2019年6月30日日曜日

eat LOVE ⑴ プロローグ





[写真]
文章は『料理=高山なおみ』の一番後ろのページに書かれているもの。


eat LOVE
(↑このブログのタイトルは、こちらのサイトから借用させてもらった。
超超超オススメサイトだから、是非見てください!)



〜eat LOVE ⑴ プロローグ〜

eat LOVE邸で4人で引き合うまで、どれだけの人生の積み重ねが必要だったんだろう。

私は私、ノムはノム、ミッチーはミッチー、レイさんはレイさん、それぞれ4人が4人とも自分の人生の駒をある程度進めないと会えないようになっていたと思う。

今どういう順番で名前を並べようか迷った。

自分が知った順に並べることにした。

4人が4人で会うためには、ひとつとしてこれまでの歩みが欠けたらいけない。

それぞれがそれぞれのピースを完成させながら、それがある時2人に、3人に、そして最後4人になって、そしてあの日に至ったんだと思う。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
私(女)
ノム(男)…私の占星術のクラスメイト
ミッチー(男)…ノムのパートナー
レイさん(女)…ノムとミッチーの家の大家さん
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ノムは仲良しの女友達から占星術を教えてもらったのが最初。

私は地域の無料情報誌で「ホロスコープ」のホの字も知らないまま、個人鑑定を申し込んだのが最初。

それぞれ「自分のことをもっと知りたい」と思って、そのためにはもう少し専門的な学びが必要で、それで占星術初級講座を申し込んだのが去年の春。

ノムは第0回から、私は第1回から参加した。

夏のある回だったことは覚えている。

講座後のカフェタイムで、ノムは「僕ゲイです」とカミングアウトした。

その日の駅までの道のりをノムと並んで歩いた。

初めてノムと個人的な話をした日だったと記憶している。

その会話の中にすでにミッチーは登場した。

10年以上共にいるゲイのカップルというのは珍しい、でも最初からこの関係を大切にしようとゆっくりと慎重に関係を進めた、そしてそれは自分だけじゃなく相手もそうだったと思うと話してくれた。

私の個人の好奇心に基づいた質問にも何一つ嫌な顔をせずに答えてくれて、すごい素敵なパートナーシップを築いているんだなぁと羨ましくなったぐらいだった。

その時に、ノムは大人になってから絵を描き始めたということを教えてくれた。

どんな絵を描くのかと聞いたら、もう終わった個展なんだけど…と説明しながら、1枚の個展のお知らせをリュックから出して私に手渡してくれた。

キミドリとピンクのカラフルで元気が出そうなその絵のお知らせは、新潟に戻ったある日、とんでもない事実を教えてくれるものに変わった。

ノムのブログのアドレスが書かれていた。

当時の私はホロスコープの調べ物の関係で、色んなサイトをブックマークしていて、そしてそのブックマーク一覧をしょっちゅう開いて活用していた。

ノムのブログアドレスと私がブックマークしたアドレスはとても似ていた。

気のせいかと思いつつ、ブックマークのページを開いた。

なんと私は、占星術講座に参加する少し前に、すなわちノムに現実世界で出逢う前に、ノムのブログになぜか行き着いていて、それが気に入ってブックマークしていた。

だから、私はノムに出逢うより先にノムのブログに出会っていた。

それはすごい偶然だった。

今思うと必然と呼んでもいいかもしれない。




占星術講座は冬(2018年)になる前に終了して、その時にLINE操作が得意なクラスメイトがグループラインを作ってくれた。

ノムも私もそこに入れてもらったけれど、その時はまだノムと個人的に繋がるなんて全く想像だにしていなかった。

ノムと私を一気に近付けてくれたのは、今度は私のブログだった。

正しくは、山で行方不明になってペンジュラムで居場所を探して欲しいと家族から依頼された、おじいちゃんの霊が繋げてくれた縁だった。

今年(2019年)の節分の前の日に、私は何かに駆り立てられるように『覚醒』というタイトルにした文章を書いた。

細かいことは割愛するけれど、山で行方不明になったおじいちゃんなくしては、絶対に書くことのない文章だった。

おじいちゃんが書かせたものではないけれど、おじいちゃんとのやりとりがないとそこに書かれた文章は私の内側からは湧き出さなかったと思っている。

それを占星術講座のクラスメイトグループラインでもシェアした。

別に深い意図はなかった。

『覚醒』は書いた時に、自分ができる範囲で色んな人たちとシェアするのが筋だと思った。

独り占めしてはいけないような、そういう感覚だった。

だから「なんとなく」の感覚で人選した時に、占星術講座の人たちもそういうの大丈夫そうと思って、それで流したに過ぎなかった。

それぞれの人たちが感想を書いて送ってくれた中で、ノムだけ一味違う短い感想を書いていた。

その内容が気になった私は、そこで初めてノムに個人的に連絡を取った。

差し支えなければ、話を聞かせて欲しいとお願いした。

それがノムと私が仲良くなる本当の意味での最初の一歩だった。




4月の終わりだった。

ノムは占星術への熱が冷め出して、5月6月の2回で開催される中級講座への参加を迷っていた。

ようやく参加を申し込んで、その時に5月の講座の後お茶とかしませんか?と誘ってくれた。

ノムとじっくり話してみたかったけれど、ノムにはパートナーがいることを知っていたから、誘っていいのかどうか判断がつかなかった。

私は女だからノムをたらしこむとかそんな心配はなくても、もしかしたらパートナーの人はそもそも1対1でノムが自分の知らない誰かと会うのを嫌がるかもしれない。

だから私からは誘いづらくて、でもそのことを超真剣に悩むほどではなかったからなんとなくそのままにしていた。

そんな折に誘われて私は嬉しくなって二つ返事でお茶したいと答えて、それで実際に2軒はしごしてその時は4時間ぐらい一緒に過ごしたと思う。

今度は私から次も時間があればお茶したいと言った。

ノムももちろんOKで、そして6月も本来なら銀座のどこかでもしくは銀座〜東京間のどこか適当な店でお茶する予定だった。

本当に2人でのミーティングが実現したのは、知り合ってから1年経ってからのタイミングだった。

これは私側の事情だけど、1年前の時は私の心の準備が整っていなかったのがわかるから、出会えなかった。

ノムとミッチーとレイさんの3人側の関係が去年はどうだったのかはわからないけれど、少なくとも今の3人の空気に対して、去年の私では明らかに純度が足らない。

1年前、先生とヒーラーで霊視ができるOさんからそれぞれ別の時に「カルマの膿出し」の時期と言われた私は、本当にそのような状況をこの1年で体験することとなった。

自分の中に長年へばり付いていた心が苦しくなったり縮こまったりする価値観を1つ、また1つと剥がすようなプロセスをこの1年でやり続けた。

今も渦中ではあるけれど、それでも何もしていなかった1年前に比べたらずい分と変わって、その変わったというようなタイミングで、ノムとミッチーとレイさんに引き会わせてもらえた。




1ヶ月前の5月にノムとお茶した後からはもっと仲良くなって、ノムと私は深い内容のLINEやメールを互いに交わすようになった。

これはeat LOVE邸(ノムとミッチーの家)に誘ってもらう直前にノムからもらったメール。

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ぶっしーのリーディングは、いや、リーディングにかぎらずだけど、
なんというのだろう、「いろんなことを感じて、たくさん傷ついて磨かれたやさしさが、にじみでている」。

ぶっしーもわかるでしょう? そういうの。
言葉だけやさしいとか、やさしくしようとかそういうんじゃなくて、
根っこのところが「やさしい」で固定されているというか、
愛が基礎です、みたいなね。

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私はこれを読んで号泣した。

私のやさしさは、自分じゃよくわからない。

人への気遣いは鍛えられた分そこそこできるとは思うけれど、やさしいかどうかと言われるとそれは他者評価であって私は自分がやさしいという風には思わない。

色んな人たちに出会わせてもらえたおかげで人の許容範囲は広めかもしれないし、困ってる人がいればさっと声をかけるとか電車やバスで自分は座っててもっと座る必要のある人がきたら席を譲るとかは普通にするけれど、それはやさしさとは違う種類のものだと思う。

席を譲るとかは、アメリカにいた頃に「しない方が恥ずかしい」ことを学んだからできる。

だけどそういうことじゃなくて、「やさしい」と言われると、言葉はいつもありがたく頂戴していたけれど、内心「そうか〜!?」と思いながら聞いていた。

みんな買いかぶりすぎ!と思っていた。

でも、ノムの言葉は違った。

ノムは私のやさしさを「いろんなことを感じて、たくさん傷ついて磨かれたやさしさが、にじみでている」と言った。

ノムのその言葉の中に、私の生き様があってそれをそのまま認めてもらえて、さらにはそれがあってこそのぶっしーなんだよと言われてるみたいで、心が本当にすくわれた。

この「すくわれた」は、「救う」方のすくうと、金魚すくいみたいにそっと網のようなもので底の方からすくい上げてもらうみたいな方のすくうと両方の意味を私の中では感じている。

私は不幸自慢したいのではないけれど、多分あまり人は体験しなくて済んだような体験が少し多めだと思う。

私よりもっと大変な人はたくさんいるし、どの人だってそれぞれ大変さがあるとは思う。

人と比べてどうだと言いたいのではなく、私は私で大変で、それがもう結構なギリギリラインをなんとか保ってるみたいな感じで、だけどそんなこと普段言わないし、もちろんノムにだって言ってない。

なんだけど、ノムは私がミッチーのホロスコープを見て感じたことを書いたら、上のように返してくれた。

私の言葉からノムは私のやさしさを支えているものを特定して言葉にしてくれた。

そう、いっぱい傷ついたから、だから気をつけられること、気にかけられること、気を配れることがある。

そうした体験無くしては多分そんな風にはならなかった。

そんな話はノムにはしていなかったはずだし、私が書いたのはあくまでもミッチーのホロスコープを見て感じたことだったはずなのに、ノムはそこから私という人物に備わっているものを見定めて言葉にしてくれた。

ノムが言ってくれたやさしさは、私が生きていく中で身に付けたものそのもので、生きた勲章みたいに見えた。

このわかってもらえた感が私には本当の本当に嬉しかった。

そして、そういうものは普段表には出てこないものだし、わかりやすく評されるものでもないけれど、こうしてそこを見逃さずに切り取って言葉にしてくれる人がいるというのは、ものすごい幸運なことだった。

このメールの時に『eat LOVE』のサイトが送られてきて、そこで私は初めてノムとミッチーの日常を知ることになった。




eat LOVEの中の瞬間たちは、どれも素敵すぎて、私は一気に全部を読んで、さらに2回目もすぐにまた読んだ。

カメラマンの方が羨ましく、私もその中に潜入できないものかと、画面の向こうで指をくわえながら見ていた。

元々ノムからの説明で「カレは言葉が少ない」というのは知っていた。

だけど、どんな風に少ないのかはわからなくて、私は勝手にノムの前ではそこそこ喋る人なのかと思い込んでいた。

eat LOVEを読んで驚いた。

まさかノムの前でもミッチーは言葉で多くを語らないとは!

なんなら返事も「言葉による返事」と「言葉以外による返事」の2種類が常にあって、それをノムが自分の感覚とこれまでの2人で作り上げたリズムとノム分析によるミッチーのパターンからの読み解きとを駆使してコミュニケーションを取る様子に、私は悶絶しそうなぐらいに2人の在り方がとっても好きになった。

全く飾っていない、よく見せようなんていう気はさらさらない2人の日常を見て、私は一瞬で2人の日常が大好きになってしまった。

さらに、eat LOVEのメインでもあるミッチーの料理。

私の好きな料理家で高山なおみさんという方がいる。

高山なおみさんの料理本は何冊か見たし、1冊は本人サイン入りのものが手に入ると知ってわざわざ出版元に注文して取り寄せたぐらいだったけれども、そこに出てくる料理の雰囲気とミッチーの料理の雰囲気が似ている。


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「今日は何が食べたいか、
自分の心と相談しながら、
コンビニでじっくりお弁当を選ぶのも
料理だと思う。」

(『料理=高山なおみ』の一番後ろのページより
↑もはやあとがきでも何でもない、本当に最後の最後のところに書いてある)

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こういう考えを持っている料理家さんで、限りなく日常と食べることを結び付けている。

ミッチーが作るごはんも、本当にそれと似ていて、どこまでも日常だしルーティンみたいな、特別なことじゃなくていつものことみたいな、そういう感じがすごくする。

なのに、どこの料理研究家かと思うような、超完成度の高い料理で、私は写真を穴が開くほどに見つめて、その写真の中のミッチーの料理に色々思いを馳せた。

写真を見て一生懸命味を想像してみるけれど、ミッチーの料理はどこにでもありそうな食材ばかりなのに、なぜか特別な組み合わせや想像もつかない組み合わせで、上手いこと想像できなかった。

ますますミッチー料理への憧れは募るばかりだった。

リアルなeat LOVEの現場も見たければ、ミッチーの超おいしそうなごはんも食べたいと無謀な野望を抱いたけれども、現実に起こりそうにもないことに落胆しながら、まぁまたノムからガッツリと話を聞き出そうと心に誓った。




eat LOVEとミッチーへの料理に並々ならぬ野望を抱いて24時間も経たないお昼前、ノムからメールが来た。

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唐突なんだけど、
講座前日の、25日にうちに泊まりにこない?
というのもね、26日の夜に、時間未定なんだけど外せない用事が入って、
ひょっとしたら‪18時‬くらいに銀座を出なきゃかもで。
だけど、ぶっしーと話もしたいし....。
ということで、もしタイミングとかなにやらかにやらフィットしたら、
遊びにきませんか?

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えーーーーー♪─v(≧∇≦)v─♪

まーさーかーのー、eat LOVE邸へのお泊まり!

普段願ってもない変なことばかり雨あられのように起こるから、引き寄せの法則なんて嘘だと常々思っているけれど、「これ、もしや引き寄せじゃないの!?!?!?」と踊り出したくなるぐらいに嬉しくて、そしてノムに鼻息荒く「行く!!!」と即答した。

初めて「新潟」にいるからこその特権だとわかって、新潟にいることさえ特別な気持ちになれた。

これが都内とか近県なら、じゃあまた日を改めようってなるけれど、新潟ゆえにそんな選択肢はないから、ノムも「泊まり」を提案してくれたと思った。

まさかの展開に小躍りしそうなぐらいテンションが上がった。

しかも私はその少し前にバスのチケットを取ろうとしたけれど、「なんか今じゃない」と先延ばしをしたばかりだったのが、まさかこんな展開になるなんて、「何この直観力!?最高♪٩((*⁰▿⁰*))۶♪」と自画自賛した。

さらにはこんなメールが来た。


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25日ね、うちの隣の母屋に泊まってもらおうと思っているんだけど、
せっかくだから、大家さんもいっしょに夕飯したいな、と彼女を誘ってみてさ。
のむ、みっちー、れいさん(大家さん)という星トリオといっしょに、
その日は夕飯を食べるのでもよい??
あと、苦手な食べ物とか、好きな食べ物とか、なにかある?

たまにね、そんな風に母屋で、
れいさんとみっちーが共同で夕飯つくってくれ3人で食べたりしててさ。
母屋がまた田舎のおじいちゃん家みたいで、おちつくから、
きっと、ぶっしーも、くつろいでもらえるんじゃないかな、と思ってさ。

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ノムが、ノムとミッチーとレイさんを『星トリオ』と呼んだのにはこんなわけがある。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ぼくはカレと広い敷地の中の貸家に住んでいるんだけど、
敷地に、大家さんがときどきやってきてね、
なんというか、彼と彼女(51歳女性の大家さん)とのトリオは、
ふしぎな、血のつながりはない家族?親戚?
そういう間柄となったのだけど、

先日ぼくの誕生日があり、
大家さんが、ぼくの「星をみたい!」って願いを叶えるべく
プランニングをしてくれ、すべての準備をしてくれ、車もだし運転もしてくれ、
当初、長野に行く予定だったのが、天候の関係で、新潟へ行く運びとなり、
上越のほうに、車で‪4時‬間くらいかけて、いってきました。

ぶしまたさんが広い新潟のどこに住んでいるのかわからないけど、
新潟、というだけで、もちろんのことぶしまたさんのことが浮かび、
お茶とかできたらおもしろいなー、なんて想像をしながら、
すばらしい星空を満喫してきました!

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



まだお互いをさん付けで呼んでいた頃、ノムがつい最近の今年の誕生日に、誕生日プレゼントとして星空を見に行くことを大家さんとカレとにプレゼントしてもらったことを教えてくれた。

なんと、東京から新潟まで行ったのだと聞いて、心底驚いた。

そしてなんて素敵な誕生日プレゼントだろう…と思った。

ちなみにペンジュラムもノムは2人からプレゼントされた(ペンジュラムの話はまた書くと超絶長くなるから、別記事で書く予定)。

カレ・ミッチーはまだ恋人だからわかるけれど、大家さんが誕生日プレゼントに関わるって普通じゃないし、だけどそれが有り得てしまう3人は並大抵の関係じゃないことは前々からわかってた。

eat LOVE邸へ誘ってもらった時に、大家さんにも会えたらいいなぁとは思った。

だけど、ただでさえ客人なのに、しかも普段の関係性を知らないから変なことも口走れず、そっと胸の中だけで「大家さんにも会ってみたいな」と思うだけにとどめた。

そうしたら、まさかの大家さんとも一緒にごはんを食べれるなんて!

夢の饗宴すぎて、もはや私は占星術講座のためではなく、完全にeat LOVE邸へと行くための東京行きへと大幅に変更された 笑。

実際に頭の中がお花畑になって、eat LOVE邸への荷物は完璧だったけれども、肝心の占星術の宿題に必要な超重要資料を忘れたという(爆)。←4時間以上も支度していたのに…。

まぁそもそも、東京に到着する当日に宿題をする発想そのものがおかしいっていう話でもある(爆)。

私はノムに1つだけリクエストをした。

「1つだけリクエスト。
講座の日の朝?昼?何時に出るのか、時間的余裕があるのかは知らないけれど、可能であれば、あのeat LOVEに出てくるチーズトーストとコーヒーをあの風景と同じ感じで味わってみたい!」




eat LOVE邸本編に行くまでにこれだけの中身がぎっちりと詰まっていた。

この後、またシリーズにして、もう3つは書く予定でいる。(ミッチーのごはん、eat LOVE邸での魂ミーティング、ノムとミッチーについては書こうと思っている)

ちなみにノムがどうしても「外せない」と言った用事は、冒頭の写真の中の一番大きな絵の譲渡式があったからだと、あの写真の中の部屋、ノムとミッチーのアトリエで教えてもらった。

ノムいわく、購入者はご夫妻で、最近家を新築して、その新築した家に飾るために買ってくれた絵とのこと。

そして、それを運んでご夫妻と新居で夕食を囲むのが26日になったから、それでどうしても私と最初に約束したように、講座の後にお茶することができなくなったとのことだった。

そのご夫妻の新居の計画はもちろん、その方たちとノムとが出会うとか、絵を買うとか、それを運び入れるとか、そうしたことは私には何一つ関与できないことばかり。

そんな中でノム・ミッチー・レイさん・私の4人の人生の時間がカチッと合って、それでとうとう4人が一堂に会する機会に恵まれた。

これは行ってわかったことだけれど、あの時間はもう「呼ばれた」としか言いようのない時間と空間だった。

さらに、なんと私が泊まらせてもらったお家には、私のホロスコープに出ているメッセージがそのまま舞台脚本のごとく演出されていて、本気で度肝を抜かれた。

呼ばれたというのは、もちろんノムからも呼んでもらったんだけれど、ノムたち3人ではない、強いて言うなら「上の者」、それこそ私がアトリエで見せてもらった本の中に出てくる「神々の審議会」的メンバーが呼んでくれたと思う。

そういう時間だったし、そういう場所だった。



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