2019年2月9日土曜日

奇跡の果実▷ウラ話⑥美と毒とカラスの観察

>>>2019/02/07

『⑧覚醒』を読んだ後に色んな人たちからフィードバックをもらった。

本当に1つ1つ何度も読み返したくなるぐらいに素晴らしい。

「美しい」

私はこの言葉の使い方がずっと長いことわからなかったけれども、今ここに来て少しずつ「美しい」というニュアンスが感じられるようになってきた。

私が心惹かれた色んな人たちの言葉、そしてその言葉を紡ぎ出すまでの人生経験、そういうものが本当に美しい。

私は言葉の限界をそれはそれは早い頃から知っていた。

『メラビアンの法則』と呼ばれるもので、通常のコミュニケーションでは言語で伝わるのは7%のみ、残りの90数%が話し方や態度で伝わると言われている。
(↑『法則』って言うだけで頭が良く見える気がする!と思う私( ̄∀ ̄))

だけど、私は今回色んな人たちから色んな反応を言葉を介してもらって、それがめちゃくちゃ良いから、7%じゃない!!!と思ってる。

むしろ、言葉を超えたものがあるとさえ感じている。

どれもキラリ☆と光っている。

言葉にはパワーが宿っている。

その人の心と感覚でしか伝えられない言葉がある。

本当に素敵で、私が独り占めするのはもったいなさすぎる。

各人に了解を取ったから、この『奇跡の果実』シリーズの終わりの時に公表する。

みんなで良いもの、美しいものをシェアできたらいい。



>>>2019/02/08

今日はかなり毒を吐く。

どうしてもモヤモヤするから、そしてこれは私がたくさん見てきたから知ってること、言えることだと思っているから、若干ドヤ顔しながら毒吐きをしたいと思う。

「自分だけが苦しい」とか「自分と同じ悩みを持っている人たちだけが苦しい」という人を見ると、私は怒りが噴出することがわかった。

もちろん、ちょっとした仕事の失敗と人の死とを同じレベルにして考えることはしないし、風邪気味と一生付き合わなきゃいけない不治の病を一緒くたんにすることもしない。

ただし、誰かの悩みや苦しみと自分の悩みや苦しみを比べてどちらが楽でどちらが大変か、なんていうふざけた比べ方は私は大嫌いで仕方ない。

基本的に、どんな人も表には見えない悩みや苦しみが絶対にある。

そして、さすがにこう言ってはなんだから言うと、ある一定のレベルを超えると、明らかに「人生のテーマが重たい」人は出てくる。

例えば、愛情たっぷりの親のもとに生まれるのと、虐待して命からがらのような親のもとに生まれるのとでは、どうしても同じにはできない。

だけど、明日生きれるかもわからない命と親から虐待を受けて心に深い傷を負う命と、そのレベルになるとどちらが大変でどちらが楽かなんて比べられない。

どちらも、種類が違う重さがある。

私が今話したいのは、このある一定の域を越えての人生の苦しさや重さの部分。

その域に入ると、正直なところ、他人と自分のことは比べられない。

どの人がより重たくてどの人がより軽い、なんてバカな比較はできない。

私はその重たい人たちの話を色んな形で聞いたから、余計と感じる。

どれが重たくてどれが軽いかなんて絶対に言えない。

そしてこれは私なりに見てわかったこと。

自分の目の前の人がどんなに明るくてどんなに元気に見えても、その人だって人知れずすごい苦労があったりする。

私が人生の中で出会ったトップ3に入る超美人の女の子は、10代の終わりに自分の頭に拳銃を突きつけられて命を落としそうになった話を教えてくれた。

私がとても尊敬している年上女性は、いつだったか心理系のセッションを受けるから自分の半生を箇条書きしたの、と言って見せてくれた紙には、もうおぞましいほどの悲惨で痛々しい出来事がA4の紙を縦いっぱいにして書かれていた。

その中のいくつかは、それ単体だけで自殺する人が普通にいるレベル。

そんなのをいくつも兼ね備えている半生を送られた人だった。

でも、この人たちは本当に明るいし朗らかな人たち。

周りの人たちをものすごい包容力と笑顔でおだやかな気持ちにさせてくれる。

色んな人たちを見てきたからこそ、誰が大変なんて言えない。

なのに、久しぶりにいた、「自分だけが大変ですよ」系の人。

その人は、私から言わせたら上の2人の方がよほどヘビーだと感じる。

その人の大変さについてはうっかり本人が目にしたらフォローもできないから、内容は避けるけれども、かなりヘビーなのは間違いない。

だけど、あんたばっかじゃないわ!とどやしたくなるぐらいに、本人の被害者意識や悲劇のヒロインっぷりが凄い。

何で自分だけが大変と思うのか、どうして自分の体験だけが特別と思うのか、私には理解できなかった。

そして、そんな意識の人を見ると、私は本気で怒りたくなることもわかった。

みんな種類は違っていても、みんなそれぞれ一生懸命生きてるよって。

その人も私と同じポジションに立って色んな人たちから話を聞いたらわかる。

自分だけが大変じゃないってことを。



上の毒吐きは、一応今回の『奇跡の果実』に付随して出てきたことだった。

私は人の大変さと人の大変さを天秤にかけてどうこう言うのは好きじゃない。

普段はしないけれども、今回だけはあまりにも目に余って、言わずにはいられなくなった。

数ヶ月前の相手の人も今現在の相手の人も、本当に変わっていなくて驚いた。

そして驚いた次の瞬間、怒りが湧いた。

正直に告白する。

あんた、自分だけが大変で自分だけが辛くて苦しいと思っているけれど、そんなの違うよと。

そう思ったのは、私は自分と比べてそう思った。

その人が残りの人生全て、今抱えているものに向き合わなきゃいけないのと一緒で、私も自分のこのよくわからない体質に始まりよくわからないオカルトで怪しいものたちにもずっと関わっていかないといけない。

私は自分が大変だなんて言わない。

だけど、自分にとって向き合うのは重たくてしんどい。

逃げたいこともたくさんあるし、さすがにこの数ヶ月を経てまだ逃げられるという思いはある程度消えたし、徐々に腹が据わってきたけれども、そこに至るまでものすごい葛藤と痛みと恐怖の中にいた。

腹が据わったからと言って、楽になったとか明るい展望が抱けたとかいうのも違う。

もうなるようにしかならない、そういう境地に立てただけでしかない。

だけでしかない、と簡単には言ってるけれども、そこに至るまで簡単なプロセスではなかった。

私は何度も何度も泣いたし、逃げたくて1日中布団の中にこもった日もものすごくたくさんある。

そんなこんなを経ての今になる。

私にその人の大変さがわからないように、その人にも私でも他の誰かでもの大変さはわからない。

わからないのは当たり前、だけど自分だけが辛くて苦しいなんてことはありえない。

「甘ったれるんじゃない」と思った。

私も外には自分の辛いことや苦しいことは出さない。

そんなの出されたって相手も困るでしょと思うのと、せっかくの時間を自ら暗い種を撒き散らしたくないから。

私は自分のことをどうこう言うのは本当に好きじゃないけれど、ある程度の域を超えた事柄に人生で直面しないといけない人たちは、本当に相手の人生に対しても敬意を払っている。

そういうのは、口にしなくても何となく空気感で伝わってくる。

それぞれの人が大変なのは、もちろん相手の大変さなんてわからないけれども、それでもその人が表には出さない苦悩ややり切れなさは絶対にどこかにあるのは想像できる。

ましてや私は色んな人たちから直接話を聞いてる。

波瀾万丈な人生なんてもんじゃない、よくここまで生きてましたね!レベルの人たちに何人も会った。

本当に生きてることが奇跡だとわかる。

さすがに私はその域じゃないけれども、それでも自分の大変さを感じてそれ以上の経験とわかると、もうどれだけ苦しかったのかなんて想像を絶する。

その人の苦しさはその人にしかわからない。

それを引き受けられるのもその人しかいない。

それは事の重篤さ問わず、みんなそうなる。

誰しもが誰かの代わりになって苦しみを肩代わりすることはできない。

自分に来たものは自分で向き合うしかない。

私が腹が立ったのは、そういうことを想像することもしないで、自分だけが大変で自分だけが苦しくて…、唯一受け入れられるのは自分と同じ体験をした人たちだけ、なんていうどんだけ狭い世界に生きてるの?と言いたくなるぐらいに、その頑なさをはじめとする傲慢さだった。

グーグル先生によると、「傲慢」とは「おごりたかぶって人を見下すこと」とある。

そう、その人は自分だけが大変と言うだけじゃなく、ぱっと見楽そうに見える人たちだけを切り取って他人を見下してる。

本当に浅はかだと思う。

数ヶ月前は私はその人がその大変な中でも生きていることに感動した。

本当に辛いのも苦しいのも、それが24時間休む間も無く襲ってくるのも、そしてその人が直面していることは今後の人生においてずっと向き合わないといけないテーマなのもわかったから、そんな中で生きているその人が本気ですごいと感じた。

ところが数ヶ月経った今、当時も今も変わらなくて、むしろ当時は気にならなかった他の人たちへの配慮の欠け方に気付いて、ついには怒りが湧いた。

いつまでそうしてるの?と思った。

さすがに私に向かって矢は飛んでこないけれども、その人の傲慢さは少なくとも私は見ていて非常に不快になる。

どんだけ自分が悲劇の王様になってるんだと言いたい。

あんただけじゃないわ、人生大変なの、と思う。

私は縁あって人生で強烈な体験を山ほどした人たちに出会えた。

そういう人たちみんなに共通しているのは、人生の明るい面を見出そうと努力していること。

自分に与えられた環境の中で目一杯生きていること。

私は決めた。

その人を反面教師にして、私は明るい方を目指そうと。

そして私は、どんなに大変で死にたくなるぐらいの、人生を終わらせたくなるぐらいの体験をしていても、それでも前を向こうと努力する人たちが、もしくは動けなくなって小さくなって誰かを恨みたくなっている自分をぎゅっと自分の中にだけ握りしめて歯をくいしばっている人たちが大好きなんだと。

そういう人たちとだけこれから先は関係を深めていきたい、そう思った。

だって、後ろ向いたって動けなくなったって、明日は来ちゃうから。

それなら少しでも明るい方が本当にいい。

そして、その明るさをどんな形でもいいから信じている人たちと残りの人生の中で一緒に思い出を作っていきたい。



>>>2019/02/09

本編の(12)は今書き途中で終わりそうにもないから、ウラ話を先にアップ。

今日は昨日あった「過去の体験が役立った話」を1つ。

すごく馬鹿げた話ではあるけれど、私はこういうことだってどこかで役に立つんだから!という最高の証明になったと思っているから、それを紹介しようかと。

昨日、とある人がセラピーというか個人セッションを受けて、その時に言われた内容やキーワードを私に教えてくれた。

その中に「青い小鳥」があって、それが何を意味しているのかということについて、その人と私とであれはどう?これはどう?と話し合った。

鳥から考えられるシンボルの話として、私ははたと思い出したことがあったから、その話をした。

「◯◯◯さん知ってます?鳥も色んな鳴き方があるって」

「えー、知らない!」

「私いつだったかカラスを1時間観察していたことがあって。そのカラスを見てると、カァカァだけじゃなくて、色んな鳴き方をするんですよー!
テレビだったと思うんですけど、鳥もどうやら鳴き方をその時その時で変えていて、仲間を呼ぶ時のごあいさつ的なものもあれば、敵が来てそれを知らせる鳴き方とか、仲間内でしかわからない鳴き方でお互いを認識し合うとか…。
だから鳥イコール、コミュニケーションってさっき言ってた話とも繋がっていくと思うんですよねー」

「いやー、そんなことあるんだね〜。
それよりもぶっしーちゃん、やっぱ変わってるわ(笑)。カラスを観察するなんて変わってるわ(爆笑)!」

まさかの感想が返ってきて、えっ( ̄∀ ̄;)?って思った。

そこ重要じゃないのに、重要なのは内容で私のカラスの観察はついでの話だったのに、なんだかおかしな話の展開になった。

その人に変わってると言われてもちっとも嫌じゃないけれど、むしろその個性さえも良い風に受け止めてくれてるからありがたいばかりだけど。

ただ、その人も自他共に認める「変わり者」で、その人から「変わってる」などと言われると、さすがの私も「ちょっとではなく、だいぶ変わってるのかも…((((;゚Д゚)))))))」と自分のことを思った。

とりあえず、カラスの観察の話は、一般の公共の場ではやめようと思った 笑。

ちなみにカラスの観察も意図的にしたんじゃなくて、ある時の派遣の仕事の時に昼休みに毎日行く公園があって、そこのすぐ目の前にあった電信柱に1羽のカラスが止まっていて、それでずいぶんと色んな鳴き方をしていたから、それで気になって見ていただけだった。

とかいう、はっきり言って何の役にも立たないと思っていたカラスの観察がこんな時に役立ったv(*´∀`*)v!!

会話はその後も続いて、カラスの観察からは到底考えられない深い話へと突入した。

そして、その話についても相手からは感謝された。

この話のポイントは、カラスの観察でも私が変わってる説でもなく、あくまでも
【人生の中で無駄になることは1つもないよ】
ということ(o´艸`)。



一応弁解しておくと、ウラ話は『奇跡の果実』に関係ないみたいに見えるけれど、実はめちゃくちゃ関係している。

まるで私の今日のごはんは…とか、昨日見たテレビは…みたいなレベルの話みたく見えるかもしれないけれど、どれも『奇跡の果実』本編がないと成り立たない話なのと、そしてこの本編とウラ話すべて合わせて最後にはどんな花を咲かせるのか、私は超楽しみで仕方ない。

「私は楽しみ」ということは、私もこの話が最後どう終わるのか知らないし、まだもう少し展開があると思う。

私側の意図も少しずつ変わって来ている。

最初はこのウラ話も、そんなに重要視はしていなかった。

関係ある話だけど、本編に入れるほどじゃない、それで誕生させたウラ話だった。

でもウラ話は裏だけあって、本編並みに重要なメッセージもところどころ含まれている。

超個人的な希望を言うと、これを定期的にでも不定期にでも読んでくれてる方たちの物語を知りたい。

けっこうガッツリ読んでくれてる方たちから話を聞くと、ありえないシンクロや贈り物のような奇跡の体験をしている人たちがいる。

ガッツリ読んでるかは具体的には知らないけれど、その人たちが私に個人的にくれたメールやLINEでわかった。

あぁ読んでくれてるんだ、って。

私の中では、この異常な長さもあって、全く宣伝をしていない。

先日の『⑧奇跡』は周りの人たちに拡散はしたけれど、それ以外は余計なことは言っていない。

今も。

という状況下で、かなり読み込んでる人たちからの言葉をこの1週間で色々教えてもらって私も知ることとなった。

だから、他にも定期的にでも不定期にでも読んでくれてる人たちがいたら、話を聞いてみたい。

私のブログの管理画面が誤作動してなければ(←私だからありうる)、ポルトガルやドイツからも閲覧されていることにはなっている。
(ちなみにブログの管理画面、すでにおかしいところがあるから、これもどこまで合っているのか知らない)

私のグーグルはかなりおかしなことになっていて。(一応このブログはGoogle内のbloggerというブログ機能になる)

Googleホーム画面に、毎回私が興味ありそうな最新の情報みたいなのが出る。

星占いや占星術の記事はわかる。

私自身が検索するし、実際に読んだり調べたりするから。

だけど、どうにも解せないというか、なぜなぜどうして?というのが、プロレスの記事。

私は一度もプロレスの記事の検索はしたことないし、調べたこともない。

しかも、時々、閲覧履歴を全消去してリセットをかけるけれど、なぜか私のメールアドレスとかの消して欲しくない情報まで全消去してくれるくせして、その見てもないプロレスのお知らせが来るという、何とも不思議な現象が起こっている。

ちなみに午前中に閲覧履歴のリセットをかけた今日は、
【[新日本プロレス・速報]
2.9 大阪 Road to ニュー・ビギニング 試合結果:棚橋&オカダ軍団 vs. バレットクラブ…
青空プロレスニュース】
と出ていた。

だから、海外からの閲覧履歴も本当か?と思う。

☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪☆♪

もし、国内外問わず、読んでくれている方の中でお話や感想を聞かせてくれる方がいらっしゃいましたら(電話ではなくメールです(^^)!)、下記の連絡先までご連絡ください。
よろしくお願いします。

fumiko311bushimata@yahoo.co.jp

武士俣史子

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