2019年2月16日土曜日

奇跡の果実▷ウラ話⑨自分のために勇気を出してみる

〜はじめに〜
>>>2月16日 土曜日の朝

今現在、『(14)愛のプレゼント』までアップされている。

アップした後、15日の話に繋がっていく。

ここに書いたことは、アップするかどうか正直迷った。

すごく個人的なことだし、けっこう際どい線の話だから、アップしなくてもいいんじゃないかと思った。

でも、初心貫徹じゃないけれど、この『奇跡の果実』シリーズを始める前、妹を駅まで送った日の帰り道に「細部に注目する」というカードのメッセージを見て、細部もきちんと書こう!と決めた決意を大事にすることにした。
(参照:『奇跡の果実①プロローグ』←リンク飛びません)

今回の話も『奇跡の果実』の一部で大事なパートを担っているのはわかっているから、あえてアップしようと決めた。

今は疲れ切って頭も働かずよくわからないけれど、多分今回のことはまた別のメッセージとなって私に何かを伝えに来てくれると思う。

メッセージをまたキャッチしたら、いつかの未来の『奇跡の果実』ストーリーに付け加える予定。

1ヶ月近く書き続けてわかったけれど、この『奇跡の果実』シリーズはすごい特殊な構造になっている。

そもそも死者の霊魂が出てきたあたりから通常の人間界のお話とは異なるのはわかっていたけれども、そちらが落ち着いた今でも不思議な流れの中に身を置いている。

かなりマニアックだけど、全然関係のない人たちや事柄が次から次へと結びついて新しいストーリーを生み出すから、私はそれをただひたすら書いているに過ぎない。

今回は私個人の話だけど、これだって何かに繋がっていく話だと思っている。



すごい余計なお世話として1つ言うと。

この後の話の中に「人間関係の整理」とか「人間関係の断捨離」とか「自分の思っていることを相手に伝える」とかいうタイプの話が出てくる。

それを見て何かピンと来ちゃった人がいたら、それは「やった方がいいです!」。

本当に余計なお世話且つお節介ババアだけど、真面目に向き合って何かしらの自分なりの解決をした方が得策だと思います。

自戒の意味も込めて、言ってます! ( ̄^ ̄)ゞ

100%の解決を目指さなくてもいいから、それがたとえ1%のことでも、何もしないよりは絶対にいい!!!

武士俣理論だけだと怪しくて信憑性に欠けるからもう少しだけ裏を言うと、上のキーワード的な話、多分私はこの2週間ほどで最低でも5人の占星術やカードメッセンジャー的な人たちが言っているのを見聞きした。

私これだけはかなり自信があるけれど、基本的に私が繋がる情報たちは本物の情報だと思う。

そして、同じ時期に繰り返し来ているメッセージは、私の中ではもう絶対に避けたらまずいですよのサインだと思っている。
(避けようとして、ちょっと負傷気味の人がここに1人…( ̄◇ ̄;))

私も占星術を習って天体の流れをそれとなくは読めるからわかるけれど、それらと本当にきちんと読める人たちの言葉に差がないのと(内容の密度・質は雲泥の差)、さらにはカードリーディングなんて占星術とは何も関係ないわけで、なのに連動している。

警告が出ていてもスルーした私の話が下に書かれている。

本当に向き合っていた時の描写もこの記事の最後に出ているけれど、もし向き合わず先延ばしか無視をしたら事態はもっと悪化していたと思う((((;゚Д゚)))))))。

((((;゚Д゚)))))))←この顔文字、iPhoneだと「がくぶる」(ガクブル)と入力すると出てくる。

本当にガクガクブルブルの事態だったわけで、昨日から今日今にかけて私自身とうとう体調不良気味になっている。←メンタル疲労( ̄ཀ ̄;;)

今の時代の流れ的に、自分の心と不一致なことをすると、全力で「それ違います!」サインが飛んでくるから要注意!!

サイン=出来事とか問題とか。

怖がらせてもダメだから、これは私個人の体験後の感想として思うことも付け足し。

少なくとも向き合えば、やさしい流れの中でそうした嫌なことと向き合えたり、もしくは意外な形で解決に向かうことができたりする。

あと、助けや応援がどこからともなく入ったりする。

ちなみに、自分できちんと向き合うことで、そうした助けや応援も入ってきやすい流れにある、とどこかで読んだ。

その流れはしばらくこの1年2年はそうらしい。

そして、何よりも自分にとって何が大事なのかがわかってくる。

「自分が何を大事にして生きていきたいのか」みたいな、自分自身や自分の人生にとって譲れないもの、そういうものが見えてくるし、それがわかると自分の判断基準が生まれて、下の私のように余計なトラブルを自ら生み出さなくて良くなる( ̄∀ ̄)。

自分の気持ちや小さな違和感を無視すると、そのうちでかい自爆テロとなって自分のところにはね返ってくるから、特にこの1年2年は、違和感を感じたらすぐに気付いて対応する方が自分に負荷がかからなくていいと思う。

これから2020年の年末、もう少し長いスパンで言うと2023年まで、国や世界レベルでも個人レベルでも、ふるいにかけられて悪しきものや重たい空気のものは削ぎ落とされる。

違和感とかを放置しておくと、後から相当な痛みを伴って自分のところにくるから、少しでも違和感を覚えたら立ち止まってきちんとその時々でそのことに向き合うことにしよう!、とこれは昨日(2/15)の私が心に決めたこと。

渦中は強烈だけど、そこさえ抜けてしまえばそこそこ楽になるし、心も体も軽くなる!
*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

なのでお節介ババアは言いますが、これ読んで何か思い当たることが出てきた人は、せっかくのチャンスなのでそのことと向き合うことを強くオススメします( ̄^ ̄)ゞ



>>>2019/02/14
本編を再開させるにあたってのウラ話、というか業務連絡。

今、(13)の『1ヶ月早い誕生日プレゼント』までアップされている。

プレゼントの話は主に2月11日前後の話だけど、また14からは1月中旬の話に戻る。

約1ヶ月過ぎたわけだけど、実はこの後書く当時のことと今とでは、色々変わってきていることがある。

主に私の気持ちが変わった。

その気持ちが変わった現在の私で、当時のことを当時の私の気持ちを思い出しながら書く、というちょっと変わった感じの感覚で書くことになる。

あの時すぐに書いておけば良かったなぁなんて思う。

詳しくは書かないと思うけれど、この1ヶ月ほどで私は色んなことを知ることになった。

起きた出来事は忠実に書く予定でいる。

だけど、そこからでは想像もできない形で私は色んなことを知ることになってしまった。

知ることになったものたちは、正直気持ちの良いものではなかった。

だけど、自分とは合わないわけだから、遅かれ早かれ知ることにはなったんだと思う。

ずっとこのままにはしておけない。

唯一言えるとするなら、ここから先は本物しか残っていけないということ。

私はこの1ヶ月近く、真実ではないものをたくさん見ることになった。

「嘘」と「真実ではないもの」には大きな隔たりがある。

「嘘」の場合、嘘をつく本人も「嘘」という自覚がある。

「真実ではないもの」の場合、その真実ではないものを持っている本人は、自分の中ではそれが真実ではないと気付いていない。

今回の件は恋人の愛の話では全くないんだけど、これがわかりやすいかもしれない。

例えば、本当は好きじゃないのに、相手を傷付けたくないとか1人になるのが怖いからという理由で、好きなフリをして別れずにいたとする。

それは当の本人も、好きじゃないと気付いているから、相手の人に「好きだよ」などと言ってもそれを嘘で言ってることがわかっている。

だけど、同じ状況で、本当は好きじゃないのに好きだと思い込もうとして【=自分は相手を好きじゃないと気付いてさえいない】、そして相手の人に「好きだよ」などと言ったら
それは「真実ではないもの」が含まれることになる。

自分で書いてて、これわかりやすい!と思った。

そう、そのぐらい超微妙な空気のものをたくさん知ることになって、だから今の私が当時の私の気持ちを思い出しながら書くのはすごく難しい。

それこそ、好きとは違う感情のものだけれど、言うなれば私は好きだと勘違いしていたものが実は好きでもなんでもなかったみたいな感じ。

いや、好きではなかったならまだいいけれど、実は私はすっごい嫌だったことに気付いてしまった。

当時は、出来事があまりにも1つ1つでか過ぎて見えていなかったけれども、とりあえずそこを通過して落ち着き始めたら、色んなことが明るみになってきた。

明るみになればなるほど残念なことをどんどん知ることになった。

私の中では、はっきり言って修復不可能な域にまで達している。

工事現場でコンクリートの壁を造る時、1ミリずれてしまうとその後建物が完成した時に数センチ単位のズレが生じるとかいう、あれに似ている。

私はズレを無視した。

あまりにも忙しすぎて、いけるものだと勘違いした。

ところが忙しさの波が過ぎたら、本当はそうではなかったと気付かされた。

もう今は1ミリのズレではなく、完全に数センチ、実際は一度取り壊さなければならないほどのズレにまでなっている。

よく芸能人夫婦が「性格の不一致」を理由に離婚するけれども、あれに似ている。

もう私はそんなぐらいの心境になっている。

そのギャップは埋められないし、そして残念過ぎる事実をどんどん知ることになって、さらにキャップは広がっている。

それは「真実ではないもの」だから、これから先はもう持っては前に進めない。

「真実ではないもの」は、考えるだけでとても気が重たくなる。

繰り返し繰り返し、「気が重たくなる」ことを経験した私は、やっと気付いた。

もうそれは要らないものだと。

表面上は良く見えていたけれども、中身は違っていた。

高級チョコレートに見えていたものが、実は見せかけのもので本物ではなかった。

中身は1粒1000円のチョコレートではなく、百均で買えるチョコレートだった。

美味しいからこれまではそのまま食べてた。

ところが、ある時にそれが百均のチョコレートだと気付いた。

別に百均のものでも悪くはない。

これが本当のチョコの話なら、私は百均チョコでも満足できる人間だから、普通にこれまで通りでも平気だった。

今回は、私が人生で絶対に譲れないところで真実以外のものが含まれていた。

それは譲れないから、百均のチョコレートのままでいいですよ、とはならない。

そこは譲れないから、本物以外は私は受け取らない。

そんなことが色々あった1ヶ月だった。



>>>2019/02/15

色んな奇跡の果実シリーズの下書きを差し置いて、これを先に今から書いてアップすることにした。

多分今しか書けない、そう思った。



珍しく、午前中から私はカードリーディングの動画を見た。

時間的に余裕があるし、体力も気力もあって、本当だったら別のことをやりたいところだったけれど、今回はガツガツ活動しようぜ!的な感じよりも、なんかゆっくりしたい…、そういう気持ちだった。

だから、小さな甘いおやつとブラックのコーヒーを用意して、動画を見始めた。

HSPと呼ばれるものがある。

Highly Sensitive Person

そのまま訳して、「超敏感な人」。

気になる人は『HSP』で検索すると、テストもあるし、詳しい解説もある。

日本人は5人に1人がそれに該当すると言われていて、私もその1人になる。

気付いたのは、3年から4年前で、コーチングのコーチまんちゃんが教えてくれて発覚した。

まんちゃんは自分もその体質で、そしてセルフチェックテストを受けた時に「ぶっしーも多分これだ!」と思ってくれて、それでテストを転送してくれて、私は20数個の質問のうち、2つか3つ以外は全て当てはまった。

後日まんちゃんは私にプレゼントする用のHSP向けの本を持ってきて、色々解説してくれた。

まんちゃんが私にその話をしてくれなければ、私は絶対に気付けなかった。

自分は鈍感な方だと思っていたし、わりかし気にならない方だろうと思っていたし、色々適当だから、まさか敏感体質だなんてその時まで一度も思ったことがなかった。

そうだと知っても私はそこはあまり気にせず今のこの地点までやってきた。

時間にして3年か4年になる。

そして今HSP動画をたまたま見た。

見ていてわかった。

自分がめちゃくちゃ無理していたことに気付いた。

ティッシュ10回は使ったでしょうというぐらいに鼻水垂らして泣いて、色んな気持ちがスルスルと出てきて、最初は痛かったけれども今はだいぶ楽になった。

そして、根底にある自分の痛みの根っこの正体が見えてきた。

実は色んなことに傷付いてた。

普段の私は、「傷付いた」という言葉をある時からすごく嫌いになって、基本的には自分には使わないようにしている。

例えば、よく言われる「傷付けられた」という言葉、心理学の本なんかだと警告が出されている。

どういうことかと言うと、「【傷付けられた】と言う時に、自分自らが【傷付けられたことを選んでいる】」というもの。

「嫌だった」とかでいいのに、「傷付けられた」にすると「相手《加害者》がいて自分《被害者》がいる」解釈に変わってしまう。

だから、傷付けられたという言葉を私は控えるようになった。

これはすごく良いやり方で、その線引きができることで私は被害者意識みたいなのを自分に持たせなくて済むようになった。

そこはやっぱり大事だから、今後もそのスタイルは変わらないけれど、今回動画を見て全く違うところに気付いてしまった。

HSPの説明をもう少しだけ。

その動画を見ていてすごくわかりやすいたとえが2つあって。

1つは、たとえば同じものを見て、普通の人が1の情報を得た時、HSPの人たちは10や20の情報を得てしまう。

気付いてしまうというか。

あともう1つわかりやすかった例が、普通の人が裸眼で見ているものをHSPの人は顕微鏡で見ているというもの。

まさに!という感じだった。

それに加えて、私は「エンパス」と呼ばれる「超共感能力」みたいなのも持っている。

その中でも私は感情直感型に当てはまる。

『エンパス&エンパシー』
(http://www.empath.org.uk/)
というサイトより抜粋。

「感情直感型

声の調子や話すスピード、ふとしたしぐさや目の動きで、その人の感情が瞬時に分かる能力です。」

顔の表情もそうだし、声や言葉もそうだけど、本心なのかそうでないのか、違う感情もありそうとか、演技してるとか、嘘ついてるとか、とにかく色々わかってしまう。

私にしたら子どもの頃からずっとそうだから、自分が共感能力が高いとも思っていないし、それに対して全く特別感はないけれども、まぁ分類するとそういうことになるらしい。

今思い出すとそういうことかと思ったけれど。

学習塾に勤めていた時、私はその時その時の子どもの声の感じで、子どもの状態を見ていた。

だから嘘ついてズル休みしようと電話してきても私にバレるから、「遊びたいから今日は遅れて行きたい」とか「宿題終わってないからやってから行くと遅くなる」とかきちんと理由を話すようになった。

最初は子どももわからないから嘘をつこうとするけれど、絶対にバレるとわかると本当のことを話してくれるようになる。

あと教室に来る時も、子どもの雰囲気や声を見て「今日なんかあったでしょ」というのは何となくわかるから、気をつけて様子を見たりはしていた。

自分でも自分の体質には気付いているし、上手に付き合う方法も年齢と共に引き出しが増えてきたし、まぁそこそこ困らない程度には何とか対応できるところにはいる。

だけど、今日動画を見ていた時に、私は「傷付いてる」ことに気付いた。

相手の人は全く悪気がない。

場合によっては、良いことを言ったとさえ思っているかもしれない。

だけど、私は小さなやりとりでも実はすごい傷付いていたんだと、さっき2時間ぐらい前に初めて気付いた。

相手に意地悪い意図がないのは知っているから、傷付けられたとは思っていない。

自分が被害者だとも思っていない。

だけど、相手の発する言葉で私は傷付くんだ…、ってようやく気付くことができた。

まだ送っていないけれども、これから送る予定の文章の下書きがある。

なんと私はそこで、何か質問があっても受け付けないし、私個人の専門的な視点が必要でも対応できないから、本当に必要だと感じたなら他を当たって欲しいと書いていた。

私にしたら、すごいイレギュラーな通達だった。

基本的に私は、自分が持っている情報に関してはもうどんどん出して行こう!とこの数ヶ月で思うようになったから、情報を出すのは基本ある程度は気持ち良くやれるようになってきた。

そして、自分の専門性が細分化されればされるほど、同じことをできる人が多分いないのも何となく予想がつくから、私にできることはやろうと決めてる。

けれども、今回だけははなから受け付けないスタイルを全面的に押し出している。

「精神的に耐えられない」とまで書いていて、私は単純に「面倒くさいから」だと思っていた。

でもわかった。

面倒くさいとかではなくて、私は自分が不本意にそして不用意に傷付くのが嫌なんだとわかった。

これがまた気をつけようもない話で、相手は何も感じずに言葉を発する人だから相手に悪気がないのはよくわかる。

だから、私は相手が悪いなんていうのは全く思っていない。

だけど反対に、そこにいちいち反応してしまう自分が悪いとも思っていない。

私にしたら、自分の中で小骨が喉に刺さるような言葉がいつどこから飛んでくるのかわからなさ過ぎて防ぎようがない。

ただ、それが1回2回ではなく、何回も繰り返し起こっていて、しかも言われた言葉の内容は多岐に渡り過ぎていて、それは単純に私が面倒くさい人間だからなんだと思っていた。

しかも適当に聞き流そうと思えば聞き流せるだろうと私はたかをくくり、無視して流すようにしていた。

本当の私は違っていた。

本当はめちゃくちゃ傷付いてた。

すごい嫌な想いをしてた。

相手は自分の弱さを盾にして、キツイことを言われると立ち直るのに時間がかかるとか言って、すごい防御してた。

私は基本的に「うわっ((((;゚Д゚)))))))」ってなっていても、相手がいる時は外に出さないことの方が多い。

ましてや、場の空気を悪くするのが嫌で、相手や周りの人たちに合わせて私は自分を変えられる。

これは私が身に付けた手段でなかなか使い勝手も良く(苦笑)、これまではそれで問題なかった。

ところがここに来て、色々違うことに気付いてしまった。

相手はさぞかし気分良くいられたと思う。

なぜなら私は全力で根回しをして空気を良くすることに努めていたし、聞かれたら真剣に答えていたし、相手が何かを言ってきても「やっと思ったことが言えるようになったんだ」と捉えてそれで私は自分の心を完全に閉ざしていた。

だからここまでの状況にしたのは、私にも間違いなく非がある。

ただ、ちょっと今回厄介だったのは、相手の人がそこを全く配慮できないタイプの人だったこと。

そうだとは気付かなくて、今回ちょっと色々と他の用事で話さないといけないことが出てきて過去のことも含めて整理した時に、初めてその部分が見えてしまった。

相手の配慮のない、遠慮のない言葉に私は異常なほど反応していて、実は一言一句記憶に残るほどの爪痕が残っていると気付いたのは、つい2時間ほど前の話だった。

不用意にやってきた言葉たちは、私の心の奥深くに突き刺さっていた。

にも関わらず、私はとりあえず防御のつもりで感情を一切シャットダウンして、そういう考え方もあるんだね、と思って割り切るように自分を仕向けた。

でも私は本当の本当は傷付いてた。

言われたくないことも言われたし、自分がすごい気にして自分でも相当気をつけていることも一刀両断のごとくすごい鋭い刃で斬られたし、自分の真実を語っても違うと言われてどうしていいのかわからなくなっていた。

私はいつのまにか、相手からして明るくて何を言っても大丈夫な人になっていた。

そんなわけない。

それはさすがに嫌すぎて、きちんと伝えた。

私にも流せないことがあること。

その時はわからなかったけれど、今ならわかる。

正しくは私は流すフリが上手いだけで、多分人よりもあれこれ敏感に反応してしまうから、本当は人一倍敏感に反応していること。



ーーエピローグーー

その後、私はとうとう相手と話をすることになった。

自分のすぐ近くにお守りグッズたちを置いた。

左手には自分のオルゴナイトともう1人別の人用のオルゴナイトを手のひらに入れてギュッと握りしめた。

お守りの名刺を見た。

自分の真ん前に置いて、真面目に「祈ってください」とお願いした。

そんなの形だけで本当に祈ってもらえなくても、とにかく何かに力をもらってその時を無事にやり過ごしたかった。

電話の間中、オルゴナイトは1時間以上握りしめて、名刺も何度となく見たり触ったりしながらその時を私は過ごした。

自分でも全身緊張しているのがよくわかったし、最後の最後まで気が抜けなかった。

電話だからギリギリいけたなと思った。

これ対面だったら、シャレにならなかったと思う。

繊細な話がずっとずっと続いた。

終わって感じるのは、多分私個人のレベルではなくて、色んな意図や天の采配レベル的な感じの作用が働いた時間だったと思う。

私は傷を広げなくて良かったし、相手からのリクエストもあったけれども丁重にお断りした。

数々のクレーム対応によって鍛え上げられたコミュニケーション能力がとても役立った。

天の采配レベルだと感じた理由は、話の内容が終始相手の方に必要なものばかりが続いたから。

私は自分の気持ちは奥に押しやったままで良かった。

相手に必要な情報を提供するだけで良かった。

もちろんそれも言葉を選びながらではあったけれど、自分のことを話さなくて良かったのは助かった。



実は2月に入ってからずっと変わらずに来ていたメッセージがあった。

何か人間関係で1つ終わらせるということ。

そしてそれは黙ってフェイドアウトするのではなく、きちんと自分の想いを言える範囲で言う、そういうやり方でやるという意味のものが、もうかれこれ2週間から3週間ほど来ていた。

今の地点で、まさかの展開だった。

もう少し前の私なら、多分今回の一連のことには気付けなかったと思う。

そして、自分の中の痛みを無視して、何だかんだと人間関係がうまくいくように自分が我慢のようなものをして、何とかバランスを取れるようにしたと思う。

でも今回は我慢しなかった。

と言うよりも、できなかった。

そして、自分をもうこれ以上苦しくなるところに置いてはダメだと思った。

ボロボロ泣けてしまうぐらいに本当の私は弱っていた。

全然平気じゃなくて、心の深いところに色んなものが刺さりまくっていた。

1つ1つを思い出すと、最初私は怒っていたけれど、怒りがある程度抜けていったら、ただただ傷付いて泣いていた。

それを私は何ヶ月と引きずっていた。

そして、やっと引きずっている自分に気付いた。

平気でもない流すこともできない自分に気付いた。

そういう自分の気持ちに気付いてあげられて良かった。

終わって思うのは、自分の想いを言うというのは、本当にエネルギーをめちゃくちゃ使うことだし、相手の反応は当然読めないから始まるまではものすごく怖い。

怖くて当たり前だと思う。

だけど、今回口に出してみて、相手を責めずともそうした繊細な話をする方法があるとわかったし、そしてそれが自分自身を一番救うことに気付いた。

そして、相手からのリクエスト、これまでなら普通に受けたけれども、今回は自分のために断った。

自分のためにできたことが何よりもの安心感と自信のようなものを私に与えてくれた。

自分のために自分に安全な場所や安全な方法を作ることができたというのは、とても素晴らしいことだった。

終わってから私は、本当に緊張が一気に抜けてすごく楽になれた。

それを見た時に気付いた。

私がもしまだズルズルと相手のペースで動いていたとするなら、これだけの緊張感を毎回自分に強いることになってたんだなぁと。

それはとてつもなく体力も気力も奪うもので、私はまさかそこまで自分が無意識に自己防衛に全力を尽くしていたなんて、今回のことがあるまで気付かなかった。

私がどハマりしているカードリーディングの動画の中でも言われていた。

今切れるものなら早く切った方がいいと。

じゃないと、自分も相手も時間が延びた分だけもっと苦しくなると。

それを防ぐためにも早めと対応すれば、傷も浅くて済むって言ってたなぁと思い出した。

冷静に振り返るとわかる。

手元のオルゴナイトは私のところに来て1年が経った。

これまでただの一度も1時間以上も握りしめたことなんてなかった。

でも何せ生の傷がその半日ほど前に出てきたから、恐怖や不安が半端なかった。

だから何か心を落ち着かせたくてオルゴナイトを握ったまま電話に臨むという、これまでの人生で一度もしたことないことをした。

どんなに不安でも、何かを握りながらその時間をずっと過ごすなんて、普段の私からしたら有り得ないわけで、もう気付かぬうちにそういうレベルにまで発展していたことに気付いた。

そして、今気付くことができて良かった。

気付いた分、自分を守れて自分にこれ以上の負荷がかからないようにできたわけだから。

そして、それをして一切後悔していない。

むしろ、自分のためにやって良かった!とさえ思っている。

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