2018年7月11日水曜日

つれづれ記【仮】

残ったもの。

色んなことがあって、記録も追いつかなければ、記憶も追いつかない。

どんどん忘れていく。

色々あれば当然気持ちもぐるぐると動く。

あっちに行ったりこっちに行ったり。

とにかく動きまくり。

そして新しい事件的な出来事があれば、記憶は即座に刷新される。

前のことは忘れたわけじゃないんだろうけれど、消える。

頭の中から消える。

そんなこんなの9ヶ月半を通り抜けて、それでも残ったもの。

その人への気持ちだった。

当初1、2ヶ月とはいかなくても、せいぜい半年もすれば気持ちが薄れるんじゃないかと期待した。

うっかりまだあっても、例えば0日目を100としたら、半年後は50とか30とか10とかね。

そのぐらい減るんじゃないかと予想した。

さっき、これがあって、あれがあって…と過去の関係のないあれこれを振り返った時、もう手元にないものたちがいかにたくさんあるのかに気付いた。

そうだよね、それだけ時間が過ぎれば、そして今がその時と違っていれば、残ってなくても不思議じゃないなと。

だけど、その人に関しては、何も変わってない、むしろもっとパワーアップした⁉︎まさか⁉︎…

0日目が100なら、もう少しで300日目の今日、100か、認めたくないけれど、100オーバーの域なんじゃないかと。

本当に色々あったのに、その人の場所は固定されたかのようにずっとある。

例えばはまりまくって宣伝しまくったオルゴナイト。

今はそもそもの物がないから、ブーム終了。

仕事はものすごい速さでやり方を忘れていった(想定通り)。

色んなことが変わる中で、変わらないものがそれだった。

当時の日記を読んだ。

読んでてわかった。

体が記憶している。

心で感じたことを、頭とか言葉で記憶してなくて、体の感覚で記憶している。

だから今もずっとずっと残っている。
7/10 23:25


「こんな風に誰かに出逢って誰かを想うようになるなんて思ってなかった。しかも、まともに喋ったことが一度もない!中学生かと思った。38才にもなって、そんな風な形で誰かをいいって思うなんて想像すらできなかった。でもそれって、五感で体や心の感覚だけでいいって思ってるってことだから、逆に信頼があるのかもとも思う。」
2017/9/15(金)

日記を開いたらそうあった。

88888の記事を書くにあたって、去年の夏の数少ない記録を書いたノートを探した。

想像以上に当時の記録は少なくて、そして相手の人の転勤がわかって、手紙も渡して、スーパーグダグダなあたりから私は日記を書き始めた。

本当に私は相手の人のことを何も知らなかった。

ゼロとは言わない。

だけど限りなくゼロに近いぐらいに知らなくて、なのに気持ちはどんどんこちらがお願いもしてない方向に引っ張られるから、本気で困ってた。

だから、私は昨日みたいに書いた。

去年の夏の出逢いは、頭とか思考で選んだものじゃなくて、体が先に反応した。

頭と思考はそれを否定するためにフル稼働してくれていたけれど、そんなことでは止まらなかった。

今朝になって若い頃の付き合いを思い出してた。

私は当時、自分の気持ちも相手のことも大切にしていなかった。

大切にしていたのは、相手との関係だけだった。

だから私はその人に対しては、去年の夏の私とは真逆のことをしていた。

若かった私は、その人を好きになれるところを必死に探した。

その人を好きになる努力をしてた。

だから、好きじゃないのに無理矢理好きになろうとしてた。

無意識でいると、その人の嫌なところばかりが目について、それで我に返って、好きなところを探そうと必死だった。

去年の夏は真逆だった。

無意識でいるとどんどん気持ちは勝手に膨らむし、どんどん相手のことばかりになっていくし、どんどん惹きつけられてどうしようかと思ってた。

だから、私はなんと相手の粗探しを超真剣にしてた。

その人を嫌いになるとか、幻滅するとか、気持ちが一気に冷めてくれるとか、そんなことを私は真面目に望んで、だから少しでも「これは嫌」と感じるポイントを見つけると私は狂喜乱舞じゃないけれど、喜んでた。

その後も「このまま冷めてくれますように」とおかしなことを祈って願った。

そういう時が3回あったと思う。

残念すぎるぐらいに、もって数時間だった。

そして相手はうまい具合に、私がタイプとする男性の真逆のものばかりを持っていた。

苦手なタイプだったのは間違いない。

普段なら絶対に近寄らない。

私は不倫とかに一切興味がないから、男の人で左の薬指に指輪をしてる人を見ると、ものすごい速さでシャッターが降りる。

自動で相手の生物学上の「異性」という枠がなくなって、人としてしか見なくなる。

その人は指輪こそしてなかったけれど、目に見えるものでわかってるものは、その指輪と同じぐらいの速さで、本来ならシャターが降りる相手だった。

これも勝手な話だけども、私は名古屋で朝活に参加したことと自分も株式会社と呼ばれるところで男性9割みたいなところで働いて感じたことがある。

朝活では、色んな業種のサラリーマンの方たちに会った。

みんな最後は捨てたけれど、私は朝活に行くたびに名刺をもらって、みんなそれぞれすごい人たちが集まっているんだなと思ってた。

話は面白いし、人として付き合う分には何の問題もないけれど、私は基本的にサラリーマンの男性の9割は苦手だとわかった。

共通の話題も共通の言語もあるから普段はそれでいいし、人として話すのは普通に私がツボる人なら別に職業も関係なかった。

だけど、明らかに言葉では言いようのないズレと根本的な価値観が基本的に真逆並みに違うから、だから異性として本当に惹かれることは普段ならまずはなかった。

男友達も何人かサラリーマンでも、彼らは若干違っている(社内でも多かれ少なかれ浮いてる←本人談)。

サラリーマンがダメなのではなくて、むしろそういう人たちいてこその日本経済だと思ってるから、敬う気持ちは持っている。

でもそういう意味ではなくて、何かが違うから、そういう意味で去年の出逢いは、本来なら即座にシャターが降りる予定のものだった。

だけど、シャッターは故障したらしく、そんなことでも降りてはくれなかった。

相手がイケメンなのも、十分相手に惹かれないための大切な要素だったにも関わらず、それさえも効力をさっぱり発揮してくれなくて困った。

話さなくてもわかる要素だけを並べたら、その人ははっきり言って私の中で論外中の論外だった。

苦手なタイプとして挙げるなら、その人はそれで百点満点、全項目クリアの人だった。

だから、私はとても混乱した。

苦手なのに、どう考えても苦手なのに、そして話してもないのにどんどん相手の占める面積がデカくなる。

だから私は毎日耳にタコができるくらい「これは気のせい」だと自分に言い聞かせた。

私は次は、話して幻滅するということを狙った。

条件や冷めポイントでもあまりというか全く効力がないとわかって、そこは次は話して幻滅の線がいい気がした。

今ならまだ引き返せる、私は本気でそう思ってた。

話したらもっとその人の個性が出るから、それを見て幻滅したらいいんだと、色んな意味で本末転倒だったけれど、私は本当にそれを望んだ。

相手を知りたい気持ちと、知って幻滅して一気に冷めてくれないかな、とあらぬ期待を寄せた。

でも、そんな瞬間は訪れることがなかった。

誘ったそのタイミングは、どちらが先なのかは謎に包まれたままだったけれど、私が内示を他の人から聞く時とほとんど重なっていた。

その人がいなくなることを。

たとえその人がいたとしても、私は断られたと思うし、それで気持ちも冷めてくれたら良かった。

想い続けても先は見えない。

繋がれるわけでもない。

だけど、そんなこんなのことは関係なくしてその人に惹かれてた。

そして、その人の場合は、条件とか人柄とか外見とかそういう外的な要素で惹かれてるのでは全くなかった。

自分でも未だによくわかっていない。

私はとうとう妄想の恋でも自分がするようになったかと当初は思ってた。

だってそうとしか言いようのないことばかりが揃ってたから。

でもそうではなかったんだと思う。

一時の迷いなら、今頃気持ちはきれいに冷めて、そしてその人を忘れる時間がどんどん増えていたと思う。

本当に色んなことがあって、スピ的な力というか、みんながみんな持ち合わせてはいないような若干変わった力みたいなのはどんどん出てくるわ、それに伴ってなのかおかしな出来事やシンクロもバンバン起こるわ、そして物も人もそちらに傾倒したものがどんどん人生の中に現れてくるわで、色々変化がめまぐるしかった。

あれこれ色んなことがこの1年余りの中で起こったわけだけれど、唯一変わらなかったのは、その人への気持ちだった。

だから驚いた。

もう会えなくて、私の日常にその人の姿を見ることもなくて、今は当時の仕事も辞めたからますますその人の情報を知ることはなくなった。

ますますと言うよりも皆無になった。

元気かどうかも知らないし、今その異動したところにいるのかも知らないし、とにかく何にも知らない。

その何にも知らない人をずっと心の中で想い続けるというのは、はっきり言ってとってもおかしなことだと私は自分で思ってる。

ロマンスのない日常がこうした勘違いを生み出してるんじゃないかと思ったことももちろんかなりある。

否定することは100あっても、肯定できることは何もない。

何もないけれど、気付いたらもう何ヶ月も経って、別々の道の上にそれぞれが立って、今後も何も見通しの立たない関係さえないものだけれど、それでも気持ちは一緒だった。

驚いた。

私はその人に幻滅することはない気がしている。

合わないことはなんとなくわかるし、多分共通点探す方が難しい。

だけど、そんな次元で判断できるようなものではなくて、もっと深いところで私はその人を忘れられないんだと思う。

自分でさえもわからないぐらいに深いところでその人のことを見ていて、その人を想っている、そんな風な気がする。

そういう意味でも、魂の繋がり云々の情報は、それが嘘か本当かはさておいても、私の心を幾分か軽くしてくれた。

おかしなことばかりで、自分の気持ちはその中でも最大級におかしくて、自分でも否定ざんまいだったから、そんな時にその説明は役に立った。

私を楽にしてくれるという意味で、本当に助けてくれた。

ちなみに関係ないけれど、北斗晶が夫婦円満のコツということで挙げてたことが印象的だった。

好きなものは違っていても大丈夫と。

好きなものはもしかしたらその人と一緒にいることで、自分も好きになるかもしれないから。

だけど、それよりも大切なのは「何が嫌い」とか「何が許せない」とかそういう部分が一緒なことだと。

北斗晶は健介とはそこが一緒だから、こうして長く一緒にいられるみたいな言い方をしていた。

そういうことも含めて全部全部知らなさすぎた。

あまりにも知らなさすぎた。

だけど、自分でもどうにもできなかった。

その人を前に、その人が強力な磁石でも持っているのか、とにかく異常な磁場みたいなのが働いてた。

理屈ではずっとずっとわかってた。

今だってわかってる。

だけどそうじゃない。

自分でも止められなくて、どうしていいのかわからなくて途方に暮れた。
7/11 11:50


嫌いになれそうなきっかけは、ありがたいことに相手が与えてくれた。

最後に見たその人の笑顔からは急降下、私はその後本気で無視された。

本当に私が嫌だったか、私には近付いて欲しくなかったか、その理由はわからない。

わからないけれど、相手は私を避けて(仕事の用事でも)、私はそれ見て仕事中なのに泣くかと思った。

すっごい厄介だったのは私の方だった。

そこまでの状況を突きつけられたにも関わらず、なんと私は次なる行動を起こした。

自分でも自分に驚いた。

行動を起こしたのは確かに私で、それを決めたのも私だったけれど、普段の生活からは考えられないところからパワーが出ていた。

パワーが出ていたと言うよりも、自分でも何かはわからないものによって突き動かされてたという風だった。

その人に逢えたことを、そのことが私にとってとても大切であったことを伝えなきゃいけないと思った。

迷惑なのもわかってた。

本気でどうかしてると思った。

だけど、今でないといけないし、もう生きてるうちに今しかない、直接伝えられるのは今しかないと思った。

今日はこの道の気分じゃないから、いつもとは違う道で行こう!

そんな風に思って事故を免れた人とかの話はテレビとかでよく聞く。

あれは虫の知らせじゃないけれど、大切な何かを直感的に感じ取ったメッセージだと思う、今振り返ると。

それとは違うにしても、その人に対して伝えなきゃというのは、冷静になると根拠もなければ、何でそんなことまでしたの?と思う。

やり過ぎな上に、普通は「迷惑行為」と呼ぶ。

だけど、あれはどう考えても、心の奥底から湧き上がるもので、それを伝えずにはいられない、という激しい感情を伴ったものだった。

普段理性で抑え込んでる時には出てこないようなもの。

だけどあの時は、身の危険じゃないけれど、差し迫った何かを感じてそのように自分が動いた。

魂云々のことを調べたのは、そのさらに後で、その人がいなくなる1週間ぐらい前だったと思う。

あまりにも色々おかしかったから、私は男女の関係や恋愛アドバイス的なものを相当調べた。

調べたけれど、どれを読んでもピンとこなかった。

一般的なサイトだと、私は完全に振られた人でその後も何か言い寄るなんてのはウザい他の何でもないし、一般男性からしてもそんな女重たくて嫌だとか迷惑だとかその程度の情報しか得られなかった。

でも、そういうことではなくて、そんな普通のありきたりのことではなくて、この言葉では説明ができない激情についての説明が欲しかった。

自分でもおかしいのは百も承知で、それについて言い訳もできないこともわかってた。

だけど、何1つ自分の中で納得できるものがなくて、ひたすら感情に突き動かされるだけで、私はその混乱を少しでも鎮めたかった。

それであれこれ探しているうちに、魂的な繋がりの話をしているサイトに辿り着いた。

そこを皮切りに色んな人たちが発信しているソウルメイト情報を見て回った(私は最終的に「ツインレイ」というのを調べ倒したけれど、他にもツインソウルとか色んな言い方がある)。

多分2ヶ月ぐらいはその後も毎日調べまくったと思う。

本当にそれなのかはわからない。

だけど、あまりにも色んなことが当てはまっていて、そこでようやく私はよくわからないことたちの説明が少しは自分に対してできるようになったから、その分は楽になれた。

でも確証もなかったし、そのうちにそんなことはどうでも良くなった。

仮にそうだとしても、そんなの相手に伝えられるわけもないし、じゃあ仮に魂的な繋がりが何もなかったらその人に対する気持ちも冷めてくれるのかと言えば、そういうことでもなかった。

粗探しをしたように、魂的な繋がりはないと誰かから言ってもらって気持ちが冷めてくれるのなら、その方がよほど楽だった。

こんなにも身も蓋もない、どこにも行きようのない気持ちに、先の見えない関係とも呼べないものは、ない方が確実に楽になれるから。

そうとはわかってても、どうにもできなかったこの9ヶ月半だった。

でも、おかしなもので、つい昨日かおととい、色んなことが変わっていく中で残ったのがその人への気持ちだけだったとわかった時に、私は嬉しかった。

そんな良きものを私は人生でプレゼントしてもらえたんだなとわかって、本当の本当に嬉しかった。
7/11 13:52


このブログで何回か書いた、ホロスコープの鑑定の話。

2月4日、節分の翌日、立春の日だった。

その相手とも私とも全く面識のない私より少し年上の鑑定士さんの口から、まさかその人の話を聞くことになるとは思わなかった。

その方は、霊媒体質だった幼少期を経て、二十歳過ぎてからは体質が変わって何かが見えたり聞こえたりはしなくなった成人期に突入、それ以降、外部からコンタクトがある時だけ何かしらのメッセージをキャッチする方だった。

私の時もそうで、見ようと思って見えるわけではなくて、その人がキャッチする話に関わる人たちから伝えて欲しいというような要望があった時、初めて見えたりするとのこと。

要望と言っても、要望を出してる本人がきちんと把握してるかと言えばそうでもないと思う。

それこそ無意識や魂レベルで、その鑑定士さんにコンタクトを取ってるんじゃないかと私は思った。

その時に鑑定士さんが教えてくれたのは、その人と私が魂的な繋がりを元々持っていて、そしてそれはペンジュラムを使っていた10歳ぐらいまでしか生きられなかった体の弱い少年だった時の過去世に関わってるというようなことだった。

みなしご的な私は、血の繋がらない祖父母のような人たちの家に預けられていて、そのご夫婦の本当の孫が彼のようだった。

こういう情報は、その話に関わる人たちからもたらされるもので、今回の場合、史子さんではなく相手の方の方から伝えて欲しくて来てるもののような気がしますと言われた。

私は、今この7月の11日になって気付いたけれど。

よくよく考えたら、ペンジュラムそのものは私が2年前に新潟に戻る直前に、お世話になった人たちにプレゼントするしおりを探したついでに見つけたものだった。

その時まで私はペンジュラムを探してもいなければ、買う予定にもなかった。

新潟での私の生活をサポートするがために突如現れたようなものだった。

そしてその新潟で、その人に出逢って、そして魂的な繋がりの話も新潟で聞くことになった。

まるで何かを示し合わせたように、物事は起こっていた。

世の中にホロスコープの鑑定士さんはたくさん存在するけれど、そういう体質の人でそんな風に私に関わる重大なことを伝えてくれる人は他にいない。

その話の真実は証明できないけれど、少なくとも私が過去世でペンジュラムを使ってたのは間違いない。

だって、通常人が何万円も払ってペンジュラムの使い方講座を受けて手にする技術や知識を、私は誰に教えられたわけでもなく知っていて使えているから。

その時に初めて私は、全くの見知らぬ第三者からその人との関係について触れてもらえた。

しかもそれを教えて下さいとお願いしたわけでもないのに。

その時は、何ヶ月も霧がかった事が初めて私の妄想ではない域を脱したみたいで、本当に嬉しかった。

とまあ、そんなことを真冬に教えてもらったわけだけど、それを知ったところで相手から連絡がくるわけでもなく、何が変わるわけでもなく今に至る。

私は魂関連の調べ物はもうすでに止めていて、時々気になることがあると調べる程度になった。

さっきも書いた通り、別にもうそれに関してはどちらでも良いと思ってる。

このまま何もないから繋がりがなかったとも思わないし、反対にこれから先の未来、現実に再会できたとしても、それは繋がりがあったからだけだとも思わない。

魂の繋がりがあれば再会するということでもないみたいだから。

もし本当にこれから先の人生で再会できることがあるとするなら、それはその人も私も両方が望んだことで成り立つことだと思ってる。

私にはとって大事なのは、今現在においても、その人が自分の中ではとても大切だということに尽きる。

世の中のソウルメイト的なロマンチックなものではなくて、単純にどうにもならないぐらいに惹かれたということと、そしてその出逢いを機に色んなことが身の回りで起きるようになったということ。

88888のストーリーなんかは、もうそれ何ですか?の世界だった。

誰の何の差し金ですか?という状況を前に、しかも当の本人はもういないし、だから何?みたいなことでも、いなくなってからも存在感のアピールが半端ない。

そう、何1つ私の中で明確な答えも、わかりやすい相手からの反応もないまま、そうした想定外のシンクロやメッセージにだけはずっとずうっと遭遇し続けてる。

そしてそのメッセージは私に元気だとか癒しとかを与え続けてくれてる。
7/11 16:36


昨日私は人工的な庭がある大きな公園に出かけた。

用事はない。

適度に風もあったから、外の暑さと生温(ぬる)い夏の風の両方に触れたくて、それで行ってきた。

私は屋根付きのテラスみたいな場所にあったテーブルと椅子のセットに腰掛けて、その時々で出てきた言葉をノートに綴ったり、小説を読んだりして過ごした。

ふと、1週間前に書いた癒しのレシピが読みたくなった。

書いた時は、何で私もそれを目にするのかいまいちわかっていなかったけれど、今度はそのレシピが私の心にも響いた。

癒しのレシピは、人によって語り口が違ってくる。

語り口や使う言葉は、私が選ぶんじゃない。

私は単に情報をキャッチしたまま、それを文字にして起こすだけだから、確かに書いてるのは私でも、大元の情報は私じゃない。

それはそれを読む本人の元からやってきてる、と私は考えているし、実際に癒しのレシピを手にした他の人からもそのように指摘された。

多分その人の潜在意識とか魂が私を通してメッセージを伝えようとしてるって。

1週間前のレシピは、本当にやさしさが滲み出ているものだった。

その人の魂がやさしいんだなと感じた。

いくつか感情をピックアップしたけれど、最初の2つは特にやさしい。

その人からはそういうものが流れているんだなと思った。

読んでいて、心の奥のスペースに、そっと差し込まれる光みたいな感じがした。

私は癒しのレシピに関しては、人によって辛辣な言葉も綴ったことがあるからわかる。

これまでやった人たちのものは、そういうやさしさみたいなのはなくて、もっと現実的なメッセージばかりだった。

1週間前のものだけがイレギュラーで、それだけは、誰しもが自分の中で大切に守り続けてるもの、そういうものが言葉になって出てきた。

その言葉が私に向いてるものならどんなにいいかと思いながら綴ってた。

3つ目の感情メッセージの中に「ひとり」と出てくる。

「1人」じゃなくて「ひとり」。

何でそこが「ひとり」だったのか知らないけれど(←私は半分無意識みたいな感じで書いてるから、そうした細かな言葉の選択も正直どうしてそうなのかは知らない)、その「ひとり」という言葉も私にはツボだった。
7/11 17:29


書こうとしてたことを思い出した。

その人からその人を嫌いになれそうなものを与えてもらった後のこと。

相手の意図はわからない。

私がきちんと相手から離れてくれるように、最大限の無視とか冷たさを表現したのかもしれない。

「迷惑だから止めてください」とは言えない代わりに私に刺さるほど冷たくしたと思う方が自然な感じもしていた。

冷たくされたら気持ちが冷めるかと、少しだけ期待もした。

悲しい中で、それならいっそうのこと、気持ちも覚めてくれたらいいなと。

私が苦手とする項目を全クリアして満点まで取れる人なのに、私の気持ちはそうはならなかった。

自分のタイプとか好みの人の特徴の真逆にいたら、普通は視界にさえ入らない。

その人はその普通をひるがえした。

そして、話して幻滅するのはどうかと、私は何様かと思うようなひどいことまで考えて、とにかく気持ちが冷めるきっかけを欲しがった。

そしてきっかけだけじゃなく、それがきちんと持続してくれることも私は願った。

誰が見ても、そして私から見ても、不釣り合い過ぎた。

美女と野獣の逆バージョンで、その人と私が並ぶと爽やかイケメンと妖怪なんとかババアみたいな感じだった。

外側だけじゃなくて、他にも色んな面でアンバランスだった。

だから、私はとにかく自分の目が覚めて、そんな足元にも及ばないような人に熱を上げることからいい加減自分も抜けたかった。

話して知り合うきっかけの方ではなく、ものすごく冷たくもしくはまるで私がそこにはいないように振る舞われてしまって、気持ちはどんと落ちた。

頭で考えたら、気持ちが冷めるための材料や条件は揃った。

だけど、私は最後の最後までその人を嫌いにもならなければ気持ちが冷めることもなかった。

気持ちに比例して、全身で悲しみとショックを感じた。

悲しみとショックは悲しみとショックでしかなくて、嫌いになる理由にはならなかった。

あの時嫌いのスイッチとか、気持ちが冷めるスイッチが入ってくれてたとしたら、また今は違っていたのかもしれない。

そんなこと、普通なら言えないと思うけれど、「嫌いで迷惑なのでこれ以上絡まないでください」ぐらいなことを言われたら、私絶対に気持ちが冷めてたな。

そんなこと言われた日には、本気で落ち込んでしばらく立ち直れなかったと思うけれど。
7/11 17:59




ーー今回の私は、どういうわけかこれを書いている。

こんなに赤裸々に話してどうする?というぐらいに。

昨日自分のブログを見て、7月に入るあたりから、やたらとその人のことを綴ってることに気付いた。

私のブログは、完全に思い付きで書いているから、これを書こう!と意気込んでることはほとんどなくて、思いついたままに文章を綴ってる。

それが今回はどうしてかそのことを書きたくなった。

88888のことを書くにあたっては意気込みがあった。

住所を見た罪悪感みたいなのはあったけれど、それさえもないと成立しないことだったから、とりあえず住所は私の胸だけに収めておくことで勘弁してもらおうと思った。

気持ちに関しては、そんなにも公にするつもりは全くなかった。

だけど、その前からなのか勢いがついて、気付けばあれもこれもと書いてる。

そして、色んな変化の中で変わらなかったその人の存在にとにかく驚かされた。
7/11 20:00


「なんだっていいんだ、魔法は、何にでも存在する。コロッケにもパソコンにも電話機にもゴミ箱にも。そこに人との思い出がちゃんと作られていれば、どんなものでも魔法の装置に変わっていくのだ。」

『王国その2 痛み、失われたものの影、そして魔法』p.81
よしもとばなな(著)

さっき風呂の中で読んだ一節。

感嘆のため息が出そうだった。

私がもらったものは、そういうものだった。

勝手に、その人と同じ車とか、同じリュックとか、名前とか、そうしたものを私は魔法に変えたんだと思う。

思い出は、2人じゃなくて1人で勝手に作った。

1年前まで全く知らなかった車種だった。

元々オシャレとかに興味がないから、今の流行りとか知らない私は、その人を通じて初めて知ったリュックのデザインだった。
(ちなみにそれを仕事用に使うのが、私の中ではすごくカッコいいことだと思って見てた)

気が弱ったことは何百回とあった。

私は周りからメンタル強いと思われているようだけど、それは向き合った分、自分との向き合い方が少しわかるだけで強いのとは違う。

基本的に気が弱りやすいし、変に過敏だしで、強いのとは違う。

でも、ひとたびその魔法が登場すると、私は元気や癒しをもらう。

そして気付けば、その人がいなくなる少し前から、メンタルが本当にいかれるかと思った時に、そうしたサインはやってくるようになった。

名前なんかはすごいタイミングでいつも来てた。

当時は、テレビを見てないと言っていいぐらいに見なかった。

その見ないテレビを帰って来たタイミングでパッと目にしたら、その人の名前がドンと出てくる、そんな感じが何日も何日も続いた。

弱ってたり、気持ちが沈むようなことがあったり、ちょっと大きめな決断を要する時とか、そうした時にささっとやってくる。

毎回前触れなんかない。

突然やってくる。

私はその突然に、毎回魔法をかけてもらう。
7/11 22:09


まとまりのないつれづれ記になったけれど、これが私の気持ちのままだから、そういう意味では私そのものと合致している。

私は今日午前中、山の湧き水を汲みに行ってきた(←最近のちょっとしたマイブーム)。

その時に蛇と親子の猿に遭遇した。

蛇は2回目だけれど、親子の猿は初めてだった。

私はまたそこで得意の願掛けをした。

そんな稀なことに遭遇するぐらいだから、どんなこともありかもと思えた。

(親子の猿なんて初!、しかも猿は道路を横断する際、左右の確認をすることも初めて知った!猿は車を運転してる時に見た、というか怖くてわざと止まった)

私はこれが、ここに書かれたことがその人に届くといいなと願った。

もちろん再会も願った。

変わらずにあり続けたもの。

それは同時に、どれだけ私自身が無意識にその人を大切に思っているのかにも気付かされた。
7/11 22:39

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