2018年6月11日月曜日

自分を守るもの

私の約2週間に渡る体調不良は一応終結を迎えた。

完全とは言わないけれど、ほぼほぼ治った。

喉の不具合は、言いたいことをはっきり言えないことへの最後の体からのメッセージと思ってる。

今回の体調不良は、本当に色んな意味で学ぶことも気付くことも満載だった。

まさか最後にわかったのが「洗脳」だとは、もう驚いた。

私は洗脳もされてなければしてもない。

洗脳されたのは仲良くしてた子だった。

私は過去に一度だけ洗脳の現場に立ち入ったことがある。

当たり前だけれど、そんな場だとは知らずに行った。

スピリチュアルなものをビジネスにするためのプレセミナーだった。

2人協同開催で、そのうちの1人がとにかくヤバすぎた。

細かいことは忘れたけれど、その人は目が完全におかしかった。

目だけじゃなく言動もおかしかった。

今思い出すとおかしすぎて笑えるけれど、当時はおぞましさの方が勝ってて笑えなかった。

やったことの1つに、そのヤバイ人が何かを発言したら、そいつのテンションを上げるために私たち受講者が「YES!」と言いながらガッツポーズを作るというものだった。

私はドン引きした。

何でそんな風に行動を強制されなきゃいけないのかもわからなければ、何で「YES!」なのかも、何でガッツポーズが必要なのかも、もっと言えば何で一個人のテンションを上げるために周りが強制的に奴に合わせなきゃいけないのか、全く理解できなかった。

しかも内容が本当に変で、この人大丈夫?と思った。

その人が登壇してから頭がずっとずっと痛かった。

私はプレセミナーに出たことも後悔しながらさっさと帰ったけれど、驚きだったのはそんなおかしなセミナーだったにも関わらず、なんと100万超えの本セミナーに申し込むおバカな人たちがいたこと。
(プレセミナーは5000円だった気がする。本セミナー代は当日発表された。)

私は塾の仕事の時、契約を結ぶ仕事も時々してたから、その時の契約の説明があり得なかったことにはすぐに気付いた。

100万超えのくせして、契約に必要な情報が全くもたらされていなかった。

いわゆるキャンセルポリシーとか欠席せざるを得ない状況の時の振替対応とか、金額の詳細の説明とか。

もっと言うと、そもそもの内容さえその場ではきちんとした説明がなく、さらには外には出せない情報だと前置きされた上で説明書の1枚も配られず、申込書だけを配るというとんでもないセミナーだった。

塾の時の契約なんて、契約書を全部一文ずつ読み上げて、補足説明も都度都度して、さらには質問や不明点がないか細かく聞いていった。

全部の説明の後に納得されてから契約書に署名をもらってた。

私にとっての契約行為というのはそれ位やって当たり前だったから、それらの説明がないまま100万超えのセミナーに申込を誘導する側も申し込む側も完全に頭がイカれてると思った。

これぐらいイカれてるとわかりやすいけれど、その仲良くしてた子のものは私は自分が今回5日間床に臥せるほど具合が悪くなるまで気付けなかった。

私は最初の違和感を覚えた時の話をしっかりと覚えてる。

五感を鍛えるには、みたいな話をしてた。

ふとその時に、私は自分の友達がスペイン旅行に行った時の名セリフを思い出して紹介した。

その友達はこう言った。

「この靴でこのズボンでこの足でこの土地の上に立つのは、これが人生で最初で最後だと思ったから、その感覚をじっくりと味わおう、そう思いながら旅をした」

私は友達のこの感性もとても好きだったし、その時その時を大事にする姿勢も一期一会の精神も本当に良いなと思ってた。

その話を紹介したら「ぶっしーの言ってることがわからない」と返ってきた。

横並びに歩いていたから良かった。

そして雨の日で傘でお互いの顔は隠れてた。

私はこの話がわからないと言った彼女に本気で驚いてた。

一瞬自分が変なことを言ったのかと思ったけれど、いやいや待てよ、私は上の話を友達がした時にその後その感覚について随分と盛り上がって話し合ったことを思い出した。

お互い妄想大好きなのも手伝って、うちらの話はどこまでも広がった。

だからそれが理解できないと言われて、私は衝撃だった。

だけど、そもそも妄想好き同士で盛り上がった話だから、みんなにわかることではないのかもしれない…と私は結論付けた。

その後も色んなズレが出てきていた。

それでも私はそれは私側の一方的な感性であって理解されないのは当たり前なのかも…ということで特段そこまでは気にしなかった。

例えば結婚できない人というのは、結婚運がそもそも低くて、そのために本人がものすごく努力しないといけない、と言っていた。

私はこの発言が精神世界に全く見向きもしない一般の人から出たものなら、そうだねと流せた。

彼女は曲がりなりにもその世界の勉強をしていて目に見えないエネルギーを扱うことをしている。

そんな人が言う言葉だったから、私は驚いた。

精神世界の勉強をする人たちは私も含めて変な人たちが多いのは知ってるけれど、私はたまたま自分の周りにいるスピ好きな人たちというのは、人との出逢いについてそんな一言ではなく、もっと深い洞察を持って見てる人たちばかりだったから、その発言にはすごく違和感を覚えた。

本格的にズレを感じ出したのは、冬ぐらいからだと思う。

最初は個人的な考えに違和感を覚えてたから、そこでもまだ私はそれは自分の感覚や捉え方の問題だと思ってた。

特に人の人生が絡むことなら余計と1人1人価値観が違って当たり前だと思うから、最初はその範疇だと割り切ってた。

本格的に話がおかしいと感じたのは、ヒーリングやセラピーについての話をした時だった。

彼女が教えられたことは完全に私が教えられたことと真逆のことだった。

私は施術する側としての学びよりも自分が癒される方の学びの数の方が圧倒的に多かったことも手伝って、癒される側として教えられたことでとても大切なポイントがある。

それは、誰しもが自分を癒す力があるということ。

これは全く別のワークショップやセミナー、勉強会に行って、そこで全然ジャンルの違う先生たちが共通して言ってたから、それですごく印象に残った。

基本はその人自身の力で癒していくこと。

ただ過去の嫌な思いだったり怖い思いをしたりするとどうしても癒しのプロセスにいくまでに難しい部分も出てくるから、そうした時の専門家の手ほどきや知恵であって、それでもやっぱり癒すのは自分自身の力が中心にあってこそ成り立つものだと教えてもらった。

でも彼女は違ってた。

具合の悪い人がいたら、専門的な力のある人がいて初めて癒しが起こること、本人には力がないとは言わないけれど基本はないものとして見なしていることに私は絶句した。

それだけじゃなく、他にもとことん話が噛み合わなくて、私は途中から自分が何か勘違いしてるのかもしれない、とそこまで考えてた。

本当におかしいと感じたものの、それと同時に相手には師匠がいてそこから時間とお金をかけて習ってるから、しかも本人は良いと思って習ってるから、それを否定してはいけないと思った。

結局、自分が本音で感じてることと彼女を否定してはいけないと思うことが相反して、その子を否定してはいけないと思えば思うほど同時に自分の感性も否定していた。

だから体がパンクして熱もないのに風邪で5日も布団に臥せるという前代未聞の体調不良に陥った。

そこまできてようやくおかしいと気付いたのと、もう彼女から離れなきゃいけないということも分かった。

具合が悪い最中、私は過去に習った色んな先生や講師を思い浮かべてた。

私は今でこそ精神世界系のワークショップやセミナーなんかも出るようになったけれど、そもそもは福祉の現場や教育の現場にいたから、そちらの学びが土台にある。

基本的にそこで習ってたことと、その後スピの世界で習った様々なこと、そしてこの度のホロスコープの講座で習ったこと、みんながみんな共通している。

私はさておいても、私は講師運とでも言うんだろうか、それだけはものすごい強運の持ち主で、人としてもその道の専門家としても素晴らしい先生たちに当たってた。

そんなこんなを思い出した時、友達やその師匠の言ってることがやっぱりおかしいと思った。

風邪で頭がボーッとしてたけれど、普段よりも思考が弱くなってるせいか、感覚的に「これは絶対に変!」とはっきりと出てきた。

具合がある程度良くなってから、私は自分が師匠のように慕ってる人に連絡を取った。

この体調不良もさることながら、その友達との一連の話もした。

私は自分のノートを出してきて、彼女の口から出てきた言葉をいくつか紹介した。

電話の向こうで相手が絶句してた。

電話が切れたのかと思って「もしもし?もしもし?」と私は言ったほどだった。

その時に言われた。

「もうその子は誰の言葉も耳に入らないぐらい、自分で判断ができないぐらいに洗脳されてるんだね」と。

その子と一緒にいた何時間にも渡ってイライラしてた自分を見て距離は置かないとさすがにまずいとは思ったけれど、今ぐらいに重たくはまだ受け止めていなかった。

だけど凄い体調不良と、この一連のことによる体力気力消耗の具合と、そして最後第三者の視点から見ての「洗脳」と言う言葉で、私の色んな思いたちは確信に変わった。

洗脳という事態がどういう状態を指すのかを私は昨日から今日にかけてちょっと調べた。

その子のタイプの洗脳もいくつかの記事で見つけた。

読めば読むほどあまりにその通り過ぎてゾッとしたぐらいだった。

私は自分がどうするのかもはっきりと決めた。

もし今後会おうと誘われた場合、今の状態では会えないことをはっきりと伝える。

洗脳に関しては、「洗脳」とは言わずにとにかくその子の在り方も師匠の在り方も私にとってあり得ないことや、これまで習ってきたどの先生たちとも真逆の考えであること、そしてそれらは人の心を触るプロなら私から見ておかしいと思うことを伝えようと思ってる。

どこかのタイミングで連絡は来ると思うから、私の立ち位置や考え方だけは伝える。

あとどうするのかは本人が決めること。

私の話を鵜呑みにする必要もないし、自分の価値観で決めるのが何よりだから、ということももちろん伝える。

ついこの間も、別件で連絡することがどうしても出てきて連絡した。

連絡しなくていいならしたくなかったけれど、他人様を巻き込んでる可能性が出てきた以上、連絡を取らないわけにもいかなかった。

私が今モニターをお願いしてやってるその人専用の癒しのレシピ作りがある。

モニターの人にしてもらうのは、簡単にその人の今困ってる状況や症状を教えてもらって、そこから私がペンジュラムと本と私が持ってる個人的な資料とを合わせてその人が自分のためにできることを特定してそれを伝えるというもの。

私は当初これをものすごいことをしてるとは全く思っていなかった。

真剣にはやるけれど楽しみながらやっていたし、やっていて本当に面白くてこういうことをもう少し形にしていけないかなぁなんて呑気に構えてた。

それが1人のモニターの人の指摘で物事は急変した。

本当にありがたい指摘だったけれど、なんと私はそれをする時どうやら相手の潜在意識から直でメッセージをもらってたらしく、そのモニターの人いわく私がまるで隣りで状況を一部始終見て色んな癒しの具体的手法を言ってきてるのかと思ったと言われた。

私はその指摘を聞いて、嬉しいの半分、青ざめたの半分だった。

青ざめた理由は、これを本人の許可も取らずにしてたと思われる人が何人か出てきたから。

その指摘ではっきりとわかったのは、私はそのモニターの人が初めてではなく、これまでも全く同じことを他の人たちにも普通にしてたということ。

本人の場合は、本人が話す気満々だから全く問題ないけれど、今回みたいに友達のお客さんみたいな関係になると私は全く関係ないから、これはまずいと思った。

基本的に、本人の了承なしにその人の潜在意識や無意識の部分にアクセスするのはルール違反で、やってはいけないことと言われてるしそのように教えられた。

まさか私は自分がそんなことしてるなんてその時まで全く自覚がなかったから、これはまずいと思った。

変な影響が出てないとは絶対に言い切れないから、それで慌てて関係者に連絡を取った。

その子からもその子のお客さんの相談を気安く受けてたことが何回かあって、「やっば(汗)」となってそれで連絡をした。

その子がお客さんの相談を私にする時、私はそのモニターの人同様すぐにぽぽぽんとその人の状況もなんとなく想像できれば、それに対してすることもすぐ浮かんで「この人こうしたら良いと思う」と超具体的な心理アプローチを伝えてた。

その時もあの俊速な速さを見ると、おそらく相手の潜在意識から情報を勝手にもらってたんだろうなと思う。

当時はそんなの知らないから、お客さんの了承を取ってるわけもなく、彼女も私も無断で第三者の意識に私がアクセスしてるだなんて思ってもいなかったから、これはまずいと思った。

言うならば、人の家に勝手に土足で何も言わずに上がるようなもの。

これについてはさすがに黙ったままにできないから、それで連絡をした。

彼女にお客さんの状況の確認をお願いした。

私は批判家を目指してるわけではないけれど、まぁ予想通りというか残念な感じの反応が返ってきた。

それを見て、洗脳云々も、そこは本人がどこまで気付けるかだと感じた。

相当はっきり言い切っても伝わらない様子は相変わらずで、さすがに疲れてきた。

ちなみに洗脳がわかった時に周りは何ができるかというのを調べたら、伝えることは大切だけれど、そこから先は本人が自分で気付いて判断していかないといけないから、できるのはその前の段階までとあった。

洗脳という言葉を使ってないだけで、やり方が色々おかしいと感じたものはこの数ヶ月でいくつか指摘した。

今回の友達のお客さんの件に関しても、私が思ったことや感じたことは全部書いた。

でも伝わらない。

全部が全部伝わるなんてそんな高慢ちきなことは思わないけれど、それにしても伝わらない度合いがひどすぎる。

洗脳も色んなタイプがあるけれど、今回のようなものは本人が自覚するのはとても難しいし、周りも普通に接してるだけだと気付きにくい。

そしてそういうことは本当に紙一重で起こることなんだというのもわかった。

一連のことを振り返った時に、私自身が気をつけるべきポイントは、あの小さな違和感を大事にすることだった。

あの、今履いてる靴でこの地を踏みしめるなどと言ってた友達の感性、あの感性を大切に思う自分の気持ちで良かったんだということ。

その後も色々「えっ⁉︎」ってなった時もその自分の感性で良かったこと。

世界の中で自分を一番すぐ近くで守ってくれるのは自分だから、その自分の感覚が少しでも引っかかったならそれを大切にしたらいいこと。

それが今回私が一番学んだことだった。

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