2018年3月9日金曜日

寄り道ストーリー


未来のプレゼントは買った日からずっと私の部屋の中に置いてある(☆☆)

何回もちら見をしているけれど、いつ見てもその相手にぴったりなものだなと思う。

『オルゴナイトの効果』を書いた数時間後、私はまさかその未来のプレゼントについて後悔に似たやり場のない気持ちを抱くことになるとは思ってもみなかった。

冗談で言っているだけなのかもしれないけれど、私はその言葉を聞いて心が凍りついた。

何か自分がとんでもない勘違いや思い違いをしているんじゃないかと思った。

実際その通りだけど、ものすごくもやっとしたのも本当だった。

プレゼントが行く予定の人の元へ行かないのはまだ自分の中で納得できる。

そもそもそういうのもわかって用意したものだったから。

99.9%本人の元へ行かないんじゃないかというような確率に対して用意したものだから、渡る方が不思議なぐらい。

それは本当に仕方ない。

そして本当に生涯届くことがなくても、そのことでもやっとはしないと思う。

自分の選択については後悔していないし、相手の手元へ行くことの方が奇跡だから奇跡が起こらなくてももうやれるだけのことはやっての結果だから、仕方ないとあきらめられる。

私がもやっとしたのは違う理由だった。

私は誘っても断られたのに、片やかわいいという理由だけで会いたいと思ってもらえる、たとえそれが冗談みたいなやりとりでも、そしてまさかそれを口にした本人もそんなことが私の耳に届いているなんて知らないだろうけれど、それを聞いて私はもう自分の気持ちのやり場のなさにどうしてみようもなかった。

自分ひとりが勝手に反応してることだし、誰も悪いことなんてしていないし、言った本人は言った本人の思想と言論の自由があって当然だし、そういうことは頭の中にいくつも浮かんだ。

だけど、心は凍っていた。

一瞬ですべての感情が麻痺するぐらいの衝撃だった。

私はそれをごまかそうと、その話を笑って流した。

なんなら話を合わせて、しばらくその話をそれを教えてくれた人と続けた。

こういう時の私は自分でも感心する位に順応性が高い。

自分の感情を押し殺して、なんともないふりをするところ、本当にプロ級だと思う。

実際に過去に、そういう状態の時に営業をして本当に契約を取っていたから、感情を押し殺して目の前の人に合わせてコミュニケーションを取るのはすごくうまいと思う。

だけどうまいからと言って感情がなくなってくれたわけじゃない。

悲しいものは悲しいし、ショックなものはショックだし、やりきれないものはやりきれないままだ。

さらにその話にはもっと余計な情報がもれなくついてきて、その情報もすごく私の気分をなえさせた。

奈落の底に落ちたような気分だった。

そのことを教えてくれた人いわく、普段仕事中はラインの返事なんかしない人だという。

ましてやプライベートなやりとりだから、まずは仕事中ならスルーするのが通常なんだと言っていた。

なのにその時だけはわりかしすぐに返事がきて、そしてその返事の内容がもう想像以上に聞きたくないものだった。

私は完全に関係ない人だし、そんなことに反応してる私がおかしいのは百も承知だし、そんなの気にしなきゃいいのにと思わなくもない。

だけど心は沈みまくり、私は一生懸命他のことを考えて気を紛らわせようとかなり努力した。

ほぼ1日中、そのよくわからない努力に明け暮れていた感じになった。

本気で全力でその努力をしていないと思考はまた一瞬で負のループにはまり出すから、そうならないために私はものすごく神経を使いながら他のことを必死に考えた。

そしてその日の夜、帰りの車の中で初めて想像以上にショックだったことがわかった。

車内には自分しかいないし、ずっと張り詰めていたものが少し緩んだ。

そうしたら2粒3粒と涙がこぼれて、初めてあぁ本当の本当にショックで悲しかったんだと思った。

泣こうと思って涙が出たんじゃなかった。

泣きそうなんて思う余裕すらなかった。

もう勝手に涙が出てきたから、それがいかに自分が無理をして全力で気持ちを押し殺していたのかがわかった。

そして少し冷静になると、あぁ未来のプレゼントなんて届くわけもないのに用意して、どうするんだろう…って考えだした。

自分の衝動のままに動いていたけれど、何か全部が全部ずれていて、全部が全部おかしい、そう思った。

 

それから24時間経過する頃、2人の人からラインが入った。

オルゴナイトが届いたと県外の友達2人からそれぞれ連絡がきた。

2人ともすごく喜んでいたし、そこで感じたことを色々教えてくれた。

やっぱり物は良いものなんだな、絶対にピンポイントでその持ち主の元へ行くようになっているんだなと感じた。

 

48時間が経過する頃、そのうちの1人と電話で話して、そして話してるうちに色々気になってペンジュラムに聞いた。

ペンジュラムは相変わらず、そのオルゴナイトは私の元には残らないと言う。

今は一時的に私の元に置いてあるけれど、それはずっとじゃないと言う。

それは言い換えたら、もう行き先は決まっているわけだから、未来のプレゼントの相手に届くということ。

それが本当かどうかなんて知らない。

嘘の可能性は大いにある。

だけど、色々勘違いと思い違いと衝動と、もう色々変なのは自分でもよくわかってるけれど、まぁもう今手元にあるからこれまで通り見守ろうと思った。

 

上の文章は3月3日に書いた。

今日は3月7日。

時間の経過と共に気持ちも落ち着いてきた。

そのオルゴナイトは今も引き続き私の部屋の中にある。

そしてこのたかが数日で、ひょんなことからとても良いヒントを友達からもらったから、私もそれを真似することにした。

県外に住む社会人の息子に本人用のお守りにと友達はオルゴナイトを買った。

そして息子のところに持って行ったけれど、結局息子は忙しすぎて管理できないという理由でその友達はまた持ち帰ることにした。

息子が落ち着くまで、実家の息子の部屋に置いて、本当に本人の手に渡るまでその人が息子を想いながら大切に保管する、2人で話し合ってそういうことになったと教えてもらった。

超多忙な上転勤もある息子だから、もう致し方ないということで苦渋の決断だったけれど、それが本人にとってベストならそれに私も今は右ならいをすると言っていた。

私の場合は、渡る渡らない以前の問題だけれど、そのもしかしたらのことが起こるとするならやっぱりその時までは大切に保管しようと、それでいいと自分の中ではっきりと思えた。

相変わらず自分の思考回路ははちゃめちゃだとは思うけれど、私に今できる最大のことはそのオルゴナイトを大切に保管することだけだから、それだけはしっかりとやっていこうと決めた。

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