2018年12月18日火曜日

携帯メモより

時々、浮かんだ時に携帯メモに入れていた言葉たち。

〜今春以降〜

5月21日

自分の傷は自分への最大のギフト
そして自分の傷の最大の癒し手は自分自身



6月12日

不安なことさえ、それは自分への愛じゃないかと思った。

自分が大切だからその自分に対して不安になる。


7月2日

・何もしなくていい=自分のことに集中してたらいい

・自分のペースで進んで大丈夫
急がなくても大丈夫
物事はきちんと順番通りに起きてるから



8月5日

8/4 23:20

今の自分と仲良くなれたら、どんな自分ともやっていける、そんな気がした。
究極に何もしてなくて、お金もなくなりそうなのに動かなくて、そんなやばいとおもう自分といられたら、これから先何があっても大丈夫な気がする。


8/5 5:16

本当の自分を表現する。

本当の自分で勝負する。

本音で語り合う。



8月15日

8/13 8:39

人は何でみんな表現するんだろう。


8/15 6:09

どうしてすごい技を習得せず、尚も習いに行かなかったのか。
どう考えてもすごいのは知ってる。
だけど、それを習いに行くのは、今の自分ではダメだと知っているから。
せっかく持っているものを、持っていることさえ認識せずにダメだとして、そして足りないものをさらに補おうとしたと思う。

足りてる今の自分、足りてないという今の自分でやっていきたい、そんな気がした。



8月24日

やったこと
・思い浮かんだままの感情にさせておいた
……
「空気感」というヒントがきた
私のキーワード
大切にしたいポイント
……
・「こんなことして何になるだろう?」と思ってもいいからやり続けた
・「お金にならない」「仕事探しした方がいい?」色々出てきても、とりあえず気が向いたものを優先
・やるときにそれ「本当にしたい?」と自問。
食べたい?飲みたい?トイレ行きたい?と同じぐらいに。
・選んで動いた時に、その時の自分の気分を見るようにした。少しでも楽になってる、スムーズな流れを感じる=OK。
……
・気がすすまない時は思い切って休む。
うじうじしても時間が過ぎるばかりで、何かしてないと落ち着かなくて、やらないと自分を責める…みたいになったら元も子もないから、そんな時は潔く休む。



8月29日

足 窮屈
自分の形に合っていない
自分に合わないものは、痛みを覚える


無理やり感謝しなくていい
まずは自分の正直な気持ちに寄り添う



8月30日

キョンキョンインタビュー

素敵な女性になるためには?との質問には「私は今、50代ですが、何もないより、間違えても何かあったほうがいい。やっちまったなっていう後悔のほうが成長するような気がしてます」とアドバイス。

(引用元不明)



9月24日

8月29日(水)
・「足りない」と思い込んでる自分に気付かせてもらった

8月30日(木)
・「このまんまの自分でいいんだろうなぁ」と思った。
・何か価値あるものを提供しないといけない、と思い込んでた自分。

8月31日(金)〜9月1日(土)
・すべてから逃げたい
・大切な言葉はすっと入ってくるものの、決断したくなくて逃げたくなってる

9月3日(月)
・私にはまだ「やること」がある
(やりたいことではなくても、やることがある)
⇒9/11追記:ミッションを指してたんだと今にして思う。やりたいことはビジョン、やらざるを得ないのがミッション。

9月4日(火)
・(1:25)何で自分を使ってあげないんだろう?

9月9日(日)
・「物語を紡ぐ」
『君の名は』見てて出てきた言葉
・思っていることをそのまま吐き出す=本当の自分と分離しない

9月10日(月)
・朝起きた時に「今日はこれをやりたい!」という気持ちや「これをやる」と頭で考える前に体で動ける流れを作りたい。
・自分が知ってることを提供することで人が楽になれるのなら、それを提供してもいいなぁと。
別に偽善者でいいかと。
芸能人の「売名行為」と一緒(炊き出しとか寄付とか)

9月14日(金)
・話を聞くとか、人の心に関わるとか、実はやりたくないことなんじゃないかと思った。
「やりたい」とか「やるべきこと」と勘違いしてる?

9月16日(日)
・「自分と向き合うと痛みが生じる」というのは、幻想かと思った。
・「それって本当?」ということを繰り返し自分に聞き続けると、その部分が薄れる。
固定観念が打ち破られる。

9月22日(土)
・自分の持ってるものを純粋に使ってもいいかもと思えた。
自分を誇示するためではなく、必要としてくれる人がいるならそれを使ってもいいと。
(なんか上から目線なのが若干引っかかるけど😅)

9月23日(日)
・「迷っている自分」ここが今の自分の地点

9月24日(月)
・突然嵐が過ぎ去って、今の状況を楽しめばいいと思った。
・やる必要のあることはいずれやる必要が出てくる。
そうではないものは今しかできないから、それは楽しんだりしながらできることをしたらいいんだと思った。



10月5日

感情の居場所を作る。


自分の感覚に流されてみる。



10月23日

私は悪いことしてるわけではないんだから、堂々とこの晴れた日に布団の上でゴロゴロ横になりながらブログを書くことを楽しんでいいんだと初めて思えた。



11月14日

11/14(水)0:17
自分が自分でいられなくなるから苦しくなる。
枠に当てはめて生きていこうとしていた自分。
もう枠のない世界に飛び立てるんだよ、というところまで来ている。
怖いね。
怖くて当たり前だね。
大丈夫だよ。


0:50
言葉の暴力。
あれは言われた側にしかわからなくて、言った側はまさか自分の言葉が暴力になってるなんて思ってもいないだろうなぁ。



12月8日

今日の痛みだけ引き受ける




〜今も消さずに残している、初期のメモたちより


2014.12.21

僕らとこの店とこの時間で作った
過ごした時間の分だけ身に染みる


(補足)
1979年生まれのライブ演奏をするジャズカフェ(二軒目)にて



2014.12.29

大事なこと

吐き出す場所があること

吐き出しても大丈夫という感覚を感じられること

吐き出す勇気を持つこと



2014.11.20

大人になるにつれ、1+1は2というような、わかりやすい答え、決まり切った答えではない答えを出す場面が圧倒的に増えてくる。
→図書館で勉強していた多数の子どもたちを見て感じたこと


このメモの最後に

💧横隔膜の頼まれごと

とあった。

横隔膜の頼まれごとって何を頼まれたんだろう?

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