2018年8月2日木曜日

憧れの食卓(の妄想会)

久しぶりに料理ブログを開いた。

2〜3年、まずはクックパッドにはまり、その後料理ブログにどハマりして、毎日10人ぐらいの料理ブログを熱心にチェックしてた時があった。

今はその熱が冷めて、月に1〜2回気が向いた時にだけ見る程度。

どハマりした1人は、本物のセレブな方で、その方だけは今も面白いから読んでしまう。

基本的に常識やおもてなしの心を大切にする人で、それがズレているととことん毒舌家になっているけれど、その批判がちっとも嫌じゃない。

筋が通っているから、思わず「スッキリ」のボタンを連打したいぐらい。

あの「スッキリ」とかいうボタンを押しまくるテレビ番組は今でもあるんだろうか?

食べ物に関してもきちんとこだわりがあって、高いお店しか知らない人の舌は信用できなくて、高い店から庶民の店、ジャンクフードもお手軽な調味ソースも、色んなものを試した上でこれが美味しい!と言う人の舌が信用できる、と豪語する人。

だからその人自身も本当に色々試してる。

1枚7千円(!)もする魚の干物を食卓に上らせたかと思えば、話題のカップラーメンも普通に食べる人。

ランチ諭吉1枚では足りないコースを食べたかと思えば、ワンコインで食べれそうなそばも食べる。

関係ないけれど、本当に色んな意味で心が整っているように見受けられる人だから、個人的にその人のホロスコープを本気で見てみたい。

何をテーマにして生まれてきてる人なのか、ブログだけでは判断が全くつかない人だから、そういう意味で興味のある人。

ちなみに、この方のブログにどハマりした理由は、その人の食べ物の知識や感性、外食先の美味しそうなごはんたち、エッジの効いた話ももちろんだけれど、その人の器使いが超ツボでそれが好きで見てるのもある。

セレブはウン万円とする皿もさらりと普段使いする。

そして他の使いこなすのが難しいデザインも、とにかく普通に使いこなしてる。

ちなみに今回見た中で一番真似したい!と思ったのは、カゴの中に小さな小皿や豆皿をいくつも入れて、小さなおかずたちをあれこれ並べたもの。

温泉宿なんかに泊まった時の夕食のトップバッター的な前菜盛り合わせとか、朝食のカゴの中に細々としたおかずがいくつも入ってるあの手のもの。

超オシャレだった!

あんなの家で出したら、超テンションが上がる。

毎日はしないけれど、ちょっと余裕のある日にあのちょこちょこ盛りをカゴに入れてチビチビ飲む!なんて憧れて仕方ない。

豆皿買わなきゃ!と思った(←物から入る人)。

話は変わるけれど、先週東京は日本橋の三越に行った時のこと。

知人の方のガラス細工は本当に素敵で、いつか終の住処が決まったら、その人の日常使いできる作品をいくつか手に入れる!と決意して帰ってきた。

そのガラス細工も使い方の見本を見せてもらいながら話を聞いただけで、超ウットリとした。

しかもそこにあるのは一部で、実際の作品はもっと色んなバリエーションがあるとのこと。

その人は、自分はアートや芸術を目指してるのではなくて、普段使いできる生活の中のちょっとした彩りを意識してると言われた。

だから、そこに展示されてたものは普段使いのものばかりだった。

買う時はその人の工房を直接訪ねたいなと思った。

食器売場だったから、私はその作品展よりも食器売場にハマってかなり長い時間そこに滞在した。

その時にフランス産の焼き物を見つけた。

日本の器とは色使いが全く違っていて、ポップな色なのにシックというか落ち着いていて、私はその棚の前でもかなりな時間を過ごした。

小さなカタログみたいなのももらって帰ってきた。

私にしては珍しく何回もカタログを見ている。

1枚あたり3000〜4500円もするお皿でも、私はここのお皿だけは少しずつ集めたい!と思うほどの好きな色と質感だった。

お皿たちを見て、今回は料理は思い浮かばなかったけど、シチュエーションだけはやたらとリアルに想像した。

ちなみに真っ先に思い付いたのは、オシャレなワンプレート風の洋風の朝食風景だった。

色んな友達に笑われたけれど、食器に関してだけは私の結婚したら…妄想が止まらず、とにかく結婚してとか同棲しての食器をどう普段使いするのか、やたらと細部まで計画を立てられる。

なんなら、相手もいないのに常々2枚ずつ買っていると言って色んな人たちから笑われた(この場合は、笑ってくれる方が和む感じの笑い)。

実生活において計画とか目標とか本気で立てられない人が、食器を前にすると突然想像力だけじゃなく計画や目標もやたらとリアルになる。

仕事の営業の戦略会議みたいなので、周りの人たちはみんなきちんとした具体策を挙げていたけれど、私はそのどれもやりたくないことばかりで半分は嫌味ででも半分は本気で「念じる」と言ったら、失笑を誘ったり、吊るし上げじゃないけれどかなり突っ込まれた。

だって、どうせやらないのに、そのやらないことを言葉だけ並べて頑張りますみたいなの、何か間違えてると思った。

そんな人が、食器だけは真面目に計画を練ることができるんだから、あれは好きでないとできないことだなと思う。

ちなみに先の戦略会議。

これは冗談抜きで、「念じる」というのが威力を発揮?した結果を出した。

学習塾の時の話で、退職願は受理されずかと言ってやる気もなかった私は、とうとうやりたくない職務を完全に放棄した。

やるべきことだけは最低限やり、会社が求めるプラスアルファの営業戦略の実践を全部ボイコットした。

そうしたら、毎月1人ないし2人新入生が入ってくればいいような私の担当教室で、なんとその時1ヶ月で10人一気に入会した。

何もしなくなったら入ってくるとわかった私は、ますます何もしなくなった。

そしてそのますますやらない方が何もかも上手くいくことがわかって、私がそのスタイルを貫けるように会社側が妥協案を提示してきた。

無理に何かをするのは、最初の出発点がズレているから結果も思わしくないけれど、好きでとか楽しくてやってることは続くし勝手にやってる。

私の食器の妄想会なんてまさにそれで、誰に頼まれなくても毎回楽しく妄想して毎回とめどない想像力ならぬ妄想力を発揮している。

あとは、実践できる場を設けるのみ。

実践…、道具を揃えるのは実現可能レベルだけれど、これを実際のパートナーと囲むというのはいきなりハードルが上がり過ぎて叶う気がしない。

パートナー云々は神のみぞ知るの領域でも、さっきのカゴ盛り的なのは別に1人でも私はいずれやっていくと思う。

ヤバい。

今想像したら、木製のお盆みたいなランチョンマットとビール用の薄張りグラスが一緒に出てきた。

箸置きはこの間買ったのや他にもあるから、それを使ったらいい。

この手のことを考え出すと止まらなくなるけれど、これからその道具を少しずつ集める楽しみがある。

たとえそれを自分1人しか使わなくても楽しみは変わらない。

ただ、誰かがいたらもっと楽しいかな、というだけ。

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