2018年3月27日火曜日

机の中のお守り

仕事の机の中に「お守り」として1枚の名刺を入れている。

いつからそれを始めたかは忘れたけれど、けっこう早い段階でその名刺をいつも目にする位置&1日に最低でも2回は開ける引き出しの中に置いている。

指サックを毎日使うから、それを出し入れするところの角、引き出しを開けたら必ず目に触れる場所に置いている。

その引き出しには他にも、メモ帳・定規・付箋・仕事の大事な資料を入れているから、1日に少なくとも5回は開ける。

名刺だから名前を見るだけでしかないけれど、この名前を見るだけでも気分は全く違う。

そして唯一名刺の主からもらった形あるものだから、それはそれは大事にしている。

名刺にパワーがあるわけではないけれど、この名刺には何度も救われている。

職場の人間関係で本当に参った時は、その名前を見ていつも元気をもらってた。

用事もないのに引き出しを開けて、名前を見て(それだと怪しいから付箋とか何か適当なものを出すフリをする)、ホッと癒されて、元気もらって、それでその時をやり過ごすなんていうことをしてた。

朝仕事に就いたらまずは挨拶じゃないけれど名前を見て、1日の終わりにもまた名前を見る。

はじまりと終わりに必ず目にする。

それをこの仕事の9割近い期間そうしてた。

今となれば肩書きも所在地も変わって幻の名刺になったけれど、私にとっては唯一無二のお守りのような存在になっている。

今日6連休明けに仕事に行って、改めてずっとこの名刺にパワーもらってたなとしみじみ思いながら、いつもと同じように眺めてた。

朝車を運転しながら、仕事を辞めたら本当に消息がわからなくなるな…と思ったら寂しくなった。

大した情報じゃなくても、どうやら元気らしいことは人づてに聞いてたから、それさえももう終わりなんだなと思ったら、いつもの風景さえも愛おしくなった。

お昼休み、半年前の今日と同じ場所に出かけた。

そこは私が自分の行動を決めるのに、動くかもう一切何もしないかを決める、その賭けをした場所でもある。

半年前の今日書いた日記を読んだ。

その頃はそろそろ涼しくなってきたかなという時期で、気付けば2つの季節が終わって3つ目の季節が巡ってきた。

日記には最後の日の1日を克明に書いてあった。

読んでいて思い出した。

私は動いたことは後悔しなかったこと。

動くことはリスクを伴った。

動かなければただただときめいてドキドキさえしてたら良かった。

動かなければ最後まで爽やかで穏やかな笑顔を見れたと思う。

冷たくもされなければ、心がボキボキに折れることもなかったと思う。

でもこの半年を振り返ったら、動くことが正解だった気がする。

動くことで心が痛くなることも心へのダメージも大きかったけれど、その分自分に向き合って、向き合う中で色んな人や出来事と出逢って、そしてさらに自分を知ることになった。

それにプラスして自分の気持ちにももっと前から真っ直ぐに見て受け入れられるようになった。

もし動かなければ痛みもなかった代わりに、今知り得た色んなことも知らなかっただろうなと思う。

私はその辺りからお墓参りを毎日の日課にした。

何かにすがりたくて頼りたくて、それで調子者はこういう時だけ先祖様を頼り(といっても我が家のお墓の中には3人しかいない)そして祈る。

私は祈ることを覚えた。

最初の頃はあれこれと願ったけれど、それも落ち着いて(と言うかある意味あきらめて)、いつからか家族の名前を全員言った後、その人の名前も言って、見守ってください、とそれだけを基本的にはお願いしている。

だから名前を目で見たり耳で聞いたりすると(名刺の方じゃなくて、看板やテレビ、本、人との会話etc)、あぁ元気な証拠かなと勝手に決めてそうした偶然を嬉しく眺めてた。

最初にいなくなることを知らされた日のこと、あれから考えたらこれまでの半年間、私は本当に頑張ったなと思った。

最初に知らされた日のことは今でもよく覚えている。

大きな地震を経験したことがある人ならわかると思う。

巨大地震の時の10秒はとてつもなく長い。

これが30秒とか1分になったらさらに長く感じる。

体中の感覚がその恐怖にさらされ、普段ならそんなに感情を全開にしてたら支障が出るけれど、ああいう時はもう人間の本能みたいなのが出てきて、生きるか死ぬかみたいな恐怖に似た感覚になり続ける。

だからたとえ10秒でもとてつもなく長く感じる。

それと同じような感覚だった。

とにかく1分1分が長い。

今この瞬間は2、3メートル先にいて、声も聞こえて、姿かたちも目に入って、そこにいるのに、もう少ししたらその体ごとどこかに行くんだと思ったら、寂しさと悲しさと絶望と不安と怖さと…とにかくそういうものがドッと押し寄せた。

今この瞬間が1秒後には過去に変わる、それさえも耐えられなかった。

そこから半年も過ぎて、実際はあっという間だったけれど、本当にそのところから今になるまで色んなことがあった。

ちょうど半年にあたる今日、色んなことを感じたし、それをそのまま言葉にしておきたかった。

だけど、金沢でもらってきた風邪が、今回は数日経っても良くならず、そして今随分と体が辛いこともわかった。

この続きは夜中に目が覚めたら書くか、明日とかに書きたい。

これは備忘録で書いてるんじゃない。

私の中ではきちんと意味があって書いてる。

意味というより願掛けに近い。

本当は今日初めて知った歌詞についても触れたかった。

半年前の今日に書いた日記も一部抜粋したかった。

だけど今は体の方が限界にきてる。

休もう。

そしてまたここに戻ってきて書こう。

ちなみに歌詞はこれ。

No matter the distance
I want you to know that
Deep inside of me

最初意味がわからなくてネット検索した。

ネットに出てくる和訳に違和感を覚えて私はひたすら歌詞全体を見た。

私は「どんなに離れていても、僕の心の奥底に君がいるって、君に知ってて欲しいんだよ」と訳した。

ちなみにネットだと「君に僕の心の奥底を知ってて欲しい」とかになってる。

自分の心の奥深いところを知ってて欲しいと言うよりも、自分の中にあなたがいるということを知って欲しい、そっちだと思った。

その話ももっとしたかったけれど、とりあえず後で。

まずは体治して、出直そう。

そして明日も引き出し開けて名前見て元気をもらおう。

そうしよう。

机の中のお守りは、そこに色んなストーリーがある。

歌詞の話も日記の話も実はこのお守りと関係している。

だけど今日はとにかく寝る。

ちなみに私が書くのは、伝えたい人がいるから。

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