2018年9月9日日曜日

料理徒然記

9月8日(土) 昼

カリッカリになるまで赤ウインナーのスライスを焼く。

その隣りで洗い物をする。

朝から家にずっとあったライチサワーをプシュと1本開けた。

昨日の夜用意したフレンチトーストは焼かず、きゅうりのスライス、玉ねぎの塩もみ、ハム、とろけるチーズを適当に皿に盛り付けてそれをつまみに飲んだ。

じゃがりこも持ってきた。

飲みながら、『駈込み女と駆出し男』という映画を見ている(今は一旦休止)。

こういう休日の朝の過ごし方が好き。

かったるい感じで、自分の思いつくままにつまみを用意して飲む。


フレンチトーストは、この間からずっと食べたかった。

おいしいハチミツは持っている。

ホイップクリームがない代わりに、水切りヨーグルトを夜に用意した。

本当は朝イチでフレンチトースト&ハチミツと水切りヨーグルト添えを用意する予定でいたけれど、朝飲みに変更した。

きゅうりたちではどこか満たされず、冷蔵庫を開けて赤ウインナーと目が合って、赤ウインナーを焼いた。


この後悲劇が起こった。

体調のせいなのか、ずっと飲まなかったせいなのか、それとも飲み物がそもそも合わなかったのか、なんと数時間後二日酔いのような頭痛と気持ち悪さに見舞われた。

500ml1本でそんな風になったことなくて、最初気のせいかと思ったけれど、どんどん頭は痛くなった。

起きてるのもしんどくなって、数時間通しで寝た。

22時過ぎに起きて、体に優しい夏野菜の味噌汁なんかを作って飲んだ。

正しくは、なすとみょうがの梅おかか和えを数日前に作ったけれど、味が好きじゃなくて(美味しいけれど好みの味じゃなかった)、それを味噌汁の具にした。

味噌汁にしたらめちゃくちゃ美味しくて、体に染み渡るようだった。

その後普通に小腹も空いてきて、私は生春巻きを作った。

元々生春巻きの予定は頭にあったから、予定通りは予定通りだった。

巻き方はうまくないけれど、自分が食べる分には問題ない。

生春巻きは、気になる男の人を誘うならもってこいの一品だと教わった。

男の人の意見は聞いたことないけれど、女友達からそう説明された。

何年か前、料理上手なその女友達の家で出てきて、私は初めて生春巻きを手料理として出す場面に遭遇した。

それまで私は生春巻きというのはお店で食べるものと思っていたから、普通に手作りで出てきただけで驚いた。

しかも私は生春巻きが大好きで、お店で食べる時、いつもお腹いっぱい食べたいと常々思っていた。

それが友達の家で再現されて、私はにわか信じがたい光景に出くわした。

友達に作り方を聞いたけれど、作り方はただ具を挟めばいい、春巻きの皮はどこそこで売ってる、とそれだけだった。

それよりもその友達は「これは男を落とす料理」という部分に熱弁を奮った。

男性意見は知らない。

関係ないけれど、男友達が「真面目に引いた料理」として「肉じゃが」を挙げた話があった。

冗談で「肉じゃが出てきたりして!」とかその前にからかったような記憶がある。

普段料理しない子なら、世の中のアンケート「彼女に作ってもらって美味しかった料理」みたいなのでは肉じゃがは大体1位だから、それ見て肉じゃが作るよ、とかそんな風に言った記憶さえある。

そうしたらまんまと肉じゃがが出てきて(しかも相手の女の子は料理が苦手らしかった)、相手の本気度がわかってそれが怖くて肉じゃがの味がよくわからなかったなどと言ってた。

男友達の何人かや同僚にはごはんやつまみを作って出したことはあるけれど、デート的な感じでごはん作ったことないから、果たして生春巻きがデート向けかどうかはよくわからない。
(私が言うごはんやつまみは、付き合う前の段階で、という意味。付き合ってからだと作っても「デート」とは違うことに気付いた)

肉じゃがの男友達のように、生春巻きなんて出したら、すごい本気だと思われて逆に男の人に恐怖を与えかねない。

ちなみに男の人がわかってないんだなと思った女の本気料理は「コロッケ」だった。

コロッケ出てきたら、その子は本気だと思った方がいいと、この手の話を男の人たちとする度に言ってる気がする。

豪華さはなくても手作り感、安心感、家庭料理感があるところが私なんかは計算高く感じてしまう(ちなみに私は作らない)。

コロッケほど面倒な料理はない。

私なんかはじゃがいもの皮むきがまず面倒くさい。

その後粉ふきいものようにいもを蒸かして、つぶして、冷まして、さらに具と混ぜ合わせて、成型して、揚げる。

具にひき肉や玉ねぎがあって炒めるなんてことになればさらに一手間増える。

揚げ物は後片付けも面倒くさい。

私はこの数年でコロッケを作ったのは2回あったかないかで、男の人に作ったことはない。

しかもコロッケ、そのアホみたいに手間暇がかかるくせして、コロッケだけ出すわけにもいかない。

デートなら副菜もいる。

コロッケだけで全エネルギーを使い果たしそうなのに、そこにプラスして副菜を作るなんて、本気で好きな人じゃなきゃ無理!と思う。

だから、生春巻きに関しても、男ウケするかどうかは微妙だなと思う。

何て言うんだろう…、私が初めて目にして「手が込んでる!」と思うぐらいだから(今は思わない)、あんなの男の人に出したら、ある程度仲が知れてないと本気だと思われる。

本気だと思われたいし思われてもいいという人じゃないと作れない、と今の私は思う(←ひどい妄想)。

ただ、生春巻きは私の好物だから、作るは作る。

1人暮らしの時は、生春巻きの皮は常備していたし、1回で8〜10本作って一食分として食べてた。

何回食べても飽きることはなくて、何を入れたら美味しいのか、その研究さえもやるほどにハマった。

タレも研究した。

ちなみに一番好きな具は、ひき肉を甘辛くしたもの。

昨日はエビマヨ風の味付けのエビを入れたけれど、それも美味しかった。

意外にイマイチなのがサーモンで、それは1回ぽっきりしか作ってないと思う。

今実家暮らしで父が好まないとなってから、生春巻きは作らなくなった。
(それとは別に何かを作るのが面倒だから)

だから両親不在となった日、私は生春巻きを絶対に作ろう!と心に決めてた。

思わぬ体調不良に見舞われたけれど、その時食べたいものを食べたいタイミングで食べれるっていいなと思った。

生春巻きをつまみながら発泡酒を飲んで映画の続きを見た。

真夜中の夜ふかしは楽しくて、でもどこか寂しくもあった。

久しぶりに長い時間テレビを見た。

映画2本、ドラマ2本、時々バラエティ、そしてニュース。

24時間ぐらいある中でそれだけのテレビを見たのは、もしかしたら10数年ぶりかもというぐらいに久しぶりだった。


9月9日(日) 午後

2日卵液に浸けたフレンチトーストは、すっごく美味しくできた。

クックパッドで約5000件つくれぽ(作ってみたよ!の件数)がついたレシピを参考に作った。

クックパッドのレシピは当たりハズレがある。

たとえつくれぽがたくさん付いていても、それが本当に美味しいかどうかはまた別物。

でも今回は大成功!

本当にカリッふわっなフレンチトーストができた。

卵液の作り方も簡単、焼き方のコツもわかったから、もういつでもまた作れる。

ちなみにレシピの人は男性だった。

個人的に男性のレシピは、作りやすい。

プロの男性料理家のレシピはイマイチだけど(←大雑把だから、細かいの苦手)、そうではない一般人の方のレシピは簡単で間違えてもテキトーにできる。

水切りヨーグルトも、本当に良くできた。

ざるの上にペーパータオル敷いてそこにヨーグルトを置くだけ。

ざるの下に皿なりボウルなりを置いて(染み出す水をキャッチする用)、そのまま冷蔵庫に置いておけば、重力?引力?の法則で水が抜けてチーズみたいになる。


最後の1人食卓は、またもや生春巻きを作った。

今度はエビも肉もなく、ハムを少し刻んだのと、あとみょうがを足した。

野菜オンリーでも十分美味しかった。

正月に撮ってずっとそのままにしていた『君の名は』を見た。

あんなに話題になったのに、今の今まで一度も見ずにきた。

何十回と見たい映画だった。

生春巻きをつまみながら、『君の名は』を見ながら、出てきた言葉。

「物語を紡ぐ」

物語を書くとか、何か特別なことをするとか、そういう意味じゃない。

毎日の中にある自分とどうやって自分の物語を紡ぐかということ。

昨日も今日もすごくグロッキーだった。

体調よりも、心の中のドロドロが噴出して、自家中毒でも起こしそうだった(あの500ml1本でやられたのは、それかも…)。

だけど、生春巻き作って食べて、『君の名は』を見てたら、何か違うことしたくなって、気付けばいつもと同じようにノート広げてまたあれこれ書いてる。

その前にものすごく手際よく掃除もした。

感動的に手際が良くて、今日は何のスイッチが入ってくれたのか、できたらこれは体に感覚を覚えておけないだろうかと思うほどだった。

外の雨模様も気に入ってる。

雨が降っていても鈴虫は鳴くらしい。

気持ちが地中深くにある時は、天気は悪い方が落ち着く。

晴れだと天気に合わせて元気なふりしなきゃと思うかもしれないけれど、元々天気が悪ければ「天気も悪いしね〜」と自分と一緒で「まぁそんな日もあるわね、仕方ないか」とすっと受け入れられる。


料理ファイナル

父と母は外で食べてくるということで、私はまた1人食卓を堪能できることになった。

夕飯を作らないといけないかと思って、日が暮れる前に家の裏に行ってネギを取りに行った。

ついでに家の前の小さな家庭菜園とも呼べないところから、ひらがなの「し」のようにへん曲がったきゅうりを1本見つけて収穫した。

メニューは決まった。

生春巻き。

ハマると何食とか連日食べるとか全く抵抗のない私は、平気で同じものを連チャンで食べる。

昨日から数えて通算3食目の生春巻きを作った。

具は野菜のみ。

きゅうり、玉ねぎ、みょうが。

36時間ぐらいの間で3回も食べるとさすがに飽きるとわかった。

「飽きる」という気持ちが出てきたのはすごく良かった。

食事レベルは飽きても飽きなくてもそこまで大きく差し支えないけれど、これが大きな選択になればなるほど飽きてもらうことが大事だったりする。

飽きる=次の何かに向かおうとしている、という合図だと思っている。

今週は少し新しい風を入れようと思っている。

気は進んでいない。

それでもそこまでやらないと私は動かないんだと思う。

何でもいいから飽きる、それも自然に飽きるのがいい。

3回目の生春巻きは食べるまで楽しみにしていた。

だけど、食べたら「もうしばらく食べなくていい」となった。

結果は何でも良かった。

「気持ち→行動→結果」こんなにもシンプルなのに、これが人生が絡むと途端に1つ1つが重たくなる。

言い訳も思考も逃避も停止も一通りやった。

もう行動あるのみの前に来ていても、本気で怖すぎて動けない。

だから、単純に「気持ち→行動」のその移行が今自分が望んでるような感じとは違うから、その中でまだ「気持ち→行動」を確実に移行できることからやっている。

今回、生春巻きのおかげで、大量の野菜を刻むことをした。

刻みながら野菜の姿、形が変わる様を見ていた。

生春巻きの時のきゅうりの切り方とポテトサラダに入れるきゅうりの切り方は違う。

それぞれに相応しい形がある。

頭の中に形がある。

それを具現化する。

このスムーズな過程と目の前で変身するきゅうりを見ていた。

包丁を持つ私の手は一切の迷いがなかった。

この迷いのなさに惚れそうだった。

結果は何でもいいからこの迷いのない感じが欲しいんだなぁと思いながら、最後の1人ごはんの準備を終えた。

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