2018年8月15日水曜日

ごっこ遊び(苦行)そして時々癒し

今回は、
・お店屋さんごっこ(おもちゃ屋かパン屋)
・お弁当屋さんごっこ
・自動改札機ごっこ
この3つを2歳の姪っ子メイとしている。

私はとうとう時間を計り出した。

1回あたり5分未満。

それを仮に1時間すると、最低12回。

甲子園の1回分の表ないし裏の攻撃の長さにも満たないごっこ遊び、異常に長く感じて仕方ない 苦笑。

お店屋さんごっことお弁当屋さんごっこは違う。

1畳程度の広さの端と端にそれぞれメイと私がいる。

私(客係)がアンパンマンの電話を使ってメイに電話をかける。

テレビのリモコンを電話に見立てて、メイが適当なボタンをポチッと押してリモコンを耳に当てる。

「もしもしメイです」と電話越しに言う、ガッツリ私の顔を見ながら。

「おもちゃ屋さんですか?」

「はい」

「ミッキーとアンパンマンと魔法の杖をください。
袋に入れてください」

「はい。ミッキのふくろですか?」

「はい、ミッキーの袋でお願いします」

ここで一旦電話終了。

メイが私が指定したおもちゃを先月行ってきたディズニーの袋に入れて持ってくる。

「ピンポーン」

呼び鈴を鳴らすマネをしながら、メイが袋を携えて、私の目の前にくる。

移動距離1メートル以下。

「はい」と言って袋を渡す。

「いくらですか?」

「にせんごひゃくえんです」

メイはちなみに全てが何故か2500円。

「ポイントカードください」

メイは私が年長か小学校1年生の時のお年玉で買ったキッチンセットのような昭和のおもちゃを愛用している。

メイはそこに戻って、うちの母親から渡された壊れた電卓を前にカードを置いて、「ピポパポピポパポピッ」とか言いながらポイントを入れるマネをして、そして私の元へ戻ってくる。

お金はアメリカの本物のコインが何枚かあるから、それをおもちゃのお金にしている。

そのやり取りが終わるとメイはキッチンセット=店に戻って、また私が最初のアンパンマンの電話で電話をかけるところに戻る。

パン屋さんも基本同じで、違うのはキッチンセットのオーブン的なところにキーホルダーサイズの小さなぬいぐるみやマスコットを入れて、それをパンに見立てて焼いて入れ物に入れる、そして配達する。

お弁当屋さんごっこも同じ流れだけれど、お弁当屋さんはもう一工夫あって、私の隣りにメイのお昼寝用の小さな折りたたみ式の布団みたいなクッションがある。

そこにいくつかぬいぐるみを並べて寝かせておく。

弁当屋のメイがスーパーの惣菜とかが入ってる大きなプラスチックのトレイにおもちゃを入れて持ってくる。

ピンポーンと呼び鈴を鳴らすマネまでは一緒で、今度私はその寝かせてあるぬいぐるみのどれかを手にして、起き上がらせて、「ねむいのにだーれ?」とかブツクサ文句を言いながら弁当を入り口に取りに行くというもの。

ぬいぐるみが受け取って、ぬいぐるみがいただきますをして(本当に手を合わせるマネもする)、食べるマネをして、時には「メイちゃんも一緒に食べましょう」とか言いながら食べるマネをする。

ということをエンドレス繰り返す。

時々役割を交代するけれど、交代したところでやることは何ら変わらないから、私なんかはすぐに飽きる。

ちなみに自動改札機ごっこはもっと単純で、1回あたり1分以下にしかならない。

私が自動改札機役で手を出していて、メイは半径1メートル位のところをグルッと一周する。

私のところにきたら、ポイントカードに使っていたカードケースを私の手にタッチする。

私は「ピッ」と言うか「ブッブー。お金が足りません」のどちらかを言う。

お金が足りないと言われると、メイはアメリカのコインを持ってきて、それを私の手にタッチする。

そして私はまた「ピッ」と言って腕を上げてメイを通す。

という本当に何の苦行ですか?という遊びをエンドレスでする。

このごっこ遊びはどうでもいいけれど、それを通してメイは私の役割を生み出す。

とても欲しい役割かと言えばそんなことはない。

むしろ大人たちはお互いにこのメイの相手役を押し付け合ってる。

2歳児は自家発電で起きてから13時間昼寝なしで動けても、大人たちの方が先にダウンするから、大人はみんなどこかで昼寝をする。

宇宙→地球→日本→新潟→小さな町→小さな家→茶の間→畳1畳の極小宇宙、その中にメイと私がいて、2人にしかわからない謎のルールでごっこ遊びが展開する。

こんなにたくさんの人や場所があっても、今目の前で広がる小宇宙はここにしかない。

メイのおば役もごっこ遊びの役もどこかに売り出しに出されてたわけじゃない。

気付くとあって、やりたいやりたくない以前に勝手にスタートしている。

世の中の大人たちが大切にしている生産性なんてゼロでも立派に堂々と存在している。

メイが求めてくるのはとてもシンプルで、そしてそれこそ自分の存在感を引き出してくれる。

色々高度で難解なことをごっこ遊びのルールに含ませたりもしているけれど、それでもメイは私が私であることしか望んでいない。

しかもそれさえも望んでいなくて、単に一緒に笑ったり遊んでくれたらいいという感じ。

2歳児ルールはなかなか厳しいけれど、でもその厳しさを私や他の大人たちに「こういう人になってね!」みたいなことは1ミリも求めていない。

メイと違って、大人はそれぞれがそれぞれの悩みや毎日の中で生きることの中の戦いのようなものを抱えている。

それさえもメイは凌駕する。

ただ一緒にいて楽しく過ごそうね、それだけを求めてくる。

触れ合うことが欲しくなれば、自ら「ギュー」と言って時も場所も構わずに求めてくる。

自分の思い通りでないことは、思い通りではないことや嫌だということをそのままストレートに表す。

とにかくすべてがシンプルで、わかりやすい。



このごっこ遊びはしんどいけれど、メイに最高に癒される瞬間が毎朝ある。

メイは私のすぐ隣りで寝てる。

毎朝目覚めて目が合うと、満面の笑みを見せてくれる。

「今日も会えたね!うれしいね!」という感じ。

言葉は何もない。

声を出したとしても、最初は笑顔に笑い声をのせる程度。

自分の好きな人たちに朝目覚めて会えることの喜びを全身で表す。

ちなみに妹いわく、保育園に行く日の朝の8割は機嫌悪く起きるらしい。

だからメイにとって、この数日は本人も自然な気持ちで笑みをこぼしてる。

そういう気持ちって、大人になればなるほどすごく貴重だとわかる。

メイでもいない限り、朝起きてすぐの瞬間に笑顔になることはない。

人生80年として、とりあえず成人20歳以降60年として、60×365=21900回の朝を迎えるとしたら…。

こんな風に朝起きてすぐ誰かの笑顔を見て癒されるなんてそうそうない。

メイが生まれてから何回共に朝を迎えたのかわからないけれど、今のところずっと継続してメイの朝イチの笑顔を見ている。

メイが生後数ヶ月の時も、2歳8ヶ月の今も変わらずに見せてくれる。

その笑顔を見る瞬間、自分が生きてることを喜んでもらえてる、そんな気持ちにさせてもらってる。

生きる毎日に絶望しか感じなかった時間があったから、余計と染みる。

生きてるただそれだけでいいんだなって。

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