2018年6月29日金曜日

東京ヒーリング②

2018/06/27(水)
Oさんのヒーリングを受け終わった。

慌ただしくレンタルのセラピールームを出て、建物の入り口で施術代を払った。

その時に、また何かあれば、それはどうでもヒーリングの施術でなくてもこうしたこと全般に関する情報の質問でも何でも構いません、連絡をくださいと言われた。

私はその時はまた連絡して、個人のセッションのようにしてもらうことは可能ですか?と聞いた。

そうしたらなんと、「いや、武士俣さん施術希望じゃないんですよね⁉︎それであれば、普通にカフェとかでお茶しながら単に話すで大丈夫です。僕、そんな大仰なことをするつもりはないんで」と言われた。

それはものすごーくありがたい話だった。

そしてこの後1〜2時間なら時間あると言われたから、近くでお茶することにした。

大通りに出る道すがらOさんに私はお願いをした。

相手のエネルギーや意識と関わる際に気をつけなければいけないこと、基本的な姿勢、マナーやルール、してはいけないことなんかを教えて欲しい、と。

1ヶ月前に、自分が相手の人からその人の状況を聞くと、それは対面・電話・メールと手段は問わず、即座に相手のその状況に対しての現実的なヒントがわかるという自分特有の体質がわかって、それに関して実は相手の意識にアクセスしていてそこから直に情報をもらっていたことが判明した、というのはセッション中にOさんに話してた。

(ちなみにOさんいわく、私は相手の魂にダイレクトに繋がってしまうらしい)

それがわかってから、私は相手の意識とかにアクセスしてしまうことに関して、マナーやルールを学ばないといけないと感じた。

例えば、相手の許可なしに相手の情報にアクセスしてはいけないことや、相手の人生だからその人が持つ自分の人生を選ぶ自由意志を尊重することや、そのためにその意志を脅かしたり否定するようなことがあってはいけないこととか、まぁ挙げたらキリがないぐらいに沢山あると思う。

知ってることもあるけれど、どちらかと言えば知らないことの方が多い。

それで信頼できる人に聞いたけれど、その人が知ってることは教えてもらえたけれど、それだけでは私の方が満足できず、さらに自分でもそうしたことを教えてくれる講座を探した。

ところが探せど探せど、そうした講座がない。

私の調べ方の問題もあると思うけれど、とにかくない。

技術を教えます的な講座は山ほどあっても、そうした基本姿勢やその分野のルールだけを教えてくれる講座もなければ、それを特化して教えてる人もいない。

(私の勝手な予想だけど、基礎基本をきっちりしてる人たちは、現場でじゃんじゃん活躍してる人たちだと思う。それも教える側ではなく、一人一人のお客さん相手に)

自分もいざこうなってみてわかったこと。

技術は他の人が教えられるものではないし、そして技術を私が他の誰かに伝授することもできない。

どういうことかと言うと。

メールを作ることを想定して欲しい。

相手は、上司、仕事の取引先、仕事の後輩、気心の知れた友達、何年も会っていない昔の友達、両親、兄弟、恋人、商品について問い合わせしたいネット上の店舗だとする。

それぞれの人にメールを出す、と想定する。

当然、使う言葉も、論調も、絵文字の有無も、内容もそれぞれ異なる。

文章の書き方講座はあっても、それぞれの人がどんな風に文章を組み立ててとかどの言葉を選ぶとかいう感覚やセンスについては誰も教えられない。

そして誰しもが、自分のそうした感覚やセンスを論理的に説明してそれと同じことを他の誰かも全く同じようにできるように伝授する、なんてのは絶対にできない。

だからそうした感覚的な技術を教えることも伝授することも私は基本できないと思っている。

なのに世の中にはその手の講座が溢れ返っていて、でも反対にそうしたエネルギーを扱うことに関しての基礎基本を教える講座がない。

交通ルールのように、赤信号なのに進んでは危ない、止まれの標識があったら止まる、一方通行の道路には進入しない、と一緒で、人の無意識に関わる仕事をする際もそうしたみんなが守るルールがあると思う。

私はそれを知りたかった。

だけど探してもなくて、そういう人がもしいたら直で教えてもらえないかとずっと思ってた。

そうしたら、Oさんが目の前に現れた。

しかもそうしたこと何でも自分が知ってる範囲で教えますと言ってくれる。

Oさんは言った。

「武士俣さん、そういう講座ないと思いますよ。武士俣さんが言うようにすごく大事なことだけれど、それを教える人は本当にいないですね」

「僕も完全に独学だけど、それでも良かったら武士俣さんが知りたいこと、僕の知ってる範囲で構わなければいくらでもお伝えします」
そう言ってもらえた。

Oさんは本当にすごい人だった。

施術中の在り方や技術もさることながら、予約のためのやり取りをした時でさえもきちんとしていた。

何せ私は友達の洗脳騒ぎがあったから、本予約の前にその影響を受けてる可能性もあるけれど、それでもヒーリングセッションを受けさせてもらえるかどうかを聞いた。

その時にOさんは大丈夫であることだけではなく、全力でサポートさせていただきます、と言ってくれた。

Oさんの力は計り知れないものがあった。

これまで会ってきた人たちの中で、Oさんの人や物を見通す・透視する技術は、仙人級の2人を除いては断トツ1番だった。

仙人級の2人は、あまりにも凡人離れしていて、勉強会やセミナーにはそれぞれ2回ないし3回通ったけれど、とてもじゃないけれど真似もできなければそこから何かを学ぼうと思ったら私は一生かかってもその人たちと同じ土俵に立って実践できるようなレベルにはならないんじゃないかと思った。
(ちなみにそういう方たちは、人間的にも素晴らしくて、どんなに小さな凡人の質問にもきちんと答えてくれる、それもとてもわかりやすい言葉で)

そんな特殊な2人を除いたら、Oさんは本当にズバ抜けて凄かった。

しかもそれはどこかで習ったのではなく、本人も独学で300冊以上の本を読んだりしながら自分の知識を深めていった。

さらにそもそもの透視の力と呼べばいいんだろうか、その正確性たるや半端なかった。

そして、実際にサービスを提供する時の姿勢なんて、びっくりするぐらいにきちんとしていた。

たくさんの勉強会やワークショップ、セミナー、個人セッションを受けたおかげで、Oさんが突出してきちんとしてることはすぐにわかった。

だからこの人からそうした姿勢を教えてもらえるなんて、私からしたら棚からぼた餅状態でとってもラッキーなことだった。

そもそもの事の発端は、友達の洗脳騒ぎから始まった。

洗脳かも?と思った時に、私は洗脳について色々調べた。

それでヒットした1つがOさんのブログ&ホームページだった。

だから、洗脳のことやそれによって自分が具合が悪くならなければ、そもそもOさんにたどり着くことは絶対になかった。

そしてその洗脳についての記事を読んだ時に、こうした私みたいな後天的に自分の特質とか力みたいなのに気付いた人向けの記事を同時に見つけた。

それはOさん自身の体験から得た教訓や知恵で、私はそれでますますOさんという人に会ってみたくなった。

だからOさんのヒーリングセッションに申し込んだ、という流れだった。

ガストでOさんと話してる最中、Oさんは何回も「わかってますよね(^^)」と私にニコニコしながらも、絶対に有無を言わせない圧をかけながら私に確認してきた。

Oさんの「わかってますよね(^^)」は「わかってますよね、武士俣さん、自分の道を」という意味だった。

少しさかのぼってホロスコープの講座の後のカフェタイムでのこと。

今回は12星座についての学びだった。

その質問の中で「魚座の何でも受け入れるのと水瓶座の受け入れるのと何が違うのか」みたいなのがあった。

先生はこんな風に説明された。

「魚座の受け入れる、魚座のカオス感は他の11星座には全くないものです。
水瓶座はそれまでの10星座と同じで、現世や現実にあるものを見てそれを全部受け入れようとする。
一方、魚座の『何でも』受け入れるの『何でも』は、現実的なことだけじゃなくて、目に見えないもの、人の心も宇宙も現世も過去も未来も過去世も、時間も空間も軽々しく超えて本当に何でもかんでも受け入れちゃいます。だからすごくカオスな感じになります」

周りの人たちはぽっかーんだった。

魚座の私にはその説明がよくわかった。

友達にも何人か魚座の人がいるから、総体的に見てもみんな多かれ少なかれぶっ飛んでる。

「参考になるかわからないですが、私太陽と火星が魚座で、こんな風な感じだと思います。
私は他の人からその人の状況を聞くと、瞬時にその人がそれに対してどうしたらいいのかがわかってしまう、ということが最近周りの人からの指摘でわかりました。
気付いたのは最近でも、実際にそうしてたのはもうかれこれ10年ぐらいになります。
どうやら相手の無意識にアクセスしてそこから情報をもらっていたみたいなんです。
だから相手からすると、まるですぐ隣りで私が一部始終を見ていてそれで何かそのためにできることを言ってるのかと思った、と言われました。
決して見えたり聞こえたりするわけじゃないですが、情報をそのままキャッチしてしまうところがあります。
そういう意味で、時間も場所も人との境界線もポーンと飛んでしまうことがあります」

みんな聞いてくれたけれど、一瞬シーンと変に静まり返ったのはわかった。

その後もみんな普通に私とも接して話してくれたけれど、その時の感じを見て久しぶりに認識した。

自分の体質的なものが人とは違うことを。

今はそういうのに理解のあるもしくは興味のある人たちとしか会ってなかったから忘れていたけれど、基本的には私はズレてる。

そういう時に、自分の持ってるものにはたと気付かされる。

優越感に浸るような特別感は一切ないけれど、人とは違うという意味での特別感、特別じゃなくて違っている感みたいなのはある。

そして、そんなのを持ってるのは、しかも持ちたくて持ってるのではなく、気付いたらそうだったというのは、多分それが自分の生きる道に必要だからもたらされてるものだと私は思ってる。

そしてそれというのは、自分のためじゃなく、他の人たちに使ってもらうためにあるものだというのも薄々気付いてる。

Oさんはこうも言った。

「ホロスコープが方便、洗脳が方便ってこともわかってますよね(^^)」と。

Google先生によると、方便とは「仏教で、人を真の教えに導くための仮の手段」とある。

そして、私も東京入りする3、4時間前にブログにこう書いてる。

【私は6回ホロスコープの講座に参加することももちろん大切だと思っているけれど、多分もっと大事なのはそれ以外の部分だと思ってる。】

ホロスコープの講座は、はっきり言って手段でしかないというのは、前回5月に初回の講座を受けて気付いた。

確かに先月はホロスコープにどハマりしていて、それでやっとキャンセル待ちが取れてホロスコープの講座を受けれるようになった時は、とても嬉しかったし舞い上がった。

舞い上がってはいたけれど、いざ受けてみたら、自分の道とは違うとはっきりとわかった。

今回2回目は楽しかったけれど、初回は完全なる勉強型の内容で、理論や理屈なんかが苦手な私からしたら、ホロスコープの難解な理論たちには辟易とした。

だから、正直、私はキャンセルできるなら普通にキャンセルしてた、2回目以降。

ところが私がキャンセルしなかった理由がある。

なんと全6回の講座は、先生と主催者の方の意図で、受講者は変えずにそのまま最後まで通しのメンバーで講座を進めることになっている。
(というのは、前回初めて知った)

私はてっきり1回1回単発で、興味のある回にだけ各自が申し込むのだと勘違いしてた。

万が一受講者が都合つかなくて行けなかった場合、1回あたりの受講料5000円を納めて、音声資料(授業はボイスレコーダーで全て録音)+紙資料をもらうというシステムになっている。

となると、行かない方がある意味損するような感じになるわけで、行かざるを得ない。

もしキャンセルできるなら、残りの受講料25000円もあれば、私は他のところに使いたい。

だけど、講座に出ても出なくてもその金額が発生するなら、もう行かないわけにはいかない。

だから2回目以降の今回も私は出席した。

この時点で、私にはどうにもできない強制力が働いている。

10年近く意味不明な出来事満載の人生を送ってわかってきたことは、自分の意思ではどうにもできない理由や状況が発生した場合、私の場合は何が何でもそこに行くなり参加することで大切な何かを手にするようになっている。

そういう時、私の表立っての意思は全く関係なくなる。

例えば、今回なら「キャンセルしたい」が本心でも、そうすることができない絶対的な条件が生まれている。

そうした時は百発百中、表面的な出来事とは別に、もっと別の出来事や人、体験なんかを得るようになっている。

そんな水面下のことは当然実際になってみないとわからないから、私はこの法則に気付くまでは毎回「何でこんなことしなきゃいけないの?」とか「何でキャンセルできないの?」とかそりゃ文句も出たし、場合によっては徒労に終わるその不満(クレーム)も言ったりもした。

まぁ今回はホロスコープは勉強して損することもないからまぁいいかとは思ったけれど、それでも「何で行くのかな?」と思わないわけでもなかった。

だからOさんが「ホロスコープが方便」と言った意味はよくわかる。

ホロスコープの講座で半ば強制的に東京に行くことになったから、私はOさんのヒーリングセッションも受けようと思ったけれど、そもそも東京に行く用事がなければ私はOさんのセッションの予約なんてしなかった。

すごい人なのはブログの文章でわかっていたし、なぜか安価に提供してくれてるからいつかは受けてみたいとは思ったけれど、特段困ってるほどの状況ではなかったから、そのためだけに東京に行くことは絶対になかった。

今回ホロスコープ講座で東京に行くからこそ、Oさんのヒーリングもついでに予定に組み込める、当初はそんな風だった。

だからそもそもは、ホロスコープ講座がないことには成り立たない今回の東京行きなわけで、そしてそれ故にOさんとも知り合うことになるわけで、私が本来の目的や道から外れないように周りから固められた感はかなりある。

Oさんはさらに言った。

「『隙間がない』って僕が言ったのは、『考える間を与えない』って意味だったんです。
武士俣さん、今日ここに来るまでギリギリじゃなかったですか?」

Oさんの言う通りだった。

私は本当にギリギリだった。

午後ホロスコープ講座を受けて、その後近くのカフェに移動して先生と主催者の方と他の受講者たちとで質問タイム的な感じで時間を過ごした。

ホロスコープの講座自体は約3時間ある。

だけど、あまりにも情報量が多すぎて、質問してる暇さえない。

先生も全力でその日に伝える予定の知識をとても丁寧にそして全部伝えてくれる。

それで時間が来て、今度は場所を移してもう少しゆったりとした感じで、授業の時に聞けなかったことを質問したり、ホロスコープ全般のことで気になることをお互いにシェアしたりする。

それが終わってから、私と同年代の女性2人と駅に向かって歩いて、そのうちの1人の子が「時間あるならちょっとお茶しませんか?」と誘ってくれた。

それで3人で有楽町のふわふわの絨毯が敷かれたカフェに入った。

メイドカフェみたいな制服を着た綺麗なウェイトレスさんが来た時に、注文して飲み物が出て来るまでにどのくらい時間がかかるかを聞いた。

逆算すると、セレブなコーヒーを飲むのに10分程度しかないことが判明した。

それだと2人とのおしゃべりも楽しめないどころか美味しくコーヒーも飲めない。

泣く泣くカフェは断念して、2人とウェイトレスさんには謝って、注文をせずに店を出た。

有楽町では方向音痴力を存分に発揮し(涙)、神楽坂までの移動の最中は、乗換案内には表示されなかった地下鉄一駅分ぐらいの徒歩での移動があって、それで神楽坂に着いたのは開始10分前だった。

レンタルスペースのホームページにはとても丁寧に駅からの行き方が示されていてそこには「徒歩5分」とあったけれど、実際には「早足+小走りで5分以上」私はかかった。

スニーカーを履いてきた自分にものすごく感謝した。

そして何とか瀟洒なレンガ調の建物の中の部屋に着いたのは開始1分前だった。

暑かったのとすごい運動と緊張とで、私は更年期の女の人みたく汗だくになっていた(←単なる体質)。

相手の人が気付かなきゃいいなと思っていたら、もちろん気遣い上手な方、すかさず「暑いですか?温度下げましょうか?」なんて言ってくれて、私は即座に言い訳じゃないけれど自分の体質をさっと説明しながら大丈夫です、なんて話していたから、もう何も考える余裕もなかった。

だから本当にギリギリだった。

それはOさんもそうだったとのことで、その前に勉強会があって、それが思いの外相当延びたとのこと。

それでOさんも急いで駆け付けたようだった。

さらにOさんは続けた。

「今日誰もいないことに気付きましたか?」

「例えばセラピールーム、今日は僕たちが使ったところ以外は空いていました」

その瀟洒な建物は3階か4階建ぐらいのマンションで、私が行った部屋はその中の1つの3LDKみたいな部屋で、玄関のドアを開けるとそこで靴を脱いで、さらにはそれぞれの部屋がセラピールームに改装されてる風だった。

靴を脱いだ時に確かに私以外の靴はなかった。

Oさんの言い方だと、多分普段は他の部屋も使われてることが多いんだと思う。

さらにガストに行ってからもそうだった。

最初からガストだったんじゃなくて、適当なカフェは9時閉店で早すぎて、それでOさんが「もう少し歩いたら何かしらあったと思います。あっ、ガストがありましたね!」と看板を見つけて言って、それでガストになった。

ガストの中は混んでいた。

混んでいたにも関わらず、私とOさんは、5組ほどが座れそうな一画の席に案内されて、そこだけなぜか誰もお客さんがいなかった。

そして話終わる頃、私たちの隣りの席に綺麗なOL風のおひとり様の女性が案内されて座った。

「魂にとって本当に必要なこと、大切なことを聞いたり体験する時は、隙間がなくなるのと同時に、周りには誰もいなくなります。
今日がまさにそうだったので、僕は最初から今日はそういう流れなんだろうなと思って見てました」

本気で驚いた。

隙間がないのはまさに!だったし、人がいないことも本当にその通りだった。

しかも人が近くにいないことは、特に私の場合、重要なことだった。

私は人と話してる時でも周りにもっと気になる人や物があると、平気でそちらを見てしまう癖がある。

ものすごく良く言えば好奇心旺盛だし、悪く言えば注意散漫ということになる。

だけど、今回は他に気を散らす場所は全くなくて、Oさんと話してる間中、ずっと集中できてた。

魂の聴覚ではないけれど、全身全霊をかけて話を聞くことができた。

色んな話の中で、Oさんは物質が存在できる確率について説明してくれた。

読みやすくするために最初にいくつかの数字を紹介。

2の2乗は4。
2の3乗は8。

2分の1=1/2
10分の1=1/10

Oさんいわく、物質が存在できる確率は『10の37乗分の1』らしい。

       1
ーーーーーー
10の37乗
(分母が10の37乗で、分子が1)

天文学的数字過ぎて全く想像もつかなかったけれど、Oさんは続けて説明してくれた。

①アメリカ大陸を10個並べて、そこに一円玉を端から端までびっしりと敷き詰める

②①掛ける(×)ことの月までの距離

③②掛ける(×)ことの3だったか6
(Oさんもどっちか忘れたと言ってた)

④その中に1個だけ赤い一円玉を置いておいて、それを目隠しして一発で引き当てる

ことが『10の37乗分の1』という確率らしく、そしてそれが物質が存在できる確率らしい。

万が一、今目の前でOさんがテーブルを指で押して、もしそのテーブルが凹んでしまったら、それはすなわち核融合が起こることになって、その瞬間全てのものが存在できなくなる、存在できる確率に歪みが生じて全てが消えて無くなると言っていた。

だから、今私がいることも、目の前にOさんがいることも、テーブルも椅子もメニューも、それぞれのものがそれぞれの形をしてそこに存在しているのがどれだけあり得ないことの連続なのか、そしてそれはすなわち生きていることも生きている毎日もそうなわけで、本当に存在するというだけでどれだけの確率の上に成り立っているのかその凄さを改めて思い知った。

私はその話をすぐに丸っと飲み込めた。

というのも、何年か前に、筑波大学の名誉教授で遺伝子学を研究している村上和男先生の講演会に行ったことがあった。

村上和男先生いわく、どれだけ科学や技術が発展しても、今もって私たち人間の遺伝子がどんな分子から成り立っているのか解明できないらしい。

例えば人間は、血と水と皮膚と筋肉と内臓と骨でできてるのはわかる。

そしてそれらを形作るDNAというものが存在してるのもわかる。

だけど、1つ1つを解体して、1つ1つを最小分子にまでした時、じゃあその最小分子が何からできているのか?と言うと、今も全くわからないとのこと。

だから、そうしたものを誰が何が作っているのかはわからないけれど、それがあって初めて私たち人間が存在できること。

そしてその解明できない最小分子については、到底言葉やデータ、数字では説明できないもの。

それらの事実を踏まえると、人間を作った創造主にあたるものは、もう先生の中では「サムシング・グレート」としか言えない、表現できないと言っていた。

村上和男先生の言葉の意図と私の説明とにギャップがある可能性もあるけれど、おおよそそんなことを言っていた。

だから、村上和男先生の話とOさんの話とは共通してるものがあった。

そしてどちらも伝えてくれていた。

存在してるそのものがもう奇跡であること。

だからどういう因果か、こうしてOさんと出逢うこと、話をすること、そもそも私がこんな風に精神世界の方に入っていくこと、自分の少し変わった体質のこと、それら全てがそのように起こっていることがもうあり得ないことだらけで、そんな中に今この瞬間に自分がいるんだと思ったらすごい確率だった。

それってさっきの一円玉のアメリカ大陸を100個並べてもまだ足りないぐらいの確率で起こっていると言っても過言じゃない。

ヒーリングのセッションの後、Oさんが説明してくれたことの補足説明ももっと詳しくしてくれた。

最初に言われたのが、私は良くも悪くもドMな人間であること。

それは性的嗜好ということではなく、人間としての性質として。

Oさんが私をドM呼ばわりしたのはこういう理由だった。

「自分のことが許せない」「もっと痛みが欲しい」「もっと自分を罰して欲しい」というのが根底にとてつもなく強くあるとのこと。

それを聞いてガックシきた。

自己否定とかの傾向があるのは30代になってから気付いて、私はその辺りは相当自分では気をつけるようになったし、そのための心理的なワークも相当やってる。

自分のことも極力労ろうと思ったし、自分を大切にすることは意図的にやっている(無意識だと自分を辛い方に持っていきがちだから)。

なのに今もまだそこが根強いと聞いて、愕然とした。

私もっと痛みが欲しいと思っているんですか?そんなのあり得ないです、と言った。

本気でこれまで散々だったから、もう痛いのとか苦しいのは嫌だった。

でもOさんは私は今もまだ痛みを欲しがってると言われた。

じゃあ何で欲しいのか、欲しくなければどうしたらいいのかを教えてくれた。

「武士俣さん、痛みの中に入って下さい。
それはもっと傷付くという意味でもないし、他の人から傷付けてもらうという意味でもありません。
『痛みの中に入る』というのは、すなわち『今逃げてることから向き合う』ということです。
痛みは、逃げてる自分が許せないことで生まれます。
でもその逃げてることっていうのは、魂レベルでは『逃げたくない・向き合いたい・携わりたい』ことなんです。
魂はそれを本気で望んでいます。
それに向き合いたいんです。
だから向き合わないと、痛みが生じてしまうんです。
痛みの中に入って下さい、というのはそういう意味です。
そして入ってしまえば、痛みは消えます」

Oさんはさらに言った。

これからしばらく大変になります、と。

過去世から来ている膿出しをするから、しばらく苦しいことが色々出てくると思います、と。

これにもガックシきた。

先月ホロスコープの先生から「今、武士俣さんはカルマ的な膿出しの時期です」と言われた。

ホロスコープの先生と裏で結託してるのかと思ったぐらいにOさんの口からも同じ言葉が出てきてビックリした。

Oさんはもっと説明してくれた。

「武士俣さんの過去世、色々あって濃いです。
ヒーラーさんとかに多いのですが、大量虐殺とかもしてます。
死刑囚の看守だった過去世も持っています」

私はその辺りはみんな多かれ少なかれ殺すなり殺されるなりしてると習ってきたから抵抗はなかった。

何かしら事情があってそうしたんだと思うし、実際にそんなこと言われても今の私がその時代に戻ってできることなんか何もないんだから、とかなりドライに割り切ってる。

異国の戦争並みに遠い話でしかなかった。

だけど、それらからくる膿出しとなると話は違う。

感情的にリンクするものが今の人生のどこかと重なり合っているんだと思う。

それを癒すことが恐らく今の人生の課題の1つで、「癒し」となれば当然その前に「傷」があるわけで、またそんな傷を触るようなことをしなきゃいけないのかと思うと、そこに対して気が重い。

でも2人の全く別の人たちからそう言われるということは、今本当に取り組まないといけないことなんだと思う。

わからないけれども、それを体験するための出来事が起こるなりして、それを体験して癒して終わらせる、又は新しい価値観に生まれ変わらせる、そんな風じゃないかと思ってる。

私は自分の過去世を人から聞くのは2回目だけれど、1回目に聞いた過去世がとても良い意味で生かされてることを知った。

1回目は今年の2月のホロスコープ鑑定の時だった。

その時に教えてもらったことは、とても私を励ましてくれたし、今を生きるための勇気や希望を与えてくれるものだった。

そしてその過去世の時に関係があったと思われる人と今世でどうやら再会できたと知って、私はとても嬉しかった。

ましてや10歳前後までしか生きられなかった時に人生で逢えた大切な1人に再会できた、今世でもう一度逢えたとするなら、それはとても甘美で私の心をものすごく引き上げてくれた。

そうしたファースト過去世の話があったからこそ、私は今回の話もすんなりと抵抗せずに聞けた。

抵抗が出たのはあくまでも「膿出し」のところ。

もし、今回の大量虐殺の過去世がファースト過去世だったら、受け入れられなかっただろうし、それ違うと思うとか何とか言って勝手に否定してたと思う。

でも、ファースト過去世からの情報は私に勇気や希望、温かいものをもたらしてくれたから、今回の過去世も冷静に聞いて、そしてそれ故に何かしら私が越える必要があるものが存在しているんだろう、そう思えた。

Oさんは他にもこんな風に言ってくれた。

「『この道の感覚』と『現実的なこと』その両方を楽しんでください。
自分の力的なことに関して、そんなはずないと思いたい気持ちもわかります。
だけどそこは『その可能性もある』ぐらいにしておいたらいいんじゃないかと。
もちろん、その道に進む進まないは武士俣さんの好きだし、進まないからダメということではないんで」

Oさんは言ってた。

自分も何でこの能力なんだろうと思ったとのこと。

世の中にはたくさんの能力や才能があって、何も今のものじゃなくていい、むしろ違う方がいいのに、と思うとのこと。

今でもサラリーマンができるならサラリーマンをしたいですと言っていた。

冒頭に書いた仙人級のうちの1人も同じことを言っていられた。

霊能者なんてのは世の中で一番信用されない職業だし怪しいもので、社会的信用なんて丸っとない。

だけどこういう体質である以上は、そしてどう抗ってもその流れにしかならないから、そこは腹を括って今はお務めをさせていただくという気持ちでいる。

でも今でもその世界から不要、やる資格なしと言われて辞めれるのであれば、いつでも喜んで辞めるし、本来好きでやっていた仕事に舞い戻ります、と。

その仙人級の人いわく、スピリチュアルなことを仕事にしてる人の9割は偽物で、残りの1割の人が本当にする必要があってしてるし、そういう人たちは生まれからしてその土俵に上がるべく色んなことが起こるし、色んな体験もする。

やりたくてその世界に入ると言うよりも、やらざるを得なくて入るとしか言いようがない。

だから趣味でやってる人たちなんかを見ると「やめときなさい」と老婆心ながらに思うと言ってた。

それは憧れてなる職業でもなんでもなく、本当に役目として生まれてくることを選んでいる魂はそれ相応のことを持って生まれてくるし、体験もそれに相応しい(=きつい)ものになる、と。

ちなみにOさんもその色んなことがわかり過ぎる体質になって、逃げても逃げても逃げられなくて、結局最後できることと言えば今してることだけしかないから、それでやってるに過ぎないという言い方をしていた。

だから中途半端なスピチュアルなブームに乗ってたり足を突っ込んでる人たちが苦手だし嫌いだというようなことを言ってた。

それは私も同感だった。

Oさんに間違いないだろうと思って聞いた。

「Oさん同業種の友達、いないですよね?」

Oさんは即答でにこやかに「いません」と答えてた。

そしてそれらの話の最中にも何度も何度もOさんは私に
「わかってますよね(^^)」
と言ってきた。

武士俣さん、自分の道、わかってますよねと。

Oさんみたいな透視の力があって、さらには自分も逃げきれずに今の道に立っていて、そして実際に実践している、そんな人から言われる言葉の重みや響き方と言ったらなかった。

その人から何度も何度も「武士俣さん、わかってますよね(^^)」と言われて、さすがの私も否定したい気持ちはものすごくあるけれど、正面きって否定もできなかった。

Oさんが言ってくれた。

「武士俣さん、家庭的な人ですよね」と。

気の利いたことなんか1つもしてないし、初めて会ったわけだから、私の日常や趣味なんてのはOさんは何も知らない。

Oさん的な透視の方法で感じたままに、他の私の特徴をズバズバ言い当てるのと同じで、家庭的と言ってくれたんだと思う。

私はOさんに言った。

「私は本気で今でも専業主婦したいと思っています。
元々結婚したかったし、キャリアとかお金稼ぐとかも本当に興味がないです。
好きな人と添い遂げて、家にいてご飯作ったり掃除したり、そういうのもすごく好きだし、そういうのに憧れます。
むしろそうさせて欲しいと思うくらいに」

「でも、わかってますよね(^^)」とすかさず言われた。

わかりたくないし逃げたいけれど、それは今も変わらないけれど、多分そのわかりたくなくて逃げたいことが私が人生でやっていくことなんだろうと思う。

そして魂が望んでいることなんだと思う。

でなければ、こんなにもピンポイントで、しかも発端は友達の洗脳騒ぎで、その道の実力者に紹介もなく一発でポーンと繋がるわけがない。

そして、今回のやり取りを通じて、この全ての話を聞くために私の準備が整ったこともわかった。

私は自分が楽にさえなれれば、手法とかにこだわりは一切なかったから、とにかく色んなことを試したし調べた。

本もたくさん読んだ。

スピ系だけで300冊は超えてると思う。

アメリカ大陸のような話(量子力学と呼ばれる学問)や過去世についても、ガッツリと学ぶことはしてないけれど、周りのスピの先輩たちがそれはそれは丁寧にわかりやすく私に教えてくれた。

他にも、一般的にはマイナスなことを言われてもそこに相手の真意を汲み取ったり、事の真意を理解するだけの術も持っている。

「もっと痛みが欲しい」なんて言われたら、普通は「はぁー(怒)⁉︎」だと思う。

私も最初はそのぐらい純粋で可愛らしい反応ができてた。

でも色々鍛えられたおかげで、言われた事の意味を聞く癖もついたし、それに対して自分自身を照らし合わせて見つめ直す癖もついたし、そして自分に寄り添うこともどんどんするようになった。

そしてOさんが教えてくれたマニアックな情報たちの話に普通についていけるほどの知力も手にした。

それは、自分が全て受け取る準備ができたこと、そしてそれらと向き合う覚悟ができ始めたんだと思ってる。

頭ではまだまだ理解できなかったり、いやいや私普通に結婚したいからと往生際悪く今でも思うし、まぁしばらくは煩悩の自分と魂の自分とのバトルは避けて通れない気がする。

バトルというか折り合いをつけるというか。

それでももうこの色んなことたちが自分には必要で起こっているとも思っているし、どこかで少しずつ覚悟しなきゃいけないだろうことも覚悟している。

そして私もOさん同様、逃げられない人の1人なんだと思う。

Oさんは最後の方に言った。

「僕は今自分の仕事が好きです。ようやく好きになれました」

私がそんな風に言えるのはいつかわからないけれど、そもそもまだスタートもしてないわけでスタートはいつ?というもっと最初の方から始めないといけないんだけど、自分もいつかそんな風に言えたらいい。

もしくは「やらない・関わらない」と決めて人生を歩むとしても、その人生を心から楽しめる自分になりたいと思っている。

《追記》
ここまで通しで読み返した時、最後の「やらない・関わらない」なんて選択肢が私には本当にあるんだろうか?と思った。

何なら来月もOさんに会って個人レッスンを受けてくる。

そんな人が関わらない、なんてあるんだろうか…(汗)。

私はまだしも、Oさん忙しいのに、その中で時間作ってもらって会うのに、なのにやらないなんてあるのだろうか…。

ましてや今回のホロスコープ講座のカフェタイムで言われた。

2020年年末、天体がすごい重なりを生み出す。

木星と土星と冥王星が重なる。
(『グレートコンジャンクション 2020』とでも入力して検索するとたくさんヒットします)

そこに私の場合は、個人的なものまで一緒に重なって四重奏になる。

周りのクラスメートたちからも主催者のホロスコープの鑑定の先生からも、お墨付きで何かが大きく変わる時だね、と言われた。

そんな人が「やらない」とか「関わらない」なんていう選択肢が本当にあるんだろうか…。

今調べてみた。

その3天体が重なるのは一般的に250年に一度らしいけれど、本気で調べた人の記事に行き着いたら、前回は1681年とのこと。

約340年前にあった天体の重なりが今回また生まれる。

そこに自分の個人的な天体(私の場合はMCと呼ばれる感受点→社会で到達するポイントや役割、キャリアを表す点)が関われば、何もない方がおかしい。

そういうことを考えても仕方ないから、私は目先のことに目を向けることに気を配ろうと思う。

今回Oさんから指摘されたことの1つに、地に足がついてなくてフワフワする傾向があるから、そこも調整しました、と言われたばかりだった(-_-;)༄

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