2018年7月2日月曜日

アタック25

日曜の昼間のクイズ番組『アタック25』。

うちは父親が好きでよく見てた。

子どもの頃、あれは大人になればそこそこ答えられるようになるものなのかと信じてた。

それから25年近い月日が流れて、私は同年代の男性3人と一緒にこたつに入りながらアタック25を見ていた。
(1人は友達と心から思えるぐらいに仲良くて今もやり取りしてる仲だけれど、2人は会えば話すという仲。だからあえて「友達」という表現を避けた)

あれは月日が流れて大人になったらわかるものではなかった。

基本的な学力が物を言う世界で、そこが相当抜け落ちてる私なんかは見てた中で1問も答えがわからなかった。

だけど、それ以上に驚いたのは3人の方だった。

3人は普通の会話のごとく、そのクイズ番組のクイズに参加して、これ○○が答えとか、これってあの◇◇じゃなかったっけ?などと普通にしれっと答えたりしてる。

3人の構成。

・早稲田大卒
・東京外語大卒
・国立教育大大学院卒

早稲田の彼は私に占い師のおばちゃんもといおばあちゃんのことを紹介してくれた。

私の人生相談的な話にもいつも快く付き合ってくれ、そして思慮深い感じがとても素敵な人。

結婚してるけれど(奥さんのことも知ってる)、結婚前に奥さんとの相性はおばちゃんに見てもらったと言ってた。

ちなみに彼は、「早稲田は変わり者の集まりで、本当に変です」と静かにでもきっぱりと断言する人だった。

人生で何人か早稲田の人に会ったけれど、記憶にある限りみんな個性が良い意味でぶっ飛んでて、共通点は「早稲田」というだけで他には何も見出せないぐらいにバラエティ豊かな人が多いと私も思う。

東京外大の彼は、私が布が好きだと言ったら、アジアの布巡りの旅をするなら…ということでその旅のプランを練ってくれた。
(アジアを旅したいとは一言も言っていない)

料理好きの彼は、私に「ミンサー」なる機械も紹介してくれた。

ミンサーって何?と聞いたら、塊肉をひき肉にする機械と教えてもらった。
(ひき肉のひき具合?荒具合?を変えることで食感だか何かが変わるとか言ってた)

それを買ってからというもの、餃子作りが楽しくて仕方ないと言っていた。

うろ覚えだけど、餃子の餡の美味しい割合も教えてくれたと思う。

豚ばら肉と通常の赤身の肉(部位は忘れた)、それぞれのブロックをひき肉にして混ぜることしか今となっては思い出せない。

院卒の友達は1番仲良くしてた友達だけど、普段は私とホルモン焼飲みで盛り上がり、魚座仲間でもあるから魚座的なぶっ飛んだ話もたくさんしていた。

この友達からは相当ぶつくさ文句を言われたけれど、この間その文句の元となったことを上半期ひとり反省会の時に思い出した。

いつだったかその友達がカレーを作った。

ぶっしー良かったら食べにおいでと言われたから、そして彼女と別れて傷心な時なのも知っていたから、出かける前に友達の家にカレーを食べに行った。

私はその日、仕事の同僚の人とごはんに行くことになっていた。

だから数少ない私服でもきれいな麻の白いシャツを着て出かけた。

カレーを食べる時になって、服は汚せないことに気付いた。

友達に「汚くなってもいいTシャツ貸して!」とお願いした。

友達は適当なシャツを貸してくれて、私は着替えてからカレーを食べた。

当たり前だけど、怪しいことなんか1つもない。

食べてる途中で悲劇は起こった。

別れたばかりの彼女がやってきた。

私はその彼女とも何回か会ったことがあったし、友達だとはっきりと互いに紹介できる間柄だから変なつもりは一切なかったけれど、そもそも私が友達のシャツを着てる時点でおかしな妄想が生まれ、彼女は勘違いしたまま「邪魔してごめんね」と言って出て行ってしまった。

私は全力で事の顛末を彼女に伝えたし、友達の方も全力でそれを説明してたけれど、すっかりおかしな話になってしまった。

なぜか後から私が友達に怒られた。

余談だけど、それから2、3年後、私は2人のメッセンジャー的な役割を2回した。

その女の子から結婚したことと子ども(写真付き)を産んだことの連絡が来た。

とっさに、男友達に伝えて欲しいんだろうなぁと思った。

この2人はお互いに大好きなまま、色んな事情が許されずに別れた人たちだった。

迷ったけれど、普段連絡してこないその子が私にわざわざ連絡して来たのはそういう理由だろうと思って、男友達に会った時にそれぞれのおめでたいことを報告した。

多分私に伝えて欲しくて連絡して来てるだろうから、と前置きしてからメールの内容のままに伝えた。

というやり取りが普段だったから、その3人と一緒にアタック25を見たのはその時が最初で最後だった。

3人の頭の良さはよく知ってた。

話してたらわかる。

頭がものすごく良い。

物事の掘り下げ方や分析方法、視点の多さや特別な視点を持ってること、言葉の選び方、などなどその才能たるや計り知れない。

でも普段私と話す時は、最初に書いたような話で盛り上がってくれる人たちだから、私の学力が足元に及んでなくても問題ない。

これは私が勝手に思ってることだけど、高い位置も知ってる人たちというのは、相手に合わせた会話ができる。

私が合わせるのは無理だけど、相手が私に合わせるのは可能だと思う。

だからアタック25を見た時に驚いた。

3人ともが普通に答えてる。

答えてるだけじゃなくて、さらにはその問題や答えに対して予備の知識があれば、それについてもさらりと会話に織り交ぜてる。

半端なく超賢くてインテリな会話だった。

私は知らない言語で話を聞いてるかのごとく、何もわからなかった。

終始ぽっかーんとしてた。

起き上がって見てたからいいけれど、これ横になって見てたら途中で寝落ちしてたなのレベルだった。

だってあんなわからない言葉のオンパレードで眠くならないわけがない。

今アタック25を見ることもないけれど、私は今もし横になって見たら絶対に寝落ちする自信がある。


書いていて、私の中の野望を思い出した。

例のカレー事件の日。

もう1つ事件が勃発した。

今度は私が同期入社の男性に文句を言った。

その日本当は3人で会う予定だった。

基本的に男性9割の職場で、私にとって女性の上司と先輩の2人を除いて、あと周りは全員男性で埋め尽くされていた。

だから、その日もどうしてごはんに行こうとなったのか忘れたけれど、休みの日だから飲もうとなった。

私は3人だとばかり思ってた。

行ったら同期のTさんは来れなくなって、私とNさんの2人で会うことになった。

2人で会うのは百歩譲って仕方ない。

何となく嫌な予感はした。

飲み終わる頃、Nさんは私に行きたいところがあるからそこ行きましょうと言われた。

名古屋の繁華街で、娯楽だけはたくさんある場所だった。

当時は週1の日曜休みもままならない状況だったから、私はその地区のこともほとんど知らずにいた。

まぁ行きたいところがどこかは知らないけれど、変な地区の方ではなかったから大丈夫だろうと私も油断してた。

油断してついて行ったら、建物の2階か3階でツタヤの中だった。

何があるのか私は全くわかっていなかった。

その場所に着いてようやく何が始まろうとしてたのかを知った。

そこは観覧車乗り場だった。

ビルの真横にピッタリと観覧車が付いた名古屋でもちょっとした有名なスポットがある。

私はその人と観覧車に乗った。

まさか観覧車に乗る直前に来て(本当に切符切る目の前)、まさかお金も出させて(というか勝手に切符を買われた)、乗りませんなんて言える状況になかった。

さすがに私も確信して、そこからは逃げることしか考えていなかった。

当然、好きでもなんでもない人と観覧車に乗ったところで私は嫌だから、あの狭い空間でできる限りの距離を目一杯取って座った。

これまるでデートじゃん、っていうかTさんわざと今日来なかったなというのも見当が付いた。

だから後日Tさんを捕まえて文句をたくさん言った。

私には一切その気がないから、ああいう状況は今後絶対に作らないで欲しいとお願いした。

私が観覧車に乗ったのはそれ一度きりで、Nさんもその後転勤になって、会わないで済むようになった。

私のその時からの小さな野望?で、誰かと付き合えるようになったら、その時の私が何歳であろうとその観覧車に乗りたいと思ってる。

あの悪夢のような時間を新しい思い出で記憶を新しくしたい、そう思った。

今は名古屋にいなくても、同じようにそれは思ってる(書くまで忘れていたけれど)。


あとこれも書いていて思い出したけれど、私が男の人に求めることがある。

それは相手の学歴や経歴は何でも良くて、相手にも私の学歴や経歴について何でもいい、と思って欲しいこと。

もう40にもなるから、そんなの気にしないと思うけれど。

30過ぎてから、私は自分のそれまでのことが相手によっては受け取り方が違うということを学んだ。

これは特に男の人の方が面倒くさかった。

アメリカの大学を出たとか、協力隊に参加したというのは、男の人たちの劣等感を刺激するのか、一部の男の人たちからは私がとても苦手とする反応が返ってきた。

そういう人たちの反応には共通しているものがある。

私を手の届かない人みたくするか、普通とは違うとするか、変に私を立てて自分を卑下するか。

大抵そんなことになって、面倒なことに気付いた。

名古屋では色んな人に会わせてもらって、学歴や経歴も様々な人たちが多かった。

高校中退?高卒?どちらかでバリバリの経営者の人とも一時期よく会っていたけれど、すごい気楽だった。

私という人を最初に見てくれてたからだと思うけれど、私の歴史を知ってもそれまでと変わらなかったし、だから何だ?ぐらいな感じで良かった。

「ぶっしーは賢い」とその人に言われても全く嫌味がなくて、そういうのが良かった。

その人はだからと言って、自分を卑下することも一切なく、本当にフラットだった。

ちなみに最初の高学歴組は、そもそも極めてる人たちで、そんなことで私を判断することもなく、私だけじゃなく周りの人のことも学歴や経歴で見たりしない。

あくまでも人間同士の付き合いに徹してくれてる。

いつだったか、一度だけ会った男の人に、アメリカに行ったことや英語について色々自慢じゃないけれど紹介されたことがある。

話してて明らかに私の方が知ってることはすぐに気付いた。

私はどうしたかと言うと、最後まで相手に合わせてすっとぼけた。

こういうのも疲れるなと思った。

当たり前だけど、今でも長く付き合いのある人たちは、男女問わず私という1人の人間を見て付き合ってくれてる。

私についてる付属品はあくまで付属品で、そんなのを見て態度を変えたり私に対する見方を変えたりはしない。

だからこの間のモデルみたいに外見は綺麗だった悪女3人組の20代の女の子が、男を学歴で見てるのにドン引きした。

名前の出た高校は2つとも確かに地元ではそこそこのレベルでも、一歩県外を出たらそんなに上ではないはず。

少なくともそのうちの1つは、私と同じ高校に行った子が受けようとしてたぐらいだから、絶対に高くない。

おそらく英語をよく知らない人たちから見て「アメリカに行ったことがある」=「英語ができる」という勘違いと同じで、その悪女たちも名前は知ってても内実をよく知らないまま話してたと思う。

しかも今気になって偏差値調べたら、悪女たちの地元と思しき高校の方が、その私と同じ高校に行ってた子が受けようとした高校よりも上だった。

だからその高校の名前が出てこないことが不思議だった。

いずれも私にはない学力でも、上には上がいることを私は知ってるから、絶対にそんなもので相手を判断とかできない。

そして中にはとても頭がいいのに、自分の学力で学校を選ばない子がいることも塾で働いた時に出会った。

その子はすごく成績が上がって、かなり上の高校を選べるレベルにまで到達した。

本人にも保護者にも当時の学力で狙える高校を一通り伝えた。

だけど、その子が最後に選んだのは、その子なら楽勝で入れる高校だった。

理由は簡単、学校が歩いて数分のところにあったから。

その子は3年間の通学を考えた時に、確実に通えるところを選んだ(交通の便があまり良くない地域だった)。

話があちこちに飛んだけれども、とにかく外側の名前だけでは相手のことなんか判断できないし、私自身もそれで判断されたくない。

この半年の振り返りをすると、こんな風にして違う過去のことも度々思い出される。

それがどんな意味かなんて今はわからないけれど、そうしたことも大切なヒントになりそうだから、今はそれらも全て拾い集めてる。

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