2019年2月15日金曜日

奇跡の果実(14) 愛のプレゼント

それは1通のメッセージが発端だった。

おじいちゃんの霊が現れたのが1月7日。

ご家族におじいちゃんの霊視&通訳ができるヒーラーのOさんを紹介するために、その約1週間後ご家族のAさんに会って説明して、すべては事無きを得た。

Aさんたちご家族の方から必ず一度はOさんに連絡を取ると確約を得たから、とりあえずそれで最低1回はおじいちゃんとご家族を間にOさんを挟んで繋げられるとわかって安心した。

その翌日の夕方だった。

Oさんから、おじいちゃんの件で色々私とやりとりしていた中でどうしても解せないことがあって、溜め込んでいた不平不満を箇条書きにして書かれたものが送られてきた。

Oさんは喧嘩を売ってるのではなく、私なら打ち明けても拾ってくれる、流してくれる、気にしないでいてくれるという信頼の元で吐き出したということも書き添えられていた。

たしかに私は基本的に来たものに関しては無視しないし、流せるものは適当に流すし、気にならなければ本当にそのまま何事もなく普通にしていられる。

自分に非があれば謝るし、直すことがあればできる範囲での努力もする。

なんだけど、なんとそれが引き金になって、私は怒りを大爆発させた。

自分でも思い出せないぐらいに、数年ぶりの怒り大爆発で、多分記憶にあるところによると最後そこまで誰かに怒りが湧いたのは4年ないし5年前になる。

今終わったから淡々と書いていられるけれど、その当時はもう自分でも手を付けられないぐらいの怒りに一気に達した。

しかもさらにタチが悪かったのは、私が何に対して怒っているのかがわからなかったこと。

Oさんが書いてきた内容が怒りのスイッチになっているのはわかったけれど、じゃあ何をそんなに収まらないぐらいに怒り続けているのか、その理由がさっぱりわからなかった。

しかも、私は今回は黙り通すつもりはなくて、言うことは言わせていただきます、の本気で真っ向勝負に入る態勢だった。

正しくは、最初はもうあまりに怒りが凄すぎて二度と関わり合いになりたくない、そういうレベルの怒りに達していた。

その後に、内容が内容なだけに無視もできなくて、それで真っ向勝負に挑むことに切り替わった。

これ内容が別物なら、冗談抜きで私は適当に流して終わりにしたと思う。

ちなみに怒っていた私はそこから本当に24時間、寝ても覚めても怒り続けていて、ブツブツ独り言を言ったり←危ない人、何をしていてもそのことが頭から離れず、どうしていいのかわからなかった。

普段なら何とか1人で自分の気持ちの落とし前をつけるけれど、今回はOさんと私以外にそこにおじいちゃんのご家族も関わっているケースで、この冷静な判断を欠いた私のままでいていいわけもなく、何ならおじいちゃんの件に関しては事と次第によっては私も再度Oさんに頼まれた時にやる必要のある手伝いも控えていたから、放っておくわけにもいかなかった。

そこで私は名古屋でお世話になったSさんに連絡を入れて相談した。

Sさんはそういうことに関して、個人の感情を一切挟まずにそのことを冷静沈着な目と心で話を聞いて、そして的確な判断をしてくれる。

私が間違っていたらそれも指摘してくれるし、そこに関わる人たちにとって何が大切かを見極める審美眼を持っている。

しかも、色んな立場での経験もあるから、臨機応変に立場を変えての視点から物事を眺めたり、もしくは高い視点から全体像を眺めてそこから細部を見て必要な部分が何かを判断したり、そういうことが損得勘定抜きで真っ直ぐにできるから、私も安心して話ができる。

私はSさんの経歴の全ては知らないけれど、福祉施設の給食のおばちゃんから会社経営=社長までした人だから、とにかく幅広い肩書と職業をされている。

そして隙間産業ではないけれど、そんな仕事世の中にあるんですか?みたいなことも色々してきた方だから、本当に目の付け所が一般的な人たちとは全く異なる。

一時期Sさんは礼状ライターというお仕事をされていた時があった。

あのお葬式の時に香典返しと一緒に付いてくるハガキ大の礼状があるけれど、あれを書く仕事がある。

私もSさんがその仕事をするまで知らなかったけれども、最近は定型文の礼状ではなく、ご遺族が本当に言いたい言葉をライター側の人が短い時間で電話越しにインタビューで聞き取って、それを繋ぎ合わせてオリジナルのメッセージ文にして参列者宛てにお礼状として渡すというサービスがある。

その役割をしていた時期があって、残された側の家族が最後に言いたい言葉を、決め事だらけで多忙極めている時に、そして気持ちも落ち着かないような時に、家族の方に直に話を聞くということもされていた。

もちろんそれは一生に1回しかない仕事で、それをされていた時のSさんの個人的な想いや見えてきたことなんかもよく話を聞かせてもらってた。

それは一例だけど、そうした特殊なケースやあまり聞き慣れない現場での体験も半端なくある人だから、私の今回のおじいちゃんの一件に関しても、冷静に感情抜きで判断してくれる、そう思って連絡をした。

今回のことはおじいちゃんのご家族のことにも関する話だったから、このままにはしておけなかった。

それで相談に乗ってもらった。

これはその時に初めて知ったことだったけれども、Sさんは私のブログを読んでくれていて、私がどういう状況にその時あったかを知ってくれていた。

私たち2人はずっとすれ違いで、3週間近く電話ができなかった。

だからSさんは事情を何も知らないと思っていたけれども、細かいことはさておいても概要だけはブログを通じてなんとなく知ってくれていた。

私が秋の終わりに行方不明になったおじいちゃんをペンジュラムで探した件が今また動いている、ということはSさんもすぐにわかってくれてたから、余計と話は早かった。
(秋に対応した際、前日にSさんには専門的なことも含めて色々アドバイスをもらってた)

ちなみに、Sさんに連絡した理由はもう1つあった。

Sさんは福祉の現場での個人対応、大きなお金が絡む契約に関する個人対応、はたまたはスピリチュアルカウンセラー的な立ち位置での個人セッション対応と、色んな立場での対応経験を持っていられるから、そうした中での基礎基本があってしかもご本人がそれに基づいた個人の人たちのそれぞれの生き方をめちゃくちゃ大事にして対応されてるのも知っていたから、それで今回の件に関してはこの上ないすごくレベルの高い、本来なら有料でお金を払ってでも受けなきゃいけないレベルでの知識と知恵を兼ね備えている最高峰の相談相手の方だった。

ちなみに、Sさんにはもちろんわかって欲しいという私の個人的私情もあったけれど、私がわかってもらわないと本当に困るなぁと思った理由は他にあった。

もしこれがOさんの主張が合っていて私が間違っているとするなら、私はこの20年近い時間、間のニート期間とかを抜いても15年ほどは現場でずっと動いていた人間で、その時に私がそれが必要だとか正しいと信じてやってきたこと全てがひっくり返るぐらいの、何なら1から勉強し直せ!ぐらいの内容だったから。

私が間違っているとは思いたくなかったし、それは私にとって私の信念に近い想いの部分でもあったから、それがもし間違いだとするなら私は何か大きな勘違いの中でこれまでも動いていたことになる。

言い方を変えると、私の想いのところは、私が絶対に大事にしているところだった。

それは人が変わろうが状況が変わろうが自分の職名が変わろうがそんなの関係なくて、いつでもどこでも私がいつも貫き通していることだった。

それを真っ向から否定されたというか全く理解されなくて訳の分からないことばかりをOさんから言われたから、私は怒っていた。

だから、Oさんの言葉のどれも私には全く入って来ず、何なの?と思っていた。

ちなみにSさんには、最初内容は伏せて、対応のあり方に関して質問をした。

そうしたら逆にSさんから電話が来て「ごめんね、何を聞かれているのか、何となくはわかるんだけれど、全然違うことを答えても悪いからどういうことを聞こうとしているのか教えてもらってもいい?」と。

今自分で書いててわかったけれど、こういう時のSさんの質問・確認の仕方はものすごく上手いと思う。

私の言い方がおかしかったとしてもそうだとは言わない。

あくまでも「自分がわからない」とか「違うことを答えても悪い=相手にきちんと返したい」という気持ちをものすごく前面に押し出してくれる。

しかもSさんはそれを自然にする。

わざとらしくなくて、そのあり方、相手を絶対に落とさない、相手に最大の敬意を払って聞いてくれる、その姿に毎回感動する。

Oさんには申し訳なかったけれども、今回だけは私個人の話じゃなくて、対峙する相手、一般社会で言うなら「お客さん」に相応する人たちがいるから、Oさんから箇条書きされた部分だけSさんに転送して見てもらった。

見てもらった後、私の話を聞いてもらった。

Sさんは最初に言った。

「彼の気持ちもわからなくもないけれど、ぶっしーちゃんがどうしてそこまで怒るのかもわかる」

一通りSさんは私の大爆発した感情付きの話を聴いてくれた後に言ってくれた。

「ねぇぶっしーちゃん、ぶっしーちゃんはさ本当によく気がつくし、相手に一生懸命だし、いつも『相手のためなら何が一番かな…』って考えてそれを1つ1つ丁寧にやっている。
それは本当にいいことなんだよ、とっても。
ただ、もしかしたら、他の人たちからすると、やりすぎなのかもしれないし、そこまでやらなくてもいいって思われてるのかもしれない」

私の中で、若干拍子抜けした。

私はあえて自分のやり方が「普通」だと思っていたし、「普通のレベル」だと思っていたし、「誰でもそれぐらいできて当たり前」と思ってた。

次の記事で私の能力の部分をもっと分析して書くけれど、私の場合、本当の本当に、元々の能力が高かったわけではなく、後天的に身についたものが大きかった。

私が「普通」と思ったのも無理はない。

私は社会人最初の3〜3年半は、超スーパーできる超大御所の方たちと一緒に仕事をしていた。

ペーペーの私が、社会人1年目、色々抜けまくりやらかしまくりの私が、保育園でいうところの園長・副園長級の方たちに囲まれて、全く同じ仕事を同じ立場でするという、ありえない環境に身を置いていた。

その後も、協力隊の時も学習塾で働いた時もその後の数々の派遣の時も、とにかくものすごくできる人たちに囲まれて仕事をしていた。

冗談抜きで私は自分の至らなさや数々の失敗の恥ずかしさと言ったらなかったし、どこに行ってもそんな風だったから、私の気遣いなど普通でしかなかった。

「普通」と呼んでいいかどうかさえもわからないぐらいに、周りの人たちが凄すぎた。

だから私の場合、英才教育的な環境下に身を置き続けたことで、後天的に気遣いができる人になれた。

自分の一番身近な母親は、結婚した当初から舅も姑もどちらも亡くなっていて、そういう義理家族への気遣いをしている姿は見る機会がなく、超自由奔放な母の姿を見て育った私は基本的に気が利かない。

そういうあれこれがあったから、私は自分が特別言うほどの気遣いができる人間だなんて、今回言われるまで気付きもしなかった。

いや、言われてみれば、過去にも他の人たちから言われたけれども、思いっきりスルーしてた。

なんなら、Oさんからの指摘の1つに、何でそこまでおじいちゃんの家族に気を使うのか、なんなら腫れ物に触るかのような接し方にモロ駄目出しまでされていたことも含まれていた。
(私の心の声「当たり前じゃん!Oさん、何ふざけたこと言ってんの?(怒)」、の声がデカすぎて、Oさんの指摘をまともに受け取れなかった 汗)

今書いてて思い出した。

塾の時も保護者からの私の評価はとても良かった。

「ここまで丁寧に熱心にしてくれる先生は今までいませんでした」と何人かの保護者から、特に塾歴長い家の保護者から言われたんだった。

私は比べる対象がいなかったから、とりあえずありがとうございますとは言ったけれども、お母さんたち口上手いなぁと流してた(苦笑)。

Sさんの話に戻る。

「ぶっしーちゃん、まずはきちんと自覚した方がいいからね!
ぶっしーちゃんはやりすぎなぐらいに相手のために動けて、色々気付いてやれることやって、それって普通のレベルじゃないからね!すっごいできる人のレベルなんだからね!」

Sさんは続ける。

「Oさんに同じこと求めてもそりゃ無理だと思うよ。
ぶっしーちゃんのレベルは普通じゃないから、だから他の人たちが同じことしようとしたらそりゃ相手にとっては負担になることもあると思うよ」

Sさんに淡々と説明されて、Oさんがふざけた言いがかりを言ってきたのではなく、そもそも私が求めているレベルが高すぎることに初めて気付いた。

「でも、だからと言って、ぶっしーちゃん、そのぶっしーちゃんの気遣いはやめたらダメだと思うよ!
ぶっしーちゃんがその異常なほどの気遣いをやめちゃったら、ぶっしーちゃんはぶっしーちゃんじゃなくなっちゃうから!
それがあってこそのぶっしーちゃんそのものなんだからね!」

Sさんのこの言葉はすごく嬉しかった。



Sさんとの1回目の電話は終わってスッキリした。

だけど、時間が経った時にまたもやOさんから言われた諸々がやっぱり納得できなくて、今度はOさんから言われたことを1つ1つ分解して見ていった。

私の怒りがどこにあるのか全然わからなかったから、とりあえず1つ1つ見ていくことでわかるかなと思った。

見ていったことで、やっぱり私は自分の考え方や周りの人への配慮の仕方は間違ってなかったなぁと思った。

要は、やり過ぎだったかもしれないけれども、Aさんはじめおじいちゃんの家族がどう反応するのか未知数過ぎたから、その最悪のパターンを想定した上で私は色々動いていた。

やり過ぎというよりも、私側の準備不足や配慮不足で肝心のおじいちゃんとご家族とOさんとを繋げられない、そのことが何よりも避けたいことであってはならないことだったから、それを確実にするために私は動いていた。

色々気付いたこととOさんに説明する必要があることをまとめて、翌日もう一度Sさんに時間をもらって、私が伝えようと考えている事柄が本当にそこに関わる関係者のためになっているか、もしくは私の独りよがりになっていないかの判断をお願いした。

Sさんは、私が言うことの1つ1つに耳を傾けてくれ、最後に「ぶっしーちゃんのそれで私もいいと思う!」と言われた。

その後にSさんがこう話してくれた。

「ぶっしーちゃん、Oさんとぶっしーちゃん、それぞれできることも得意なことも全然違うから、適材適所でお互いに役割分担してやるのがいいんじゃないかな?」

話を聞きながら感じたことをそのまま伝えてくれた。

「ぶっしーちゃん、今回のことはね、いくつか大事なことが含まれていると思うんだけど。

そもそもぶっしーちゃんが大事にしているところを相手からは大事にされてないし、理解もしてもらえてないでしょう?
もちろん、自分の常識が他人の常識とは限らないけれど、肝心要の大事なところをお互いに分かり合えないでしょう?わかってもらえないって言うかね。

ぶっしーちゃん、私の意見を言ってもいいかなぁ?」

Sさんが自分の意見を言うことなんてほとんどないから、「お願いします」と言って続けてもらった。

「私なら、基本的な価値観が合わない人とは絶対に組まない。
なぜなら、それはどこまで行っても交わらないし、そして今回の場合、ぶっしーちゃんが仕事で何よりも大事にしてることでしょう?それなら尚のこと、私だったら組まない。
だってどんなに時間を重ねてもそういうこと、特に根底にあって絶対に譲れないぐらいに大切なものが交わらないってことは、後々もっと大きな問題とか違和感に発展していくからね…」

Sさんは経営者だっただけあって、今の状態を踏まえた上で先々を見越したことを教えてくれた。

ため息が出そうだった。

言われたらその通りで、私が大事にしているものをOさんは私ほどには大事にしていないし、その感覚も伝わっていない。

一緒に仕事をする仲ではないにしても、今後一切関わらないとは言い切れない。

私はもうOさんとは今後関わらない、おじいちゃんご一家の件は最後までするけれど、それ以外はしない、そうはっきりと決めた。



その翌日、私はOさんに時間を作ってもらって電話をした。

Sさんのおかげで、とりあえず怒りは治ったから(ひどい独り言もおさまった( ̄∀ ̄))、淡々と落ち着いて話ができた。

あの時はOさんと決別する覚悟で電話に臨んでいたけれど、終わってみればすごく良い流れで話し終えることができた。

そして、この時の話がまた色々と人と人とを繋ぐ架け橋的な役割をすることになった。

その話はまた次の次ぐらいに。



Oさんと話し終わった後、Sさんにお礼を言うために電話を入れた。

すごくスムーズだっただけではなく、過去の人間関係の傷も癒えるという素晴らしいプレゼント付きだった。

何年か前に私が今回と同じぐらい激怒した時は、相手の子に私の気持ちを正直に話したら、それっきり連絡が途絶えてしまった。

ちなみにその時私が怒った理由はこうだった。

久しぶりに会えることになって私は楽しみにしていた。

ところが彼女は、私の前にもそして後にも両方用事を入れていて、結局前の用事が押して後ろの用事も断れなくて、私がキャンセルになった。

専業主婦だった彼女はたしかに日々色んな予定を入れていたのは知っていたけれども、そういう入れ方を私も普通にされて、さらにはたしかに私は重要度から言ったら低いのは明らかでも、楽しみにしていただけにすごくショックだった。

今考えたら、私と会いたくなかったのかもしれない。

だけど、それをされて私は嫌だったから、そこははっきりと嫌だったことを伝えて、今度会う時は時間に余裕がある時に会いたいと結んだ気がする。

相手からは返信がなくそれっきりになって、もう二度と会うことはなかった。

だから、最後の時がそんな風だったから、今回Oさんにはきちんと向き合えてもらえて、話も聞いてもらえて、それだけでも本当に嬉しかった。

Sさんに言われた。

「絶対に流れが変わるって私今回確信してたの」

どういうことかSさんが続けて説明してくれた。

「ぶっしーちゃん気付いてた?
ぶっしーちゃんがものすごく怒る時って、絶対に【人】なの。
自分が大切にされないのもそうだし、自分が大切に思っている人たちが他の人たちから大切にされないのもそう。
今回のAさん一家の件もそうだったんだよ。ぶっしーちゃんがあそこまで怒っていたのは、ぶっしーちゃんが必死で繋げようと相手に対してできることを全力でやっているのに、それがOさんには伝わらなかったでしょう?
ぶっしーちゃんが大事にしているものが大事にされないし、理解もされない。
そして他のことならまだしも、ぶっしーちゃんにとって【人】は一番大事にしてるものだから、それだけは絶対に譲れないものなんだよね、絶対に!
そして、ぶっしーちゃんは昨日私と話してて、自分で自分に向き合うこと、覚悟を持って自分のことに向き合うって受け入れたから、だから私はもう現実が変わるってあの時に確信したよ。
ぶっしーちゃんは【人を大切にする】ってことを魂レベルで決めてきているから、だからそこが大事にされないのは許せないし、そしてそのためだったらどんなことでも受け入れるでしょう?
そこを絶対的に守ろうと自分で覚悟を決めたから、そしてもうそれを知っても良いぐらいに自分に向き合ってきたのもわかったから、だから私昨日言ったんだよ」

Sさんの言葉はどこまでも心に響いた。

気付けば、全部そうだった。

私が過去にめちゃくちゃ怒った時はいつも人がらみで、そしてそれは自分が大切にされないか、又は自分が大切に思っている人たちのことがないがしろにされたり適当にされたりする時のどちらか。

やっと私はつい1ヶ月ほど前(2019年の1月中旬)、この年になって初めて自分の怒りポイントがわかった。

それがわかっただけでもめちゃくちゃ楽になれたし、今後はそこを自分の軸の1つとしてもっと意識的に大切にできたらいい。

そして、1回目の電話の際にSさんが言ってくれた言葉がもっと響いた。

「ぶっしーちゃんがその異常なほどの気遣いをやめちゃったら、ぶっしーちゃんはぶっしーちゃんじゃなくなっちゃうから!
それがあってこそのぶっしーちゃんそのものなんだからね!」

すごい肯定だったことをさらに深く知った。

そしてそんな私をそのまま全身で受け止めてくれたSさんには、もう他に言葉が見当たらないぐらいに私の心と魂を満たしてもらった。



Sさんと初めて2人で会った日を私は一生忘れない。

SさんとはNLPと呼ばれる神経言語プログラミングの講座を一緒に受けた仲だった。

そこで仲良くなって、全10回の講座も終わりになる頃、今度は互いの家を訪ねようということになった。

初めてSさんと約束した前日、Sさんから、明日どうしても行けなくなったので別の日に改めさせてください、と連絡が来た。

私も楽しみにしていたから残念だったけれど、まぁ急用とあらば仕方ないと思って、私の方も特に気にはしていなかった。

日を改めて、今度はきちんと会えた。

Sさんはうちの近くまで車で来て、私はSさんのことをうちの近くのスーパーまで迎えに行った。

そこの駐車場を失敬して、近くの大きな公園を通り抜けて、そしてうちの方に向かって並んで歩いた。

うちのすぐ近くの家の小さな花壇の一角に植えられたさくらが咲いていた。

それがその年に見た初めてのさくらで、2人で綺麗だねと言いながらうっとりとそのさくらを眺めた。

畳を半分に折り曲げたぐらいの幅しかない花壇で、本当に小さな桜の枝を小さく広げている、そんな風だった。

その後も毎年のように2人でその桜の枝があるお宅のすぐ横の道路を歩いてさくらを一緒に見た。

Sさんは、その日2人で食べるために、おにぎりとサンドイッチを家で作って来てくれて、それを小さなお重のような弁当箱に詰めて持ってきてくれた。

色んな人がうちに遊びに来てくれたけれど、そんな風にして手作りのお弁当を持ってきてくれた人はSさん以外にいなかったから、私はそれはそれは嬉しかった。

今でもその時の感動を覚えている。

私の小さなアパートでSさんと私それぞれの手作りごはんを分け合いながら談話した。

前回Sさんが来られなくなった理由をSさんは私に説明してくれた。

前回の記事『(13)1ヶ月早い誕生日プレゼント』に書いたけれど、Sさんは完全なる被害者にも関わらず、昔携わっていた事業の関係で罪を着せられて警察で取り調べを受けるまでに至った経験がある。

完全なる冤罪だった。

2012年の春、私と当初会おうと約束していた前日に、裁判所から封書が届いて、そこで初めて自分が訴えられていて被告人になったことを知ったそうだった。

当然寝耳に水状態で、あまりのショックに私との約束を断った、とその時教えてくれた。

Sさんはこう話してくれた。

「私ね、ぶっしーちゃんと2人で会えるのが本当の本当に楽しみだったの。
だけど、裁判所から封書が届いて、そこでいきなり被告となって訴えられていることを知って、本当に驚いたのとショックだったのとで、それでそんな気持ちでぶっしーちゃんに会いたくなかったの。
本当に楽しみだったから、だから次の日じゃなくてもっと気持ちが落ち着いて、ぶっしーちゃんと楽しく時間が過ごせるぐらいにまで気持ちが回復してから会いたかったの。
だからあの時はごめんね」

私は何と返事したかは覚えていないけれども、Sさんのその気持ちが本当の本当に嬉しかったのはとてもよく憶えている。

私と会う日を楽しみにしてくれていただけじゃなく、本当にその時間を大切に思ってくれてるSさんの気持ちがとってもとっても嬉しかった。

Sさんの当時の心境は、想像するだけで耐え難い。

そんな中、私との約束を思い出して、そしてSさんが精一杯心を尽くして私に連絡をくれたのかと思うと胸がいっぱいになる。

色んな人たちからたくさんやさしさやぬくもり、そして思いやりを人生の中でもらっている。

思い出すと1つ1つ胸にジーンと来るものがある。

その中でもSさんの最初の約束を断った時の気持ちは、一生忘れられない。

そして私に「相手を思うこと」をどう行動に移すのか、それを体現して見せてくれた1番のお手本はSさんだった。

だから、私が今現在、色んな形で自分の周りの人たちを気にかけることができるのは、Sさんのような人たちからたくさん気にかけてもらったからだった。



これを書いているのは、今日2月14日バレンタイン。

Sさんから今日娘のKちゃんに関して、とてもショッキングなことを聞いた。

私はあまりにも色んな人たちの色んな人生の話を聞きすぎていて、基本的にちょっとやそっとのことでは動じない。

普段ならデンと構えていられるけれど、今回の話は本当にショッキングだった。

Kちゃんがどんなタイプの子なのかも知っているから、私は電話越しに話を聞きながら泣きそうになっていた。

言葉がなかった。

遠い国の言葉を聞いているみたいだった。

Kちゃんの倍以上生きている私が40手前でやっと自分の道を、それが好きじゃなかろうがやりたくなかろうが、どうにもできないことなんだと受け入れ始めたことを、私の半分も生きていないKちゃんがこれから体験していくのかと思ったら胸が潰れそうだった。

そして、それは私の持ってるものなんかと比べ物にならないぐらい重い。

すごく重い。

まだまだ自分の生き方どころか自分自身のことでたくさん悩んで迷っているそんな年齢の時に、もうすでに先のことが今以上にヘビーになるのかと思ったら、私は何と言っていいのかわからなかった。

しかもKちゃんを知っているから余計だった。

何年か前、SさんからKちゃんが私の小さなアパートに行きたがっていると言われて、私はいつでもどうぞ!と言ってあった。

うちに来るのは全然構わなかったけれども、何で来たいのかな?と思ってた。

そんなにお母さんと2人きりだとキツイのかな?避難場所でも欲しいのかな?、そんな風に勝手に想像を巡らせていた。

そうしたら、ある時本当の理由をSさんから教えてもらって、私は言葉がなかった。

いつだったかの時、SさんとKちゃん含むSさんの3人の子どもと私とでアイスクリーム食べ放題の喫茶店にランチに行った。

Kちゃんはその時今以上に反抗期真っ只中で、すごい些細なことだったと思うけれど、Sさんとのやりとりで行き違いになって、途中で怒って帰ってしまった。

私は全く気にしていなかったけれども、Kちゃんはその時のことをとても気にしていて、機嫌悪く帰ってしまって、そして私にも機嫌悪く素っ気ない感じにしてしまったことを気にしていると、だから私のところに直接行って謝りたいと言ってるとSさんから教えてもらった。

Sさんには私は全く気にしてないことと、そもそも私に対して何か険のあるものを向けられたとさえ思っていないこと、謝る必要はないけれどもうちに本当に来たければいつでも来ていいことをKちゃんに伝えて欲しいと言って返した。

そう、そんな些細なことをあの一瞬の間で感じ取れる子で、しかも自分はプンスカと怒っているのにも関わらず、そんな状況判断を一瞬でするなんて、その感性の高さに目を見張った。

本気で怒ったら独り言をぶつぶつ言い続けるどこぞの大人とはずいぶんと違う(  ̄Д ̄;)。

そんなぐらいの感性の持ち主が、これから先の人生でその感性があるからこそやってくるだろうものに、私は言葉もなかった。

Sさんに言った。

「どう考えても、順番から言って、Sさんの方が先にいなくなるじゃないですか。
Sさんが“自分はそろそろだなぁ”と感じる時が来たら、Kちゃんに言ってください。
『本当に何か困ったら、ぶっしーちゃんのとこに行きなさい』って」

他に言葉がなかった。

そして、考えてる間もなく、それは言っておかなきゃいけないと感じた。

私は専門的なサポートは一切できないけれども、少なくとも本当に心細くて誰かわかる人と話したいとなるだろうことは想像できたから、SさんがKちゃんのそばにいられなくなったその後は、私にできることがあればそれはしたいと本気で思った。

私が今ギリギリ立てているのは、Sさんがいてくれるからで、もし私が1人でこの訳の分からないオカルト体質にオカルトイベントに対峙しなければいけないのなら、私はとっくのとうに逃げ出していたと思う。

しかも40歳間近のこの年齢でもそう。

Kちゃんは私の半分以下の人生経験年数で私以上に重たいものとこれから先向き合っていくことになるだろうと思う。

それは本人の望む望まないは関係ない。

Sさんが近くにいる時はそれで安心だし私はノコノコと出て行く気もないけれども、どうしても人間には寿命がある。

Sさんがいなくなった後は、もちろんKちゃんが頼れる人たちが近くにいれば一番いい。

だけど、ある特定の側面において誰にも頼れない、心を開けない、そういう時は私は自分ができることをKちゃんにしたい。

純粋にこれは「そうしたいし、そうしてあげたい」と思った。

「してあげたい」なんて、私の中で1番2番を争うぐらいのタブーワードになっている。

普段なら、偉そうとか上から目線みたいで嫌だなとか、相手に迷惑がられるのも自分が逆にへこむから嫌だなとか、まぁそういった色んな理由でまずは言わない。

だけど、Kちゃんの話を聞いて、それはできることがあるならしてあげたい、純粋にそういう気持ちが湧いた。

それは私がSさんからずっとしてもらっていたから、だから今度は私ができる番なんだと気付いた。

私がそばでずっとずっと支えてもらったから、今度Kちゃんがそのことに向き合う時は私が逆の立場をしたい、そう思った。

変な言い方だけど、守らなきゃと思った。

Kちゃんが乗り越えられないとかいう風には思っていない。

だけど、渦中の混乱や孤独、心細さは半端ないから、そして自分が何をしたと言うんだろう?というぐらいに色んなことも起こるし自分の力ではどうにもならない不可抗力的な出来事たちも列を成してやってくる。

Kちゃんに何かしてあげられるとは全く思っていないけれど、私にできることがあるならしてあげたい、そう思っている。

想いの部分をリレーしているみたいだなと思う。

Sさんからしてもらったことをバトンとして私はもらっている。

しばらくまだ私はバトンを持ち続けるけれど、次に渡す人が現れた時はそれは渡していこう、できることをしようと思っている。

気付けばバレンタインだった。

愛をリレーさせていることに気付いた。

相手を想う愛、それを私はこれまで色んな形で受け取っていたことに気付いた。

色んな人たちに愛されて色んな人たちから愛ある何かをもらい続けていたこと、やっとやっと気付いた39歳のバレンタインだった。

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