆にやらかすし間違う人が多発するらしい。

ところが自閉傾向があってそもそものこだわりが強い特性を持っている人がすると、そのズレにいち早く反応して、それを直ちに修正する、しかもそれを飽きるどころかずっと集中してやれるとのこと。

その話とおいしいクッキーのこととが重なった。

福祉の現場実習で、知的障害の人たち対象の作業所に行ったことがあった。

その様子も少し知っているから、あのすごくおいしいクッキーを作ることがどれだけの労力なのか想像を絶する。

どうやってあそこまでのクオリティーに仕上げているのかは知らないけれども、少なくともすごい力を注いでやっているのは間違いない。

そしてこれは私の持論だけれど、世間一般ではマイナスのイメージがついてしまうところほど、材料とか作り方を徹底していると思う。

これは東北の復興に多少は関わっている友達からお褒めの言葉をいただいたから、本当だと思う。

ある時私は言った。

今、日本全国で一番安全性の高い農作物や肉、魚は「福島県産」と出ているものだと思う、と。

震災で原子力関連の二次災害まで出て、風評被害が半端ない。

そんな地域から何かが流通されるというのは、それだけで厳しい審査基準を超えて出てきているのはわかる。

復興に関わっている友達から「本当にそうなんだよ!でも、それをわかる人は少ない!」って言われた。

だから、その障害者施設で作られたものも、世間一般的にはそう名乗るだけでマイナスになりそうなところ、そんなの微塵も感じさせないどころか「どこで作られたものなんだろう?」と興味を持って確認したくなるぐらいのものすごく高いクオリティーになっている。

世間一般でハンデが最初から付いているものこそ、市場に出てくる時、とてもクオリティーの高いものになると感じる。

(※文中の言葉には気をつけたつもりですが、不快にさせることがあればすみません。)



ちなみに、冒頭の「自分を商品として考えてみる」を提唱していた方、私には驚きの発想だった。

その後は、そこから自分の魅力を紐解いていくという話に繋がっていくけれども、私はそもそもの言葉の使い方に違和感があった。

「商品」として自分でも他の誰かでも見ること自体、私はダメなんだと、受け付けられないんだとわかった。

もちろんそういう意味ではないにしても、言葉の使い方には少なくとも本人の思考や価値観が表れる。

一言で言えば「下品」だと感じた。

これがまだ本人の何かしらの能力を仕事としてやっている人向けならわかる。

でも、その女の人が発信している先は一般人で、私にはその言葉が一歩間違えたら凶器にさえなる鋭さを持っているものだと感じた。

受け取り手側の解釈の仕方次第だとしても、パッと見た時に決して良い印象は抱けない空気が出ていた。

私の方がよほどクレーマー的な感じかもしれない。

だけど、その言葉に温かさも励ましも感じられず、むしろハイクオリティは良くてそれ以外はどうなの?とどこか人を見下してる感も私にはちらほら見えた。

そんな価値観で生きていかなきゃいけないとは、本人もしんどいだろうにと思う。

文章も写真も洗練されていればいるほど、息が詰まりそうな空気を生み出してるように感じたのは私だけなのかな…と思った。

さっきの雑貨店の人たちが本当に素敵なのは、自分が良いと感じるものに対して堂々とされているのと、そしてその自分が良いと感じるその感覚を信頼しているところ。

その自分たちの感覚に妥協はないし、そして自分たちが納得したものしか店頭に並べない。

その徹底ぶりは、私みたいに物の価値がよくわからない客が見ても清々しいものがあるし、そこに流れている凛とした空気は緊張ではなくぬくもりを届けてくれる。

自分のすっとこどっこいぶりを棚に上げてすごいことを言うけれども、私はそういうお店で一部のコアなファンから愛される、そんな自分になりたい!と本気で思う。

婚活ブログでいいこと言うな〜と惚れそうになった名言がある。

モテることを目指さなくていい。
たった1人の人から真剣に愛されたらいい。

というようなもの。

いや、その1人も見つからない…(T ^ T)というのが現状でも、その考え方いいなぁと思った。

ちなみに、冒頭の自分が商品なら…は何もパートナーだけではなく友達関係にも言える。

幸いにして友達にはものすごく恵まれたけれども、色々ズレてるだろう私は友達とて自ら選べる立場にない。

自分がこの人と仲良くなりたい!と思ったからと言って仲良くなれるとは限らない。

それは恋愛も友達も一緒だと思う。

私と仲良くしてくれる人たちは、本当に人間性が素晴らしい人たちだといつもいつも感じる。

こんな色々すっとこどっこいの私と仲良くしてくれる人たちは本当に心の懐が広い人たちで、私がどんな風でも仲良くしてくれるのはとーってもありがたい。

だから、人だけは本気で大切にしよう、いつもそれだけは思っている。

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