2019年2月3日日曜日

奇跡の果実⑩メッセンジャーデビューと花火

(前回【『覚醒』の舞台裏】より)

クローゼットの奥から出した本『覚醒への道』の『覚醒』の部分だけ見えた。

「覚醒か…。『覚醒』って何だろう?」

そう思った。

スピリチュアル用語の鉄板、「覚醒」。

私の中で「違う、それじゃない、それ絶対に違う!」というのが出てきた。

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「違う」と思ったところから続ける。

スピリチュアル用語によく出てくる「覚醒」というもの。

私は毎回その言葉を見るたびに、「そんなのはごく一部の超選ばれし人たちのみが生きているうちに体験するもの」として片付けていた。

私は2011年に、信頼できるヒーラー・マミさんから自分を守る方法を説いている本、『プレアデス 覚醒への道』を紹介してもらった。

この覚醒の道へと導くとされるワークは50個ほどあって、1つ1つは10〜10数個の手順がある。

例えばその一例を紹介する。

「30秒から1分ほど静かに呼吸を続け、あなたの身体の内側と意識の変化を感じてみてください。最初にグラウンディングしたときに、なかには身体のどこかが痛くなったり震えたり、抑圧された感情が浮上してくる人もいます。もしそのようなことが起こったら、それが肉体的な痛みでも感情的な痛みでも、これまでグラウンディングしてこなかったことと何かしら関連する痛みです。あらゆる不快なものを避けようとするのは私たち人間のごく自然な性質なのです。問題に気づくことがそれを癒す第一歩です。……」
(以上、『プレアデス 覚醒への道』より引用)

という小難しい内容が書かれていて、この部分の手順だけで実はこの3倍ある。

というのが、1つのワークの10数個あるステップの中の1ステップ分に該当する。

こんなの毎日必死で実践したところで、死ぬまでに覚醒なんかしないわ!と私はいつも思ってた。

なんなら、こんなのしてるうちにもっと心が病みそう…とさえ思った。

内容は素晴らしい。

本当に丁寧だし、わかりやすく説明しようとしてくれてるし、これがプロなら本当に必要な知識だと思う。

でも、私はこんなの絶対にやりきれない、なんなら50個のうち2個目で早くも挫折していて、覚醒なんかするわけもなかった。

前回の記事で、この本を初めて開いた時に、「そなたに知恵を授けよう。そして大切な人たちと分かち合いなさい。」と誰とも知らない声が聞こえたという話をした。

私はてっきり「知恵=この本の中にあるもの」だと思い込んでいたから、長いことその声は気のせいかもしれない、そう思った。

とてもじゃないけれど、私はその中身を一生懸けても自分のものにできない。

あれは幻聴か私の勘違いだろう、ずっとそう思ってた。

だけど、私は2019年の2月2日の朝、買った日から7年越しに初めて「覚醒って何だ?」と思ったことから、あの時の声が言った「知恵」の意味が徐々に想像できるようになった。

私は自問自答を繰り返した。

そのワークをしてない私は覚醒しないのか?

覚醒が【本当の自分に気付くこと】だとするなら、今の私はだいぶ感覚が変わった。

これは、覚醒に入らないのか?

感覚は違うけれども、これは「感覚が違う」という一言で片付けて終わりなのか?

この本が言う「覚醒」は、超一流のセラピストだけに向けられたものなのか?

セラピストやヒーラーしか覚醒しないのか?

私が思う覚醒は、それとは全く違っていた。

私は真っ先に「布団の中で小さくなっている自分」を思い出した。

私は窮地になったり何もかもが上手くいかなかったり色んなことから逃げ出したい時、本気で布団を敷いて頭から布団をかぶって寝る。

眠れなくても目を閉じてその場をやり過ごそうとする。

そんなことしても何も解決しないのは知っていても、それでもすべてから逃げたい私にとって唯一知っている逃避がそれだった。

基本的に、その状態まで落ちる時の私は、もう自分の中でトイレに行きたいとかお腹空いたとかそういうレベルのことが起こらない限り動かないのを知ってるから、とてもじゃないけれどあの難しいワークなんかできない。

そして、あんな大変なこと、そんなにも縮こまって小さくなって弱ってる自分にさせられない。

じゃあそんな私は覚醒しないのか?というとそんなことはない。

私が知ってる方法はもっとシンプルだった。

それが覚醒になるのかは知らないけれど、自分の心と自分の人生をある程度合致させる術と、そのプロセスの中で気付いていく自分の本当の想いや自分の本当の姿を知っていく変化の過程は知っている。

それを「覚醒」と呼ぶなら、することはもっとシンプルになる。

そんな小難しいことじゃない。

それが『覚醒』に書いた冒頭の部分(↓)になる。


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覚醒=

自分に気付くこと
自分がどうしたいのか
自分にとって何が大切なのか
何が快で不快なのか
どんなことが喜びでどんなことが悲しみなのか
どんなことが怖いのか
何に対して怒るのか
何に涙するのか
そうした全てで形作られている自分というものに気付いていくこと



そのために内面を見ること

自分の感情を見ること

周りに登場する人物を見ること

その人たちと何を交わしているか

自分と他人を区別すること

本物の人たちに会うことで、その人たちにできること、自分にしかできないことに気付かされていく
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私からすると、これ以上でもこれ以下でもなかった。

とにかく自分を見ていく。

自分の快や不快、喜びや悲しみ、そういうものを1つ1つ知っていく。

そして、それらを知るために感情がある。

感情は無視しちゃいけない。

そうしたことを教えてくれる、自分の大切な相棒だから。

日本の教育で、感情を表に出さないことを美徳としているけれど、私はあれがめちゃくちゃ危険な思想だと思っている。

もちろんTPOは踏まえないといけない。

どこでも感情を出しまくっていいとは言わない。

けれど、適切な方法で自分の感情を見ないと、感じてあげないと、病気になるよ、と本気で思ってる。

だって大事な相棒だよ。

怒りって悪いものじゃないんだよ。

怒りが沸くことで自分を守れたり、自分を危ないものから守れたりするんだよ。

怒りには怒りの役割がある。

なぜそういうのを教えないのか、日本の教育は不思議で仕方ない。

今ここで議論しても仕方ないけれど、とにかくそんなことじゃない。

そういうのを思った時に、言葉が滝のように自分の奥の方から出てきた。

そうだ、そうだ、カードリーディングの動画で「メモがいい」って言ってた、今書こうとノートを開いた。

最初数行書いたら、止まらない。

もっとある。

書けば書くほど止まらない。

次のページにすぐ行った。

時間にして1〜2分。

書きながら私はどんどん涙が出てきた。

色んな気持ちが入り混じってた。

文章そのものに対して感じる想い。

過去のどうにもできなかった頃の自分(×30数年分)。

「メッセンジャー」の意味がわかったことへの重さ(←光栄でありながらも責任を感じるみたいなの)。

自分だからこそ書けるという自負。

これが初めての「下ろしてる」という意識がある中での言葉だという感慨。

色んな気持ちが湧いて出て、そして涙を流しながら書いた。

もういいかなという頃合いになってペンを置くと、中身は大学ノート2枚半になっていた。

無我夢中で書いていたから、それで終わらせるつもりでいたけれど、待てよと思って、もう一度よく読んだ。

内容が、自分だけに向けられたものじゃないことに気付いた。

瞬時に頭の中でここ半月のことがよみがえる。

最初の発端はこうだった。

霊視ができるヒーラーのOさんが、おじいちゃんの魂の通訳をしていた時に私に言ってきた。

「おめえは本物としか繋がれねぇんだろ」

おじいちゃんはOさんを通じてそう言った。

Oさんにそれはおじいちゃんの言葉なのかと確認したら違うという返事で、それは説明すると長くなるからいつか時間のある時に説明しますと言われていた。

で、ご家族のAさんと先月の中旬ぐらいにお会いして、無事OさんにAさんご家族を繋げられたから、その報告をした際にもうある程度落ち着いたからいいだろうと思って、Oさんに再度、「本物としか繋がれない」が誰の言葉なのかを聞いた。

Oさんはさっと説明してくれて、それがおじいちゃんではなく「もっと上の存在、言うなら啓示とかのレベルから来る空気感をまとってました」みたいな言い方をした。

私からすると、上だの啓示だのさっぱりわからなくて、それでOさんにそうした霊界の階級的なものや霊的な存在達の種類を勉強するにはどんな本がオススメかを聞いた。

それである1人の人の名前を教えてもらい、そのシリーズが一番わかりやすいと思いますと言われた。

その後私は、その本を色んな書店に回って探しに行った。

その中の1つの書店の時に、探してた本はなかったものの、ある1冊の本が目に留まった。

『メッセンジャー』という題名の本だった。
(ロイス・ローリー・著)

気になって中身を開いた。

どうも物語風で、私は今は読まないけれど、いつかは読んでみたいと思った。

主人公の男の子が家の手伝いのご飯作りにブウ垂れてるところなんか、まるで自分かと思った(  ̄Д ̄;)。

その場で読むのは少しだけだったけれど、パッと開いた後の方のページに面白いことが書いてあるのを見つけた。

「メッセンジャー=使者」

私はその言葉を見て驚いた。

私の中でメッセンジャーはメッセンジャーでしかなかった。

メッセンジャーって使者なんだと。

たしかに言われてみればそうかもしれなかった。

私が「癒しのレシピ」と称して行う、私以外の人の潜在意識や魂からヒントやメッセージをキャッチして伝えるのだって、いわば使いの仕事みたいなものだと感じる。

「使者」と呼べるほど崇高だとは感じないけれども、少なくともおつかいを頼まれるがごとく何か伝言を本人側から本人に向けて頼まれているようなものだったりする。

たしかにカツオがサザエさんに頼まれて行くおつかいとかなり似ていると思う。

カツオは買い物だけど、私はメッセージの郵便屋みたいな感じ。

今普段あれこれとメモしているノートを見てみたら、もうひたすら「表現」だの自分に備わった「知恵」だのと言葉が続いている。

これが1月16日に始まり2月2日の朝実際に書く直前まで続いていたことがわかった。

その大半は、最近ハマりまくりのカードリーディングの動画から得たメッセージたち。

ノートに書いていた言葉の一部。


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・虐げられた(しいたげられた)経験でしか得られない知恵があって、その経験をくぐり抜けたことで手にしたものが必ずある。
今それを表現する時に来ている。(1/16)

・表現したい気持ち、エネルギーが高まっている。(1/23)

・自分が積み重ねたことで得たものを他の人たちと分かち合う。(1/26)

・自分に下りてきたガイダンス(=言葉やメッセージ)は自分だけのものじゃないから、積極的に他の人たちとシェアする。(1/28)

・ガイダンスをキャッチする感覚を持ち合わせている。キャッチしたものや自分のひらめきを書く。書けば書くほど、どんどん出てくる。(2/2)

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他にもメッセージやひらめきに関するメッセージがずっと来ていた。

例えば、細部に宿るメッセージをキャッチするために、細部に注意を向けるとか。

例えば、英知含めて本当に必要なものはすべて自分の中にあって、そして英知というのは何も成功体験からだけ得るものじゃなく、人生における失敗や誤りの中にもたくさん含まれていることとか。

そして、2月2日当日の朝、『覚醒』の文章を書く直前に、私がカードリーディングの動画を見ながら思い出した自分の気持ちについて、メモ書きがしてあった。


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・自分に自信がなかった
・自分がそんなことしていいんだろうか
・周りからしてもらった
・(してもらったことが)役立った
・自分もやってもOK
(気にならなくなった)
・覚悟を決めた(Aさんと会う)

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この部分は大事だから、説明をしたい。

私はずっと自分に自信がなかった。

自分のしていることや知っていることは大したことない、そう思っていた。

周りを見渡せば、優秀な人たちはたくさんいた。

冗談抜きで私の周りには、東大はじめ京大、阪大、早稲田など日本中誰もが知っているような大学の出の人とか、各専門分野の中のエキスパートとか、スピリチュアル系の人たちも超一流の本物の人たちとか(病気を治したり、人の人生を大きく変える手助けをしたり)、そういう人たちで溢れている。

これは余談だけど、私は小学校をオール1でスタートしている。

3年生でそろばんを習うまで数の概念が全くわからなかったし、読み書きも小学校に入るまで全く知らなくて、入って一から身につけるみたいな私は全く歯が立たなかった。

読み書きそろばん全滅+元々ののろまなところとか異常なほどのスーパー運動音痴も手伝って、とにかくまともにできることが皆無に近かった。

そこからの筋金入りの自信のなさで、その後ある程度人並みにはなるけれども、自信のないところは大人になってからも抜けなかった。

30代の半ばぐらいで自分のできることにも気付いて、少しずつ自分ができることも認めて受け入れるようにはなったけれど、こちらはまだやっと小学生ぐらいになれたかな?というぐらいの自信の付け方。

「自信」ということに対しては、実年齢の39歳からは程遠いところにいる。

周り見渡せば優秀な人たちが大勢、私なんかはやっと人並み程度、そう思っていたから、そんな私が何かをしていいんだろうか?と本気で考えてた。

どの辺りかは覚えていないけれど、いつからか周りの人たちからたくさんしてもらった数々のことを思い出してた。

本当に色んな人たちに支えられて助けられての今の私なのは間違いない。

それだけは自信を持って言える。

そして周りの人たちから教えてもらったことやしてもらったことは、本当に私の実生活で大いに役立った。

今度はそれを他の人たちにもシェアしてもいいのかもしれない、少なくとも自分が役立ったとかこれは効果があると実感できたことに関しては自信を持って紹介できる。

そうやって少しずつ自分の持っているものをそれとなく周りの人たちにもシェアするようになったのが、多分新潟に帰ってきてからここ2年ほど。

そうこうしているうちに、人づてにペンジュラムを使って山で遭難した人を探して欲しいと依頼を受け、そしてそれは上手くいかなかったけれどもそこから1ヶ月半後ぐらいに今度はその行方不明になったご本人の魂と霊視ができるヒーラーのOさんを通じて繋がった。

この出来事は私にとって、その辺りの気持ちを大きく変える転機になった。

当たり前だけど、繋がりっぱなしで放置しておくのは違うし、おじいちゃんからもご家族とOさんを通じて繋いで欲しいと強い希望が出ていたから、私はその橋渡し役をすることになった。

ご家族はごくごく一般の方たちで、スピリチュアルなことには基本的に興味がない。

家族代表として窓口になっているAさんは女性だけあって、そしてお仕事で色んなお客さんに会うこともあって、世の中には色んなことがあるということを感覚で理解されてる、とは感じる。

でも、ご家族の男性陣たちは、普通に社会でバリバリと働く今一番盛りの人たちで、ものすごく真っ当な社会的通念の中で生きていられる。

スピリチュアルなことなんか、もしかしたら私がその人たちの何十年の人生で初めての人かもしれないぐらいに、全く知ることもない世界だったと思う。

そういう人たち相手に今回の行方不明になっているおじいちゃんの霊魂と繋がったなどという、世にもおかしすぎるとんでも話をしないといけない。

もう自信がないとか、私がしていいんだろうかとか、そんなこと言っている場合じゃなかった。

私の評価なんて何でもいいから、とにかくOさんを通じてご家族とおじいちゃんを繋げることに精一杯だった。

私は何て思われてもいいから、そこだけはやり抜かなきゃダメだと思ったし、そしてその二者を繋げられるのはこの世の中で私しかいないことも知っていたから、だからこそ失敗の許されない状況で自分のことはどうでもよくなった。

その辺りから私は人の評価が気にならなくなった。

人に何て思われるかを気にして何もしないのは違うと気付いたからだった。

だって、現に私のすることを必要とする人たちがいた。

失敗に終わっても、それでも必要としてくれた事実には変わりない。

もし私が「変な風に思われたくないから」という理由で何もしなければ、それこそ不利益になることだってある。

それがわかった。

そして、究極のおかしなオカルト話(=おじいちゃんの霊魂と繋がった話)を相手に伝えて、おじいちゃんと家族を繋げるという一番の目的を果たす必要が出てきた時、もう評価のことは頭から抜けた。



そうした色んな経過もあって、『覚醒』をアップすることは、とてつもなく大事な気がした。

頭の中にはこの言葉が響いていた。

【自分に下りてきたガイダンス(=言葉やメッセージ)は自分だけのものじゃないから、積極的に他の人たちとシェアする】

ガイダンスかどうかはわからなくても、少なくとも自分の中から沸いた言葉だというのはわかる。

しかも、今回はこれを人に届ける気がする、という気持ちもどこかにあった。

自分でも感動するぐらいにいいことが書けたから、これを独り占めするんじゃなくて、周りにもシェアすることが求められてる、そう思った。

ちょっとまた話が飛ぶけれど、私がそもそも『奇跡の果実』という題名もまだ生まれてない、純粋にあったことを書こうとして、ご家族のAさんと会った後、2時間後ぐらいに書いた当時の文章の出だしを紹介したい。


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今回は、なるべく茶々を入れずに、純粋に感じたままをありのまま書いてみようと思う。

これから書くことは、私がこの体と感覚、心、思考、気持ち、そうしたものを持って体験したこと。

今回だけは、これから書くことが、もし誰かの心にそっと響くんなら、それはとても嬉しい。

信じて欲しいのでもないし、そんなの嘘じゃない?とか空想じゃない?と感じる人だって必ずいると思う。

感じ方は人それぞれだし、それが私はいいと思っている。

だから、本当に感じる人が、何か心に響くものを得る人が1人でもいたら嬉しい。

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『覚醒』に関しても、書いた方が先で気持ちの方が後だったけれども、基本的には同じ気持ちだった。

今回の『覚醒』だけは、自分のところで止めずに、他の人たちとシェアしようと決めた。

その後私は、フェイスブックをいつぶりかもわからないぐらいに開けて、なんなら何かしらアップしたのなんて数年ぶり。
(色々様式が変わっていて、どうしていいかわからないことだらけだった(  ̄Д ̄;))。

そしてその前後で個人的にお知らせしたい人たちに連絡を入れた。

なんと私、25人に連絡をして、そしてフェイスブック経由で反応してくれた友達2人、合計で27人に連絡をした。

普段の引きこもり生活からは考えられない行動力だった。

どう思われるとかより、伝えたい、自分のことをそのまま公表してしまいたい、そういう気持ちだった。

フェイスブックにアップしたことと個人的にやりとりして得たことは、またいつかの機会に書く予定だけど、本当に連絡をして良かった。

みんなそれぞれ優しくて、それぞれのストーリーがあって、本当にありがたいばかりだった。



『覚醒』を書き終えてあちこちに連絡をした後、本『プレアデス 覚醒への道』を紹介してくれたマミさんのことを思い浮かべるうちに私はある1つのことに気付いた。

名前を列挙してみた。
・マミさん
・のりちゃん
・スガさん
・まんちゃん
・タクさん

やっぱり!だった。

この全員に共通していることがある。

5人は、私が実際にお金を払って個人セッションを受けた時の施術師さんたち。

間違えた、のりちゃんはお試しセッションだけで時間にして5分となかった。

だけど、一生記憶に残るぐらいのセッションをしてくれた。

マミさんとのりちゃんは潜在意識、スガさんとタクさんは体と心、まんちゃんはコーチングとそれぞれ分野もやり方も全く違う。

他にもたくさん受けたけれど、私の印象に強く残ったのはこの5人で、他の人たちは残らなかった。

他の人たちとの差、その5人にだけある共通点ってなんだろう?、と考えていくうちにわかった。

最初に出てきた共通点は、「私がものすごく憧れた」ということだった。

だけど、憧れだけでそんなにも残るかな…?とも思った。

絶対にこの5人、しかものりちゃんは実際には受けてないのに残ってる、その5人に共通することが他にもあるはず…と思った。

わかった。

5人全員が【自分オリジナルのやり方】を持っていることだった。

例えば、スガさんとタクさんは、体を触る系の国家資格を持っている。

だから、国が認めるものを持っているから、基礎や理論もしっかりしている。

けれど、2人は全く違うし、そして2人それぞれのやり方もユニークで私は同じやり方ができる人に他に会ったことがない。

スガさんは、エンパスと呼ばれる特殊な共感能力のとても高い人で、目の前の人を見るだけでその人の痛いところが自分も痛くなるから、それで相手の不調の部分がわかる人。

タクさんは、見えないエネルギーを自分の中に取り込んでヒーリングを行う。

そのやり方は自分に最初から備わっていたからどうやってやるかは第三者に教えられない、と私に教えてくれた初めての人だった。

私に「自分のやり方を他の人に説明できない」と言ったこのタクさんの言葉は、後に私が自分の能力に気付くためにとても大事なヒントになった。

マミさんがどうやって相手の潜在意識や魂にアクセスするのかはわからない。

だけど、マミさんにしかわからないやり方を持っているのはわかる。

のりちゃんはシータヒーリングと呼ばれるシータ波を使った潜在意識や魂のヒーリングを行う。

だけど、私が思うに、のりちゃんはたしかに理論をきっちりと勉強してやっている人ではあるけれど、それとは別にのりちゃんにしかない回路を持っていると思う。

なぜならのりちゃんのところで手法を習った人たちを何人か知っているけれど、のりちゃんみたいには全くなっていなかった。

ちなみにのりちゃんは、私の手を両手で包んで、そして目を閉じて、そしてそれだけで私にメッセージを下ろしてきた人だった。

時間にして1〜2分だったと思う。

「自分を許してあげてね」

のりちゃんは私に一言そう言った。

私には何を言われているかすぐにわかった。

私はその一言だけで号泣だった。

そのピンポイントでメッセージを下ろせるのは、あれはのりちゃんだからだと私は今でも思っている。

まんちゃんのコーチングに関してはまた別の機会に書くけれども、まんちゃんは何もシナリオを持たずにその場でセッションをする。

色んな専門的な手法がすべて織り込まれているけれど、あんなの解明しようと思ったら一生かかっても終わらないぐらいにすごい感性とセンスでセッションを進めている。

とにかくみんなすごいオリジナルなやり方で、私が心底憧れたのはそこだった。

そして「あーーーーー!」となった。

実は、私はのりちゃんからシータヒーリングを習おうと、そのための説明会に足を運んで、それでその場でお試しセッションをしてもらったのが上に書いたことだった。

シータヒーリングを習うと、潜在意識をもっと体系的に理解できると思ったのと、そしてあののりちゃんの手を触っただけでメッセージを下ろしてくる姿に憧れたのとで、それで習いたかった。

金額も安くは決してないけれど、良心的だった。

だけど、その時私はお金が理由だったのか、開催日と自分の都合がつかないことが理由だったのか、その辺りは忘れたけれど、申込みができなかった。

そうこうしているうちに自分の人生もどんどん別の方向にいくし、そして私は色んな理由からそうしたスピリチュアルや心の学びを一切やめた。

自分で本やネットサーフィンで何かしらのやり方を知って試しても、誰かに習うことをしなくなった。

まんちゃんの個人セッションもちょうど色んなことが重なってやめて、その後は普通に友達のようにして会っていた。
(他の学びにお金を使いたいからとまんちゃんには正直に伝えて、それでやめた)

だから、あれほど習いたかったシータヒーリングを今もって私は習っていない。

でもそれが正解だったことに気付いた。

ペンジュラムもだし、相手の潜在意識からメッセージをキャッチするのもそうだし、今回の『覚醒』を書いた時の感覚もそうだけど、どれも全部私は自分独自のやり方でやっている。

というか、自分でも自分のやり方や感覚を言葉で説明することはできない。

シータを受けなかった理由はそれだということがわかった。

コーチングやNLP(神経言語プログラミング)は、シータとは一線を画す。

コーチングとNLPは、潜在意識の仕組みや出来事・感情・行動を1つのセットにしてそれで現実がどのように構成されているのかを学術的に学ぶためにあった。

そちらは基本的に頭を使って理解することだった。

だから、私は自分の感性に関しては、誰からも教わってないし、トレーニングも受けていない。

実は書くことに関しても、私はセールスやビジネス的な手法を人から紹介されたことがある。

でも私は、自分はそのやり方に合わせて書くことができなくてやめたし、他にも応募して通ったのに断ったものもある。

相手が指定するやり方の通りにできなくて、知識や経験はあるからコンテンツとなるものは持っていても、それを相手の望むやり方で書けない。

だから断った。
(理由も説明して断ったら、「武士俣さんの好きな方法で書いてください」と言われたけれど、じゃあ最初からそうすれば良かったじゃん!と思って、私は相手企業が信用できなくて丁重にお断りした)

そう、今私が自分の中にある感覚を育てられたのは、外部から一切やり方を押し付けられない道をひたすら選んでいたからだった。

シータは絶対に良いはずなのに、なんで縁がなかったのかずっと不思議だったけれど、ここに来て納得した。

ますます、自分の人生のあり方で合っていたんだ、と自信が持てた。

私が今のやり方に行き着くには、誰の手も借りず、習わずにいることが大事だった。



「おめえは本物としか繋がれねぇんだろ」

「あ!」となった。

私はこれまで「本物」というのを、全て「本物の人」と人物だけに限定して受け取っていた。

もしかして、本物というのは、言葉や表現というのも含まれるんじゃないか、初めてそう思った。

情報は間違いなくきちんとしたものしか自分と情報を繋げない。

少しでも変な感じのものは遠巻きに見ているし、多少関わっても必ず疎遠になっていく。

そんな風に、言葉に関しても私は真っ直ぐでその言葉が持つエネルギーのものだけと繋がっているのかもしれない…、初めてそう思った。

メッセージやガイダンスについて、ここ数日で連続で受け取っていることがある。

「メッセージやガイダンスが来る=それに伴う責任もやってくる」

だからむやみやたらと来たものを外に向かって放てばいいのじゃない。

だけど、今回『覚醒』を外に向かって発信しようと考えた時、自分の中で1ミリも曇りがなかった。

自分の中に一切の迷いがなかったのと、出さない方がいいかな…とかいうようなためらいもなかった。

「出す」とはっきりと決めていた。



『覚醒』は、大反響を巻き起こした。

私は、自分の信じていることが正しい、という確信が持てた。

万人に正しいとは言わないけれど、少なくとも私にとって正しいとわかった。

その日の夜のこと。

風呂から上がって自分の部屋に行くと、「バンッ」「バンッ」と音が外からする。

私の感覚では打ち上げ花火の音だった。

でも外は雪か雨のはずで、打ち上げ花火なんか上がるはずもなかった。

でも気になるからカーテンと窓を開けて、音のする方を見た。

そのまさかで、打ち上げ花火が上がっていた。

斜め向かいの家が視界を遮るものの、そのさらに向こうでは大きな打ち上げ花火の上半分が見えた。

すべてにOKを出してもらえた気分だった。

これで正解だよ、そう何かに言ってもらえてるみたいだった。

あれから1日経った今、私の元には『覚醒』を通じて色んなストーリーが届いた。

これはこの『奇跡の果実』シリーズの最後の方にまとめて掲載しようと計画している。

節分の今日現在、去年の秋に山で行方不明になって、そして年明けに私の前に登場したおじいちゃんが発信しているメッセージ、それは
「生きる」
「命」
ということだと思っている。

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