2018年3月19日月曜日

38歳の決断

2018年3月10日

木のテーブルにて

 

38歳の1年をかけて、そして38年間という時間を経て1つ決断したこと。

武士俣史子の本名のままで、これからはすべて表現していくこと。

それはすなわち、「武士俣史子」として生きていくこと。

そして武士俣史子という名前を持って生きていく覚悟を持つこと。

 

 

2018年3月18日

ようやく「38歳の決断」が書ける。

ずっとずっと書こうと思っていてここまで延びてしまった。

春分の日から金沢の妹のところに行くから、また書けなくなる。

もうどうでもこの週末に書こうと決めていた。

 

「武士俣史子」の本名のままでこれからはすべて表現していく。

これは私にとって38歳の1年で一番大きな決断だった。

これを読んでくれている人は薄々気付いていると思うけれど、私の今の人生のベースにはスピリチュアルなことがものすごくたくさん入っている。

ペンジュラムとかオルゴナイトとかもそうだし、具体的な物じゃなくても考え方とかにはスピリチュアル的な学びから得たものが多い。

そもそも『名古屋シリーズ』をこのブログ内で公表しようと思ったのも、スピリチュアルな世界に入っていくそのプロセスをきちんと書きたいと思ったから。

先に言うと、私は31歳になるまでスピリチュアルなこととは無縁な世界で生きていた。

気を起こすことができる友達(『カメハメハの夜』)や霊視できる友達の友達と会うこと(『イシダくんの予言』)はあっても、単に興味本位で見聞きしただけで、自分がそういう世界に行くなんて1ミリたりとも思っていなかった。

しかも20代の頃は、福祉や心理の本を見に行くといつも必ず隣りは精神世界の本のコーナーで、それを見ては「あそこはやばいコーナー、やばい・頭のいかれた人たちが読む本のコーナー」と位置づけ、絶対に近寄らなかった。

手をほんの少し伸ばせばそのコーナーの本は簡単に取れたけれど、私の心の中では地球を1周するぐらいの距離があって、そこは存在していないも同然だった。

31歳に何があったかは名古屋シリーズに詳しく書くにして、とりあえず人生が自分の力ではどうにもこうにもできないぐらいに崩れて、そしてそのまま年を重ねることにすごい恐怖を抱いた私は、ひょんなことからコーチングと出逢った。

自分の人生の立て直しを図らないと、これから何十年と生きていける気がしないと切実に感じていた。

コーチングが何かも知らずに体験説明会に行って、そこで出逢ったのが私のコーチのまんちゃんだった。

私は他の人からはコーチングを受けてないから詳しくは知らないけれど、多分世の中で認識されているコーチングとまんちゃんがするコーチングは随分と違う。

まんちゃんはスピリチュアルなことをすごく勉強していてそういう知り合いも多くて、そして本人も特異体質で感性が鋭いから、普通の目標設定のようなコーチングとは似ても似つかないセッションをする。

まんちゃんがスピリチュアルなことを全く知らない私に1から色んなことをさりげなく教えてくれた。

そもそもそういうものが何かも知らぬまま、だけどまんちゃんのセッションを受けると必ず気持ちが楽になってそしてどんどん状況も好転していったから、それが何なのかその秘密を知りたかった。

そんなこんなでスピリチュアルなことをどんどん知っていって、そして自分自身でも本やセミナーで勉強するようになった。

私は何年か前からアメブロを開設して、そちらにはそうした学びと自分の体験を組み合わせて知り得たことを情報発信していた(今は2年近く休止中)。

だけどその時も、ものすごい細心の注意を払って、スピリチュアルな用語も使わなければそういうにおいも出さないように表現していた。

そういう自分を隠したいと思っていたから。

私が31歳でそういう世界に触れるまで一切受け付けられなかったように、普通の人も受け付けられないだろうと思って、だからそういうことは言わないか、もしくはオブラートに包んで表現するかの二択だった。

これは当時も今も変わらないけれど、私は本名で書いていくことにものすごくこだわった。

それは本名で書く以上は変なことは書けないから、そういう意味で自分への戒めになると思った。

そしてそれはこういう選択肢も同時に生んだ。


 ①偽名を使ってスピリチュアルなことを発信していく
 ②本名で書く代わりにスピリチュアルなことは伏せる

私の中で①は絶対に有り得なかったから、おのずと②になった。

そして今ある③の選択「本名でスピリチュアルなことも公表していく」というのはここ最近まで全く選択肢の中にさえなかったことだった。

最近まではそんな危険を冒せないと思った。

周りの人たちから変な人と思われるのももちろん嫌だった。

そして公表しなくてもさして困ることがなかったからそれで良かった。

ところがこの数ヶ月でどんどんそうも言っていられなくなってきた。

1つはペンジュラムの存在が大きい。

アメブロを休止したタイミングは、丁度手元にペンジュラムがきたタイミングでもあった。

アメブロ休止は別にペンジュラムとは一切関係がなくて、単にネット環境がなくなってブログをパソコンからアップできないからという理由で書かなくなり、そして気付けば2年近く経過したというにしか過ぎない。

(これは休止して今となっては正解だと思ってる。遅くともこの39歳の1年の中でそちらはリニューアルオープンしようと企んでる)

この2年の間で私の人生は激変した。

まさか興味を持って買ったペンジュラムがこんなにも色んなことを教えてくれ、さらにはペンジュラムの研究じゃないけれど、そこから出てくるメッセージの読み解きにこんなにもはまるとは思わなかった。

今年に入ってからやってきたオルゴナイトに関しては、これからもますます面白い展開を見せてくれると思って今も絶賛観察中。

そしてもう止まらないぐらいにそういう類いの世界のことがどんどん情報として入ってきていて、当然自分自身も色んな体験を同時進行でしていくわけで、そんな中隠し通す方が難しくなってきた。

過去のブログを見ると多分出てくると思うけれど、私がまだペンジュラムをペンジュラムと紹介できなかった時は「ある物」という言い方をブログの中ではしていた。

そういう風に書く時はいつも面倒だと思っていたし、こんなにも役立つものをそのまま紹介できないもどかしさも感じていた。

でもまだ自分の中では「隠してる方が得策」みたいな考えがあったから、隠していた。

それが2017年の12月にあったイベント「命の授業」で一気にその想いが覆された。

本名をそのまま出してそれでスピリチュアルな情報を発信している、けれど一般ピープル的な感じで普段生活しているだろう人たちに出逢った。

これまでも出逢っていたけれど、何て言うのか、雲の上の存在じゃないけれど、レベルが自分と違い過ぎて目指すにも目指したいとさえ思わないぐらいにすごい人たちだった。

到底その域にいない自分が本名で何かを発信するなんてありえなかった。

それがこの度、なんかそんなにもこだわらなくてもいいのかもと思える人たちに出逢わせてもらえた。

しかも私は友達の計らいで、イベント後の飲み会にも参加して、そこで彼女たちと話して彼女たちがとても普通の感覚で日々生きていることも知ったし、近寄りがたいなんていうことは全くなくむしろフレンドリーで親しみやすくって、その感じもとっても良かった。

こういう生き方もきちんとあるんだとわかった。

そしてその辺りから自分でも気付き始めた。

昔からの友達2人とSさんに関しては、私がどうであろうとずっと仲良くしてくれてる。

私の色んなぶっ飛んだ発想やペンジュラムを使いこなしてる姿を見ても、変わらずに付き合ってくれていること。

さらには、そういう私だと知っても仲良くしてくれる人がちらほらと現れ始めた。

別にみんなにみんな受け入れて欲しいなんていうことは思わない。

だけど自分の好きな人たちから受け入れてもらえなかったらそれは悲しいしショックだろうと思う。

そういうのもあって公表を控えていたのもある。

公表さえしなければこのままでいられると思ったから。

大切なものを失わずに済む気がしたから。

でも今はもうそう思っていない。

本当に私と縁のある人たちだったら、こういう私でもそれがぶっしーだよねと受け入れてくれる気がしている。

そしてそういう人じゃないとこれから先縁は続かないようになっていると思う。

そんなのは仕方ないと割り切れるようになったのもここ最近だった。

もう等身大の自分で生きて、それで縁のある人たちとこれから先は繋がっていきたい、そういう気持ちがうんと強くなった。

自分を押し殺すんじゃなくて、自分を出していこうって。

それで相手が逃げた時は仕方ない。

だけどもう自分を隠すのはおしまいにしようって。

だって本当の本当に私はそういうスピリチュアル要素の高い教えや物にものすっごく助けられたから。

そして本当に良いものは周りの人たちにも「良いよ~」って宣伝できる。

伝えることもできる。

アメブロは特にそういうスタンスで書いていたけれど、自分が色々やってみて本当に効果を感じたことをそのまま公表している。

それは私だけが特別なんじゃなくて、誰でも、たとえスピリチュアルなことに全く興味のない人でも、何か感じるものがあればいかようにも使えるものだから。

私が目指すスピリチュアルは昔も今も変わらなくて、いかに日々の生活にそして人生そのものに活かせるかどうか。

だからぶっ飛んだことを伝えるんじゃなくて、どうやって自分の気持ちに寄り添っていくとか、どうやって自分の気持ちに気付いていくとか、そういうことが中心だったりする。

だって使えないことを書いても仕方ない。

それがある程度のトレーニングを積んだ人しか使えない方法なら、そんなのちょっと違うと思う。

私の最大の強みは、そういうことを一切知らないところから人生が大きく崩れて、そこから本当に自力で這い上がらなければいけない状況を通過していることだと思う。

だから渦中の大変さもものすごくたくさん知っているし、簡単に大丈夫だよなんて言えない。

だけど必ず道はあるし、そしてそこから色んなことが開いていく、たとえ可能性が1%もなさそうなことでも状況が変わる瞬間を何度も見てきた。

そしてそういう時に自分が自分のために何ができるかも自分でやったから知っている。

そういう体験があるから言えることがあるし、伝えることもできる。

そしてそういう情報が自分以外の誰かにも役立つんだということを周りの人たちから教えてもらえるようになったのもここ最近だったりする。

ペンジュラムについても、私の場合は丸っと自己流で、何かを見て覚えたわけじゃない。

自分でがんがん使ってそれで色んなことをそこから読み解いたり質問の仕方を学んだりしていった。

そんなのは、今の仕事でコピー機の使い方・テプラの使い方・excelの入力の仕方を学ぶのと何ら変わらない。

地道に1つ1つ積み重ねた先にわかることがあるし、それなら別に私じゃなくても誰でもできる。

そういうことをどんどん発信したいのと、そしてもう本名で発信しても大丈夫だろうなと自分で思えるようになった。

今は思う。

本名でスピリチュアルなことを発信していくのは、変なことが言えないから自分の戒めにももちろんなる。

でももう1つ、本名で言っていくことが自分を守る手段になると予想している。

私は実際に本名で活動している人と、ハンドルネームじゃないけれど違う名前を使って活動している人との両方に会っている。

違う名前を使う人たちはそれぞれ事情があるからそれをどうこう言うつもりはない。

だけど振り返ると、私が本気でこの人すごい!って惚れてその人の教えや実践してることがいいな!と思ってる人は、全員本名を名乗っている。

本名を名乗ることが大切なのは、自分自身がずれないことにあると思っている。

例えば私が「森山直太朗です」なんて違う名前を名乗ったら、私はその時は森山直太朗にならなきゃいけない。

だけどオフの時は当たり前だけど武士俣史子に戻る。

そんな器用なことは私にはできない。

もうどんなにカッコ悪い自分でもそれを出す覚悟が出てきたから、もうそのままでいいと思ってる。

いちいち他の誰かになっていては体がいくつあっても足りない。

もう無理をせず自分でいられることを一番の軸にしたい、そう思うようになったのが38歳の1年だった。

そしてそれが一番ダイレクトに出るのが「本名で」「自分の思いや体験を表現していくこと」だった。

本名を名乗り続けることも妥協したくない。

そここそ本当に絶対に妥協したくないポイント。

ぶっしーと呼ばれるとかそんなのは良くて、そうじゃない自分自身が違う名前を名乗ったら私の場合はもう終わりだと思う。

自分に対して嘘をついているのと同じぐらいのことだと思ってる。

他の人はごまかせても自分自身はごまかせない。

そしてスピリチュアルなことも含めて表現することもあきらめたくない。

むしろそういうのをこれからはもっと自由に表現したいと思っている。

悪いことをしているわけでも、人に迷惑をかけているわけでもない。

むしろ私なんかはそれに助けられたわけだから、それを本当にそのまま伝えていけたらいいなと思う。

 

38歳の最後の方で決断したこと。

これから先の人生でも大切な軸として自分の中にずっと持っていようと思ってる。

武士俣史子の本名のままで、これからはすべて表現していくこと。

それはすなわち、「武士俣史子」として生きていくこと。

そして武士俣史子という名前を持って生きていく覚悟を持つこと。 

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