2019年2月13日水曜日

奇跡の果実(13) 1ヶ月早い誕生日プレゼント

一晩私と共にした「Fairy Tale Lenormand」カード。

名古屋の頃からお世話になっているSさんから、1ヶ月早い誕生日プレゼントとしてもらったもの。

カードの出会いにまつわる話の続き。
(『奇跡の果実▷ウラ話⑧ルノルマンカードとの出会い』の続編)

あるカードリーディングをされる方の動画にどハマりして(20時間以上見ている(o´艸`))、それを見て私もルノルマンカードが欲しくなった。

実はルノルマンカードは、すごい難しいカードだとネットで調べていくうちに知った。

占い方に色々決まりめいたものもあるし、それぞれのカードが表す意味を覚えてそれを組み合わせるようだった。

その動画の方の使い方がかなり特殊なのはわかった。

でもあの方は基礎もしっかりしているからあんな風に応用発展的にも使えると感じて、基礎がない私が本当に読めるのかなとすごい不安になった。

本当に私はそのカードを自分の元に迎える必要があるのかな?どうかな?と迷いも出てきた。

そう思ってた矢先、Sさんと日曜日の夜(2/10)に電話をした。

話は全く別の用事だったけれども、Sさんは家にいると言っていたから、一通りの用事がお互い話し終わった後、私は「今ペンジュラム持っています?」と聞いた。

1つ聞いて欲しいことがありますと言って、Sさんからペンジュラムがどう反応するかを見てもらった。

ちなみに私がここで買うのをためらったのにはもう1つ別の理由がある。

お金だった。

それを買えと言わんばかりのピッタリの金額が財布には入っている。

でもそれを使うと、財布はすっからかんみたいになる。

入っているのは、あとは本当に一生モノの何かに代えるためのお金のみになる。

一生モノに代える方のお金は、例えば1年半前に私の名付け親からいただいた大切なものとか、4ヶ月程前におばを電車の駅まで送った時にもらったお小遣いとかで、それは本当の一生モノにしか使わない予定のものだから今は手を付けない。

そんなきんきんの状況下でカードを買うのはどう考えてもおかしな話で、早く働けよ!とかいうこれまた別の話は今は脇に置いて、とりあえずカードを買う買わないにだけ焦点を当てて考えてみた。

欲しいは欲しい。

そして欲しいよりもそのカードに関しては「必要」という感じがした。

ただ、いずれ買うにしても、こんな今みたいな状況で、「今」買うのが良いのかどうかがわからなかった。

今じゃなくていい気もした。

だから、私は自分の心の中で「今あるお金を使ってこのルノルマンカードを買います」という設定にして、あとはSさんにはペンジュラムでどう出るかを見てもらった。

Sさんは「ぶっしーちゃんの用意ができたら言ってね!見るから!」と言われた。

私はお願いしますと言って見てもらった。

少しの沈黙の後Sさんが口を開いた。

「ぶっしーちゃん、YES出ましたよ!」

私は何を聞いていたかや、そこに至るまでの顛末、そしてお金を理由に今買う買わないを迷っていたことも正直に話した。

で、最後に「私、【今】買う決心がつきました!」と言ったら、Sさんがこう言ってきた。

「ぶっしーちゃん、それ私にプレゼントさせて!1ヶ月早いけど、ぶっしーちゃんの誕生日プレゼントとして贈るから!」

「えっ( ゚д゚)???いいんですか???」

「もちろん!」

「私Sさんの誕生日は何もしてなかったですよ」

「そんなのはいいのよ!私にそれをプレゼントさせて!Amazonとかでしょ?」

「はい」

「ぶっしーちゃん、商品の名前と住所を電話の後に送って!そうしたら、送付先をぶっしーちゃんの住所にして注文するから」

そう言ってもらえた。

本気でビックリした。

実はこの後書くけれども、Sさんが昔私に言ってくれた言葉が今回のカードを買う決め手になっていた。

ルノルマンカードは、選ぶ際に女性なら女性カードを見て、それを自分の姿と重ね合わせてピンとくるかどうかで選ぶと、色々調べた時に知った。

その女性カードを選ぶ時の決め手になったのが、Sさんが私に昔言った言葉だった。

そして、そのSさんから私が自分のために選んだルノルマンカードをプレゼントしてもらえることになった。

今私の目の前にあるカードは、時間が経てば経つほど不思議なご縁や人の想いを色んな形で私の元へ運んで来てくれる。



ネットで女性の絵柄のカードをひたすら調べていた時、今の手元にあるFairy Tale Lenormandのルノルマンカードの見本を見た。

まずはみすぼらしい格好をした女の人のカードが出てきて、「何だこれ?」と思った。

基本的にどのルノルマンカードの女の人も高貴な感じだったり凛とした美しさだったり華やかな雰囲気を漂わせたりしている。

なのにこのルノルマンカードの女の人は、他とは全然違っていた。

悪いカードなのかとも思った。

それでよく拡大して見てみたら、それはシンデレラがモチーフになっていて、義母や義姉たちがシンデレラをいびっていた時の衣装で、それで服がボロボロだった。

だけどよく見てみると、そんなことはお構いなしにシンデレラは自分の手に鳥を1羽止めてその鳥を見て自分の時間や自分だけの空間を味わって楽しんでいるように見えた。

身に付けている服は他の綺麗な絵柄たちと比べたらたしかに一瞬ビックリはするけれど、それとは正反対に本人の表情には凛としたものが宿っている。

心は真っ直ぐなんだとわかった。

シンデレラの周りには他の鳥たちも集まっていて、それはボロとか見た目のことは関係なくて、ありのままの彼女を慕って来ている、その図も良かった。

その時にふと、何年か前にSさんが私に言われた言葉
「ボロは着てても心は錦!」
というものが脳裏にものすごくはっきりと浮かんだ。

あぁこれだ!となった。

そう、見た目は何でも良いけれど、何を着ていてもどこで何をしていても、自分は自分なんだというそれをずっと貫いたらいいんだと思った。

自分と重ね合わせたというよりも、自分がそうありたい、それがその絵の中の女性の姿だった。

そして、このルノルマンカードにはもう1組男女のペアのカードが入っていて、もう片方の女性はどこかの国の女王様という装いだった。

その方も凛としていて、ドレスも髪型も自分スタイルを貫いていて、そして真っ直ぐ前を向いている。

ドレスの柄やスタイルが、自分の好きなデザイン、自分の好きな色を選んでいる風で、女王様かどうかはわからないけれども、あまり見かけないオリジナルな感じになっている。

そうした点も私はすごく好きだと感じる。

そしてこのシンデレラとのギャップが良かった。

それはまさに私自身と私の人生のテーマに関するものになっている。

ホロスコープや星座に馴染みがない人にはわかりにくいかと思うけれども、私は太陽星座が魚座で月星座が獅子座、数秘だと4と22の両方を持っている。

魚座はボワッとしていて自分だけの独特の世界に漂いながら自由気ままに他人とも付き合う。

あと魚座はよく境界線を越える又はなくすと言われるけれど、たしかに他人と自分の線引きをあいまいにしてしまうところがある。

その一方で獅子座は、自分らしくあることを徹底的に追求し、そしてその自分らしい自分を世の中に打ち出していくことに並々ならぬ意欲を持っている。

獅子座は、自分と他人をはっきりと分け隔てようとする。

こんな相容れない2つの人格を自分1人の中に持っているわけで、常に自分は落ち着かない。

数秘もそうで、4は安定の数字と言われていて、テーブルなんかが4本足になると安定して土台がしっかりするように、とにかく安定志向が強い。

22は天才と馬鹿は紙一重と言われるぐらいに変人の数字で、どこかしらずば抜けていて、それが天才にもなれば馬鹿にもなるという、アウトロー的な破天荒な数字だったりする。

その2つを私は持っている。

だから私は二面性が強いし、両極端な部分が日常の色んな場面で出てくる。

そういう自分をその絵の中の2人の女性が見事に映し出してくれていて、それで「あ、これが私だし、私はその中の2人それぞれの良さを持てる女でありたい」とそう思った。

そしてSさんの名言
「ボロは着てても心は錦」
あれをいつでも思い出せる、自分がブレたりみじめになった時に凛と佇んでいられる、それを思い出させてくれる女性のカードになるのは間違いないと思った。



Sさんが注文したのが日曜の夜遅くなのに、翌日月曜祝日の14時半にはゆうパックで届いた。

この速さにも驚いた。

年末に年賀状のバイトをしたから、余計とその凄さがわかった。

24時間体制でどこかの誰かが真面目に仕事をしてくれてるおかげで、こんなにも速くカードが私の手元に届くことになった。

・オーダーを見て梱包してくれた人
・郵便局で仕分けをしてくれた人(←仕分けの過程が複数回に分かれて各地方の担当局へ運ばれていくと思う)
・大型トラックの配送の人
・その後の地元の大型集荷センターを通過してまたそこでも仕分けを担当してくれた人
・その後私が住んでる町の郵便局に運んでくれたドライバーの人
・そしてそこでもまた仕分けをしてくれた人
・そして我が家に配達してくれた郵便局の人

この人たち全員が1人も滞ることなく順調に事を運んでくれて、それで初めて荷物が私の元へ届くというのがよくわかる。

まさかそんなすぐに到着するとは思っていなかった私は、慌てて部屋を朝一度掃除したけれどまた掃除して整えた。

セージと呼ばれる乾燥ハーブを焚いて、部屋の中とペンジュラムを浄化した。

パジャマみたいな格好もやめて、服を着替えた。

顔をもう一度洗って、手もよく洗って、背筋真っ直ぐ姿勢を整えて、そしてとうとうAmazonの箱を開けた。

真空パック調のパッケージの上からも見えた、「御祝」と書かれた小さなのし紙が。

それだけでも感動した。

わざわざ「御祝」ののし紙付きをSさんは選んでくれたんだろうなぁと思った。

外側の透明フィルムを剥がして、次に中の紙袋を開けた。

ようやくご対面!

と思って紙袋から中身を取り出して、いきなり洗礼を受けた。

なんと、カードケースであるアルミの缶がパッと見ただけでも数ヶ所へこんでいた( ̄ཀ ̄;;)。

えっ“(°ω°;;)੭ꠥ⁾⁾“(°ω°;;)੭ꠥ⁾⁾“(°ω°;;)੭ꠥ⁾⁾“(°ω°;;)੭ꠥ⁾⁾

ちょっとじゃない、見た瞬間衝撃過ぎて、ショックを通り越して何だかよくわからない感覚になった。

缶も本当の本当に可愛くて大好きなのに、何でこんなに凹んでるの?って思ったけれど。

これ自分が注文したものなら絶対に交換を申し出るけれど。

でもよく考えた。

この状態で来ることが正解のカードで、そして私のところに運ばれて来たのがこれだった=このカードは私のところに来るのが正解だということ。

カードを探している際に、1つ面白い動画を見た。

例えば同じタイプのカードがあったとする。

Aさん、Bさん、Cさんとそれぞれ同じカードを購入したとする。

それでも、たとえ中身が同じでも、AさんのものとBさんのものとCさんのものとではそれぞれ性格もそれぞれの人のところへ行っている意味も全く違うとのこと。

その説明をしている動画がとても興味深い内容だった。

それを思い出して、そして私にはあえてこの缶が凹んだカードなんだと思った。

オルゴナイトと呼ばれる個人のお守りのようなものを代理で買いに行っていた時のことを思い出した。

いつだったか、3人の人に全く同じパワーストーンが入ったオルゴナイトが渡ることになった。

見た目は若干の違いはあっても、私が見てもエネルギー的に何が違うのかは全然わからなかった。

だけど、ペンジュラムで確認すると、それぞれの持ち主はきちんと決まっていて、例えば私がAさんの分とBさんの分を入れ替えようとするとペンジュラムはNOを出してきた。

見た目にはわからないけれど、物たちは自分の持ち主が誰かをきちんと知っていた良い例だった。

だから私の今回の凹んだケースのカードも私を選んでやってきた、そう思って見てみることにした。

絶対にこれが来なければいけない理由があるはずだと。

1つすぐにわかったのは、私でなければこのカードは返品されただろうこと。

私は今回Sさんからの誕生日プレゼントということもあったのと、そして箱が凹んでいても私はこのカードをいくらでも好きになって大切に使える自信があった。

せっかく縁あって私のところに来てくれたものだから、それを大切に使っていこう、すぐにそう思えた。

そして、実際に中を開けてもっと納得した。

ケースこそすごい凹み方、5箇所のへこみがあるけれど、中身は無事だった。

これだ!とわかった。

シンデレラをモチーフにした女性のカード、あれ見て「ボロは着てても心は錦」というあのSさんの名言通りの状態でやってきた。

きちんと意味が1つの線で繋がっている。

余計と大事にしようと決めた。



予習しておいた、初めてカードを自分のところに迎えた時にするカードとの対話を始めることにした。

その前にカード1枚1枚にごあいさつして、よろしくね!と思いながら1枚1枚の絵柄を眺めた。

絵は見れば見るほど好きで、これは「読める気がする!」と思った。

こんなこと必要ではないかもしれないけれど、知りたい人もいるかもだから、カードを初めて迎えた時にすることを5つ紹介。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1、シャッフルして自分の気になった位置のカードを1枚引いて、カードそのものの性格を見る。

ーー2以降も都度都度シャッフルするーー

2、なぜ自分のところに来てくれたのかを聞く

3、今カードの方から自分に一番伝えたいメッセージは何かを聞く

4、カードから見た持ち主の第一印象を聞く

5、4までを引いた時点で、残りのカードの中で一番下になってるカードを見て、全体を通してのメッセージを見る

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この5つのステップ、1は1回だけ見た人の動画から知った。

2〜5は、私が恋してます(♡´艸`)ぐらいの勢いでハマっている方の動画で知ったもの。

その方も初めて開封される時は必ず「セルフリーディング」と言って、行なっている。

たまに、凶の意味合いが強いカードが出ている時もあるけれど、そんなにたくさんは見たことはない。

ゼロではないけれど、2回ぐらい見たかな?という感じ。

という中で、人生で初めてカードお迎えの儀式をした私は、なんと1以外の4枚は凶、大凶、または本来[吉]な意味なのになぜか凶の意味まで絵の関係で入って来ているという、何この大凶祭り?と思った。
( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)

しかも、1は唯一カードの性格で、2〜5の大凶祭りの方は私個人に向けられている( ̄ཀ ̄;;)。

1枚ずつ見ていって、1枚見終わると次を開けるという具合だったのに、いきなり2枚目から最強の凶カードを引いて卒倒するかと思った。

しかも、後から詳しく書くけれど、ネットで画像や動画を見てカードの絵柄を確認した時も、実際に手元に来て1枚ずつにごあいさつしていた時も、1枚だけ、どーーーーーしても好きになれないどころか大嫌いな絵柄があって、それが2番目の、本当に気持ち悪いカードだった。

それが私個人に向けられた最初のメッセージで、私はへこみまくった( ´Д`;;)))。

テンションだだ下がりだった((((;゚Д゚)))))))。

1枚目のカードそのものの性格はすごく良い気分にさせてもらえるカードが来たから、余計と2枚目とのギャップが激しすぎて、それでしばらくはあまりのショックで呆然としてた。

「え?何でこれ来た?え?なんで?え?なんで?(エンドレス、え?なんで?…)」

ということで、ここから先は実際にカードを見てそこから私が読み解いたこと。



まず最初に、このカードの性格を教えてもらった。

「庭」を意味するカードで、木々の花も地面に咲く花も美しく咲き乱れ、その中に大男と子どもが4人、1人の子どもの手には蝶々まで止まっている。

「人との交流」と真っ先に出てきて、このカードを通じて色んな人たちと繋がったり交流したりするんだろうなぁと思った。

人と自然が一体になって、そこには実りとか喜びとか楽しみとかそういうものがあって、季節は春なのかなという雰囲気で、そういうものをお互いに共有している。

共有できる関係というのも大事で、最初このきれいな庭は大男が独り占めして誰も入れなかったらしい。

それがある時、1人の勇敢な子どもがその庭の中に侵入して、そこから大男と子どもたちとの交流が始まって、大男は人の大切さや周りの人たちが自分にもたらしてくれる色んなもの、やさしさとか一緒にいる喜びとかを学ぶようになる。

同時に大男は、自分自らも自分の心や自分が所有している素敵なものを周りに開いて分かち合うというプロセスも学んでいる、とガイドブックにはあった。

そうした性格・性質を帯びたカードと知って、すごく嬉しかった。

今回のカードの素晴らしいところは、英語のガイドブックのみがあること。

日本語のガイドブックはない。

英語を理解する時の私は、日本語を挟まないからすごい感覚的になる。

だから、日本語だと言葉を知っている分余計な考えも付着するけれど、英語の時はそれがなくて、すごい純粋な感性だけで読み解ける。

ここに来て初めて、TOEIC925点の実力がものすごく発揮されてるᕦ(ò_óˇ)ᕤ

TOEIC(トイック)は990点満点の世界共通の英語テストで、私は大学卒業してすぐにノー勉でいきなりそんなすごい数字を叩き出した!←数少ない自慢できて社会的にもドヤ顔できる能力( ̄∀ ̄)v

世界の全受験者の中でトップ3%(o´艸`)に入る英語力。

でも私はこの英語力を自分のために全く使うこともなく、そして英語アレルギー並みにもう英語に触りたくもなくて、人からお願いされない限り本当に使わずに来た。

ここに来て、その英語力が抜群に発揮されてる!♪(((o(*゚▽゚*)o)))♪

しかも、今回の英語は簡単な表現が多いおかげで、その中からキーワードも抜き出せるほどの腕前!

このルノルマンカードは、世界の寓話を元に作られているから、浦島太郎まで絵柄に登場する 笑。

だから、各カードの説明の中にそうした話のネタやその話にしかない教えも含まれていて、本当にすごく良いカードなのがわかる。

そして、興味ありありだから、そういう時の英語は全く苦にならないと初めて知った。



1枚目がすごく良くて、2枚目以降もこの時はすっごい楽しみだった。

意気揚々と2枚目の「どうして私のところに来てくれたのか」を聞くためにカードを引いた。

引いた瞬間、血の気が引いた。

「ねずみ」のカードだった。

しかも、浦島太郎が出てきたりして他のものはやたらとファンタジー調な絵なのに、このねずみのカードだけやたらとリアルで、それが余計と気持ち悪かった。

キッチンか食品庫みたいなところに、今見たら数えきれないほどのねずみが描かれている、超リアルに( ̄ཀ ̄;;)。

カードの大きさはタバコ1箱ぐらいの大きさだと思う。

その中に20匹ぐらいのねずみが描かれていて、もうしばらく気持ち悪いのとショックとで立ち直れないぐらいだった。

しかも、1枚目と違って、これは私に向けられてるメッセージで、何でよりにもよってこれなの?(T ^ T)と思った。

数分は呆然としていたと思うけれど、私は途中から切り替えて、何が何でもこのカードからポジティブな意味を拾うことにした。

これでネガティブ一色になったらもっとしんどいと思って、しかもこれから一生のお付き合いを想定してるものが気持ち悪いままなのは嫌だった。

もう全力で見た。

私が引っ張ってきた意味は以下の通り。

・ネガティブなところに大切なメッセージがある
・ねずみが来る=ねずみにとって良いものがある
→自分のところに良いものがある
→人に分け与えるほど自分が持っているから、それを分け与えなさい
→仮に食べられても、自分の大切なものは残るから大丈夫
・色んな人たちが来る(良い意味ももちろん含めて)
・人に利用されないように気をつける
(以下ガイドブックより)
・抜け目や割れ目
=ねずみには見えている=“ある”ということ
自分は認識してなくても、抜け目とか悪いものだけではなく良いものも含めて“ある”ということ
・困った状況になったらきちんと専門家に頼ること
・人を頼ったらそれに対してお金でも物でも対価をきちんと払うこと
・心配や不安を無視せずに適切に対処する

こうしたメッセージを送ってきてくれてるカードだった。

ちなみにカードはこんなに言葉ではおしゃべりしてなくて、あくまでも絵柄とガイドブックの小さなヒントたちをかき集めて、そこから自分なりに自由に発想して得たメッセージだった。

その後も、3枚目は童話の中では鉄板の悪役、悪役以外の役で見たことない【狼】とか。
((((;゚Д゚)))))))( ̄ཀ ̄;;)((((;゚Д゚)))))))( ̄ཀ ̄;;)

4枚目はずる賢くて人を騙すのが得意の【キツネ】。
((((;゚Д゚)))))))( ̄ཀ ̄;;)((((;゚Д゚)))))))( ̄ཀ ̄;;)

そして全体のメッセージ(5枚目)は、「困難」や「試練」を表す【山】((((;゚Д゚)))))))( ̄ཀ ̄;;)

もはや呪いかと思うレベルの大凶祭りが続いた。
( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)( ̄ཀ ̄;;)

ねずみ(悪役)→狼(悪役)→きつね(悪役)→山(困難)。

こんなにすごい大凶オンパレードなカードばかりが出まくるお迎えの儀式は、一度たりとも動画で見たことがない。

お迎えの儀式に限らず、普通のカードリーディングの時も見たことがない((((;゚Д゚)))))))。

異常さを感じながらも、私はそんなにもネガティブオンリーだけなのは嫌だったから、他のものも超必死で読み解いた。

英語も1つも単語を見落とさず、絵も隅々まで見て、とにかくプラスの意味を探しまくった。

冗談抜きで数時間その作業をして、ノートにも書きまくって、そして一通り読み解き終わった。

私が最後、全体として自分に来ているメッセージをこんな風に読み解いた。
(努力の結晶☆♡╰(*´︶`*)╯♡☆)

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物事の細部、人生の細部に宿っているメッセージに私が気付いていく、私に気付かせていくためにやってきてくれた。
そこには必ずメッセージがある。
そのメッセージを他の人たち、自分の大切な人たちと取り交わす。交換する。
それは良い悪いに関係なく。
そして私が良いと思って集めたものを、今度は私が周りの人たちに教えていく、広めていく。
困難や大きな障壁がやってきたとしても、そこを突破する道も用意されているし、知恵も道中にきちんとある。
そこを抜けたら、しあわせとか本当の自分の願いに気付いていく。
それらすべてのつながりの中にヒントや答えがある。
虹のような明るい扉を開ける鍵を持っているし、それは常にあるから大丈夫!
大事なのは、気付くこと!

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読み解いてしばらくした後に、ふっと浮かんできた。

これは、カードからのテストだったんじゃないか…ということ。

私が本当にきちんとカードを使いこなせるか、相手のために必死でそこからメッセージをキャッチすることができるか、自分が動揺してもそれでも目の前の人にきちんと伝えるべきことを伝えられるか。

それができなければ、このカードは私のところには来なかった、そう思った。

本当にこのカードを使いこなすには、常に冷静になって相手の最善のためにそこに含まれているメッセージをきちんと拾うことが求められている、そしてそれが私にできるかどうかを試されたんだと思った。

だから、こんなにも動揺しまくり、ショックで呆然として、すごい負の感情を味わう経験をあえて最初にしたんだと思った。

私が味わった感覚は、もし目の前の人にも出たのなら、その人も陥るだろう気持ちと一緒なんだと思った。

それを私もいきなり最初の出発で味わったわけで、でもそこからあれだけ明るいメッセージを引っ張ってこれたわけで(←執念で)、それが私に向けられたテストなんだと思った。

ちなみに、「山」のカードをずらして、「山を越えたらどうなるのかな?」と見たら、幸せの象徴「クローバー」のカードが出てきた。

ねずみ・狼・きつねの悪党トリオの先に控えていたのは「鍵」=「大切なヒント」が隠されていることがわかった。

こんな風に私はいくらでも明るい側面を引っ張ってくる力はある。

これはあまりにも大変だった局面を人生の中で何度も越えてきた私に与えられた才能の1つだと思う。



もう1つすごい偶然があったんだった。

私の第一印象を表す3枚目がきつねだった( ̄∀ ̄)

そのきつねの絵柄に、山で行方不明になったおじいちゃんを表すモチーフが1つ入っていた。

それはめちゃくちゃ嬉しかった。

私はあのおじいちゃんにこうした形で出会わなければ、今手元にあるカードさえも手にしてなかったと思う。

そして、きつねのカードがこれから何百人、何千人の人たちの前で出てきたとしても、そこから私が「おじいちゃん!」と思ったメッセージは絶対に導き出せない。

そのメッセージは生涯でただ1人、私にだけ贈られたメッセージなんだと知った。

そうやって良いところを見つけ出すと、どのカードたちにも確実に明るい側面があることがわかる。

良いことなんて何もないと思って見るか、何か良いメッセージがあるかもと思って見るかで全く違う景色が眼下に広がるというのも今回味わった。

そして、どんなに絶望的でも、暗く塞ぎ込むしかない時でも、そこには同時に希望がある。

同じカードの中からいかに希望の種を見つけられるか、いかにそこに隠されている大切なメッセージに気付けるか、そうしたことが大事なんだと、今回大凶祭りの洗礼を受けた私は自分の身をもって学んだ。



1ヶ月早い誕生日プレゼントが届いた翌朝、枕元にルノルマンカードを携えて起きた。

何とか体を寒い布団の外に出して、「ボロは着てても心は錦」のSさんの言葉の前後のストーリーを知りたい!と思って、画面がズタボロな1つ前のiPhoneを開いた。

その言葉が来た時のLINEでのやりとりを探しまくった。

検索したら、出てきた。



「誰も皆、止まっているように感じるときもある。
でも流れるように流れてるんだと、私は思ってる。
それすらも、進んでいる証拠!

大丈夫だよ!
ぶっしーちゃんの人生だ♪
今の点は、やがて線になるんだから!

しくじり先生あっちゃん…(=中田敦彦)
誰だってしくじるでしょう!
しくじらない人なんているわけないでしょう!

そうだよね〜
しくじるからこそ、道が定まっていくんだと私は思う♪
私が言っても重みはないかもですが、
私だからより深く感じてる言葉でもありました。

大丈夫だよ!
本当に大丈夫だよ!

この私が言うんだから!
根無し草の、私がいます!
その日暮らし!

ボロは着てても心は錦✌︎
こういう人生も、それはそれで良いのかもよ!(๑>◡<๑)」



ちなみに、その前に書いた私の文はこうだった。


「Sさん昨日はとっても素敵な時間をありがとうございました(^-^)

気持ち的にとても辛くて悲しい時に時間を作っていただけたことが本当に嬉しかったです(^-^)
しかもカラーのお花のプレゼント、手作りケーキ、美味しい大福←言い忘れましたが私の大好きな食感の大福でした!、Sさんのそのお気遣いが本当に嬉しくて素晴らしい誕生日となりました。
Sさん本当にありがとうございました(^-^)」


「Aくんとの話し合いはどんな風になったのかなと思いつつ、何が起こっても進んでいく流れていく人生そのものに、昨日はSさんの話を通してたくさんハッとさせられました。

Kちゃんの小さな気がかりにはたくさんの感動をもらいました。
大人でもそこまできちんと気遣える人が少ない中で、Kちゃんのその心は本当に優しくて人の心を温めるものですね(^-^)

メッセージもしかと夜に読ませていただきました。
お天道様が見ている、
それを心に刻みました!
そしてSさんが口にした、トキメキ、それがものすごく良いヒントになりました。
1日の中でひとつトキメキを持つ、それを毎日見つける意図を持って毎日を眺めようと昨日の夜に決めました。
昨日のトキメキは、あのいただいたお花。
心のリハビリしつつ、また今日も生きてきます(苦笑の絵文字)

Sさん本当にありがとうございました(^-^)」

2016年3月12日



読みながら私は涙が止まらなかった。

その日に何があって、Sさんがどんな想いで「ボロは着てても心は錦」という言葉を口にしていたのか、そういうこと全部に想いを馳せたら、涙はいくらでも出てきた。



上のメッセージをもらった前の日は私の37歳の誕生日だった。

職場で意味不明な嫌がらせや実務レベルで支障が出るものすごい悪意のある大人がやるとは思えない意地悪、そうしたものが続いて私は契約を更新せずに誕生日前の2月末に派遣の仕事を辞めた。

当時の私は、一部自己負担の本の出版の契約と食べていくための仕事の二足のわらじを履いていた。

だから本当は仕事を辞められなかった。

だけど、あまりの凶悪な環境にそこで働き続けるのは私が無理で、そして社会人になって初めて「人間関係」を理由に仕事を辞めた。

すぐにまた新しい仕事を始めないと食べていけなかった当時の私は、すぐに次を探したけれど、意味不明な不採用を喰らい始めて、色々焦るし先々はやらなきゃいけないと思っていることばかりで不安に押し潰されそうになっていた。

ちなみに本は出版せずに今に至り、その約2ヶ月後完全に経済が行き詰まって親を頼って新潟に戻る決心をすることになった。
(この時、不採用が10社以上続いた)

私はそんな時で、Sさんはもっと大変な時期にいた。

Sさんは何年か前に携わった事業で、完全なる被害者にも関わらず、濡れ衣を着せられて裁判沙汰に巻き込まれていた。

そして、私の37歳の誕生日当日、Sさんは警察署内で朝からぶっ通しで取り調べを受けていた。

朝早くから始まって、ぶっ通しで5時間だったか6時間ひたすら取り調べを受けていた、と後から教えてもらった。

休憩を取るかどうかも聞かれたけれど、一刻も早く終わらせてしまいたかったのと、終わらせてぶっしーちゃんのところに駆け付けたかったとも言われて、本当の本当にその気持ちがとても嬉しかった。

Sさんは私に「名古屋の方で用事があるから、それが終わったら連絡入れてぶっしーちゃんのところ寄るね(^o^)」と、たしかいつもと変わらない感じで事前に連絡が入っただけだった。

まさか警察で取り調べを受けてるなんて予想だにせず、のんきに私は家で待っていた。

裁判の件はずっと知っていたけれども、まさか警察で直接取り調べを受けるほどの事態になっているなんて思いもよらなかった。

今回、Sさんに当時の状況をブログに書いていいかどうかを聞いた時、Sさんは快諾してくれ、そしてこんな風に返信が来た。


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因みにその時の私の心の声

「あぁこうやって冤罪が出来上がっていくんだな.,」

です。


とことん、追い詰められ、
思考ゼロの私が思ったよ。


諦めと、終わらせたい
という気持ちになるんだよね。

だから、

とことん戦ってまで自己主張できる人って本当に強いと思ったよ。


諦めが大きかったね。
終わらせたい
もう責めないで、
もういい
もうやめて

って感じだったよ


あの時が、精神的には
1番辛かったかな、、

でも、仕事しなくちゃいけなかったしね。

自分を苦しめる責任感なら持たない方が良いとも思った。

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あの日、Sさんはカラーという背の高い白いお花と手作りケーキと大福を手に持って、「ぶっしーちゃん、お誕生日おめでとう!」と言って私の前に現れた。

当時の私はどう反応したのかは忘れたけれど、私の中でも忘れられない誕生日になったことは間違いなかった。

3年経った今、当時の状況がありありと浮かんできた。

Sさんは、次の日に警察で取り調べがあると知っていた上で、どんな気持ちで私にケーキを焼いてくれていたのかな…とか。

Sさんは、どんな気持ちで花屋のショーケースの前に立って、私にプレゼントするための花を選んでくれてたのかな、と。

Sさんは「カラー」は自分が一番好きな花だと言っていた。

今花言葉を調べたら、「乙女のしとやかさ」「清浄」と出た。

花は真っ直ぐ上を向いて凛としていた。

「あの時が精神的に一番辛かったかな…」

Sさんの言葉が響く。

私には想像することしかできないけれど、自分が犯してもいない罪に問われ、取り調べを受ける。

外側から投入される精神的な傷の大きさは計り知れない。

Sさんはその事業の関係者でしかなかった。

罪を犯した人は全く別の人で、Sさんは身に覚えもない罪に問われていた。

どんなに身の潔白を訴えてもそうやって法律は一人歩きして、そして全くの無罪の人が元々の事業上でも被害者のところ、さらに法の上でも被害者に仕立て上げられる。

個人の努力やがんばりでどうにかできるレベルをとっくに越えていて、外側から来るものはひたすら傷と痛みばかりだった。

財産も全部手放さなければいけないことになり、Sさんが自力で購入したお気に入りのマンションを手放し、他にもたくさんのものを手放し、いくつか住まいを転々とした後公営団地に住み、本当に落ちるところまで落ちたその渦中を私もずっと横で見ていた。
(今は引越しされて、素敵なおうちに住んでおられる)

Sさんのそのお気に入りのマンションで私は人生で初めてペンジュラムを見せてもらった。

あの時にすごく惹かれて、なんだかよく知らないけれど惹かれて仕方なかった。

それが私に自分にできることを思い出させてくれる初めての場所だった。

マンションの前は大きな県道か国道だったけれども、そこで人の痛みの話を聞いていたその時に、なんとタンポポの綿毛が部屋の中に舞い込んできた。

どうやって綿毛が2階にまで飛んできて部屋の中にまで入ってきたのかはわからない。

だけど、それは「奇跡」を表すサインで、私たちそこにいた全員をとても喜ばせた。

後で調べたら、タンポポの綿毛は「神のお告げ」という意味だった。

そういうところから始まり、団地住まいになって、3年前のSさんははたから見たら「落ちた」のかもしれない。

でもSさんはどんな時も真っ直ぐ前を向いて、そして下しか向けないような気持ちになって塞ぎ込んで世の中が全部敵に見えるような状況下になっても、私の誕生日をお祝いしようとこれ以上ない時間と気持ちとお金をかけて、そのようなお祝いの場を設けてくれた。

その直後にもらった言葉が「ボロは着てても心は錦」だったんだと今、2019年の2月になった今、1枚のカードが私の手元に届いたことで思い出すことができた。


「誰も皆、止まっているように感じるときもある。
でも流れるように流れてるんだと、私は思ってる。
それすらも、進んでいる証拠!

大丈夫だよ!
ぶっしーちゃんの人生だ♪
今の点は、やがて線になるんだから!」


そう、あの日の点が、今2019年のところにまで繋がっている。

そして、当時、全く進まないどころか後退しているのかと思うぐらいに私の人生もより一層おかしな方向に動いていくわけだけど、きちんときちんと進んでいた。

Sさんが言ってくれたように進んでいた。

その2ヶ月後、私は自分のペンジュラムに出逢い、新潟に帰って、大切な人に出逢わせてもらい、私の感覚が徐々に開いて、あれよあれよという間に今度はペンジュラムでの人の捜索を頼まれ、その行方不明のおじいちゃんの魂と繋がり、この『奇跡の果実』シリーズが私の手で描かれ、そして今それら全てを集約するようにシンデレラをモチーフにした女性カードをはじめとするルノルマンカードが届いた。

私はこの根底に流れているものが何かわかる。

それを感じるから涙がボロボロ出てくるんだと思う。

「愛」

Sさんは愛を手作りケーキや花や大福という形に変えて、そして自分の命の時間をあの強烈な時間の後に私のために分け与えてくれた。

そしてあの時の行為が3年後の私に手向けられて、1ヶ月早い誕生日プレゼントとしてまた新たな命が繋がれた。

すべてのものは愛という名のハーモニーに乗っている。

あの時の点たちが今という時に向かって線になった。

私の目の前に現れたルノルマンカードは、単なるカードじゃなかった。

愛の結晶だと感じる。

色んな人たちの色んな想いが見える形となって現れたのが、40歳の私の誕生日に向けて一足早く現れたルノルマンカードのプレゼントだと思う。

そしてそのカードは、3年前の私の誕生日の翌日にSさんの口から放たれた
「ボロを着てても心は錦」
これが愛の旋律となって、今3年後の未来に運ばれてきた。

今年の誕生日プレゼントは、3年前にプレゼントの種が植えられていて、今、花が咲いた。

私はこのルノルマンカードを一生大切に使っていくし、そして「庭」のカードが最初教えてくれたように、これを色んな人たちと共有していけたらいいなぁと思っている。

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