2018年7月9日月曜日

88888の奇跡&軌跡

≫2016年5月31日

6年半住んだ名古屋をあとにする。

先のことは何も決めていないし、新潟に帰ることもまだ納得できずにいた。


それから数ヶ月後ぐらいに、最後私を見送ってくれたSさんに言われる。

「ぶっしーちゃんが新潟に帰るって言った時、あぁ誰か新潟で出逢う予定の人がいるんだなぁと思った。そこまでの状況にならなければ絶対に帰らなかったぶっしーちゃんが帰るということは、帰らなければいけない未来の事情があるんだろうなぁって」



≫2016年6月中旬

新聞の広告だったんだろうか、それとも家のポストに入っていた地域情報誌だったんだろうか。

手作り市のイベントがあることを知る。

いつか応募したエッセイコンテストで入賞して、5月にその入賞式に参加するために京都に日帰りで行ってきた(交通費は主催者が全額負担!)。

その時、ある神社に観光で行ったらたまたま手作り市を開催していて、その市が私はとても楽しかった。

その時の記憶も手伝って、その近隣である手作り市にも行きたいと思った。

でも車もお金もなかった当時の私は、これは行けないなと思ってすぐに断念した。



≫2016年6月下旬

親の算段により軽の車を持つことになった。

当時の私はまだ新潟にしばらく住む覚悟もなければ、これから先どうするのかの見通しも一切持っていなかった。

なのに先に車が来てしまった。

「車を持つ=しばらく新潟に住むことが確定」

私の中ではもう色んな意味で絶望的だった。

来た当初、車は65000km前後を走行していた。

色んなことがどうでも良かった当時、唯一車に関して1つだけ楽しみにしたことがある。

半分願掛け的な意味もあったけれど、その車が77777kmを走行する時、どんな物語が自分の人生に現れているんだろうって。

少なくとも今よりもましになっていますように、とそれはそれは真剣に祈った。



≫2017年9月25日(月)20時過ぎ

77777kmちょうどになった。


私は今でもその時のことをよく覚えている。

私はいつぶりかわからないぐらいに毎日毎日泣いていた。

もしかしたら人生であんなにも毎日毎日同じことで泣き続けたのはその時が初めてかもしれない。

これ以上ないぐらいに悲しかった。

私はもう何もいらないから、その人と一緒にいられる人生をくださいと大真面目に祈った。

それが叶わなくて、叶わないことを目の前に私は最後の最後まであがいていた。

もう何ならあと48時間もないという時間のカウントダウンまで始めていた。

もうあと少しでその人が私の目の前からいなくなる、そのカウントダウン。

生きているのに別れる、もう会えなくなる、そんなにも悲しいことがこの世にあるのかと私は全てに対して本当に悲しんだ。

すべて私が一方的に良いと思い、相手は私と離れることなんか何てことなくても、私には本当に受け入れ難い現実だった。

片想いと呼ぶにはあまりにも度を越した感情の揺らぎだった。

私にはその人との別れが「死」と同じぐらいの重さがあった。

その人が私の人生からいなくなることも理解できなかったけれども、私はそれ以上にその自分のよくわからない感情の激しさの方が理解できなかった。

理解できなかったけれど、感情はものすごい勢いで私の中でせめぎ合って、色んなものがどんどん決壊していった。

私の中では、普通に息をして生きてることさえも不思議なぐらいに、本気で身がちぎれるかと思ったぐらいに苦しかった。

それぐらいの状態だったにも関わらず、私は77777の数字を見てものすごく嬉しくなった。

77777kmに到達した時、私は大切だと思える人に出逢えていた。

自分の人生を変えるぐらいのすごい影響力を持った人に出逢えていた。

それが77777kmのストーリーだった。

1年前の2016年の6月には全く想像もしていなかった人生が展開していた。

到達した場所は、あるスーパーの駐車場だった。

メーターの写真を撮ってその場を去ろうとした時、77-77のナンバープレートの車を見た。

そのスーパーの駐車場は大体同じ場所に止めるのに、その日は普段とは違う場所に止めた。

さらにはその関係で道路に出る時の経路も普段とは違う経路を通った。

そうした時に77-77の車を見た。

実は「7」という数字には私にとって特別な意味がある。

数秘学と呼ばれるものがある。

基本的には、生年月日やその日のエネルギー的な特徴を見るのに使われる。

例えば、2017年9月25日なら、2+0+1+7+9+2+5=26、2+6=8、その日は「8」となる。

(求め方は2つあって、全部足す方法と、年・月・日をそれぞれ分けて足す方法があって、その時は11や22が年、月、日となったらそれらのぞろ目の数字はそのまま足すという方法もある)

その人と出逢った日は、足すと「7」になる。

だから、7という数字には個人的に思い入れがあった。

その7が5つも揃った77777kmをその人がいる毎日の中の一端で迎えられたことは私にとってものすごく嬉しいことだった。



≫2017年秋から冬にかけての時期

Sさんの隣りの席でSさんの仕事の手伝いをしていた。

私はSさんが作った資料をファイルに入れたり、変更になった資料の入れ替え作業をしていた。

これまでと様式が変わったところがあった。

「Sさん、この部分変わったんですか?」

「あぁそうみたい。これまではほら、全部個人情報が丸見えだったでしょう。それがどうもダメだとなったみたいで、今月からは名前以外の部分は全部隠すことになったんだよ」

そこには関係者の名前がリストになっていて、各人の名前の横には、年齢・血液型・住所・電話番号が書かれていた。

血液型はいざとなった時に本当に必要だからわかるけれど、その他の情報は必要?と常々思っていた。

その時はわかっていなかったけれど、実はこれはとっても大切なことだった。

会社の方針がいつ決定したのか知らないけれど、それがもっと早い決定であれば、私は今回の88888のストーリーには何も気付かずに終わったから。



≫2018年6月16日(土)―あらすじ―

車のメーターが88888kmになる。


その1ヶ月前からそろそろだなぁとは思っていた。

でも前回77777kmの時みたいに素敵な人が近くにいるわけでもなく、何か待ち遠しいようなことも予定になかった。

88888kmの時は何事もなく普通に通過して終わりかもしれないなぁ…なんて考えたこともあった。

前日に下2桁が70km台後半になった時、あぁ明日がその日なんだとは思った。

その時は単純に、楽しいお出かけの日にその数字を見るんだなぁぐらいにしか思っていなかった。

ところが実際の数字に達した時、私は度肝を抜かれた。

想像も全くしていなかったところで88888kmになり、さらにはその1週間前から「変だな、変だな」とちょっとずつの「変」が重なっていたその意味も、その時になってようやく知った。

その日のうちに、忘れるとまずいと思って、私は一連の流れをメモした。

はっきりとわかった。

100mとしてずれてはいけなかったこと。

その100mとしてずれてはいけないように、実に緻密なことが山ほど起こっていて、そして本当にぴったりそのポイントで88888kmになるようになっていた。



≫2018年6月11日(月)

昼ごろKさんからグループLINEがくる。

Kさんは新潟に戻って最初の派遣の仕事の時に仲良くしてた人。

仕事の中で同じグループに何回かなって、その仕事で長いKさんは本当に丁寧に私に仕事を教えてくれたり、困った時はいつも惜しみなく助けてくれた頼れるお姉さんという感じだった。

Kさん私含めて5人いて、今でも時々ごはんを一緒に食べたりする。

そのKさんがみんなでモーニングをしようと呼びかけてきた。

そもそもの発端は、その少し前に当時のメンバーの有志で飲み会の誘いがあった(40人以上いた、わりかし人数の多い職場だった)。

ちなみに当時の臨時の係は、事業終了に伴いすべて解体して跡形もなくなっている。

その時だけ浮上した臨時の仕事で、関わっていた正規職の人たちもみんな三々五々散らばって別の課に異動になったとのこと。

Kさんは長いだけあって、他の人たちとの連絡も密にしている。

そのKさんのところに連絡が入って、そこからさらに私たちのグループLINEにもその連絡が入ったところだった。

5人全員各々の理由で行かないと断り、その時にまた近いうちに5人で会えたらいいね、なんて話にはなっていた。

そんな流れの矢先に、Kさんが「みんなでモーニングしない?」と誘ってきたのだった。

私は正直違うことで頭がいっぱいだった。

そのメンバーの中に洗脳騒ぎの友達(仮名を「花ちゃん」とする)もいた。

洗脳云々というのは花ちゃんにももちろんまだ言えてなくて、その頃は今後完全に距離を置くためにどこかで花ちゃんに話をしないとまずいとは思っていた。

だけどそれとは別に、そのグループでの会合も時々ある。

不定期にしても、毎度毎度どう考えても暇な私が、色んな理由をつけて断るにも限界がある。

だけどKさん含め他の人たちは洗脳なんて当然知るわけもなく、まさか「花ちゃんといると私がその変なエネルギーに触れて具合が悪くなるから会えない」なんて言えるわけもなく、本気で困っていた。

他の人たちは続々とLINEに返事をしてきた。

花ちゃんともう1人Yさんは出席。

別の子は試験を受けないと行けないから、その関係でパス。

残るは私だけだった。

あれこれ考えても仕方ないと思った私は、Kさんに個人的にLINEを入れた。

正直にKさんには、花ちゃんと会うと私の具合が悪くなってしまうこと、それは花ちゃんではなく花ちゃんが師事している師匠の人のエネルギーがおかしくてそれで私もそこにいちいち反応することで5日間も寝込むほどの具合の悪さを発症してしまうこと、それがあるから今度のモーニングもどうしたものか迷っていると話した。

Kさんとは何だかんだで色んな話をお互いにしていたのと、Kさんはペンジュラムやオルゴナイトのことも私がスピリチュアルなことをあれこれ学んでいることも知ってくれている。

だからかいつまんで事情を伝えても大丈夫だろうと判断した。

そうしたらKさんの方から、「ぶっしー、ここでやり取りしてもよくわかんないから、実際に会って話そうよ。ぶっしーいつだったら時間ある?」となった。

そこで急遽翌日の昼間に会うことになった。



≫2018年6月12日(火)

Kさんとガストで待ち合わせた。

もう1つ別の候補が挙がっていたけれど、時間を気にせずに長居出来るのはガストの方でガストになった。

もう1つの候補はガストの場所から2~3km離れていた。

今ならわかる、ガストでなければいけなかったことが。

ガストでは、花ちゃんとのことで私自身の体の方で困ったことを話して、まぁでもモーニングならみんなもいるしそういう込み入った話にはならないだろうから大丈夫だろうとなって、週末のモーニングには参加しようと決めた。

Kさんの素晴らしいところは、それはそれ、これはこれと割り切ってくれていて、決して花ちゃんのことを悪く言うこともないし、私はこれまで花ちゃんと変わらずに付き合うしみんなとも付き合うよと言ってくれるところだった。

私の方ももしそのメンバーと不定期で会うにしても、本気で困ったらKさんに相談できると思って安心材料を得た。

そんな気の重たい話はさっさと終わらせて、他の話に花が咲いた。

その時に、Kさんから「ほらぶっしーと一緒に買いに行った家用のオルゴナイトあったじゃん。あれのおかげで本当にうちの母さんの具合がすごく良くなって助かってはいるんだけど、あれあの場所でいいのかな?」と言った。

私は買物は同行したけれど、その時は置く場所を見るなんて発想はKさんの場合なかったから、場所は見なかった。

よく考えたら、その時一緒に行ったYさんの分はきちんとペンジュラムで聞いたのに、何でKさんのはあの時聞かなかったんだろう?と思う(3人で一緒に2月に買いに行った)。

Kさんには簡単に部屋の見取り図をナプキンに書いてもらった。

あとはペンジュラムが教えてくれる。

私がその上からさらに線を加えて4等分にした。

ペンジュラムが反応するところがどこかを特定するために。

1ヶ所反応するところがあった。

Kさんに言った。

「この場所なんですけど、そこ何か棚とかそういったものあります?」

「ぶっしー、そこはないわ!だってそこリビングの出入口で、たしかに家族みんながものすごく行き来はするけれど、そんなところに置く場所ないよ」

それは困ったと思った。

でもペンジュラムに聞いても、その場所以外はNOと言う。

そこで私は、なにもきちんと置かなくても、床に直に置くでもいいんじゃないかと思った。

ペンジュラムに聞くと、床はNOだった。

じゃあ上の方は?と聞くとYES。

「ねぇKさん、上の方に置く場所あります?」

「そんなのないよ」

「そこに、写真でも賞状でもいいので額とか飾ってないですか?」

「あ!あるわ。そこに写真飾ってるから額はあるよ」

「額って、こう何かフックみたいなのを壁に付けてそこに置いてたりします?」

「そうそう、そうしてるよ」

「じゃあそのフックのところに小さな巾着とかにオルゴナイトを入れて吊るすことはできます?」

「それだったらできるし、目立たないから家族も絶対に気付かなくて尚のこといいわ!」

ペンジュラムもその方法でYESを出した。

「適当な巾着あります?」

「それがないんだよね~。これは使ってるし、他のはないし」

「今時間があるならKさん、一緒にパワーストーン屋行きます?そこに100円か200円ぐらいで売っているし、さっき話してた石もそれなら見てこれるし!」

「ぶっしーいいね~それ!そうしよう。これからそこに行こう!」

となって、Kさんと私はそれぞれの車で向かって、ショッピングモール内に入っているパワーストーン屋に行った。

Kさんは巾着ともう1つの探し物を購入して、そのまま帰ると言った。

私はこっちまできたからついでに色々他のものを見て行くと言って別れた。


私は帰りに1軒大きな書店に立ち寄った。

数日前に友達が「これぶっしー読んだら良い気がする」と言って紹介してくれた超マニアックな本を探しに出かけた。

さすがマニアックな本、一般向けの書店には置いていなかった。

この日だけで40km近く走行する。



≫2018年6月14日(木)

ハローワークに行く日でハローワークに行った。

本当は行く前に墓参りに行きたかったけれど、時間がぎりぎり過ぎて墓参りは断念した。

ハローワークの用事を終えた後、今度は市の図書館に行った。

翌日県の図書館に本を返しに行く関係で長距離ドライブ必須だったから、CDを借りに行った。

そもそもこれも予定外の話だった。

さかのぼることゴールデンウィーク明け。

私は絶版になっているホロスコープの本を必死で探していた。

とうとう新潟市立図書館にあると知り、そして図書館同士で相互貸与システムなるものがあって、新潟市立図書館の本であれば、新潟県立図書館を経由して借りれる、しかも市⇔県の間を行き来する送料もかからないと知って(通常は利用者が送料負担で取り寄せてもらう)、それで県の図書館に相互貸与システムでの本の借り入れをお願いした。

5月中に借りることができて、その返却日が6月10日だったと思う。

前日の13日に電話が図書館から来て、市の図書館への返却日が迫っているから早急に返して下さいという内容だった。

謝りながら15日に返しに行きますと伝えて、それで15日に行くことになった。


その日はまたもや友達から紹介された本を探しに行く予定でいた。

色々長丁場になることが予想されて、私はお昼休憩をすることにした。

お昼は、この辺りで有名な魚屋のパック寿司を買って食べることにした。

そこのは本当に新鮮で美味しい。

私はそのスーパーに年に数回行くけれど、これまで行った中で一番混んでいた。

平日の昼間なのに、日曜の朝市並みに異常な混み方で、私はたった1つの寿司パックを買うためにそのレジの行列に並んだ。

並んでいた時に、数メートル先の広告ラックに、無料の地域情報誌が置いてあることに気付いた。

あれ欲しい!と思って、レジを終えた後その情報誌を手に取った。

情報誌の後ろにここ1ヶ月のイベントの予定表が色々掲載されていた。

その中にあった。

2年前、行きたくても行けなかった手作り市のイベントが。

しかもこの週末。

日曜日はモーニングだから行けなくて、自動的に土曜日行くこととなった。

ちなみにその情報誌。

私はその月の号は、そのスーパーでしか実は見ていない。

しかもあの日の異常な混み方のおかげでその広告ラックにも気付けば、さらには並んだレジもそのレジでなければ気付けなかった。

5台ほどのレジがフル稼働していたと思うけれど、私が並んだ一番左の列からしかその広告ラックは見えないようになっていた。

だからあの日、「新鮮なお寿司」というものがぱっと自分の中に出てこなければ、絶対に行き着けない情報だった。


その日も例のごとく、友達推薦の本を探しに行った。

今度は市内で一番蔵書があるとされる書店に行った。

残念ながらそこにもなかった。

その日、天気はとっても良かった。

私は帰り道、田んぼだけがひたすら両脇に続く農道を通って帰ろうと思った。

そっちの方が絶対に気持ちがいいし、見ていて心が和むと思ったから。

だけどなぜかペンジュラムは田んぼ経由ではなく、トンネル経由を指示してきた。

若干不満ではあったけれど、まぁどちらで帰ってもいいかと気にすることもなく、私はトンネル経由で帰った。

実はこの農道ではなくトンネル経由で帰ることも距離を左右する。

20代の頃、通勤経路を調べるために測定したことがあって、当時の職場⇔自宅間だと農道の方が2kmほど近くなることがわかった。

だからその日もトンネルから帰ることで、88888kmに向けてピッタリの走行距離調整が図られていたと思う。



≫2018年6月15日(金)

県立図書館へ行くのは前々日から決めていた。

せっかく新潟まで出るのなら、美味しいランチに行こうかなと思った。

でも直前になって、ホロスコープの絶版の本が読み終らず、さらには大事な部分のメモも書き終わっておらずで、おにぎりを持って出ることにした。

外食するということは、それだけで1時間半の時間のロスが見込まれたから、時間がもったいなくて外食はやめることにした(県立図書館の周りには基本何もない)。

しかも外食を取り止めた分、その分で何か美味しいものを買って食べてもいいなぁと思った。

これまで県の図書館に行く時、いつもいつも通る度に嫌だと思っていた道がある。

そこは超混んでいる道で、片側3車線の一番左からその道に入って、そしてたかが数百Mのうちに一番右の右折レーン(4車線目)に入らないといけなかった。

これが毎回いつも怖くて嫌だったから、今回はそこからは入らず、2kmほど余計に走ることになるけれど、Uターンして戻る形で図書館に行くことにした。

図書館の前に着いたけれど、入る前におにぎりを食べちゃおうと思った。

ふと、1~2km圏内に気になっていた唐揚げ屋さんがあることを思い出した。

おにぎり&唐揚げで、遠足みたいでいいなぁと思った。

地理はわからなくても、そこからは遠くないはず。

店の名前もわからないし場所もわからなかったから携帯のマップでは調べず、一か八かでペンジュラムにナビをお願いして、ペンジュラムが指すままに運転した。

毎回驚くけれど、その時もペンジュラムは1発でその唐揚げ屋さんに私を連れて行ってくれた。

通ったこともない道をペンジュラムは淡々と案内する。

私は言われた通りに一度右折しただけだった。

そうしたらその唐揚げ屋のある交差点の近くに着いた。

目の前のスーパーに車を止めて、まずはBOOKOFFに出向いた。

ホロスコープの絶版の本の存在を知ってからというもの、BOOKOFFを見つける度に足を運ぶようになった。

そちらは見つからなかったけれど、今度はパワーストーン辞典のようなものを100円にて購入できた!

唐揚げも購入し、スーパーも立ち寄り、また図書館へ戻った。


図書館での用事を終えた後、帰り道、今度は予約していた洗顔ソープを取りに行った。

そのショッピングモールに行く時も、ペンジュラムは何通りかあるうちの1つの道を私に案内した(いつもペンジュラム頼りだから、全部で何通りの道があるのか知らない)。

着いたのは良かったけれど、お店の位置とは真逆側の駐車場に着いてしまった。

店内で数百M移動は必須だった。

ホロスコープの勉強やメモ書きで疲れていた私にそんな元気はなく、一度駐車場を出て、1kmぐらい建物の周りを走って、その店舗にほど近い駐車場に入り直した。


その後もう1つの大きなショッピングモールにも寄った。

相変わらず本を探していたからそのために立ち寄った。

その日は平日だったから普通に目の前の屋外駐車場に止められたのに、なぜかペンジュラムは立体駐車場の1階がいいよと言った。

まぁたしかにそちらの方が帰る時便利だからいいなと思って、それでそちらに行った。

実はこの時は気付かなかったけれど、屋外駐車場と立体駐車場では100~200mは走行距離が変わる。

立体駐車場は基本まっすぐだからぐるぐるする必要がないけれど、屋外駐車場だと空いてる場所を探すのにぐるぐるするのは必須だから、あの時あえて立体駐車場をペンジュラムが指示したのは、そういう意味もあったと思う。

そこの立体駐車場はなぜか毎回1階に必ず空きがあるから、立体と言えども私は1階にしか止めたことがない穴場の駐車場。

しかもそこでも本はなかった。

本はなかったけれど、そこにわざわざ立ち寄ることで走行距離がいくらか変わることが大切だったんだと思う。

家への帰り道、まずは2つの大きな選択肢があったけれど、大きい方の国道で帰る方にペンジュラムはYESだった。

さらに家がある隣りの市に着いた時、ペンジュラムは一番大回りになる道での左折を指示した。

そこからだと家に向かう道は全部で5ヶ所選択肢がある。

だけど手前の4つの交差点ではなく、一番奥の交差点での左折をペンジュラムは伝えてきた。

車の走行メーターを見た。

「8887△」となっていた。

てっきりこの日に88888kmに到達するのかと思っていたらそうではなかった。

明日は手作り市に行くから、まぁそこに行く途中で88888kmになるんだなと思いながら帰路に着いた。



≫2018年6月16日(土)

待ちに待った手作り市に行けることになった。

実はこの週、墓参りに行こうとすると時間がギリギリで行けなくなったり、又はペンジュラムが「今日は行かなくて良し」と言わんばかりにNOだったりして、ずっと行っていなかった。

今日は別に時間的な制約もないし、できれば行きたいと思っていた。

ペンジュラムが久しぶりに墓参りにYESを出した。

墓参りに行くと2kmほど余計に走ることになる。

それを見て、すごい中途半端な山の中とかで88888kmになるのかなぁ…、テンション上がんないなぁ…と思っていた。

せめて今この瞬間、墓参りのところで88888kmでいいのになぁなんて思っていた。

まぁだけど、2年越しに行けることになった手作り市に行く日だから、まぁそれで良しとするかと完全に開き直って出かけた。

少しずつ少しずつ88888kmに近付いた。

88886kmになった時だった。

私は「まさか」と思った。

あと2kmの距離がどの程度かいまいち想像がつかなかったけれど、可能性として十分ありうると思った。

そこからはメーターを一度切り替えて、0.1km単位での走行距離が見えるようにした。

88887kmの地点で、そのまさかのまさかが本当にそうなるかもと思った。

1000mという距離がどのくらいかそれでわかったから、私の頭の中の計算が違わなければ、88888kmはある地点になる。

88888kmになった瞬間、自信がなかった。

多分微妙にずれるかぎりぎりだと思った。

とりあえず路肩に車を入れてウインカー出して、88888kmの写真を一度撮った。

もうあとは賭けるしかなかった。

もしこの賭けが本当に現実のものとなったら、私は「信じなさい」ということなんだろうと思った。

だってあまりにもありえないことだらけで、それが一体いつのどこを起点にしてこのストーリーが始まっているのだろう?と思ったから。

その日1日のことだけじゃない。

なんならさかのぼって2年前の6月に、その日行くことになった手作り市の情報も目にしていないといけないわけだから。

私は祈るような気持ちで走り続けた。

ビンゴだった。

私は右折レーンに入って、その角にあるセブンイレブンの駐車場に車を入れた。

メーターは88888kmのままだった。

ギリギリ間に合ったと思った。

その場所というのが、77777kmの時に登場する人物が住んでいたと思しき住所のごく近くだった。

最初に言うけれど、私は人の住所を盗み見する趣味もないし、他人様の住所を記憶に残せるようなそんな素晴らしい記憶力もない。

ストーカーみたいで私はすごく嫌だったけれど、あまりにも強烈な住所で私は見た瞬間その人の住所を1発で覚えた。


話はこうだった。

例のSさんの仕事の手伝いによって、私はその人の住所もそうやって書類の中で知ることになった。

そう、それはまだ会社が個人情報の方針を変える前の話で、普通に全員の住所が見れるようになっていた頃だった。

しかもその人のものは一番わかりやすい場所にあったから、否が応でも目に入る。

目に入れたくなければ目に入れないように自ら気をつけないといけない場所にあった。

そうして自然に目に入ってくる場所にあったから、私はちらりと見た。

どうせ見たってわからないだろうと、それは軽い気持ちで住所に目をやった。

見た瞬間度肝を抜かれた。

例えば私の家の住所がこんな風だったとする。

「○○市新潟町1丁目2番3号」

その人の住所は

「△△市新潟町1丁目4番3号 101」

その住所はこうだった。

「新潟町」に該当する町の名前、それは私が子どもの頃今の家に引っ越すまで住んでいた町の町名と全く一緒だった。

番地は書いた通り。

それは今の住所だけど、うちが1丁目2番3号だとするなら、相手の番地は真ん中の2番だけが違っていて、そしてその2番の部分が私の住所の番地の数字の2倍にあたる数字だった。

101の部分はこうだった。

中学生の頃、私が通っていた中学校では例えば1年1組なら「101」と表記し、さらには「いちまるいち」と呼んでいた。

そのアパートの号室は、私の中学校の時のクラスの名前そのものだった。

そんな特殊な重なりをいくつも持つ住所だったが故に、私は一度見ただけで覚えてしまった。

さすがに怖くなって、そして軽い気持ちで見てしまったことをものすごく反省して、私はその住所は胸の中だけにしまっておくことにした。

変な話、今のテクノロジーを駆使すれば、住所は一発で検索できるし、それでその住所がどこかということもすぐにわかる。

その人の住所というのは、子どもの頃から馴染みのある地域だった。

中耳炎持ちの妹の耳鼻科の通院はそのすぐ近くで、母は通院の度に私ともう1人の妹もそこに連れて行った(今は多分もうその耳鼻科はやっていない)。

山形県との県境の近くにある母の実家に帰る時、私たちはそのバス停でバスを乗り換え、そこから電車の駅行きのバスに乗った。

私が高校3年間毎日行き来したバス通りの道でもあって、何ならバス停の名前にもその町名が入るぐらい。

何なら、去年の夏の仕事の時、社外の個人的な飲み会に参加する時は、マイカー通勤はせずそのバス停で私はバスを乗り換えて朝出勤していた。

だから知らずにいる方が無理だった。

だって少なくとも子どもの頃から高校生の頃まで、何百回と車内放送で聞いたバス停の名前なんだから、知らないわけがない。

だから真剣に探せばその住所を突き止めるなんていうのはとっても簡単なことだった。

それがわかっていたから、私は1発で知ってしまった以上は、それ以上の詮索は当たり前だけれど止めた。

詮索というか、見ることというか。

それ以降その近くで用事がある時も、前以上に必要最小限しかそこに滞在しないようにした。

その住所を見た時に、その人に逢うまでの1年位の数々の外出を思い起こしていた。

そう、私は色んな用事でその近くを数回ふらふらしている。

しかもピンポイントでその一帯にある何かを、例えば他の人が○○が売ってるよと教えてくれて見に行ったり、ペンジュラムが私の心のオアシスのあじさい公園の存在を教えてくれて、そこでゆっくりするためにセブンのアイスコーヒーを買いに行ったりしていた。

私個人では絶対に行くことのない場所ばかりだったけれど、どういうわけかやたらと縁あって行くことになっていた。

何でそんなところに行くんだろう?ついでならもっと便の良い場所だったら良かったのにと毎回思っていた。

だからそんなことは一切知らずに、その人に出逢う前の1年近くの間、その辺りを何回かうろうろしていた。

そしてその88888kmを記録した時というのは、まさに「新潟町一(丁目)」となる交差点にいた。

私がその町名と何丁目かを認識できたのは、その標識のせいでもあった。

町名は子どもの頃から知っていたけれど、何丁目かまではその標識をある時目にするまでは知らずにいたから。

あぁここだったんだと、88888kmはこの地点だったんだと。

しかも、その日にどうしてもその手作り市に行かなきゃいけなかった理由もわかった。

なぜなら、もしモーニングが土曜日に予定されていたとしたら、手作り市とモーニングはうちを挟んで180度真逆にあって、当然その88888kmの地点を通ることはなかった。

あくまでも2年越しに行きたかった手作り市がまさにその週のそのタイミングであったから、そして土日開催のうち土曜日に行くことになってその土曜日にその場所をピンポイントで通過することになった。

ここ1週間ほどの色んなことが頭を行き来した。

そもそも何でモーニングをすることになって、

何で花ちゃんの洗脳騒ぎがあって、

何でKさんとガストで落ち合って、

何でオルゴナイト用の巾着袋を買いに行って、

何で友達がマニアックな本を私に紹介して、

何で絶版のホロスコープの本を借りて、

何で県の図書館まで行って、

何で外食ではなくておにぎりで尚且つ唐揚げ屋さんで、

何でこのタイミングで洗顔ソープが切れて、

何で駐車場を一度出てもう一度もっと近い入口側に移動して、

何で墓参りがなかなか行けなくて、

何で2年前に行けなかった手作り市が2年後の今日で…

とこんな風にして、1つ1つがありえないぐらいに絡まり合ってのその瞬間だったことはよくわかった。

しかも私は人の名前もそうだけれど、住所となればもっと覚えられない。

1年前、家が建て替えになった時の仮住まいの住所でさえも、私は覚えることができなかった。

しかもその仮住まいは同じ町内で、番地さえ暗記すれば良かったにも関わらず、私はその番地がさっぱり覚えられなかった。

だからいつもその住所を書いた紙を見ないと、私は約半年の間それをきちんと書けなかった。

普段ならそのぐらい物覚えが悪い。

だけど、その人の住所というのは、私にとっては度肝を抜かれるぐらいに色んなことが自分の個人情報と重なり合っていたから、嫌でも覚えた。

その人こそ一時的な住所でもしかしたら仮住まいの私の時のように、何か紙とかを見ないと書けない住所だった可能性も高い。

だけれど、私にはもう生涯忘れることのない住所になった。

郵便番号はさすがに知らないけれど、住所だけなら今でも何も見なくともすらすら言える。

そんなこと知っても私には何のありがたみも当時はなかったけれど、むしろあまりにどこかわかりすぎて絶対にその近くを通る時はキョロキョロしないにしようと気をつけたぐらいなのに。

まさかこんな形でその住所が役に立つと言うか、ものすごく意味を発揮する日がくるなんて想像さえしていないことだった。

私はセブンの駐車場でなんとか88888のメーターと町名の標識が入るように写真を撮ろうと試みたけれどうまく撮れず断念した。

それがメインイベントではなかったし、私はそもそもの手作り市に行くのが用事だったから、また運転を再開した。

88889kmになった。

88888kmの最後の地点にも度肝を抜かれた。

それはその人が愛用していたお店のすぐ目の前だった。

Sさんがその人がいなくなる前にポイントカードをもらったと言って見せてくれたことがあるお店だった。

そしてそこは私が新潟に帰ってから10社以上受けようとしていた中の1つのところだった。

結局受けることを辞めたけれど、受ける前にそこの担当者と電話でどうしても連絡を取らないといけなくて、でもその時私のこのiphoneは壊れた。

その時だけ電話の一切の操作ができなくなって、完全に死んでいた状態だった。

何であんな不具合が出たのかは知らない。

だけど、そうなった。

あれは虫の知らせだったんじゃないかと思う。

私の記憶に残るように、それが未来にとって意味があるということを私の怪しげな記憶力でも覚えていられるように、そうなったのではないかと思う。

そしてその場所は、私がこのブログを再開するきっかけをくれた場所でもあった。

その店を通り過ぎてすぐに88889kmにメーターは変わった。

88888kmのストーリーは、まるで77777kmのストーリーを引き継ぐように紡がれていた。

それもそうなる10分ほど前まで私はそのことを全く予想できずにいた。

とにかく驚いた。

想定外どころか、「まさか」以外の何ものでもなかった。


あまりにも長いから2部に分ける。

こちらの方を終わらせる前に、ここまでのことのまとめを書きたい。

ここまでの出来事を通過した時に、私は「信じて大丈夫」と思った。

その人との関係云々ではなくて(こちらは信じたくてもあまりにも絶望的すぎて信じる方がしんどくなる)、自分の人生の流れを信じて大丈夫という意味で、「大丈夫」と思った。

色んなありえないことたちが重なり合わないと、ピンポイントで88888kmの地点にそんな私にとって意味のある場所には辿り着けない。

そもそも自分の住所の番地だって私が決められるものじゃない。

今の車の77777kmから88888kmの間の1万1111km分の移動の詳細だって私が日々どこに行くのかを決めていてもピンポイントでこの時はここを通過してね、なんて決めてるわけもない。

ましてやその人が住んだ場所の住所とかなんて、もっと私にとってはどうにもできない事柄だったりする。

この1週間の出来事の中では、モーニングと花ちゃんの洗脳騒ぎと友達が紹介してくれた本と県立図書館と洗顔ソープにまつわることが混然一体となって新しい物語を作っている。

そもそもモーニングは急遽浮上した話だった。

しかも最初のLINEでは、土日どちらかでしようという内容だったのが、誰かが日曜を希望してそれで日曜になった。

もし花ちゃんの洗脳騒ぎがなければ、私は普通に何のわだかまりもなく日曜日のモーニングに行くと返事していた。

だけどそうできない事情があったから、Kさんに相談することになった。

そしてKさんがLINEで聞いても埒が明かないから直接会って話そうと提案してくれた。

その流れがなければ火曜日にKさんと会うこともなければ、さらなるついでにパワーストーン屋まで一緒に行くこともなかった。

県立図書館も、期限切れなのは私のミスとは言え、そもそも絶版の本を借りるという流れがなければ行く必要もなかった。

そしてそこに行くついでに洗顔ソープの店も行けると思って、それで洗顔ソープのお店の方にまで足を延ばすことになった。

洗顔ソープについて言えば、私は新潟県内でそれが売っているのはその買っているお店しか知らない。

他の種類は近隣でも手に入るけれど、なぜかそれだけはそこでしか見たことがない。

だからどうでもそこに行かないと買えない代物で、私は無くなる度にそこに予約して買いに行っている。

しかも今回はタイミング良くぴったりなくなったのがその時だった。

友達の紹介してくれた本についてはこうだった。

友達は私に会った6月10日の日曜日、どうもこれはぶっしーに紹介した方が良い気がすると思って、と言いながら持ってきてくれた本だった。

私は少しだけ読んで、それは自分も絶対に読みたい!と思うものだった。

だけど友達も買ったばかりでとりあえず今日は貸せないと言われ、私もそもそもホロスコープの本や他の本で手一杯で借りても読めなかったからそれは気にはならなかった。

だけど本は気になったから、買いに行くの前提でその本を探した。

結局見つからず、この間6月23日に会った時に「私が持っててもしばらく読まないからぶっしー先読んで」と言われて貸してもらった。

もし先に貸してもらっていたとするなら、私はその週、何軒もの書店をはしごすることもなかった。

友達は23日の時に、「結局この間に全然読まなかったから、前回(10日)ぶっしーに貸しておけば良かった」と言ってくれた。

でも貸さなくて正解で、貸していたとするなら88888kmはもっと他の地点になっていたのは間違いない。

本探しだけでも私は多分10~20km余計に走行している。

手作り市についても非常に不思議なご縁だった。

2016年の6月は、今となっては何で知り得たのかさっぱり覚えていないけれど、私は何かで知ることになった。

その年も第3週ぐらいに開催したのがさっき調べてわかったけれど、当時の私は帰ってきてから3週間ほど完全に引きこもっていた。

その3週間、本気で家の外に一歩も出なかった。

しかも家にいたくせにして、新聞もほとんど読まず、本当に毎日何をしていたんだろうと思う。

だけどその情報を手にしていた。

続いての2017年、去年の6月も開催されていたのは間違いないと思うけれど、私は去年はその情報を手にしていない。

今度は車もお金もあったけれど、情報がこなかった。

だから行かなかった。

そして今年。

今年もあのお寿司を買ったあの日でなければ知ることがないものだったけれど、色んなことが重なって地域情報誌を手にして、そして最後は手作り市の情報を入手した。

今度は車もお金も情報もそして時間も揃った。

やっと2年越しに行けることになった。

私は88888kmの地点に到達する前は、単純にその手作り市に出かけられることの方に胸がいっぱいだった。

2年前、そこに惹かれても行くための手段がなかった。

そして2年越しに、たとえその時も色々安泰ですなんていう状況ではなくても、それでも行けることが本当に嬉しかった。

自分がここに来れたんだなと思った。

2年前の6月は先の見えない人生に大真面目に絶望していた。

人は「それって新しいチャンスだよね、何も縛られるものがなくて」と言うかもしれない。

私にはそんな風には全く映らなかった。

私は何で自分の人生がこんな風なんだろう、私には何が足りないんだろう、私はこれからどんな努力とかをしたら人生がもう少し自分にとって優しいものに変わってくれるんだろう、そんなことで頭をいっぱいにしていた。

あの時の絶望感は今もしっかりと記憶に残っているから、だからこそ2年越しにその行きたいと思っていたイベントに自らの足で行けることが本当の本当にうれしかった。

しかもこの後の後編に続くけれど、その手作り市で私はさらに素敵な人たちと出逢ってくる。

それこそ一期一会で、もしかしたらもう二度と会わないかもしれない。

でもその二度と会わないかもしれない人たちにそのタイミングで出逢わせてもらえた。

さらに翌日、もっとこの話には色んなストーリーが絡まっていたことを知ることになった。

そしてその翌日にもこの人は大きな安心感を私にもたらした。

人生の中で色々怖い思いをしているけれど、そのトップ5には入る怖い思いをした1日の中でその人を思い出させるサインをもらった。


私は世界中の全員が私のこのおかしなストーリーを「まぐれだろう」とか「おかしい」とか「妄想だろう」とか言ったとしても、私一人だけは最後の最後まで信じ抜く自信がある。

全部見せてもらえたから。

ありえない奇跡の中に自分が立っていて、そのありえないストーリーを全部自分のこの目で見てこの耳で聞いてこの体で体験したから。

私はこれを見ても自分が自分の人生を疑ったとしたら、自分自身がいたたまれない気がした。

もうこれ以上の奇跡を見せてもらえるなんて人生でもそうそうないと思う。

私は一体その人をどれだけ自分の世界に巻き込んでるのかという話だけれど、そしてその人が知らないところで私はどれだけのラッキーに恵まれているのかと思うけれども、とにかくその人が何かしら私の人生の軸の中心部分にいて、そしてものすごい旋風を私の人生に送ってきている。

本人はそんな気絶対にないと思うけれども、でも現にそうなっている。

だってその人なくしては、そんな88888kmの通過ポイントなんてただの通過ポイントでしかなくなる。

77777kmだって、生きていたある瞬間を切り取ったに過ぎない。

別にそうでなくてもいいでしょ?と思う。

ちなみに個人的にものすごい聞いてみたいと思うのは、私にはこれだけの影響力がガンガンとあって、本当にそれだけで物語書けるんじゃないかというぐらいのレベルだけれど、相手の人は何にも感じなかったのかな…?と。

私は相手の人は、私なんかよりももっともっと敏感な人だと思っている。

話がそれるからここではあまりしないけれども、その当時していた仕事によって私はその人が普段身を置いているだろう世界の雰囲気というものを知った。

それは仕事の世界じゃなくて、そこに流れている空気の中に身を置くことで見えてくるもの。

ざっくりと言えばこうだった。

私はその仕事に就くまで、過去に一度も「話さない」そして「人と関わらない」という仕事をしたことがなかった。

だから、私は話さなくて良くて人と関わる必要のない仕事の世界にいる時に見える風景や自分の心の中というのは、その時まで全く知らなかった。

そういう世界に身を置いてわかったことは、自分の心がやたらと近くになること。

それまでの私は常に自分以外の誰かを意識してないといけなかったから、自分の心を整えるという意味では自分を見たけれども、周りを観察しながら自分の心を静かに見るということをしたことがなかった。

その人は基本的に余計なことは一切喋らない。

私語というものをほとんどしない。

してもそれは相手からの働きかけがあって初めてする程度。

だからその人の場合、静かに仕事をしている時間の方が圧倒的に多いわけで、まぁ仕事中だからそんなに自分の心の中を見ている余裕はないにしても、それでも自分の心はそこそこ近くにあったんじゃないかなと思う。

少なくとも自分で知覚できるぐらいの近さにはあったんじゃないかなと。

私にはとんでもなく色んなことがものすごいインパクトであって、そのインパクトが私だけが感じる一方的なものだったのかどうかを知りたかった。

相手は私と違って、色んな人とやりとりもしなきゃいけなかったし、色んなことを同時進行的にこなさないといけなくて、ものすごい忙しいのははたから見ててもわかったけれど、それにしてもあの異常なほどのインパクトは私1人だけに延々と影響していたことなのかなと不思議に思っている。

反対に考えて、あの意味不明な渦がその人のところにも押し寄せてるとしたら、避けたくなる気持ちもわからなくもない。

意味不明すぎて自分もそれに翻弄されるから、逆に危険なものと見なしてそこから遠ざかりたいその気持ちが湧いたとしても不思議じゃない。

そういうシンクロとか人との出逢いについてスピリチュアル的な観点から見る癖のある私から見ても、色々怖いというかあまりにも色んな偶然が重なり過ぎて呆然となってしまうところがある。

相手の人は私の100倍真面目に現実世界を生きている人だから、もしその渦の存在に気付いていたとしたら、さぞかしもっと受け入れ難かったんじゃないかと思う。

一言で言うなら「ありえない」から。

あまりにも信じ難く、そしてあまりにもおかしなことの連続だから。

だけど知りたかった。

その人の目にはどんな風景が映っていて、どんな風に感じていたのか。

何も感じてないなら聞いても仕方ないけれど、もし私みたいに何かがその人にも起こっていたのなら聞きたかった。

この世でたった1人の分かち合える人だから。

こんなわけのわからない話、唯一通じ合えるのはその人しかいないと思っているから。

私は今でも現在進行形で知りたいと思っている。


Sさんの予言めいた話は現実のものとなった。

新潟に帰ることがものすごく嫌だったけれど、新潟にあのタイミングで帰らなければその人には絶対に出逢えなかったから。

その人なくしては、私はここに書いたことのどれ1つも体験できなかった。

そして体験すればするほど、色んなことが重なれば重なるほど、自分の人生が本当はこれで大丈夫なんだよ、と教えてもらってる気がしている。


もっと長くなりそうだから、ここで一旦終了。

後半へ続く。









【追記】

書き終ってから24時間経過して気付いたこと。

88888.8kmの地点が、多分その人が住んでいたところに最も接近していた辺りじゃないかと思う。

セブンイレブンの辺りが8.8~8.9kmに該当するんだろうなぁなんて考えていたら、その辺りこそその人が住んでいたとされる住所の1丁目(仮)に当たる部分だと気付いた。

最初88888kmになった瞬間は、言うなれば新潟町二丁目(仮名)の信号の手前で、それで数百Mすると今度は新潟町一(丁目)の交差点に差し掛かる。

そして丁度88889kmになった時は、今度また別の町名か別の丁名に信号の標識が変わっていた。

だからまさに小数第1位を含むぞろ目オンパレードの88888.8kmの時は、そのすごく近くだったんじゃないかと。

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