2015年2月4日水曜日

感情を学んで良かったこと

元々人間の心理というものに興味があった。

小学校の時も、中学校の時もいじめられた。

今のテレビ報道されるいじめとそう変わらない内容だった。

恐喝されなかったくらいではないかなと思う。

どちらの時もそうだったけど、わたしは誰にも相談できずにいた。

中学の時は担任の先生が気付いてくれていてよく声をかけてもらっていたけれど、

わたしは大丈夫じゃないくせに「大丈夫です」の一点張りだった。

誰かに話したいのに、聞いてくれる人には話さない。

でも、自分から切り出すほどの勇気もない。

なんだかうまくない自分が嫌だったけど、自分でもどうしていいのかわからなかった。

その経験がわたしを心理への興味に突き動かすのだけど、

大学の時に心理学をちょっとだけ勉強したら(専攻は福祉だったから、その兼ね合いで心理学も

いくつか必修科目として取った)、随分と思っていたのとは違っていた。

まず、大まかに分けて理系文系とした時に、わたしは心理学は文系とばかり思っていたのに、

理系に区分されると聞いて驚いた。

実際に勉強してみて、たしかに興味深かったけど、理論とか方法論とか興味のない私には

もっと深めて勉強しよう!という気持ちにはならなかった。

社会人になってから、最初の仕事は子どもの心理も関係してくるものだった。

その時も再度具体的な療法の講座を受講したりしたけど、これもまたしっくりくるものがなかった。

わたしが心理ではなく、感情や自分の内面を本格的に勉強し出したのは、31歳の時だと思う。

このまま今の人生を続けたらやばい、お先真っ暗だ、なんとか自分の人生を立て直さねば・・・

といういわば強迫めいた感じで、そしてコーチングという言葉も知らないまま、

わたしはたまたま見かけたホームページの内容に惹かれ、それで無料説明会に行ったのが

最初だった。

ほんの1時間くらいの時間だったかと思う。

だけど、そこで「何か変わりそう」という予感がして、その場で個人セッションを申し込んできた。

個人セッションを重ねるうちに、本格的にコーチングというものを学びたくなり、

コーチングを学んでいる最中、NLP(神経言語プログラミング)にも出会いそちらも学び、

それらを2年ほどがっつり学んでからは、そういう学びからは離れている。

離れてはいるけれど、感情や自分の内面を見つめる勉強をしといて本当に良かったと

思っている。


ここ数日、がっつり撃沈するようなことがあった。

初日は胸が苦しいまま眠り、2日目は思い出せば涙が頬を伝い、そして今日3日目にして

ようやく少し楽になったなぁというところ。

感情を学んでも、わたしはどちらかというと引きずりやすい方かと思う。

すぐに気持ちを切り替えられる人のうらやましいことと言ったらない。

ただ、切り替えにはなかなか時間を要するけど、自分の気持ちに居場所を作ってあげたり、

それらを無視せずにその時自分の内面に宿った感情に向き合えるようにはなってきたと思う。

そうしても安全だというのが自分ではわかるし、そういう見たくないものに蓋をする方が

後々に色んな負の影響をまき散らすから、その都度自分の中にあるものを見た方が健全だと

いうことがここ数年でようやくわかってきた。

今回もまだ100%すっきり!ということには達してはいない。

でも、次から次へと溢れていた色んな感情は、とりあえずちょろちょろという感じになってきたし、

あの大打撃の直後を思えば、随分と楽にはなってきた。

実際に起こったことは簡単に忘れられるものではないし、完全に癒すにはもう少し時間が必要だ。

もし、わたしがそういう感情の学びをせずに今回のような出来事に直面していたら・・・

それはもっともっと大変なことになっていただろうし、

誰かを責めて終わりにしたか、自分の感情はなかったことにしたか・・・

そんな風にしたのではと思う。

芋づる式に過去の色んなことも出てきてしまったけど、それらも含めて今だから向き合えるの

かもしれない、とちょっとだけプラスに考えるようにして今自分を見つめている。


長い長い年月の中で、わたしが本当の興味があるのは、そういう自身の内面や感情と向き合う、

そのことのような気がする。

難しい理論や手法は、勉強したところで、自分以外の誰かには使えても、

自分自身には使えない。弱ってる時に、そんな小難しいものを使ってる余裕などない。

わたしはおしゃべりが好きだし、人と話すことも好きだけど、自分に起こったことや感じていることを

誰かに話すのは相変わらず苦手だ。

自分の中で消化するパターンが多い。

だからこそ、自分の内面や感情を見ることに興味と言うか必要性を感じているし、

それで救われてきた自分もいるから、それって大事なことだと思っている。

2 件のコメント:

  1. ぶっしー、大事な経験、大事な気持ちをシェアしてくれて
    どうもありがとう。
    私が思い出したことを少し書くね。

    私は、小学6年生の時に似たような経験があったよ。
    ある日突然、同じクラスの一部の男子に標的にされて、卒業するまで
    半年くらい続いたよ。 担任の先生は気づいていた(と思う)けれど、
    知らない顔してた。 女の子たちは、加担はしなかったけれど、
    かと言って、誰もかばいもしなかった。
    もしかすると、私自身が、「私はいじめられてなんかない!」と
    死ぬ気でオーラを出していたせいかもしれない。 
    しかし、女子ひとりを相手に男子が複数人で蹴ったり叩いたり
    物を投げつけたり、ガムテープで縛られたり、すれ違えば暴言を吐かれたし、
    悪口を書いた紙がクラス中で回覧されて、黒板に貼られたし、
    いま思えば、なかなかハードな「いじめ」なんだけれどね。
    12歳の私が、12歳なりのプライド??で自分がいじめられてる
    ことを認めなかった。 (それを認めたら死ぬ、って感じ)
    親になんかもちろん言わないし、学校を休んだりもしなかった。

    中学からはこっちに転校してきて、その環境を離れたら
    元気になったけれど、でも大人になってから、その当時の自分が
    いかに深く傷ついていたのか、本当によくわかった。
    思い出を良いものに上書きするワークをしたので、今は
    こうやって書いたり話したりしても、大丈夫になったよ。

    子どものころは、自分自身でさえ「見ないふり」をするぐらいしか
    心を守る方法がなかったけれど、今はいろんなアプローチで
    自分の感情に関われるようになってきたと思ってる。
    何度も何度も言うけれど、ぶっしーが先にこの道で学んでいたから、
    「私も勉強してみよう」って後を追っかけてここまできたんだよ。
    ぶっしーがいなかったら、たぶん今も始めてなかった。
    ぶっしーがずっと自分の感情と向き合い続けてるのを、
    いつもここで読んでいるから、私も何か厳しい状況の時でも、
    感情と向き合う場所にちゃんと自分から戻っていける。 

    しんどかった時に、丁寧な返信もありがとうね。
    これからも、たくさん話しよう (^^)

    追伸:石井ゆかりさん本、やっぱり持っていたかぁ~(笑)!
    本当に、この人って特殊な言葉は使ってないのに、文章全体から
    「温かさ・柔らかさ・しなやかさ」みたいなものが伝わってきて、
    とても好き! サイトはまだ見たことなかったから、さっそく見てみるよ♪





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  2. さんごさんへ。

    パワフルで元気が出るコメントをどうもありがとう。
    時々、自分がやってることを客観的に見て、ここまでする必要があるんだろうか?
    なんて思うことがあるんだけど、さんごさんのコメントを読んで、こうして自分以外の
    第三者の人から肯定されて、さらにさんごさん自身の解放にも繋がっていくのが
    わかって、ものすごい元気をもらいました。
    本当にありがとう。

    壮絶すぎる体験…。
    自分の体験を回顧するのも決して気持ちの良いものではないけれど、
    自分の大切な人たちが何か大きな傷となるような体験をしたと聞くのは、
    また全く別のところで心が傷むね。
    それだけのことを乗り越えたというのは、本当にすごいこと!
    わたしが先に始めたかもしれないけど、そこで乗り越えたのはさんごさんの力だね^^
    そういう個人の持ってる力に、わたしも励まされる。
    シェアリング、どうもありがとう。

    ちなみに、今回、びっくりするぐらい、早く回復しました(笑)!
    色々とありがとね。

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