2018年7月18日水曜日

正解のない瞬間

人生の中で時々、絶対の正解がないところに100%自分のセンスでその場に居合わせることがある。

昨日、私はボーッとしながらようやく建物の陰に入った道を歩いてた。

しばらく工事をしていた駐車場も工事が終わっていた。

これは私が勝手に思ったことだけれど、都会と田舎の有料駐車場の違いは、都会は各駐車場に上がり板みたいなのが付いていて、そして清算は自販機ぐらいの大きさのもので済ませる。

清算が終わると板は自動的に下がって出れるようになる。

田舎にももちろんそのタイプもあるけれど、それよりも入口と出口にそれぞれ発券機と精算機があって、その機械の前に踏切みたいなバーが降りたり上がったりする方式のものが多い。

これは場所に余裕がないとできない駐車場のタイプなんだなぁ…なんて、私はいつから駐車場評論家になったのかと言わんばかりのことを本当に考えてた。

そんなことを考えてた矢先、ドスッと鈍い音がして、音の方向(進行方向)に目を向けると軽の車とおばあさんが衝突しておばあさんが倒れていた。

私から見て、おばあさんも車も突然視界に現れたから、あまりに一瞬のことで驚きを超えてしまった。

おばあさんのところにすぐに駆け寄って大丈夫ですか?と声をかけた。

運転手も車から出てきて、おばあさんは「あなたどこ見てるのよ?危ないじゃない!」と言い放った。

とりあえず意識がはっきりしてるのがわかって良かったけれど、私も気が動転している。

すぐ脇の建物に納入に来ていた男性も飛んで駆け付けてくれて、携帯をさっと出して「救急車呼びますよね?」と私に確認しながら、お願いします、と頼んで呼んでもらった。

おばあさんは多分大丈夫だと思うとは言ったけれど、あの鈍い音がするぐらいには当たっていたから、おばあさんには何かあると悪いから病院に行ってレントゲンとか検査してもらって大丈夫ってわかった方が安心だと思いますよ、とか言いながら、納得してもらった。

車もだけど、おばあさんもその事故の時のままの格好で、それが道路のど真ん中だったから、そこをまず移動しないとまずいと思った。

免許更新の時のビデオを真面目に見とくんだった…というのは後の祭りで、ふと冷静になった私は、おばあさんの体の状態も動かしていいものかどうかも全くわからなかった。

おばあさんを移動させないとまずいのはわかっても、これ移動させて大丈夫なのか全然わからなかった。

骨が折れてたりとか変に打ち身とかだとどうなるんだろうと思った。

しかも私は介護とかしたことないから、体の起こし方もわからない。

おばあさんは尻餅ついたままになっている。

危ないから移動しましょう、立ち上がることできますか?できなかったら私が抱き抱えるので…と抱き抱えるなんて言ったけれどやり方わかんねーとか思いながら、声をかけた。

多分動くのはできると言われた。

私は日傘とタオルを道の端っこに投げて、おばあさんの目の前にしゃがんだ。

おばあさんには私に掴まってもらって、立ち上がりますよとか言いながら、立ち上がってみた。

これでおばあさんが立ち上がれなかったらやり方考えようと思ったら、おばあさんは立ち上がれて、そして数歩歩く分には私に掴まりながらも歩けた。

おばあさんは私とその救急車を呼んでくれた男性に「みなさん、私は大丈夫ですから行ってください」と言われた。

年の頃80手前の方で、自分より他の人、旦那さんのことは「うちの主人」と言いそうな、そして旦那さんをきちんと立てて自分はその後ろをついて歩くような、古き良き時代の良妻賢母みたいな方だった。

その男性は男性で急いでないのでいますよと、そして私は私で「急ぎの用事があるわけじゃないので救急車来るまで一緒に待ちますよ」と伝えた。

そのおばあさんがどれだけの恐怖を感じてるのかはおばあさんを見ていてわかった。

おばあさんはどちらの手も私の手や体から離さなかった。

強く掴まってるのとは違うけれど、その状態になってることすら自分では気付いてないぐらいに動転してるのはわかった。

左手はおばあさんの手と握り合って、右手でおばあさんの背中をずっとずっとさすった。

車の運転手は60代の定年迎えたかな?みたいな男性で、おばあさんにすぐ駆け寄った後、救急車を呼ぶ男性と私がいるのを確認して、家がすぐ近くで保険の書類だけ取りに帰って来ると私に言付けして行ってしまった。

名前聞かなきゃと思う前に行かれて、でもこの人ひき逃げとかじゃなく本気で書類を取りに行くんだろうなという感じだった。

おばあさんの背中をさすってる時に、そのおばあさんが私の背中にあるコブみたいなのとほぼほぼ同じ位置に同じようなコブらしきものがあることがわかった。

このおばあさんと私お揃いだ!みたいなアホなことも考えた。

人の背中をさすったり、誰かに手を触れられたりするなんて久しくなく、私のさすり方は強すぎないかな?とか、嫌じゃないかな?とか、あれこれ考えた。

痛ければおばあさんも何か言うだろうと思って、救急車来るまでおばあさんとちょいちょい言葉を交わしながらずっと背中をさすったまま待った。

救急車は数分後に到着して、救急車の方たちにおばあさんは連れられて行った。

そのタイミングで運転手の男性も言葉通り書類を持って戻ってきた。

救急隊員に聞かれるまま、救急車を呼んでくれた男性が応対してくれて、私は多分第一発見者だけれど、何も聞かれず、そして行って大丈夫と言われたから私は自分の目的地へと向かった。

救急車が目の前で呼ばれたのは人生で二度目だったけれど、やっぱり難しいなぁと感じた。

当たり前だけれど、こういう時マニュアルもないし、普段の生活ではほとんど関わることのないことだから、動き方がさっぱりわからない。

ちなみに前回の救急車騒ぎはこんな余裕一ミリもなく、塾の仕事の最中、てんかん持ちの子がてんかん発作を起こした時だった。

私はその子のお母さんが普段は薬で抑えてるので発作は出ませんと言った言葉を全く疑わず、事前に発作時の対応の仕方の確認をしておかなかった。

私は人生でほぼほぼ初めてのてんかん発作を目の当たりにして、本気でこの子が死んじゃうとかもう二度と息を吹き返さないのかとも思って、生きた心地がしなかった。

その時は本当にラッキーで、辞める直前で後任の方もその場に居られた。

だからその方が救急車を呼んでくれた、それもとても冷静に。

他の子どもたちにも緊張が走っていたし、そしててんかんこそ何をしていいのかさっぱりわからなかった。

双子の子で、もう1人もすぐ隣りにいてくれたから助かった。

その日に限って、いつも絶対に電話が繋がる家なのに、固定電話も携帯も全部繋がらなかった。

片割れに「普段倒れたらどうしてんの?」と聞いたら、そのままでいいと言われた。

そのうち意識が戻ってくるから待ってればいいと。

格好も椅子共々ひっくり返って、椅子だけは本人の体と分離させたけれど、格好はひっくり返ったままの格好だった。

格好もそのままでいいと言われた。

子どもには両親のどちらかに繋がるまでずっと電話かけ続けてと伝えた。

何回目かでやっと電話が繋がってくれて、子どもはのんきに「発作起きたよ」と言ってるから、すぐに替わってもらって、とりあえず救急車を呼んだけれども今こちらは何をしたらいいのかを聞いた。

薬持ってすぐ駆け付けるので、そのままにしてもらってて大丈夫です、と言われて電話を切った。

数分でご両親が駆け付けてこられて、お母さんとは何回も顔を合わせていたけれどもお父さんは初めてお会いした。

お母さんは血相を変えて教室に入ってきたけれども、お父さんはどんと構えていて「大丈夫ですよ」と言っていられたのが印象的だった。

そのうち本人の意識も回復して、お母さんと本人で何かしらのやり取りをしていた。

救急車も到着したけれども、ご両親の方でお騒がせしました、てんかん発作治ったので大丈夫です、と断っていた。

私1人だったら絶対にもっとどうにもならなかったけれども、色んな偶然中の偶然が重なったおかげで、ハチャメチャでもすべては何とかなった。



答えのない、そしてどうするのが適切なのかもわからない瞬間が人生にはある。

今回おばあさんはおそらく大丈夫だと思われるのと、てんかん発作の子はその後はまた通常の生活に戻ったのとで、そういう感想が言えるのかもしれない。

どちらも何をしたら良かったかなんてわからない。

昨日もたまたまと言えども、私は珍しくリュックだけを持ち歩いていた。

普段ならプラスで貴重品とかを入れる小さなカバンを肩から斜めに掛けているところ、リュックだけだったから、自分の体の全面も両手も空いていた。

その後友達の家に行く用事があったから、普段ならサンダルのところ昨日は靴下+スニーカーを履いていた。

さすがに汚い足で友達の家に上がるのは忍びなかったから。

そして大きな日陰に入ったところだったから日傘を閉じていた。

日傘を差していたら、視界はさらに狭く遮られていた。

まるでその事故現場に居合わせてもいいように体の準備だけはやたらと整っていた。

体は良かったけれど、自分の頭は準備万端からは程遠かった。

何もしないよりそこにいるだけでもマシかな…という程度でしかなくても、1人で不安な時に心細くいるよりも良いかなと思った。

私なら誰かいて欲しいから、そんなすごい時。

私はその場を離れてから足が宙を浮いたみたいな、落ち着かない感じを味わった。

日々ドラマだなと思った。

そして、色々あっても普通に生きてるってすごいんだなと思いながらそこを後にした。

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