2018年3月26日月曜日

だいすき♡

妹がメイに「昨日の夜、さや何て言ったんだっけ?」と聞いた。

メイは昨日の夜寝る時に
「おとうさんだいすき♡
おかあさんだいすき♡
フミコだいすき♡」
と布団の中で言ってたらしい。

妹いわく突然布団の中で寝る少し前にメイが言い出したらしい。

史子も絶対に喜ぶから明日の朝史子に教えようね!と妹とメイはピロトークをした、と妹は言った。

メイも思い出して、今度はハグ付きで「フミコだいすき♡」と言ってくれた。

わざと絵文字のハートをプラスして書いているけれど、メイの「だいすき」は本当に♡が付いてると感じるぐらいにだいすきな感じに溢れている。

朝からものすごく愛をたくさんもらった。

本当に嬉しかった。



20代の頃、福祉の国家資格の受験資格を取得するために、大学の通信教育を受けてた時期があった。

膨大なお金を費やしたけれど、私は最後にそこに全く興味がないとわかり、ドミニカに旅立つ前に退学届を出した。

在学中に受けたスクーリングの中で、賛否両論を呼ぶと有名な先生の授業に一度当たった。
(スクーリング…学校に直接行って授業を受けてくること)

細かいことは全く覚えていないけれど、何で賛否両論を呼ぶのかその理由だけは覚えている。

その初老に近い男の先生は、「すべてにおいて愛があることが前提です」と福祉の仕事に対してそう言うからだった。

何でもかんでも「愛」の一言で説明されていて、間違いなく国家資格のための試験には絶対に出ない。

宗教のようだと揶揄されてたのも耳にした。

だけど、その先生は「愛こそすべて!」とどんな説明の時も言っていて、ある意味本質をついた話で私の中ではとても優しい形で印象に残った。

私は他の細かな授業内容はすっぽり記憶がないけれど、その先生の説明には共感したんだろうなと思う。

だからその「すべては愛です」という部分だけはものすごくよく覚えている。

現場にいた頃、私は日記に「子どもたちに『大好き』と伝えよう、ありったけの想いを込めて全身全霊で伝えよう」というようなことを書いた。

大学でも通信教育の時も、数限りない福祉の理論や手法を専門的に学んだけれど、私はそんな専門的なこと全部と言えるほど忘れた。

でも、小難しいことじゃなくて、現場に立って、そして30代では福祉とは違う形で人と関わった時にも、本当に目の前の人に伝えられることはその人が大好きなことや大切であることに尽きるなと思った。

相手がどう受け取るとかはまた別の次元の話で、とりあえず自分ができることはそれが全部だと思う。

表現方法はいくらでもあるけれど、根底はそこだと思ってる。

それは今も変わらない。

そしてあの20代の頃の福祉の先生が「すべては愛です」と口にするその意味が今なら感覚的にもう少しわかる気がしている。


話は変わって、30代前半の頃。

東京の指圧系のマッサージをする方がわざわざ個人的に連絡をくれて、その方の師匠にあたるような先生が名古屋でセミナーを開くから参加しませんかというようなお誘いをもらった。

そういう売り込みを一切しない方だったから、私はとっさにそれは私にとって行った方が良いと感じて勧めてくれてるんだろうなと思ってそれで参加を決めた。

その時のセミナーは最初から最後まで凄かったし、そしてその先生のセミナーには合計3回出席した。

私の中では一生の宝に相当するような教えや考え方を習ってきたけれど、その中の1つにとても印象に残っていることがある。

質疑応答の時に「癒しとはすなわち何ですか?」と聞いた人がいた。

その先生の説明が私の中で一番しっくりきたし、本当にその通りなんだと今でも思っている。

「『癒し』の中には『癒すこと』と『癒されること』の2つがある。

『癒すこと』は愛すること。
もしくは愛を与えること。

『癒されること』は愛されること。
もしくは愛を受け取ること。」

一番わかりやすい「癒し」の説明だった。

メイが朝やってくれたのは「癒すこと」で「愛を与えること」だった。

そして「フミコだいすき♡」と言うメイから私は「癒されること」すなわち「愛されること」と「愛を受け取ること」をした。

そんなシンプルなことを2歳児はいとも簡単にやってのけて、39歳の私を小さな体全身を使ってすっぽりと愛で包んでくれた。



大人になるにつれて「だいすき♡」と誰かに言う機会は激減する。

それは言葉の重みや簡単に言えるものではないということがわかってくるからだと思う。

そしてこんなにも言うのが照れくさかったり緊張したりするものもなかなかない。

私はその言葉を誰に向けて最後言ったかはよく覚えている。

ちなみに言葉は大好きじゃなくて、さらにそれよりももっと強い意味の言葉だった。

人生の中でその言葉を使いたい人に出逢えること自体がすごいことだと思う。

使いたいと言うより、それが自分の気持ちそのもので、それが自分の中のものを動詞で表現できる唯一の言葉だった。

どんなにたくさんの回数お互いに口にしてもまだまだ足りない、表現しきれないと思った。

どう表現すると表現しきれた!と思うのかはわからなくても、そういうことは一生をかけて表現していこうと心に誓った。

だけど、他の表現を思いつく前に別れがやって来た。


その別れから立ち直るのに私にはどれだけの月日が経ったのかわからない。

少なくともアラサーだった私がアラフォーになったぐらいの時間は経過した。

もう一生そういう気持ちにはなれないと思っていた。

本気の本気でそう思っていた。

だから言う言わないは別にしても、そもそもそういう特別な言葉で表現するような気持ちを誰か別の人に対して抱いていると気付いた時、私は本当に驚いた。

言う機会もないまま今に至っているけれど、もし自分の気持ちを言葉にするなら何て言うんだろう?と、そんなことを考える人に巡り逢えるなんて思っていなかった。

そしてその気持ちは、人生で初めて体験した感情だった。

恋心と言うにはあまりにも私の知ってるものとは違いすぎた。

「大好き」とか「愛してる」とか言う方が簡単だと思ってしまうくらいに、自分でも何が何だかよくわからない気持ちが渦巻いてた。

それらの感情を表すすべての言葉をかき集めても、まだ足りない、何か欠けてる、そんな感じだった。

そういうよくわからない気持ちはどういう言葉で伝えると伝わるんだろう。

2歳児は私に見本を見せてくれた。

目の前に立って、ニコニコして、そして「(フミコ)だいすき♡」とありったけの気持ちを込めて言う、そして「ギュー」と言いながらありったけの強さで相手を抱きしめる。

こんなにもシンプルなのに、何で大人になると難しくなるんだろう。

本当は難しいことなんて何もないのかもしれない。

難しくしてるのは私本人で、もちろん色々怖いし傷付きたくないから目一杯防御をするけれど、本当にしたいことは防御じゃないはず。

状況が許されるなら伝えたかった。

相手のあることだし、相手には拒否する権利があるし、目も合わせたくなかったのかもしれない。

だけど相手を軸にするんじゃなくて自分を軸にするなら、ありのまま思ったままを伝えたかった。

過去形で書いたけれど、過去形じゃなくて今も状況さえ許されるなら…と思ってる。

私も不器用だけど相手はもっと不器用な感じがする。

何かを言ったり伝えたり、特に自分の気持ちを言葉にするなんてすっごく苦手な人だと思う。

だから私が言葉にしたところでそれを受け入れたり、受け入れる以前にそれに対して何かしら言葉で反応することさえ難しいかもしれない。

そんなタイプの人相手に自分の気持ちを言葉にするなんて、相手の反応を想像したら何も言えなくなる。

だけど、本当はメイみたいに素直に思ったまま感じたままを伝えたい。



ふと気付いたら、半年経とうとしている。

半年前、私は微かに期待を抱いた。

人間にとってすごく便利な「忘れる」という機能を。

話すことはおろか会うことさえできなくなればそのうち忘れるかもしれないって。

もうとっくに会えていた日々より会えなくなった日々の方が数を上回った。

これから先まだ何十年と生きるとしたら、それぞれの生きている世界にそれぞれがいない方が当たり前だとも思う。

そもそも交わらない人生同士が本当に一瞬交わることになって、その人の存在を知ることとなった。

そしてまた交わらない互いの人生がそれぞれ進行している。

それが頭の中にあったから、だから私は忘れると思ってた。

時間が解決してくれて、そんな不毛なところからはさっさと足を洗って抜けるんじゃないかと。

なのに自分の気持ちに任せたままにしてたら、そんな想像とは程遠いところに今いる。

忘れるどころか忘れた日なんて1日も存在しなかった。

もっと言えば、基本24時間体制で普通に私の中にいて、それが他のことをして一時的にオフになっても基本は常にいる、そんな風になってる。

オンとオフの差があるだけで、電気みたいなものだと思う。

電気はずっとそこにあるけれど、状態はその時々でオンとオフになる、みたいな。

そして近くにいた時よりも離れてからの方がその人の存在感が増すというのもさらに想定外だった。

私は自分がそんなにもアンテナを張ってるつもりはない。

だけど、本当にその名前を色んなところでよく目にする。

金沢では、妹の会話の中にその人のフルネームが出てきた時は度肝を抜かれた。

妹は何も知らない。

妹は古くからの友達で金沢にいる人のそのおばあちゃんの饅頭作りを話したに過ぎない。

どうしたらその人のフルネームをその会話で普通に言うのか、普通ならあり得ない。

バスに乗っていれば、国際都市金沢に相応しく、バス停の名前は英語でも表記される。

英語表記されたバス停にその人の名前が出てきた。

一瞬だけ止まったバス停の名前を見たら、その名前があった。

しかも私の席はちょうどそのバス停の看板がよく見える位置だった。

メイとEテレ見てたら、画面の下にその絵のコンテンツの作者の名前が出てきて、その人の下の名前と全く同じ漢字だった。

そんなにその漢字って多くの人に使われてるんだろうか?と思うくらいの偶然だった。

この数ヶ月ほど、あまりにも色んなところで耳にしたり目にしたりするから、それはその人が元気な証拠だということにしている。

話があちこち飛び火して何を言いたかったのか忘れたけれど、その人は私にとって愛なるものを伝えたい人なんだと思う。

そんな日がこの先の人生で本当にやってくるなんて全く思えないけれど、それでももしそんな機会に恵まれることがあったら、私はその時はメイにならって素直にありのままを伝えよう。

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