2018年6月4日月曜日

長い目で見て選び抜く力

たまたま人気記事とやらが出てきて読んだ。

3歳になる前の子どもを持つお母さんだった。

小児科を受診したら、体のことではなく発達障害を疑われて保健所とか地域の子育てセンター的なところに行ってみてはと勧められ、調べた末実際に行くんだけど、結果的にもう少し様子見ましょうとセンターに言われたという話だった。

色々こだわりがあって生きにくいと思うけれど、我が子のペースで育てる!みたいな意思表明になってた。

発達障害を疑われてすごくビックリしたけど、まだ様子見でいいみたいで、旦那も重く受け止めずその子のペースでいいんじゃないか、みたいな見解に終わった模様。

私、それ読んで
「もっときちんと見てもらった方がいいですけど‼︎‼︎」
と思った。

どの親だって我が子に障害があるかもなんて思いたくないのはわかる。

でも論点そこじゃないから、とも思う。

一時的に親が安心感を手に入れてどうするの?と思う。

その子ども、これから何十年と生きていかなきゃなんだから、そこを踏まえてそれが本当にいいのか考えてみたら…と。

記事読んで私なんかは「小児科の先生、良くぞ言ってくれました!」という感じだった。

先生もいきなり指摘したのではなく、色んな様子を見て、さらには「これまで健診で何か言われてませんか?」と聞いた上で、そういう機関を勧めてる。

相手はプロ。

これまで何百人何千人の子どもたちを見てるかはわからないけれど、そのプロが見て明らかに「あれ?」ってなるのは、そしてそれをわざわざ指摘までするのは、もう本気できちんと向き合った方がいいレベル。

だって、小さい子どもなんてみんな基本騒がしいし、落ち着きがないし、思い通りでなければ叫ぶし。

でも、プロから見て、それが許容範囲ではないから指摘されるんであって、そしてそれは子どもの成長のために言っている。

しかも残念なのがセンター的なところの対応。

このお母さん、調べたり市のセンターに直接出向いたようだけど、担当が外れたんだろうなと思った。

どの程度の確率か知らないけれど、そういう機関の担当も当たり外れがある。

みんな資格があるからと言って知識をきちんと持ってるかどうかはまた別の話。

そして最近の発達障害はさらに分類が進んでるのはいいけれど、きちんと勉強しないとわからないことが多い。

ひと昔前なら「個性」(又は「問題行動」)的なものも、今はある種の診断名がつくものもある。

さらに障害児支援は市町村で全くサービス内容が異なるから、どこまで対応できるかできないかの差も大きいらしい。

お母さんになった友達からも、そうした現場の人たちからも、両方話を聞いたことがあるから、担当の当たり外れがあることは知ってる(一部の国家資格有資格者は真面目に酷いレベル)。

だから、様子を見ましょうと言った人は、何を見てそう判断したのか聞きたいぐらいだった。

明らかに障害とわかる子たちは、すぐに療育と呼ばれる幼少期から特別な支援を受けるところに繋げてもらえる(もちろん申請とか色々あると思うけれど)。

難しいのは、一見普通なんだけど、なんか違うかも?まだ成長の段階だから様子見でいけるかな?のグレーゾーンの子たち。

本当にグレーゾーンなだけで、後にいわゆる「普通学級」で大丈夫な子もいる。

だけど、グレーゾーンではなく年齢が上がってきちんと診断が付く子もいるから、そこは私個人としては転ばぬ先の杖じゃないけれど、その子に合わせた療育が受けれるのであれば、長い目で見た時は絶対にそっちの方がいい。

療育も混み合ってるから、誰でも彼でも受けれるわけじゃない。

だから反対に入れてもらえるというのは、ある程度のレベルをクリアしないといけないかと思う(この辺りは詳しくないからわからない)。

冒頭の親子がその対象かどうかなんてわからないけれど、もし対象になるなら、今申請の手続きに入れたものが「様子見」のたった一言でその手続きの時期は遅れる=受けれるサービスの開始も遅れる。

私は詳しくないからわからないけれど、障害児を持つお母さんたちのブログなんかを読んでいると、全国どの市町村でも手続きは煩雑そうだしとにかく時間がかかるのがわかる。

下手すると、検査を受けるまで数ヶ月待ちなんてのもざららしい。

たしかに施設の子どもたちが児童相談所で何かしらの検査を受ける時も、今日言って明日じゃなくて、数ヶ月前から予約をしてた気がする。

これは障害児教育に携わっている友達が言ってたこと。

この友達は数年前から普通学級と支援学級の境目にいる子たちを主に見ている。

だから、障害児と言っても相当レベルの高い子たちだし、一般企業に障害者枠で採用してもらえるレベルの子たち。

見た目は普通。

話してくうちに「あれ?」となる子もいれば、話してても気付かれない場合の子もいる。

そういう子たちを相手にしている友達の言葉。

幼少期に療育を受けたかどうかは本当に後々のその子自身の能力=社会で生きていく力に大きく関わってくるらしい。

知的な能力は上でもそれを受けなかったばかりにできないことが多い子もいれば、能力はそんなに上じゃないのに療育で積み重ねてできることがものすごく多い子もいる。

それはいかに幼少期に適切な支援を受けたかどうかだから、それが年齢が上がることで一目瞭然になると言ってた。

さらにタチの悪いのは、普通学級である程度まで上がってきて、途中で支援級に移動してくる子のケース。

親もわかっていて、普通級を希望して普通級である程度過ごすのはこのケースに含まれなくて、本当に親も気付かずきてもしくは薄々気付いていたけれど相談することを避けてきて、ある時から普通級では無理になって移行してくるケース。

2次障害が出るケースもあるらしく、本来知的障害・発達障害だけだったものが、適切な支援を受けずにきて本人もわけわからなくて自暴自棄みたくなって精神障害も発症するケース。

これは本当にかわいそうだと言ってた。

親の変なこだわりで支援を受けず、でも結局ダメで、本人も分別がつく年齢になって、いきなり自分は普通ではないってなるわけだから、本人の精神的な葛藤は相当なものになるって言ってた。

人気記事の子どもも大丈夫かな…と思った。

たかが数行しか子どもの様子は書かれてなかったけれど、私から見ても「これ、様子見じゃやばいでしょ」のレベルだった。

だから小児科の先生、素晴らしい!と思った。

幼稚園も控えていて、ということは入園が許可されるレベルだから、余計とタチが悪い。

見る人が見たらわかるレベルであると同時に健常児と同じレベルのものも併せ持っている。

そうした子は、往々にして社会や集団生活に入った時、ちょっとした場面で不適応が起きたりしやすい。

ちなみに記事の中の子どもは、その中でもすでにこだわりが強めなのがわかる。

自閉症に近いものを性質として持っているんじゃないかな…と思った。

ただ普通に話せるし、意思疎通ができないわけじゃなさそうだから、余計とその子の場合わかりにくいんだろうなと思った。

ただ座って話をするだけ、もしくは1人でおもちゃで遊ぶだけの時は、多分他の子らとそんなに大差ない子かもしれない。

だけど、それ以外の行為、しかも普段はあまりしない行為(=新しい場面)で、尚且つ本人の五感を刺激するものがあると、その子は一種のパニックを起こす(というのが文からわかる)。

入園試験の時は多分そこが出る場面がなかっただけかなとも思えなくもない。

だからその差のところを小児科の先生が最初の受診で見抜いてくれたことは、はっきり言って超ラッキーだったと思う。
(転勤族かなと思われるから、今の土地で初めてかかった小児科医だったらしい。ちなみに小児科医は近所でも評判が良いと前置きされてた)

少なくとも幼稚園の入園許可が下りたということは面談なりちょっとした入園試験があったと思うけれど、そこでは気付かれなかった可能性もある。

普通枠では多分とてつもなく生きづらくなるタイプの子。

その特性が今はっきりと出ているし、普通の幼稚園、普通の学校と上がるうちにますます子ども自身が自分のことで悩まなきゃいけなくなると思う。

そんなにおいがプンプンしている内容だった。

知能はあの感じだと普通。

知能が普通だと余計と辛い。

わかっちゃうから。

自分はみんなと違うことがわかるから。

その子どもにはその子どもの世界があって、それで本当に大丈夫で、それに合った成長の仕方、自分との付き合い方がある。

でもそれはちょっとだけ特別な手が必要で、その子の個性を本気で大事にしたかったら、その手の専門家の知恵を借りるのが早道だと思う。

障害だと決めつけるのではない。

ただ、その子に合った特別な教育のプログラム、しかも相手はみんなプロの先生たちから見てもらえて、そして能力を引き出してもらえる。

もしくは適応力が上がる。

親が「うちの子に限ってそんなことない」と頑なに思い、とりあえずきちんと見てないと思われる人の安易な言葉に飛びつき、何もなかったことにする。

それは、本人が本来抱えなくていいストレスを抱えたりすることになるだけなのになと思う。

しかもそういう子たちは、敏感なことが多くて、余計と変なストレスにさらされやすい。

私は敏感なことが悪いとは思わない。

なぜなら敏感な分、他の人たちにはない感性を持ち合わせてるってことだから。

ただ敏感なところは、本人が多少でも生きやすさを獲得するためには、付き合うのにちょっとしたコツは必要だと思う。

それは素人と玄人では見方が違うから、そこはせっかくチャンスがあるなら利用した方が早いのにと思ってしまう。

親の気持ちは親の気持ちでケアが必要だろうけれど、親が受け入れられるのを待ってるうちにも子どもは日に日に成長するわけだから、そんなの悠長に待ってる場合じゃなくなる。

それとこれとは別のものとして取り扱わないと、ある意味取り返しのつかないことになり兼ねない。

塾に勤めてた時も何人かそういう子に当たった。

保護者にそれまでの成育歴聞いて、健診や学校で何か指摘されなかったかをそれとなく探ったこともある。

1人は本当にあまりにも凄かったから、普通の進学とは違うもの、支援学校への進学の道について情報提供したこともある。

私がやり過ぎに見えるかもだけど、上司二人とさんざん話して、放っておいたらダメだということになった。

自営の家でもないから、将来的に家の手伝いという選択肢はない。

一般企業に就職する可能性があるとするなら、本人に相当な負荷がかかる。

ちなみにどの程度だったかと言うと、中学でも1桁+1桁以外の足し算引き算ができないレベルだった。

字は書けても、見本がないと書けない。

その子だけじゃなく、似たような学力の子は何人か見た。

だけど、そこまで踏み込んで話したのはそこの家だけだった。

なぜなら、他の家庭は、親の方がそれを受け入れてて、その中でできることや進路の選択肢も見据えてたから、同じ学力レベルでも多分何とかいけるかなという感じだった。

その子の身の丈に合った道を親子で同じ視点に立って見て、それで歩んでいけるかな…というのが見えるから、そういう意味で何とかいけるかなと思った。

さらに言うと、人間関係を築けてるかどうかも大事なポイントだった。

学力がどんなに落ちこぼれてても、人と関わるという点においては他の子たちよりも明らかに上で、人間関係を作るのがものすごく上手い子たちもいた。

自分で本物の人間関係が築けて生きていける子は全く心配もしなかった。

自分の学力のなさを公にできるぐらいで、その自分で周りと人間関係を作るから、色んなタイプの友達に恵まれてるようだった。

私が進言した家庭の子は、学力的なことのみならず、人間関係がものすごく荒れてた。

とても幼稚なこと(嫌がらせ)をして、周りから総スカン食らってもそれは自分のせいじゃなくて相手のせい…みたいにしちゃう子で、社会でやっていけるかな…と真面目に想像のつかない子だった。

だから普通枠でずっとずっと進み続けるのが本当に本人のためなのかどうか私には判断がつかなかった。

それで上司二人とそれぞれ何回か相談して、これは黙ったままにするのではなく、伝えるだけ伝えて、あとその後どう選択するかは本人や家族だから、ということになった。

さすがに知ってるのに見過ごすのはどうかということになった。

ちなみに初めてそれを伝えた日、保護者から本気で怒られた。

感情をぶつけられ凄かった。

それも予想してたから、でも言わなきゃいけないことは伝えた。

塾を辞めるかと思ったら辞めることはなく、その次の保護者懇談では家庭内の事情について初めて具体的な説明をしてくれた。

色んな理由から普通に見えるように育てないといけない事情があるのはわかったから、その時からその保護者とは方向性を1つきちんと決めて、消去法で残りはここしかないみたいな感じで、そのための学習に切り替えた。
(支援学校ではなく、手厚く見てもらえる私立の高校に入った)

私が見た時にはすでにそんな状況で、これまで親でも学校の先生でも何かしら気付かなかったのかな…というのは思った。

「普通」にこだわるのが悪いとは言わない。

だけど、本当にそれがその子どものためなのかどうかは感情や気持ちだけじゃなく、その子の一生という視点でそれが本当にいいのかは考えないといけないと思う。

子どもが生活してる施設で働いてた頃、尊敬する上司が常々言っていた。

目の前のことも大切だけど、必ずその子が生きていく、一生生きていく上で何が必要かを見極めるその目は常に必要なこと、そしてそのために何ができるかを考えて実践していくこと。

いずれは社会の中で揉まれながら生きていくわけだから、そこを見据えて子どもと関わることが必要だと事あるごとに言われた。

冒頭の小さな子どもが親の目の前のエゴや不安解消ではなく、本当に必要なことが必要なタイミングでもたらされるといいなと思わずにはいられない。

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