2019年2月1日金曜日

奇跡の果実⑦未来から過去へ

Aさんとの会合が終わり、町に繰り出したついでに自分の買物を済ませて、家に戻ろうと車を走らせていた。

空は青空が出るぐらいに晴れていた。

心はもっと晴れ晴れとして、そして深いところから満たされていた。

充足感とか至福感というのは、こういうことを言うんじゃないかと思った。

車の中で、「これで全部合っていたんだ」としみじみと思い返していた。

そして、ここに至るまでおじいちゃんはじめ色んな人たちが見えないところでたくさんサポートしてくれたことにも気付いた。

それは私のことだけじゃなくて、霊視をしてくれてるOさんも、Aさんはじめおじいちゃんのご家族も、みんなみんな守られている、本気でそう感じた。

色々現実は上手くないこともたくさんあるけれど、それでも色んなことたちが重なり合って、それぞれの楽器を奏でるようにそれぞれが自分の人生を生きて、その生きていく中で絶妙なバランスでお互いに重なり合って生きている。

互いの楽器を持ち込んでオーケストラのように1つのの交響曲を奏でるみたいに、それぞれはそれぞれのことをしているのに、重なり合うと新しいハーモニーが生まれる、そんな風だった。

何が欠けてもいけないし、こっちの方が速いからと言ってかっ飛ばしたり抜かしたりするのも違うとわかった。

あの時は感覚ばかりが恍惚感に溢れかえっていて細かいことにまで目が向かなかったけれども、今当時を振り返ると、その気分が湧き上がるほどに過去から色んなものたちが小さなピースとしてその時々で積み重ねられていて、そして色んな人たちに支えられての今で、それらが全部胸に迫ってきて、そうしたことに包まれていたんだと思う。



今回Aさんから時間を作ってもらって、おじいちゃんの霊と繋がったことを伝えたり、そのおじいちゃんと霊視によって繋がることができるヒーラーのOさんをAさんはじめご家族に紹介することになった。

Aさんと会って、本当に私の大きな勘違いに気付かされた。

Aさんは開口一番に
「私たち家族でやりとりして決めたのが、まずは史子さんから話を聞こうと。そして聞いてから家族みんなでどうするかを決めよう、と。その史子さんが紹介してくれる霊能者の方に実際にお願いするかは、話を聞いてから決めようって」
と言われた。

ここでもハッと何かには気付いたけれども、それを言葉にして理解できるようになったのはもう少し後だった。

Aさんに会って、私が一番気付かされたことは、私が何をしていようと、まずは私は1人の人間で関わる人たちもみんな人間で、職業だとか立場だとか年齢とか性別とかそんなのは関係なく、まずは人と人同士であるということ。

私がスピリチュアルなものや見えない世界のことに関わる云々の前に、相手からしたら私はまずは「武士俣史子」なんだとわかった。

私はAさんに会うまで、自分の視点がすごくズレていたことに気付かされた。

それまでの私は、相手からどう思われるのかばかりを気にしていた。

怪しい世界のもの、しかも科学的に説明できないもので、扱う内容も手法も怪しさ満載、そんなものに関わっている自分というものを第三者に向かって発信するというのは、私にとってすごく抵抗のあるものだった。

元々私も10年前までそういうものに全く興味もなければ、そうした世界を怪しいとしか思っていなかったから、絶対に近寄らないにしようと思っていた。

ぶっちゃけ言えば、私は「スピリチュアルなもの・見えない世界=詐欺、騙し合い、ぼったくり、偽物、社会悪」ぐらいに捉えていた。

私の中で見えない世界のもので唯一受け入れられた分野は「人間の心」だけだった。

書店に行っても、心理学の本は受け入れられても精神世界の本は受け入れられなかった。

なんなら神仏(かみほとけ)とかキリストでもアラーでもあれは神話の世界の空想的な人物で単なる象徴でしかなかった。

本気で無礼且つ無知過ぎだけど、昔の私からしたら神仏もドラえもんもちびまる子ちゃんもサザエさんも、非現実的な世界にいるということでは全く同一線上にいた。

そういう経緯もあって、私はそうした見えない世界やスピリチュアルなことに関わる自分というのは、周りからどんな風に映るんだろうってそればかりを気にしていた。

ましてや今回は、そうした中でも最高に怪しい「死者の魂と繋がった」という、超絶おかしな話を今を生きるご家族に頼まれてもいないのに持って行くという、とんでも話だった。

前回のブログに「本物の霊界通信というのは、全体の5%にしか過ぎない」と書いたけれど、私から言わせるとそれに加えて「霊界通信があると信じている人は、世の中全体の5%にしか過ぎない」と言いたい(  ̄Д ̄;)。

世の中の大半は「そんなことは有り得ない」と普通に思っている。

私だってその大半組だったわけで、だからそんな怪しい話をする私は他の人たちにどう映るのか、そこばかりに視点がいっていた。

だけど、本当に大切なのはそこじゃなかった。

スピリチュアル云々の前に、まずは私も相手も1人の人間であるということ。

まずは1人の人間として誠実であること、誠意を相手に示すこと、それが大事なんだとわかった。

だからAさんは一貫して、「史子さんの話を聞いてから決める」という姿勢を崩さなかったし、私だからこそ話を聞いてもらえたんだとわかった。

本名で通してやっていることも、それが私にとっては一番良いことがより一層わかった。

本名を出してそうした見えない世界のことに関わるというのは、社会的に道を外さないためのストッパー的な役割も果たしてくれる。

ただでさえ怪しいものだから、そこにもし本名以外の名前を名乗ってやったらますます怪しくなる。

少しでも怪しいことをしたら、もしくは社会的に後ろめたいことをしたら一発でバレてしまう。

だからこそ、本名でやり続けることが、私が第三者に示せる誠意の形の1つなのかもしれないなと思った。

特に今回みたいに、見えない世界のことに全く興味さえないだろう一般の方たちと関わることを考えたら、本名で関わり続けることが何よりもきちんとしていることになる気がした。

余談というか妄想炸裂な話だけど、私は仮に結婚できたとして、その後もずっと仕事上は「武士俣史子」と名乗り続けようと思っている。

例えば私が森山さんと結婚して相手の姓で入籍したのなら(←「入籍」なんていう言葉をこんな妄想話で初めて使うなんて悲しすぎる(T ^ T))、社会上は森山史子になる。←結婚したけれど、直太朗好き♡。

だけど、相手の姓ではなくて武士俣姓をそうしたスピリチュアルなことに関わる時に使えば、旦那さんとか家族は守れるかなと思ってる。

相手もそういう人ならいいけれど、仮に一般人の方なら尚のこと相手のことは守らないといけないと思ってる。

それはそれとして(←そんな未来本当に来るのか?というそもそもの疑問もかなり残る)、とにかく本名を名乗り続けることは今後も変わらずにそうしようと思っている。

Aさんとお会いしたことで、無心に純粋に誠実に対応することの大切さを教えてもらえた。

内容は何であれ、絶対に大事なのは「人」としての部分だということを。

そしてこの気付きは、今回だけじゃなくて私がこうしたスピリチュアルな世界に関わる限り、生きている限り、何をしていようと絶対に大切なんだと心から理解するきっかけになった。

もちろん、Aさんは私に直接そんなことを口に出して教えてはないけれども、Aさんとの時間を過ごしてそれを何よりも感じた。



Aさんと時間を過ごしている間、Oさんがおじいちゃんから通訳してくれた話が何度も頭をよぎった。

たしかそれは、Oさんとおじいちゃんと2回やりとりした後、Oさんが下ろしたおじいちゃんの情報の一部をAさんに合っているかどうかを確認して、そこで全て間違えてると知って、その後Oさんと再度、私がご家族に説明するためにまた色々と打ち合わせた時のことだった。

その時私はOさんと電話で話す前に、20個の質問を用意していた。

その1つが、おじいちゃんが自分の意思や存在を伝えてくれそうな人をピンポイントで選んでいるかどうかだった。

霊視ができるOさんはともかくとして、霊視はできない、ペンジュラムは間違うという私がこの件に関わるそもそもに疑問を抱いた。

私よりきちんとやれる人、能力的に優秀な人なんかいくらでもいるじゃんと思った。

たしかに多少の知識は一般の人たちに比べたらあるけれども、あるのはそれぐらいなもので、私じゃなくていいじゃんと本気で思ってた。

今当時の音声を聞いて、私のぶっちゃけた本音がわかった(  ̄Д ̄;)~~~~。

音声の中で喋ってる私は、Oさんに質問した後続けて「誰でも良かったと言われたらガックリなんでね、できれば選民意識じゃないけれど、こちらも選ばれてこのことをやるんだという方が気持ちよくやれるんでね」と言っていた。

私の本音は置いといて、Oさんはその後おじいちゃんに聞きながらこのように教えてくれた。

「(おじいちゃんが僕たちを選んだのは)家族が受け入れられるかどうか、だったみたいですよ」

あぁ…となった。

誰でも良かったわけではなく、能力云々とかよりもおじいちゃんが何よりも大切にしていたのは、家族だった。

残された家族たちが受け入れられる人…。

だから私で、そしてOさんなんだとわかった。

Oさんは私以上にストイックでスピリチュアリズムに関して厳格で、そして一般常識に照らし合わせてお客さん対応はじめ自分のヒーリングサービスを提供している。

最近もOさんを他の人に紹介したけれども、その方から「本当に丁寧な方」と称賛しきりの言葉をいただいた。

だから、おじいちゃんは家族も受け入れられる、見た目には普通の人、なんなら地味な人(←私)、おかしなことも言わないそういう人たちを選んだとわかった。

Aさんと話してる間中、それは何度か感じた。

あのおじいちゃんの霊が出てきたなどという超絶怪しい話を、私は淡々とあったままの話をした。

話も盛らないし(←盛り方も知らない)、とにかくあったことを私が理解したまま伝えるしかなかった。

話し始める前に「すごい怪しいので、全部信じてくださいなんて言わないです。Aさんが聞いてAさんやご家族の方でどう捉えるかは判断してください」と言った。

自分はどう思われてもいいから、とにかくおじいちゃんとご家族とOさんとが繋がればいい、それだけだった。

Aさんは、私だから話を普通に聞いてくれてるんだというのは最初から最後まで感じていた。

そう、おじいちゃんの言った通りだった。

家族が受け入れられる人、それが何よりもおじいちゃんが大事にしていることだった。

言葉を変えると、おじいちゃんにとって一番大切なのは家族だということ。

その辺りは、ご家族宛てに書いた手書きの手紙でも触れた。

せめておじいちゃんのその想いだけは何かしらの形で伝えたいと思ったから。



もう1つ、Aさんと話していて、終わってから気付いたことがあった。

私が今回Aさんと話すために、私の過去の体験があったということ。

まさかこんなところで超役立つとは思わなかった。

過去にやった仕事の中で、学習塾の保護者懇談があった。

今どきは、学校と同じで、塾でも個別懇談を取り入れているところが多い。

私が勤めたところももれなくそうで、年間5回、1人当たり最低30分、長い保護者だと2時間とか話してた。

単純計算で、年間200回、2年で400回はした。

退会とか緊急の懇談なんかもあったから、実際はそれ以上だと思う。

で、学習塾の個別懇談だからさぞかし勉強や学校の話を中心にするのかと思っていたけれど、それが全く違っていた。

少なくとも、私は研修時代に見せてもらった数々の懇談で特殊なケースは1件のみ、あとは普通の形式的な懇談ばかりでそんなものかと思っていた。

私にとって、その特殊なケースを早い段階で見せてもらえたことはとても大きかった。

私はその時の懇談の様子を今でもとてもよく覚えている。

それは私も1回はすでに一通り初めての懇談をした後で、その日は自分の担当教室ではないところに研修か手伝いかで行った日で、史上最強にすごい懇談だった。

私の女の先輩が担当して、私は見えないところにいてその話を耳だけでひたすら聞いていた。

中3の子と両親と先輩だった。

なんと学校の手違いで、その子は公立二次は受けれなかった上、本来すべり止めで受ける私立も全滅だった。
(これは私の本当に個人的な見解だけど、学校の内申の書き方が悪すぎてすべり止めは落とされたと思う。なぜなら私が見てきた受験生100人以上はいたと思うけれど、どんな子でもすべり止めは1つは受かっていたし、オール1の子たち[+態度に問題あり]でも何とかなっていたから)

名古屋は都市だけあって、学校の種類もたくさんあるし、基本的に高校浪人なんて有り得ない。

みんなどこかしらには入る。

そんな中、その受験生の子は私立全滅、公立一次不合格、そしてなんと公立二次が願書を中学校に提出したのに学校側が高校に提出するのを忘れて、それでその子は公立二次が受けれないことになってしまった。

そんなの県の条例だから、いくら中学校に非があっても、個人の例外は認められない。

それでその子は、そんな意味不明な理由で行く学校がなくなってしまった。

教師の質とか学校の有り得ない手落ちとか倫理観とか問い質したらいくらでも言いたいことはたくさんあっても、その時大事だったのは、そんな形で本当に行き場がなくなってしまったその子どもの行く末をどうするかだった。

家族3人で来た時は、全員が本当にお葬式みたいな顔をしてた。

そんな風だったから、学校は頼れないも同然だった。

そこで3人は、よくその子のことも知っているし、お母さん側は少なくとも懇談で何回か顔を合わせてる先輩を指名して、懇談したいとなったようだった。(先輩もそこは自分の担当教室ではなかった)

先輩は一通り話を聞いた後、ある1つの進路を3人に提案した。

本当にイレギュラーな進路ではあったけれども、先輩はこんな風に伝えていた。

「長い目で見たら、普通の高校に行くよりもこういうところに進む方が仕事の可能性も広がるし、少なくとも一生モノの資格も取れますよね。そしてこの子は◯◯という強みもある子だから、その分野にとても合ってると思うんです。
本当に今回は絶対にあってはいけないことが起こってしまって私も信じられない気持ちや怒りでいっぱいですが、とにかく大切なのはこれからこの子がどう生きていくかなので、その視点から見るとこうした進路もありだし、そして何よりも本人にとって可能性を開くものだと思います」

先輩は、この不幸すぎる出来事に注目するのではなく、その子に可能性をはっきりと示して、そして1つの提案をしていた。

15歳の子どもの人生を大きく左右する、そういう懇談だった。

懇談の終わりに私も顔を出したけれども、その子のスッキリとした顔と家族全員明るい表情で帰っていかれたのを見た。

ちなみに私もその子はすごく好きな子で、たしかに外見とか授業をサボるとかそういうのはあっても、気持ちはめちゃくちゃやさしくて絶対に人には迷惑をかける子ではなかった。

そして、やるべきことをやる子でもあった。

見た目が派手なだけだった。

学校での姿は知らないけれども、学校がその子のそうした姿を見出せなくてさらには進路がなくなってしまうほどの対応しかできなかったのは、本気で学校関係者の人間としての質を私は疑う。

その子はその後無事にその先輩が提案した進路の方に進んだようだった。

という懇談を私は早い段階で見せてもらえたこともあって、もはや懇談とは名ばかりで内実は全く別物だと理解した。

その後自分が担当した個別懇談も本気でバラエティにぶっ飛んでいたけれども、何とか奇跡的に対応できてた。

一例として言うなら、離婚の報告、子どもの発達障害の診断が下ったことの報告・相談、子どもの軽犯罪、裁判所を通してまでも子どもの名前の改名をせざるを得なくなった状況、遺産問題の裁判、嫁姑的な家庭内の問題、学校側の不正にあたるような対応というような、「えっ?((((;゚Д゚)))))))、ここは学習塾の懇談だよね?」というような話がバンバンやってきてた。

しかもその場で待ったなしで突然目の前で言われるから、言われたら最後何かしらの反応はしないといけない。

いつだったかは、私立中受験の子どもの両親と懇談して(←しかも私は手伝い教室でその子は週に1回多くても2回しか見ていない)、お父さんからものすごい勢いで理詰めの質問ばかり畳み掛けられてぶっ倒れるかと思った。

「我が子の今のレベルとそれに対応したカリキュラムがどうで、今後はどこを強化していくのか各教科ごとに具体的に教えて下さい。それを家庭内でも共有して、家の中でも勉強しますから」という感じに始まり←もうこの時点で頭フリーズ。

その後も「算数の◯◯はどういうところが具体的に苦手なんですか?これを強化するためにはどの教材でどの部分を重点的にしたらいいですか?どういう方法で苦手を克服できますか?」とかいうようなものが数えきれないぐらいに続いた( ̄ཀ ̄;;)。

ちなみに最後は、
「申し訳ありません。本日本教室担当の◯◯ではなく私が担当したばかりに準備が不足していて申し訳ございませんでした。時間に限りがあって一旦ここで懇談の方を終了しなければいけなくなりましたので、今日ご質問いただいた件に関しましては、◯◯に伝えて私たち2人の方から再度資料の方をお渡ししますので、そちらをお待ちいただけないでしょうか?そしてそちらに目を通していただいて、またご不明な点がございましたら再度懇談の日を設定させていただければと思いますがいかがでしょう?
あとこちら側の都合で大変申し訳ないのですが、ただ今他の生徒さんの保護者の方たちとも懇談をしている最中ですので、資料が今日の明日というわけにはいかないので、1週間ほどお時間いただきたいのですが。重ね重ね申し訳ありません」
という具合に言ってその場を乗り切った。

そういえば、その後上司にその始終を報告したら「それ◯◯じゃ対応できんかったね!ぶっしーじゃなきゃその対応できなかったから、本当にぶっしーで良かった!」と言われたんだった。

直近ではないけれども、最後の職場でも、みんながたまたまいなくて私が来客対応した時があった。

玄関に行くと、町内会の担当者の方で、町内会費がうちの会社だけまだ支払われてないという催促のための訪問だった。

ペコペコと頭を下げ、後で担当者より対応しますと言って終わった。

何せそういう対応に元々慣れていたから(だって上の一生に一度しかないような数々の対応の経験値が半端なくある)、たしかにネチネチ言われたけれども私は痛くも痒くもなくて、とりあえず非を詫びて丁寧に対応した。

後から淡々と事務さんに事の顛末を伝えて、事務さんから上の人に報告された時、本当に私が言ったままの言葉が報告されてビックリした。

間違えてはないけれども、相手の方が直接持ってきてもらってもいいし、電話一本いただければ取りに伺うと言われた、とは確かに私は言った。

そうしたら、電話しそうな勢いだった。

やばっ( ̄ཀ ̄;;)と思って、私は昼休みに事務さんを捕まえて、相手の人は確かにどちらでもいいとは言ったけれども、とてもじゃないけれども私だったらあのネチネチしてた様子を見てたらうちに取りに来て下さいなんて言えないから、うちから持って行かないとダメだと思います、ともっと説明した。

私が直で言えないのがいちいち面倒くさかったけれども(←会社の体質)、だけど私の手落ちでこの会社の印象が悪くなるのも困ると思って、それでもう一度念押しした。

事務さんがまたもっときちんと言ってくれたから多分大丈夫だったと思うけれども、そうした対応をたくさん積み重ねていた。

そのおかげで、Aさんとの会合は何とかいけた。

Aさんが何を私に聞いてくるのかは未知数すぎたから、来たもの勝負だった。

例えば質問の一例。

「何でうちの人、史子さんのこと知らないのに“ふみこ”って名前がわかったんですか?」

ごもっともな質問だった。

答えは長いから割愛するけれど、私の知ってることを1つ1つ説明した。

そして、Aさん側の話も同然その場でAさんが口を開かない限り私は知らないことばかりで、それを聞きながら自分が説明しなきゃいけない最小限の話もきちんと入れていく、というはっきり言って神業的な対話を組み立てていた。

自分でも自分が天才かと思った( ̄∀ ̄)。

それぐらい、際どい話やすごい配慮の要る話が満載過ぎて、これは私の今までの数々の(修羅場的な)体験がないと対応できなかったなと思った。

そして、資料もたくさん作っていって正解で、とてもその限られた時間じゃ全てをくまなく説明するなんてできなかった。

資料を作ろうと思った私の感覚に、その先を見通す力に、心底感謝した(笑)。



長いけれど、次の話がAさんに会っていた時に気付かされたことの中では最後になる。

この世の仕組みやスピチュアルな勉強の中で知り得たことの1つに、
「時間は過去から未来に向かって流れているのではなく、未来から過去に向かって流れている」
というものがある。

おかしな理論に聞こえるとは思うけれども、私はこの理論だけはなぜかスピリチュアルな勉強を始めた最初から何の根拠もなく「そんな気がする」と思った。

ここ数年、そこだけはなぜかブレずにそう思っていた。

ただ、自分の中で「やっぱり!」となる具体的体験がなくて、そうだと思っても体感覚的にはわからなかった。

もしかしたらあったのかも知れないけれど、そうだと確信できるほどのインパクトも印象もなく過ぎ去っていった可能性もある。

いずれにしても、未来から過去に時間が流れている、ということを信じながらも、そうだと思える根拠となる体験がずっとなかった。

今回のやりとりで、ここの部分がものすごく腑に落ちたエピソードが2つあった。

1つ目は、去年の9月の終わりに、私のiPhoneの画面が割れた時のこと。

おじいちゃんとの対話の中で、やっぱりおじいちゃんから来ていたメッセージだとわかった。(Oさんの通訳によると、あの瞬間おじいちゃんが私と繋がって、iPhoneの画面が割れるということがおじいちゃんによって引き起こされたらしい)

本当の本当に割れる瞬間のところがとても変だったことと、そして画面が割れた以外に中身もデータも何も異常はなくて、そこがとにかく「何でそういう壊れ方をしたんだろう?」というのがずっと引っかかっていた。

現実的に何も困らなかったところを見て、携帯が変わったことはもっと別の意味があるんだろうということはずっと頭の片隅にあった。

それが結局今回のやりとりにより、本当の意味が判明して、それが今現在に至るまでの色んなストーリーを生んでいる。

未来(2019年1月)から過去(2018年9月)に向かって時間が流れていたとするなら、今起こっている全てのことのために携帯の画面が割れたと考える方が全て納得できる。

例えばあれが、過去(携帯が割れる前)から未来(携帯が割れた後)と考えたら、今言ったような意味が消失する。

過去から未来だと、単に私が手を滑らせて、結果携帯の画面が割れた、という原因結果の法則になる。

たしかにその通りではあるけれど、それだけではその後ろに隠されたストーリーが全く見えてこない。

でも、未来に違う意図がきちんと用意されていて、その意図に沿ってあの携帯が割れたとするなら、それはもう単純な原因結果の法則ではなく、もっと壮大なスケールのストーリーがその裏側では展開している。

今回の私の場合は、まさに裏側を一通り自分の日々の中で見てきたわけで、過去から未来ではなく、未来から過去に時間が流れていると思う方が自然だなと感じる。

Aさんにはその携帯の話もして、実際に実物も持参して見てもらった。

Aさんも不思議な顔をしていたけれども、おじいちゃんが行方不明になった日時と私の携帯が割れた日時が見事に一致していたことから、「本当にそういうこともあるんだね〜」みたいな返事をされてた。

もう1つ、未来から過去に向かって時間が流れていると感じたエピソード。

Oさんが霊視した中で、おじいちゃんが言っていた家族向けのメッセージが1つあった。

もちろんその時はその深い意味がわからなかった。

何でそういう伝え方なのか、どういう意味なのか、それは本当に伝えられるべき人たちに向けられたものなのか、全くわからなかった。

そして、Oさんと色々検証・相談した結果、本当に現実的に必要だと思われるところだけをまずは抽出して、その部分だけをご家族に最初は伝えようということになった。

とても良いメッセージではあったけれども、何も事情を知らないのにそこだけ伝えると色んな誤解を生みそうで、それで現段階ではやめて、Oさんが実際にご家族とやりとりしてる時の方がいいだろうということになった。

だから、Aさんにはその日はおじいちゃんのメッセージは言わなかった。

だけど、そのメッセージが、どうしておじいちゃんの口から出てきたのかAさんの話を聞いて全部繋がった。

ここで過去と未来の時間軸が壊れた。

時空間を自由に行き来する魂とは違って、どうしてもこの世に生きていると時間も空間も制限がある。

今回、おじいちゃんがOさんと私のやりとりしている最中に出てきたことで、時空間の枠がグニャっと歪んだ感じになった。

おじいちゃんから伝えられた言葉は、まさに未来からやってきた言葉だった。

私のイメージではこんな風だった。

未来のある地点からメッセージが先に来る。

だからメッセージは存在していても、それがまだ実際には届けられていない。

でも、それは未来のいつか届くことになる。

そして、今もまだそのメッセージは届いていないけれど、いつかご家族の元に届くと思う。



私の過去の体験たちもそうで、それがあったから今対応できたと考えるよりも、例えば私が2019年の年明けにAさんにおじいちゃんの魂と繋がったことを伝えることが先に決まっていて、そのために必要な体験が2010〜2012年に用意されていた、と考える方が自然に感じる。

だって当時の私からしたら、未来の自分がこんなことしてるなんて微塵も思ってないわけで、そしてまさかその時イヤイヤやっていた個別懇談がそんな先の未来で大活躍するなんて当然知らない。

でもここに至るには、過去の体験たちは基本的にみんな必要になる。

しかも私のこの脈絡のない経験たちは、一般社会からは全く理解されないけれども、今このおじいちゃんとのやりとりやご家族とのやりとりを考えると、全部必要になる。

どれも欠けちゃいけないし、未来にこうしたマニアックな事柄に対応するためならこの上ない体験を私は山ほど積み上げていた。

そう、過去から未来に時間は流れてなくて、未来から過去に流れている。

未来はどの程度かは知らないけれども、決まっていて、それのために必要な体験が未来から過去に向かって与えられている、そんな風に私の目には映る。

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