2018年7月22日日曜日

東京ヒーリング③ 磯野カツオ

東京で受けてきたヒーリングのヒーラーOさんは、本当に想像以上にすごい人だった。

あれからまだ1週間しか経ってないとはとても思えない。

Oさんから了承を得て、今月の月末に会うまでに何か質問があったら、それまでにもラインやメールで聞けることになった。

質問は、ヒーリングのことでもエネルギーワークのことでも何でもその分野に関することならいいとのことだった。

しかもOさんからの提案で、私が質問する→Oさんが文書で答えるを何回かして、それで会う当日はそこからまた話を深めたり掘り下げたりするのもいいですね!となった。

ということで、Oさんとのやり取り(レッスン)が始まった。

私は最初に断っておいた。

私というのは、何でも聞いてくださいなんて言われた日には本当にたくさん聞くので(図々しいと言われることも書いておいた)、負担がでかい時は遠慮なく断ってください、と。

つい何日か前、第1回目の質問、10個を送った。

中には「セッションで気をつけていることを教えてください」なんてのまである。

好奇心の塊みたいな方で驚いた、だけどこうしてきちんと物事を深めるのは好きだからということで、その10個をものすっごく丁寧に全部書いて送ってくれた。

PDF7枚分にして。

あまりにもきっちりとした回答でこちらが申し訳ないぐらいだった。

次東京に行く時は、新潟の美味しいせんべい持って行こう!と思った。

そのせんべいメーカーは、銀座で独立店舗を持つぐらいに(←先週見つけた)美味しいということだろう。

もちろん気遣いじゃなくて、罪滅ぼしの意味で。

そして、質問の中には私の能力に関するものもあって、それについてはOさんが教えてくれたことを私の方で書き直して、OさんからGOサインもらったらここでも紹介しようと思う。

Oさんの希望で、私がそのレッスン内容をネットに公開したり他者へ公言するのは避けて欲しいということだったから、そこはもちろん遵守するとして。

能力的な部分は自分でもずっと私が何をしていて何にアクセスしているのか全くわからなかったところを、Oさんがものすごくわかりやすく説明してくれたから、その部分だけは自分が他の人に説明する時に使いたいから、自分の言葉で書き直して、使っても差し支えないかどうかを後日見て判断して欲しいとお願いした。

現段階で言えるのは、少なくとも私も何にアクセスしていて、その時に私がキャッチするプロセスがどういったものなのか、それがはっきりと言葉で示されて私は安心した。

これまでは何だか知らないけれどそうなっていて、一応ペンジュラムに情報の出所は春先から聞くようにはなったけれど、それでも私にははっきりとした確証もなければ、怪しさ満載なのは相変わらずだったから、そこが余計と私の不安をでかくしていった。

怪しいというのは、世間一般では到底信じられないようなことが身の上に起こっているわけで、私も「それ怪しいね」と指摘されたら「そうだよ」と答える。

だって、何をどうしたら、自分の目の前にいない人たちの日常のヒントを私がキャッチするのか、という話で、しかもそれが毎回やってくる方法が違う。

「キャッチする」という一点においてはみんな共通だけれど、そのプロセスはそれぞれ違う。

そしてもっと言うと、私の場合は、完全に起き上がっていて頭も通常の状態で、変性意識に入るわけではないから、そうなってる状態とそうでない時の自分の状態の差が自分でもわからない。

だから、私はその時の前後のことや渦中のことはメモしてる。

自分でわからないから、せめて自分が後で振り返る用に書き残しておく。

そんな部分のことをOさんはとてもわかりやすく解説してくれて、この人は使いの者なのかと思ったぐらいに凄かった。

実は私は何年もの間、自分が何してるのかを言葉で伝えてくれる人を探してた。

個人セッションをする時というのは、私には私が何をしているかわかる。

ただわからなかったのは、「じゃあそれって一言で言うと何?」という部分だった。

私の場合、その人のその時の状況や状態を見て、何をするかは全く変わる。

だから統一性が全くない。

だから自分でもずっとずっと説明できなかった。

だってある時はひたすら話を聞いてメモしてる時もあれば(←これがその人のヒントになるから)、コーチングで習った質問をあるやり方に基づいてひたすら重ねてその人の深層心理に行く時もあれば、軽い催眠術をかけてその人の意識をリラックスさせてそこから深い心の中に入ってもらうこともあれば、本当に様々。

カードを使うこともあるし、最近はペンジュラムが大活躍してくれてる。

手法に名前の付いてるものもあれば、私独自で思いつきでやってるものもある。

だから1回1回全く違うものたちを総称すると何なのか?という話だったし、ましてやその手法たちに関してもどうやって選んでるのか?と聞かれるとこれもまた困った。

一応相手の希望は聞く。

希望を聞いた上で「多分これ」というのをする。

そして、予め言っておく。

テーマを決めても多分最終的には違うものが出てくるからと。

テーマを決めても最終的に違うものが出てくる、というのはやるとわかる。

「テーマ」として出してきたものは頭で考えて出している。

それは顕在意識バリバリのものだから、そんなのは単なるきっかけに過ぎない。
(ここでは言い方がきついけど、伝える時はそんな乱暴な言い方はしない)

だから相手には「何が出てきてもそのままを教えてください。関係ないと思うことでも、きちんと1つのことに繋がっているので、心配しないでそのまま出してください」と説明する。

話してる本人には支離滅裂でも、私は本人じゃないから感情が乗らない分、その話に共通しているテーマがわかる。

それは最初に出したものとは絶対に違うテーマになるし、それが本人が大切にしている価値観や想いと合致する。

そんなこともあって、私はもうこのよくのわからない自分のスタイルをどう説明するのか、ずっと言葉を持ち合わせていなかった。

まだはっきりと言葉を出せたわけではないけれど、少なくともOさんから私のことを客観的に説明してもらえたから、その意味がわかるようになった。

そして同じ怪しいでも、もう少し馴染みのある言葉で説明することがここに来て初めて可能になった。

もう1つの発見。

4月当初、私はまずホロスコープにロックオンされた。

ホロスコープの学びが楽しくて仕方なかった。

そして同じくらいにひっそりと始めた癒しのレシピも楽しかった。

4月と5月の情報はほぼほぼホロスコープにあったけれど、6月の途中からは情報の内容が変わった。

代替医療じゃないけれど、そうしたものや、エネルギーや波動の改善みたいな内容が来ている。

それも私が自分で選んだ本たちじゃない。

友達とOさんが紹介してくれたり貸してくれた本たちがそういうものだった。

自分じゃ選ばない本が人を介して来る時は、それはすなわち「あなたに必要な情報ですよ」のサインだと思ってる。

どちらのタイプの本も、「自己治癒力」が鍵になっている。

私の中のテーマもそこに傾倒しているし、自分でも少しずつどうしたら良くなってどうしたら良くならないのか、そこを見るようになった。

ちなみに良くならない1番の原因は、本人が「良くならない」と決めてることにあると私は思っている。

病気となると色んな理由が背後にあるからそうとは言わないけれど、日常の中で本人が苦しくてもなかなかその状況や状態が改善しないのは、本人が頑なに「良くならない」と決めてるところが大きいと思う。

先日、前の仕事で同期入社だった人から電話が来た。

その人は人は良い。

基本的に心のやさしい人だし、人に対してもその心を惜しみなく出せる人。

なんだけど、本人の思考グセがあって、基本的にとてもネガティブに物事を捉える。

半年とか1年ぶりの電話だったと思うけれど、最後はそのネガティブなクセを全面に出していた。

一応私がしんどかった時に色々やったことも紹介はした。

基本的に私は自分が効果があると実感できたものは、他の人たちにも普通にこれいいよ!と伝える。

だけどその時は手段や方法論の名前は伝えたけれど、詳細はやめた。

伝わらないと思ったから。

色んな人たちと関わったから、感覚でわかる。

この人やると思う人と、この人やらないと思う人の差。

基本的に私にポロリと何かをこぼす時は、ほとんどの人が大変な時期を通過している。

程度の差こそあれ、大変という意味ではみんな一緒。

その時に私は相手の様子を黙って観察している。

この人絶対にやるだろうとわかった人には、細かく情報を説明する。

やらないと思う人には、サラリと流すか、聞かれてもちょっとしか伝えない。

なぜなら「やらない」とわかるから。

それって大元を辿ると、本人が「良くならない」と決めている。

表面上は「良くなりたい」と言っているけれど、違う。

深いところでは、その今の状況を自ら引き受けている。

喜んで選んでいると言ってもいいくらい。

それを本人に言うとものすごく怒らせるから言わないけれど、絶対に良くならないぞと決めてるのが伝わってくるのと、本人の口からもそのような言葉が出てくる。

だからそういう人には何を言っても伝わらないしこちらも疲弊するから、余計なことは言わない。

だから、自己治癒力の部分に私はとても興味があるし、それをどう引き出すのか、何を見るといいのか、そんなことに興味津々だったりする。

そんな折に、友達の洗脳騒ぎで出逢えたOさんで、そのOさんからまさに今の私が知りたいことを教えてもらえる。

1つ1つの流れたちにはさっぱり共通点が見えなかったけれど、気付いたら今ここで、そして多分必要なところに辿り着いてる。

まさかホロスコープを毎日飽きずに調べてた頃、こんな風にヒーラーの誰かに会うなんて思ったことさえなかった。
7月7日 8:34



来週の東京行きに向けての振り返り。

ホロスコープは本当に口実だったんだと思う。

今回も銀座でホロスコープの講座を受けて、その後夜はOさんからまた個人でレッスンを受けてくる。

ホロスコープの宿題はまだしてなくて(テスト勉強もしていない)、なのにOさんとの勉強会の質問だけは先日2回目を提出した。

移ろいゆく季節の中で、私の興味関心も相変わらずあちこちに移った。

今は何のために東京にそもそも行くのかもわからなくなって来た。

もちろんホロスコープの講座のためではあるけれど、ホロスコープはついでな感じになってきた。

2つの全く異なる分野だから余計に感じるのかもしれないけれど、言葉の入り方が全然違う。

ホロスコープは学校の授業に近くて、全神経集中しないと理解ができない。

一方、Oさんのレッスンは、感覚で受けられる。
7/19 18:22



2回目の質問の回答も返ってきた。

私は勝手にOさんは天の使いの者だと思っている。

字が似ているけれど、天使じゃない、天なり何か私の力では及ばないようなところから遣わされてやって来た人、という感じ。

『天の使い』とはおかしな言い方だけれど、なぜかピンポイントでいきなりOさんを最初から引き当てたのは、必要があって出会わせてもらえた人、という感じだった。

しかもなぜOさんに今回も会うのか。

それは理由は1つで、Oさんから大切なこと、私が知る必要のあることを学ぶため。

友達になろうとか、付き合いましょうとか、デートしましょうとか、そういうタイプの出会い方じゃない。

明らかに、人間関係じゃなく、それ以外の理由でOさんが人生に現れたのはわかる。

今回は、自分のこれからにマックス迷いながら東京に行く。

普段体験しないことがいくつか東京行きに含まれてる。

普段体験しないことのために火曜日から行って、水曜日に講座を受けてOさんのレッスンを受けて帰ってくる。

その中でヒントが得られますように…と祈りつつ行く。

それよりも、ずっと放置していたホロスコープの宿題と今回のテスト範囲をさっき初めてきちんと見た。

一夜漬け的なことを今回ももれなくやるんだろうなぁと思った。

「三つ子の魂百まで」
なんていう名言だろう。

夏休みの最後数日に一気に宿題をしていた私は、大人になってからも変わっていない。

一応最初の数日はちょっとだけやってやった気になって、その後パタリと何もせず、そして期日が迫って焦る頃一気にやるタイプだった。

子どもの頃は宿題終わっていたんだろうか?

毎年8月31日は泣く日と決まっていた。

いくら興味があっても宿題はやっぱり苦手で、テスト勉強も苦手のまま。

しかも私、一番初歩的なことが何よりも理解できてなくて、その日本語の難度たるや外国語並みに何言ってるのかわからない。

という部分もテスト範囲だから、これから?明日から?(←濃厚な線)やろうかな…というところ。

久しぶりに読んだらいきなりすごく理解ができる!なんていうラッキーなことにならないだろうか…。

子午線とか、もうそもそもの言葉の意味のわからない理科的な用語を調べないと多分一生わからない。

Oさんの回答も読み込んでおらずで、時間あるくせしてやる気にならない、典型的な磯野カツオタイプの私。

ちなみに20代の頃、カツオと一緒の誕生日と知って、あまりにもカツオのダメダメなところと自分のダメダメなところが重なって、いくら漫画上の人物とは言え似すぎていて笑えなかった。
7/22 20:16

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