2019年6月22日土曜日

過ぎ去った日々の星読み

今日はホロスコープの考察と私の主観とをひたすら書いたもの。

Sさんと先日会った時に、元職場の人の誕生日を知れることになった。
(最初「共通の知人」と書いたけれど、Sさんたちは知人レベルじゃないし、私は「知人」と呼べる立場じゃないとはたと気付いて言い方を変更した…)

本当はこんなことしちゃいけないんだけど、どうしても知りたいことがあって、ホロスコープを出して見てみた。

性格的なものとか人生の傾向やテーマは何も見ていない。

それは本当に本人の希望がないどころか知らないのにやるのはダメだから、していない。
(1つだけすぐにわかってしまったことは、頭から離れないぐらいすぐに内容を覚えてしまったけれど…)

でも、当時の印象的な出来事があった日や瞬間のホロスコープとその人のホロスコープを重ね合わせて、どんな影響があったのかそれを見ている。

私は自分だけに一方的に起こったことなのか、それともその相手の人にも何かよくわからない影響があったことなのか、それを知りたかった。

それはホロスコープを見ると少なくとも、影響の有無はわかる。

さらに影響の強度もある程度わかる。

色々わからないものも多いけれど、最小限は知れる。
(具体的な生まれた時間[何時何分]の部分と生まれた町がわからないと、正しいホロスコープは出せない。)

その最小限の情報を読み解いている。

今まだ読み途中だけど、思いついたままに書き始めている。

すでに7つの日のホロスコープを見て読み解いた。

ストレートな自己表現をするタイプではないこと以外は、基本何も読み解いていない。

私のホロスコープとの重なりは見たけれど、それは私の胸の中にだけしまっておこうと思う。

自分の親とか妹、姪っ子との重なりを見た後では物足りなさを覚えたけれども、逆に言うと重なり自体はそんなにも強固なイメージはない。

(親との重なりが強烈すぎて←本当にあまりに強烈で泣きたくなったぐらい、その後じゃ誰のと重ねてもそんなには強さを感じなくなってしまった。)

ただ、その何日かの過去のある時の空模様を見た時に、その人にとってはとても影響が出やすい配置がいくつも重なっていたことはわかった。

私もだけど、日によっては私よりもその人のホロスコープの方が影響でかいだろうなぁというのはいくつかあった。

私がその相手だったのかは知らないけれど、時期的に過去世からの人間関係が運ばれてきやすい配置がそもそもその時にその人のホロスコープにはあって(←私の方にはない)、だから私が登場してしまったのもやむを得なかったのかな…とは思う。

大体過去世絡みなんてのは何かしら心の余裕がなくなる方の何かを運んでくる可能性が高いから、私はそういう意味で本当に不足のない役に徹したと思う。

素でその役を演じたわけだから、私の演技力の高さや役への貢献度と言ったらない(爆)。

そう思うと、異例の速さで仕事が決まったのも、開始日が二転三転したのも、行く期間がまさにその時だったのも、今なら頷ける。

魂的なテーマに取り組むとなれば、人間社会のルールはとことん無視されるし、ありえないことも普通に有り得てしまうし、限りなく0%みたいなこともなぜか起こってしまう。

そういう配置は単純計算して、その人にとって次はその時から20年後になる。

その人にとってその影響が出るかもしれない配置が20年後という意味で、そう人生で何回とない時にたまたま目の前に登場したのが私で、なんだかなぁ…と思った。

よほどその人にとって触ってほしくない部分にずかずかと入ってくる人だったのかもしれない、私は。

その人のホロスコープと重ねたホロスコープたちを見て、素直には喜べなかった。

ホロスコープに良い悪いはない。

本当に、傾向が出るだけで、それが良いとか悪いとかいうのは人間側の勝手な主観に過ぎない。

だって、過去世絡みの縁が運ばれてきて、それで幸せな結婚や幸せな仕事に結びつく人もいれば、反対に最終的に別離になることや酷い労働環境を体験する人もいる。

どんな影響が出るかなんてのは、個人個人違うから、そんなのは読み解けない。

同じ時期、破壊と再生・大変容担当の空の冥王星と私の生まれた時の冥王星が、ものすごく影響が出る配置になっていて、普通ならすごいキツい出来事なんかに見舞われやすいけれど、当時の私はその人に会えるだけで毎日毎日生きているのが楽しくて嬉しくて仕方なかった。

片やそんな風に人生バラ色みたいな日々を送っていた私と、カルマ的な絡みもくっついて私がいるだけで不協和音気味な状況を体験する相手と、その対比は凄いものだったと思う。

不協和音の真ん中(協和)を抜くと「不音」「ふおん」「不穏」…チーン( ̄ཀ ̄;;)。

それがホロスコープなんていうツールによって、より一層鮮明になってしまった。

自分だけの視点から見ると、すぐ近くにいられた時間はあまりにも短かすぎたけれど、相手のことを思うと、もし本当の本当に私がしんどいものばかりを与える人物だったなら、その期間がそれだけで済んでくれて良かったと思う。

しかも私がゴソゴソ動いたのは1ヶ月もなかったから、そして決して危害は加えてないから(相手がどう取るかは別にして)、許してねとひっそり思っている。



ここから先は読み解いたものを紹介。



【夏の日々たち編】


☆その人の生まれた時のドラゴンヘッドのところに空のドラゴンヘッドが戻ってきた辺り(通称[ノード回帰])に、私の元へその職場へのオファーが初めて提示された。

当時の通話記録を調べたけれどもう残ってなくて、でも確実に友達の熊本での結婚式の日以降派遣会社から連絡がきたことは覚えている。

その結婚式からの帰宅日とその人のノード回帰の日が一緒だった。

それから何日もしないうちに、仕事の紹介が来たことは確実。

ちなみに、私の生まれた時のドラゴンヘッドのところに空のドラゴンヘッドが戻ってきたちょうどドンピシャの日、名古屋から新潟に戻った。
(↑私のノード回帰の時の出来事)

おおよそ18〜19年に一度起こるもので、魂的なご縁を連れてくると言われている。



☆出逢いの日:
ドラゴンヘッド=魂的なご縁を意味するものと本人の個人天体がピッタリ重なっている。

それは意味を調べたけれど、なかなかピンとくるのがなくて。色々探していたら、「モテ相」なんてのが出ていて、本当にそんな読み方をするのか知らないけれど、まぁさもありなんと思った。
誰にモテるかは本人は選べないのが、いかにも魂的なものという感じがする。(本人は興味ない人からモテる可能性だって当然ある)

一応、それが合ってる合ってないはさておいても、その人からすると、「社会的役割の中で無償の愛を育む」と読める配置になっている。「無償の愛」っていうと聞こえがいいけれど、それはひねくれた見方をすると、「忍耐」とか「(苦手なものも)受け入れる」とかいう雰囲気を感じてしまうのは私だけだろうか…。

で、実際に社会的役割を果たしている時(=仕事中)、思ってもいないところから本人身に覚えのないものがやってきて、色々集中力を乱すような、気持ちが振り回されるような体験をする。それらを通じて、忍耐力向上を目指さざるを得なくなった…のではないかなと思う。その天体は、攻撃性のない穏やかなものを表すから、まぁ仕事の中でその姿勢を身に付けるみたいな。
ある意味、私超適役( ̄∀ ̄;)。
魂的な縁者が攻撃性を目覚めさせるとかという意味ではありませんように…。
ひねくれずに読み解くと、魂的なご縁をキッカケに、人生を切り開く力や大切なものを守るための力が引き出されやすい。



☆素敵なイケメン行動をプレゼントされた日:
いわゆる恋愛的な観点を見る天体同士とそこにプラスしてドラゴンヘッド(魂のご縁)がピッタリ重なっている。
「愛」とか「やさしさ」をソウルメイトにプレゼントする・もしくはプレゼントされると読んでもいいかなと思う。



☆ファイル探してた日:
この日だけが唯一その人の「破壊と再生」とか「大変容」担当の冥王星の上に空の天体がピッタリとのっている。
他にもとても影響の大きいものがいくつかあって、あの時の(私から見て普段のその人の姿からはありえない)反応の仕方が、こういう天体たちの影響があったのかな…と。



☆せんべい確認の日:
これは最後にその人の笑顔を見た日で、色んなことが複合的にあったとホロスコープ見て知った。
火星回帰と言って、空の火星が生まれた時の火星に戻ってくるのが2年に1回起こる。まさにその時で、そこにその時はコミュニケーション+魂のテーマも一緒に重なっていて、魂的なコミュニケーションに熱が入るとも読める。
それとは別に、破壊と再生担当の冥王星がその時の地平線軸にのって、さらに拡大繁栄の木星も一緒になって、天変地異並みの何かが起こってもおかしくない配置になっていた。
無償の愛を社会に貢献すると読める配置も持っていて、私の都合のいいように読み解くと、その日その瞬間は、その人は魂繋がりの他者(=私)の癒しとなるような笑顔を差し出して相手を癒す、すなわち社会貢献をした。

私側も社会的役割と心の基盤を司る子午線軸が180度ひっくり返ったみたいになって、そういう時は大概何か大きなことがあるから、今となれば「笑顔の見納め」と思えばなるほど納得。



☆異動を知らされた瞬間:
(これ、その人と私逆じゃないか?と思う結果に。だからこれだけは、まるで毎日の星占い調に書いてみた。)

心の基盤を揺るがすような便りが届く日。魂の傷、特に恋愛としての傷と、自分の中の男性的な部分と女性的な部分に表れる葛藤とに何か激しく反応が起こりやすい日。魂絡みのソウルメイトとの間に傷みを覚える大きな出来事が起こる暗示。前世でも繋がりのあったソウルメイトについての何かしら便りが届くタイミングで、それは職場など社会的な場所で提示されるだろう。この魂的な便りを機に、人生のテーマとなるものが大きく動いて発展していく流れへと入っていくだろう。

↑あくまでもこれは相手のホロスコープとその時の空模様の重なりから紐解いた内容。話は盛ってない。
知らされたのは私で、その人はその場にさえいなかったのに(同じ建物にはいたかもしれないけれど)、何?このまるで私の体験みたいなホロスコープ…と思った。

ちなみに私の方は、社会的役割を表す軸に自分の無意識を司る個人天体がのって、だから何か家ではなく社会での役割や流れに大きな変化ありと読み解ける。
本当にその通りになった。



☆倉庫で整理してるところに話に行った日:
魂的なコミュニケーションが交わされると読める天体同士の重なりと、いつも以上に攻撃的になると読める天体同士の重なりがあった。「攻撃的」という言い方は、状況を表すのに適切ではないけれど、「穏やかvs.攻撃的」のどちらかを選ぶとするなら、100%攻撃が勝利!という時間だった。

私側は魅力が増すと読み解ける天体の重なりがあったけれど、これは受け取り手の趣味もあるから、人によっては魅力になっても、また人が変わればマイナスとか拒絶反応とかなってもおかしくない気がする。天体が味方するどころかマイナスに働く…みたいな(涙)。



☆手紙の日:
双方すごいことになっている。私は、魂的なテーマがいくつも複合的に重なっていて(太陽・月・ドラゴンヘッド・ドラゴンテイル他2つ)、それだけ重なっていたら魂的な伝言をしようとしても何ら不思議じゃない。

相手もコミュニケーションが良く言えば発展するし、そうでなければ望んでないコミュニケーションが増長しやすいともとれる。

相手のホロスコープを紐解くと、膨大な量の手紙が来るとか、その天体の意味としてはピッタリすぎて、自分でホロスコープ読んでひっくり返りそうだった(爆)。



☆77777の日:
「77777」というのは私にとってとても意味のある瞬間で、そして現実的にはその人がいなくなる最終日2日前の夜だった。
その日の勤務は終わった後で、あと会えるのは指2本分の回数だけだった。
そんな折の「77777」を記録した瞬間のホロスコープ。

その人側の隠されていた愛が強い使命感を持って表にバンと鮮烈に打ち出された、と読み解ける配置。しかも使命感を表すものが地平線軸にピッタリと重なっていて、影響がとてつもなく大きいことがわかる。
空の天体3トリオとその人の生まれた時の天体3トリオが手に手を互いに取って、壮大な夢に向かって果てしなく駆け抜けていく。そこに魂の成長も含めて、壮大な夢を大きなスケールで描いている。
無意識からのメッセージがとてつもなく強いエネルギーを伴って届く。そのメッセージはその時だけのことじゃなく、未来永劫長く続く、ずっとその先も残り続ける、そういう深い意味を伴ったメッセージ。
癒す必要のある魂の傷が、1対1の重要な人間関係の中で育まれるものを軸に癒されていくプロセスのはじまりの暗示。それは、人生の目的と心の大地と自分の基礎・土台にものすごく関わるもの。

↑これもその人側のホロスコープとその時の空のホロスコープとを重ね合わせて読んだもの。本当にこれ私のことじゃなくて!?と思った。
当時の私が食らったのは、その人の隠された愛ではなく、その人の普段は表に出てこないこれ以上ないと言わんばかりの冷たさの方だった。



☆本人最終日の最後の瞬間:
私に来ている影響よりもその人に大きい影響が出ていて、非常に重たい天体(=テーマもその分深くて重い)が重なり合っていたり、地平線軸に人生のテーマを表すものがのっている。私なら、地平線軸に天体のったら、強烈に影響が出るやつ。
魂的な傷の痛みが、癒すための荒療治とされる形で表立って出てきやすいのかな…と。言うなれば、魂の傷がむき出しになって、めちゃくちゃ痛みを覚えることになる。

人生のテーマのところと魂の傷のところに、実は私も別の天体をピッタリと持ってきていて、傷の三重奏みたいな…。←空の天体+その人の天体+私の天体がピッタンコカンカン。
傷ならまだかわいげがあるけれど、これ別の言い方だと「不快感」とか「心の疲弊感」とかとも置き換えられる。当然、不快とか疲弊って外側からそれらがもたらされるわけで、それらを持ってくる人(=私)出現とも読み解けなくもないところが……。←全力で否定したい。



【重要な日】

☆その人にメッセージを届けるためにブログを再開した瞬間:
そのブログ再開の瞬間そのもののホロスコープがとっても意味が深いものだと知った。

これを書くつい2時間ぐらい前に、ブログを遡って見て、アップした日時を確認してホロスコープを作って見た。

特に魂側の意図にどんな想いが込められていたのかを見てみた。

何がぶったまげたかって、その瞬間のブログ全体におけるテーマと、私の喜び・愛しさ・豊かさ・開花を表すポイントと、そして今日2019年の夏至の月のポイントがみんな一緒だったこと!!!

順番としては、私の喜びポイントが今から12時間前に発覚して(調べ物の途中で見つけて、気になって調べたら出てきた!)。

朝が明けてから、ブログのホロスコープを出して、そこでブログのテーマを知った。

そして最後、今日は夏至ゆえにホロスコープ系のメルマガが届いていて、開けたら同じ内容が描かれていた。

何このシンクロ祭りと思ってビックリした!!!

3つに共通しているのは、
「大きな白い鳩、メッセージの担い手」

まさに、メッセージとして届けようとしたブログの内容に超ピッタリのもの。

他にもその時のメッセージとして含まれていたのは、
・勇気を出して自分をさらけ出す
・未来のイメージを根底から模索する
・新しい変化を引き寄せるきっかけの時期
・守るべきもののために戦うとき
というのが出てきた。

本当にピッタリな内容すぎて、度肝抜かれた。

その時のホロスコープとその人のホロスコープを重ね合わせてみたもの。

愛を伴う心の拠りどころがきちんと整備されながら発展していく。その愛付き心の拠りどころが、魂の傷の癒しと純粋な愛情を育てることにも繋がっていく。
深い意識からのメッセージ、場合によっては輪廻転生する中で受け継がれてきたメッセージが言語化されて伝わるようになるタイミングが来ている。
魂の傷と純粋な愛が互いに手と手を取り合って、互いを癒そうと強く働く。

自分の中で絶対的に守りたいもの、それを守るために知性を働かす。その知性を、これから長い時間をかけてゆっくりと1つ1つ丁寧に慈しみながら育てていく。魂が望んでいる道を極限まで突破しようという、地球の外を超えたところからの力も入り込んで、この今スタートさせたものをどんどん昇華していく流れにある。

↑まるでこれも私側の心情かと思う内容だけど、私のものと組み合わせるとこうはならない。

あと、今さらだけど、この文中にやたらと「愛」という言葉が出てくるけれど、これは単純に恋愛とかの愛もありだけど、どちらかというともっと広い意味での愛、人間愛とか自己愛とか隣人愛とか(←宗教みたい 笑)、とにかくAllジャンルの愛を指してる。



【番外編】

・短いメール下書きの日:
このメールは届いたのかどうかも私は知らない。違う人に着いた可能性もあるから、宛先不明で戻ってはこなかったからどこかには着いたと思うけれど。
その下書きした時=書こうと思い立った時のホロスコープを出した。(←下書き完成したものが携帯メモに入っていて、その時間で出した)
それ単体でも凄かったけれど、それぞれのホロスコープと重ね合わせるとさらに凄かった。

単体で見た時、魂的なテーマを超超超徹底的に地の果てまで追求する、しかも魂絡みテーマの天体が3つも子午線軸と呼ばれる軸にのっていて、徹底ぶりがハンパないのはよくわかった。清く正しくをモットーに精査して制限をかける土星までもが一緒にジョイントして、もしこれが個人の生まれた時のホロスコープなら、私これやだなぁ…というタイプのもの。
↑見ただけで超ウルトラスーパーハード、ドラゴンボールのカメハメハ100回連続攻撃を一瞬にして受けるみたいな、超強烈な配置だった。

というものに、その人のホロスコープを重ねると、もう見たことない凄い「ホロスコープの教科書」に使われるようなものがいくつも出現してビックリ。

そもそものその魂的なテーマを超超超徹底的に追求するところに、さらに本人の深い人間関係を深めるために様々なことを強化するみたいな天体までピッタリ誤差0度でジョイント。4天体+子午線軸という、ホロスコープを知ってる人ならありえない配置になっている。
あまり言いたくはないけれど、大震災系の天災が起きた瞬間のホロスコープたちに類似した配置で、そこに破壊王冥王星もくっついているから余計と強烈。
そして、何がすごいって、六芒星出現!!!
三角形を上下2つ重ね合わせて、六角形みたいな形になるあの星。あれが出てくる。それを筆頭に他にも「教科書的」な形のものがいくつも重なっていた。
私のはそこまでじゃない。っていうか、私のものと重ね合わせても六芒星とか出てこないっ!!

ちなみに六芒星というのは、ホロスコープでは「予定調和的」に物事が運ぶとのこと。
「予定調和」というのは捉え方が2つあると思っている。
1つは、文字通り、予定通り全て滞りなくいくこと。
もう1つは、表面上は全く上手くいっている感じはしないけれど、それこそが見えない部分では調和していること。
だから、この場合に限って言えば、メールが空中迷子みたくなってる風だけど(もちろん無視の可能性も高い)、そうであることが裏事情的には必要でそうなっているということ。裏事情=魂事情と呼んでもいいかもしれない。

メールの行方はさておいても、ホロスコープだけ見ると「何か起こりましたか?」みたいなすごい様相で、もちろんそんなのが形成されるなんて知らなくて私は動いていたわけで…。言葉がない。

しかも、その人のは時間と生まれた町がわからないから、それが特定できないとわからないものは全部省いて見ていて、確実に今日だろうが明日だろうが変わらない天体と日々1度ずつ動く太陽だけで見てそれだから、もう尋常じゃないエネルギーが発されていたことがわかる。



【超スペシャル編】

ここにペンジュラムとその人との関係を書いて一緒にアップする予定でいたけれど、ものすごく長くなりそうだから別記事にしようと決めた。

そこにも今書いたけれど、今回その人のホロスコープを知ることで何が一番嬉しかったかと言えば、ペンジュラムとその人の関係を知れたことだった。

ペンジュラムにはその人に出逢う1年以上前に出逢って一緒にいる。

ペンジュラムに出逢った時、その人はまだ私の人生に登場していなかった。

そして、その人が登場してからも、その人にペンジュラムを見せたこともないし、使ってることも言ったことがなかった。

そもそもそんな超個人的なことを話せる仲でもなかったから、絶対に言うことはできなかった。

むしろそんなことは一生隠すぐらいの気でいたし、私はその人と自分のペンジュラムを繋げて初めて考えたのは、その人がいなくなって半年までいかなくても少なくとも季節はとっくに変わるぐらいに経ってからのことだった。

最初は、人生で初めて受けたホロスコープ鑑定の時に、不思議な力を持っている鑑定士さんから知らされたことがきっかけだった。

鑑定士さんの話は、過去世で私がペンジュラムを使っていたことと、そしてそのすぐ近くにその人も生きていただろう過去世の情報だった。

私はそこでそんな話を聞いてくるなんて思ってもいなくて、本気で驚いた。

鑑定士さんいわく、そういう情報は見ようと思って見れるものではなく、必要があった時に初めて鑑定士さんの元にもたらされる情報とのこと。

必要性の判断は鑑定士さんではなく、その情報に関係している関係者たちの魂の判断で、その場合の時に限って言えば、私の魂よりも相手側の魂からもたらされてる情報だと思うと教えられた。

私がその話を、普通にこれだけ読んだらとても怪しい話を、最初から疑うこともなく信じられたのには理由がある。

1つは、ペンジュラムを異常なほど最初から使いこなせていて、そんなことはそれまで生きてきた中で一度もなかったから、そもそもペンジュラムだけは出どこが違うんだろう…というのは何となく思っていた。

もう1つは、そうだと聞かされて、その人に対する色んな感情や感覚に初めて説明がついたこと。

単なる出会いとして片付けるには、あまりにも色んなことがありすぎて、そして感情や感覚なんてのももう説明できないぐらい色々あり過ぎた。

書き出すともっと色々あるけれど、とりあえず私は、自分の感覚ではその人と私はペンジュラムを通して何か強い縁があるだろうことは感覚としてわかった。

だけどそれは長いこと私の感覚で思っていることだけで、それを証明できる手段を何一つ持ち合わせていなかった。

そもそも証明できるなんて思ってなかったから、自分だけの感覚で満足してるからそれでいいやと思った。

そんなの証明したところでその人と会えるわけでもないし、ここにはこうして書いても、その人からしても「何言ってるんだ」状態だろうというのも思っている。

ある時から覚悟が決まって、このブログでもペンジュラムもオルゴナイトもその他色々スピリチュアルというよりオカルトな怪しい話も山ほどするようになったけれども、私が思うにその人はそういうことに馴染みのある人生を送ってきた可能性はとても低いと思っている。

私が色々書く理由の1つに、その人に私の本当の姿を知って欲しいというのがある。

その人の目の前にいた私は、単なる派遣社員で静かに事務仕事をしていただけで、まさか陰ではペンジュラムを使ったりスピリチュアルなことを色々学んだりしてるなんてのは想像さえしていなかったと思う。

私も当初は隠すというか言うなんて考えたこともなかった。

もうどうせ会わないのであれば、尚更のこと言わないでおこうと思った。

だけど2017年の12月、友達主催の大人のための命の授業的なイベントに行ってみて気持ちが変わった。

そこでは普通にはありえないようなぶっ飛んだ体験ばかりをしている人たちの生の声を聞く機会に恵まれた。

本名で堂々と自分の気持ちを自分のしていることを表現しているその人たちに心底憧れた。

そして私も強く強く思った。

自分を隠すんじゃなくて、そのままの自分を表現したいと。

そしてその自分で堂々と生きていたいと。

そこから少しずつ少しずつカミングアウトを始めた。
(最初は今みたいに何でもかんでもは書かなくて、超恐る恐る少しずつ書いていった。そして、その少し後からリアルな人間関係の場でも直接自分のことをカミングアウトするようになっていった。)

会えもしないのに何を言ってるんだという話だけど、同じ読むでも私はベールに包まれた自分ではなくありのままの自分をその人に知ってて欲しかった。

そういうことに本当に抵抗があってダメなら、私のブログは読まなくなるだろうと予想して、それで書き始めた。

とりあえず、その人は抵抗があるのかないのかは知らないけれど、読めるだけのキャパシティがあることはわかった。

書いてて話がどんどんズレてることに気付いた…。

で、何が言いたかったかと言うと、そのペンジュラムとその人との関係を、今回初めてホロスコープを見たことではっきりと知った。

これまでは、鑑定士さんに教えられてから「そうなんだろう…」という感覚だけで、勝手に繋がりを感じていた。

感覚だけは飛び抜けて別格過ぎたから(人間的な感覚で言うと「変」とも言う…苦笑)、それが魂の繋がりだったり、ペンジュラムを通して繋がりがあるんだろう…ぐらいに思っていた。

だけど、今回初めてペンジュラムが私の元に来た瞬間のホロスコープとその人の生まれた時の大体のホロスコープとを重ね合わせて見ることができて、確信した。

今みたいに確信はできないおおよそのホロスコープでも、例えば後に正確な出生時間と出生地(緯度経度)を知った後のホロスコープでも、変わらない部分がある。

その変わらない部分において、その人はペンジュラムにすごく良い、そして強力な助っ人のように影響してくれてることがはっきりとわかった。

そして、その影響の部分を私はすでに先に体験として知っていたから、だから本当に体験通りの影響をその人が持っていたということに確信が持てた。

私の気のせいではなく、本当にそもそもがそういう影響下にあって、当然そんなことを何一つ知らずにここまで来たわけだけど、今ようやく体験と知識がセットになって、その人は本当の本当にペンジュラムを通して繋がっている人なんだと知った。

いつものごとく、私の記憶システムには色々誤作動や華麗にスルーという凄ワザを搭載しているおかげで、今の今まですっかり忘れていたけれど、実はここに書いたことの途中からはその人なくしては全てが有り得ないことばかりになっていた。

そのことを突然今から数時間前に思い出した。

上のホロスコープの読み解きの中に「倉庫で整理してるところに話に行った日」の部分がある。

一応、読み解きの部分は、時系列に並べて書いている。

そこを含めてブログ再開までの部分、そこはペンジュラムにまつわるエピソードをはじめとする色んなことがもし起きなかったとするなら、現実にはその人の異動以外何一つ起こることのできないことばかりだった。

そしてそこにペンジュラムが一役どころか漢字的には一躍(いちやく)の大役を果たしてくれていて、それが今のこの瞬間に全部繋がっていた。

そんなこと、数時間前まで知らずにいた。

もうどこをどうほじくり返しても、その人のペンジュラムへの影響は無限大に大きい。

そもそもの私とペンジュラムの縁も強いけれど、実はペンジュラムと私のそもそもの相性図なるもの以外は、その人のホロスコープの方がペンジュラムとの絆というか繋がりが強い。

もっとよく見たら違うかもしれないけれど、今最低限の重なりだけを見た時点では、完全にその人のホロスコープの方がペンジュラムに与える影響は大きい。

知れば知るほど、納得感が増した。

そして、もう「私の気のせい」って疑わなくてもいいんだと思った。

ずっとずっと、何にも反応がないどころか私は嫌がられてたみたいな最期の記憶が強烈すぎて、「本当にすべてが私の気のせいかもしれない」というのが常にあった。

時間の経過や目に見えない部分の変化を経て多少薄まりはしたけれど、やっぱり疑いは晴れなかった。

でも、ホロスコープが「私の感じてた通りの影響があったんだよ」と教えてくれたから、とりあえず自分の感覚で合っていたんだという何よりもの信頼を得た。

空の星たちはみんなに等しく同じエネルギーを注いでいる。

でも、例えば晴れがずっと続いたとして、外で晴れてないとできない仕事をする人からしたらそれは有り難いことにはなるけれど、一方で貯水ダムの水が底をついて水の供給がストップしたなら、それの影響をもろに受ける人たちからしたら有難くない天気になってしまう。

そうしたことには関係ない、例えば室内の仕事の人からしたら、晴天が続くのは可も不可もない。(←あくまでたとえ話)

同じ太陽でも、影響は各自によって全く違う。

空の星たちと各自が生まれ持った星にも同じことが言えると思う。

同じ場所で同じ時間一緒にいても、影響のある人とない人とがいる。

もちろん、縁の濃い薄い、縁の有る無しも、個々人によって違う。

その人と私は職場が一緒だったわけで、当然他の人たちもいた。

客観的に見て、その中で一番縁の薄い関係の人だった。

縁がないと言い切ってもいいぐらい、重なりなんて何もなかった。

当時を振り返ってみても、その人と私は見事に1つも仕事での接点がなかった。

席も一番離れてた。

双方にとって、本当の本当に接点は皆無で、普通ならいてもいなくてもわからないぐらいの存在感になると思う。

実際に、本当に喋る機会もなければ、何か一緒にすることもなかった。

挨拶でさえ、現場に出ていて普段顔を合わせない静かにしている人よりも、現場の人よりも明らかに事務所滞在時間が多いその人と交わす挨拶の回数の方が少ないぐらいだったように思う。

現場の人も接点のなさはその人と並ぶぐらいなかったけれど、挨拶だけはなぜか普通によく交わした人で、女性陣から不人気のその人は私は苦手ではなかった。

事務所には黙って入ってくる人なのに、入口とか廊下ですれ違うと向こうから挨拶してくれる時もあったぐらいで、だからその現場の人の方がむしろ個人的な近さはあった感じはする。

その現場の人の上をさらにいく遠さを、ペンジュラム繋がりのその人には感じていた。

なのに、なんだか知らないけれど、ボタンのかけ違いがたくさんでもないけれど深く印象に残るぐらいは起こって、それでその人とは不思議な接点を時々持てることになった。

そのかけ違いは、その人が転勤になって次の人に交代になったら、全く起こらなくなった。

それは必要ないからだと思う。

次の人との方が個人的な話もできたけれども、その人の時のような印象や影響は一切なかった。

言うなれば、一般的な職場の上司や同僚とやりとりするみたいな感じにとどまった。

だから、本当に改めてその人というのは、信じられない形で色んな影響を私に与えてくれた人だった。

この間、当時一緒に働いていたSさんにも聞いた。

16年勤めたSさんに確認をした。

Sさんが言うなら絶対だと思ったから。

その人の存在が私にわかるように明らかになった、超イレギュラーな仕事が当時1つあった。

それはその時一度だけしかなかったし、一緒にその仕事を担当した人に、その仕事は毎年とか毎月とかやる仕事なのかを聞いた。

聞いた人は「私の記憶にある限り初めて」と言った。

別に疑ってはいなかったけれど、やっぱり気になって、この間Sさんにも同じ質問をした。

Sさんも同じことを言った。

16年いて、最初で最後だったと思うと、ゆっくり振り返りながらそう言った。

さらに「あの時、順番が逆になったこともよく覚えてます」と言われた。

私は前半後半関係なく嫌は嫌だったから、順番なんて何でも良かった。

だけどそれさえも大切なことで、本当になるべくしてそうなったとしか言いようのないことが起こった。

順番が逆なら、その人と私は永遠に接点を持つことはなかったと思う。

その時を境に、その人は私の世界にきちんと私がわかるように存在するようになった。

同じエネルギーがその瞬間瞬間にみんなに等しく降り注いでいたわけだけど、縁がないと繋がることはできない。

その瞬間に繋がったのは偶然でもまぐれでもなかった。

私から見て、必然だった。

私が私の人生に向き合って、自分の人生を生きる覚悟を持って残りの人生を生きる、その細かな要素の1つ1つを見えないところでこれ以上ないぐらいに補完して助けてくれてたのがその人だった。

接点がないから、話したことがないから(←仕事で用事があれば話したけれど個人的会話はゼロ)、手が届かないから、生きる世界が違うから…、色々と言い訳を並べて否定ばかりしまくりだったけれど、本当は違う。

その人とどういう形であれ、存在を認識して繋がることは、私にとっては必要不可欠なことだった。

人間的価値観の尺度では計れない、それぐらいに深い意図があったことを私はこのホロスコープの読み解きで知った。

魂たちは多分生まれてくる前にお互いに意図している。

私側の係は不明だけど、少なくともその人の係は、ペンジュラムを含めた私の人生のターニングポイントの陰の協力者だということ。




〜さいごに〜

これから書くことは私の妄想話。

完全に妄想。

根拠は何もない。

星の情報さえ含まれていない。

本当にただ私がそう思っている、というだけの話。

でもそう思う方が色んなことが自然な感じに感じられる。

ドラゴンヘッドやテイルが絡んだものというのは、一般的に過去世絡みのご縁が多いと言われている。

あくまでもそれは占星術においての定説での部分。

ここからは私1人で思っていること。

過去世で近くにいた誰かと今世でもまた再会する時というのは、私はそれは単に「また生まれ変わっても会いたいね」というものよりも、「あの時に果たせなかったことを次こそは果たしたい」と切実な想いを抱いて再会するんじゃないかと思っている。

だって魂というのは基本「成長LOVE」みたいだから、過去世である程度完成したものなら、別に今世出会い直さなくてもいいと思うし、成長LOVEで体験(=苦行)LOVEなら、魂は安住の関係よりも未開の新規開拓に躍り出るんじゃないかと思う。

じゃあ何で過去世でも縁あった人と再会するのか。

何かの事情で、過去の人生では果たしきれない何かがあった…、だから今世もう一度仕切り直しでチャンスが欲しい…、そんな気がする。

これは私の勝手な想いでしかないけれど、私がこんなにも執着以上の何かで、ある1人の人に執着して、こんなにも調べ物をして、こんなことしたって未来の何かに繋がるとは思っていないし、それならもっと生産的な何かをした方がいいでしょう!?とも思っているけれど、それでもそうまでしてしまう…、それは何かどうしても果たしたいことがあったとしか思えない。

手が痛くなるまでペンを握ってひたすら文字を書き続けた日。

明らかに過去に一度として体験したことのない感覚だった。

手紙ならそれまでだってたくさん書いたし、その後もたくさん書いてる。

行為そのものは、私の場合、珍しいものじゃない。

けれど、何が何だかわからず、今伝えなきゃこれから先の残りの人生、死ぬほど後悔すると思って、本当に衝動だけで書き続けたあの時。

書いてる内容もなかなかなぶっ飛び具合だったけれども、中身がどうとかよりも、もう今しかないよ!!という、私明日死ぬのかと思ったぐらいの鬼気迫ったものを自分の中に感じて、その感覚でひたすら手を動かした。

この世の感覚ではないような感覚だったと今にして思う。

どこまで本当かはわからないけれど、その人と関係があったと教えられた過去の人生では、私は幼くして死んでしまったとされていて、そうだと本当にするなら、何も伝えられずに死んだんじゃないかなと思う。

伝えるための時間がなかった。

それが今世では健康体で、とりあえず書くことに抵抗がなくて、同じ母国語を話して、そしてまるで伝えるためにその状況が自動的に設定された。

それが今世の目的の1つなら、もう目的完了、ミッション完了で次に行けていいはず。

だけどそこでも不完全燃焼で、今もグダグダとこんなことになっている。

本当に私の執着だけでこうなってるのであればそれでいい。

そんなのは私の問題だから、私が何とか折り合いをつけたらいい。

でも私はうっすらと、私だけじゃなく相手も、何か今回の人生で計画してきたことを完遂してないんじゃないかと疑っている。

どうしてどうしてこんなにも長い文章たちを読み続けるのか。

しかも1回2回じゃない。

本人すら数えきれない回数、時間をかけてくれてる。

ただ読みたいというだけでは読めないと思う。

何かの行動、それが意識的でも無意識的でも、その奥には必ず動機がある。

その動機の部分が、なんとなく単なる好奇心とか遊び心みたいなのじゃなく、何かどうにもできない、それこそ私が明日死ぬのかの勢いで手を動かし続けたような、そういう突き動かされる強いものが奥の方にある気がしている。

どういう言葉が適切なのかはわからない。

自分が何を言いたいのかもよくわかっていない。

でも、もし、何かその人の中で表現したいものがあれば、その時は私は黙って聞こうと思っている。

私は自分の方がよほど色々とおかしいと思っているから、その人がどうであっても、多少驚くかもしれないけれど、否定はしないように努めようと思っている。

私側が消化不良を起こすような話でもそれはそれだし、色々と何がどうであってもその流れこそが必要なんだろうと思っている。

さんざん検証したおかげで、魂が絡むと人間の頭では考えもよらないことが起こるとわかったから、そういう意味での覚悟はある。

とりあえずどんなことにも心を開けるのは、私の特技と言ってもいい。

これは率直な私の感想。

正しいとか間違っているなんてのはわからない。

だけどこれが私の感想。

何日かのホロスコープを出して、それとその人の完全ではない一部情報が欠如した状態でのホロスコープを重ねて見て思ったこと。

私への影響よりも、その人への影響の方が遥かに大きい。

特に、出逢いと別れの日が対照的で、出逢いの方は私のホロスコープの方に大きく影響している一方で、別れの日はその人のホロスコープの方に大きく影響している。

ブログをはじめとするメッセージ系のホロスコープは、私じゃなくてその人への影響がとても強い。

それが1つだけならわかるけれど、いくつもそういう結果が出てきた。

星の操作はできないから、本当に出てきたものをそのまま読むしかない。

転勤だって、その人は一刻も早く居心地の悪い場所を離れたかったんじゃないかなと思った。

そもそも、ど田舎の新潟の町への転勤を希望して来たわけではなさそうだった。

Sさんから、転勤希望出してたみたいという話を、いつだったか聞いたことがあった。

だから、私がいるいないに関係なく、この土地を離れたいというのはあったと思う。

そこに今度は私という、その人の日常を脅かすようなものを投げかけてくる人が出てきた。

逃げたいとか避けたいと思われても仕方のないことを私は自分がしたんだろうと今でもそれは思っている。

私はもうずっと会えなくなるんだと思ったら、泣くぐらいに嫌だった。

だから、そのお知らせは私の方にしんどいものが来てその人の方に軽やかなものが出てもおかしくはなかった。

その不快になる状況はとりあえず終わりにできるよ、おめでとう!ばりな流れがあってもいいと思った。

だけど実際は違った。

それがその人の心の中ならいいなぁなんて不謹慎なことを思ったけれども、それぐらいにその人のホロスコープと重ねると重苦しいものがいくつもいくつも出ていた。

そうしたものたちをいくつも目の当たりにして、もしかしてその人も何か持っている、ずっと言い出せなくてここまでズルズルと来たものがあるのかもしれない…と思った。

それは愛の告白とかそういう意味じゃなくて、本当に何か言いたいことや伝えたいことがあったんじゃないかなと。

だから、もし未来のいつか、その人が口を開きたくなった時が来るとするなら、私は静かにその話を聞きたいと思っている。

私も色々とおかしいと思って、ものすごくたくさん葛藤した。

今も葛藤することはよくある。

もし仮にその人も同じようにおかしいと思って葛藤してきたとするなら、それはもうものすごいがんばり続けたことで、さぞかし苦しかったんじゃないかと予想している。

だから、もしもしそんな機会が巡ってきたら、私は静かに耳を傾けたいと思っている。

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