2015年2月26日木曜日

日常に転がっているヒント

昨日は色んなもやもや解消と頭の中の整理とそして肉の特売を期待して、

少し遠いスーパーまで行ってきた。

歩いて30分弱。往復すると買い物も含めて1時間オーバーぐらいで、丁度いい気分転換になる。

肉の特売は思ったよりも安くなかったけど、レジで当たったおばちゃんがとっても親切で、

それだけでもラッキーだなぁと思っていた。

スーパーのレジの人というのはお店によっても大きく異なるし、また同じお店の人でも

細かい対応は人によって違う。

いくつかのお店でわたしには好きなレジの人がいて、その人に当たるとそれだけでもお得だなぁ

なんて思ってしまう。

そしてレジの良いお店は、足繁く通いたくなる。

昨日行ったところは、遠いこともあってこれまで数えるほどしか行ったことがない。

レジの人の印象も可も不可もなく、という感じでしか残っていなかったから、

はなから期待は持たずにレジにかごを運んだ。

レジの一連の作業は他の店と変わらない。

さてお金を払おうという時。

千円札と小銭数枚を払うところだった。

元来の鈍くささは、こういう場面でここぞと言わんばかりに発揮される。

お札はいいとして、細かい小銭を値段を言われた瞬間にさっと取り出す、

しかも財布の小銭入れを見て、小銭を出せるのか出せないのか瞬時に判断しながら、

というのをわたしはスムーズにできない。

周りをイライラさせるほどの遅さではないにしても、決して早くはない。

そこでレジのおばちゃんは、わたしに一言、笑いながら、

「ゆっくりでいいよ」

と言ってくれる。

これまでどのお店でも、一度も言われたことのない「ゆっくりでいいよ」には心底感動した。

言葉に甘えて、小銭をじっくり見ながら1枚1枚取り出した。

お金を払っておつりももらって、そしておばちゃんが今度は

「ゆっくり詰めてってね」

と声をかけて、その後はマニュアルで決まってるであろう「ありがとうございました」をこれまた

心を込めて言ってくれて、レジでのやりとりは終わった。

「ゆっくり」を肯定してくれる言葉にわたしはしびれた。

鈍くさい人にとって、この「ゆっくりでいいよ」なんてことをさらりと言ってくれる人は、

天使か神みたいなもんだ。

世の中のスピード社会と自分のスピードがあれこれずれていて、特に世の中のスピードが

早すぎて普段ついていけないようなことが日常にあれこれ転がっているわたしにとって、

「ゆっくり」肯定派に出会えるなんて、しかもスーパーで出会うなんて、めちゃくちゃ嬉しい。

この話はまだ先があって、その10時間後位だろうか。

時々スケジュール帳に今日の印象に残った出来事を一言日記のようにして書くことがある。

レジでのやりとりが本当にうれしくて、それをさらさらっと文字にしていった。

眠たさも手伝って、「ゆっくりつめてってね」とすべて平仮名で書いた。

平仮名で書いたものを見て驚いた。

元々昨日は、色んなことが頭の中をぐるぐるしていて、

やらなければいけないことは山積みなのにどれもやる気になれない。

先延ばしにばかりもしていられない。

あぁもう嫌だ!と半ばすべてを投げ出したい気分で出かけた買い物でもあった。

そこでそのレジのおばちゃんとのやりとりがあるんだけど、

「ゆっくりつめてってね」は「今ある色んなことを自分のペースでゆっくり詰めていったらいいよ」

と言われてるみたいで、それに夜寝る前に気付いた。

色んなヒントが生活のあちこちに転がっているんだなぁ・・・なんて感心しながら、

気付いたら雨が降っている朝を迎えていた。

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