2018年3月8日木曜日

命のお祝い

誕生日前日
誕生日当日
誕生日翌日

翌日は有休取って休むつもりでいる。

3日間、丸っと自分のためだけに時間を使う。

誕生日前日に妹から頼まれた買物があったけれど、今さっき連絡が来て、失くし物は出てきたから買いに行く必要がなくなった。

前日は38歳1年分の頑張りを労わるのと余分な垢落としで日帰り温泉に1日行こうと思ってる。

休む場所のあるところなら編み物もできるし、書き物もできる。

当日は何するか決めてないけど、何かしらはする。

翌日はどこかでモーニングして、色んな振り返りタイムに充てようと思ってる。

時々1人でさみしくない?と聞かれることがある。

全く寂しくないと言ったらウソになるけれど、誰かと一緒なのに寂しいという状態も経験してるから、それなら1人で気ままな方がいいと思ってる。

過去に付き合った人で、誕生日を全く重要視してない人がいた。

別にそれは個人の価値観だから、私だけの一方的な価値観を無理やり押し付けるわけにはいかない。

だけど、私は毎年誕生日近くになると、今年も祝ってもらえず悶々とするんだろうかとか、イヤイヤ祝われるんだろうかとか、とにかく悪いことしか思い浮かばず、誕生日近くになると毎年気分は落ち込み塞ぎ込んだ。

誕生日を祝って欲しいというより、誕生日を大切に思ってる私自身の気持ちを大切にして欲しかった。

プレゼントや豪華な食事を用意して欲しいとかいうようなリクエストはなかったし、そういうことにあまり興味もない。

私が誕生日にこだわったのは、私が生まれてきているそのものを温かい気持ちで喜んで欲しい、ただただそれだけだった。

若さもあったと思う。

いくら伝えても最後まで伝わらなかった。

自分の誕生日が祝われるのはすごく喜ぶのに、どうして私の誕生日はおめでとうの一言さえ言えないのか本当に不思議でならなかった。

うっかり結婚とかになったら、私はこの後何十年と自分の誕生日を毎年迎えるたびに暗い気持ちにならなきゃいけないのかと思うと、それで本気で悩んだ。

そんな結婚もそんな人生も嫌だった。

最後私は友達夫婦の様子を見て、色々あった旦那さんだったけど、最後はこうして友達と子どもの両方を全力で守ろうとしてるその姿を見て、こういう未来はその人とは描けないとはっきり気付いた。

何年もぐだぐだと付き合ったけれど、それで一気に気持ちが固まった。

本人にもその通りの理由を言って別れたいと言った。

引き止められも反対もされず、相手はわかったと言って終わった。

別れた後一度だけ会ったと思う。

その時のその人はそれまでの数年分をひっくり返すくらいに優しくなってた。

ものすごく驚いた。

別れてからの方が優しいというのがなんとも皮肉な感じではあったけれど、これはこれでいいんだなと思った。

そして30歳の誕生日前に一度だけ私から連絡をした。

20代の自分を振り返るのに私のことで何か覚えてることを教えて欲しいとメールでお願いした。

返ってきた返事はどこまでも優しかった。

そして私はやたらと誕生日とかにこだわったけど、本当は優しい人できちんと見てくれてたんだなと別れてから4年ほど経過してから知った。

その人と過ごした時間のことよりも、別れてから何年も経って言われたことの方が色濃く残るぐらいに、私が無意識にしていたことを具体的に挙げそれが私の良いところだと教えてもらった。

それがその人とやりとりした本当の最後になった。

でもやっぱり私はあの時の決断で良かったと思ってる。

当時本気で悩んでたことと同じ悩みを口にする女の人たちに出会うたびに、それはもしかしたら私の今だったかもしれないと思うとゾッとする。

我慢とか忍耐付きなら結婚できたかもしれないけれど、そんなの欲しくないし、そして何よりも1人でいるより2人でいる方が寂しいなんていうそんな関係は嫌だった。

せっかく2人でいるのに、なんだか目に見えない距離がどこまでも広がっていて、そしてその埋まらない距離に悩んだり苦しくなるぐらいなら、私は1人の方がいいと思った。

多分それから12回は誕生日が巡ってきた計算になるけれど、どの誕生日もとても良い迎え方ができたし、中には一生思い出に残るような祝われ方もしている。

1人で過ごした誕生日も多い。

だけど、昔々誕生日前にあんなに悩んだ時間を思うと、1人の方が断然楽チンでそして楽しい。

今年もどうやって前日から翌日までを過ごすのかを考えるだけで楽しい。

悩むことにエネルギーを費やさなくて済むから、純粋に楽しみだけを追求できる。

年々おめでたい年ではなくなる。

だけど、私は生きてるだけですごいと思っているし、その生きてる積み重ねの先にまた1つ年齢を重ねられることの方が奇跡みたいなものだと思ってる。

表面上は周りに適当に合わせて言うこともできるけれど、本当は生まれてきたことも今生きてることもはっきり言って凄すぎることだから、私はこれからもその気持ちを忘れないだろうし大切にしていきたい。

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