2019年6月23日日曜日

ペンジュラムが結んだ命たち







[写真]
夏至の今日(6/22)、ペンジュラムたちのひもの取り替えをした。天然の草木染めの糸で、10年以上も前に買って、ずっと何に使うつもりなんだろう…と思ったら、未来のペンジュラムのお供になった。ペンジュラムたちにピッタリだった。
水晶(透明の方)のペンジュラムは、最初ひもの部分はチェーンだった。ところがあまりにもペンジュラムが勢いよく回るものだから、ある日ペンジュラムを使っている最中に勢いあまってチェーンが切れた。
それからどれにするか自分の糸やひもコレクションをチェックしたら、その何に使うかずっと使途不明だったひもにスポットが当たって、自分でもこのコンビがすごくすごく気に入っている。
私の中で過去世の小さな男の子だった自分は、こういう自然素材のひもに天然石とか自然の石のペンジュラムをつけていたんじゃないかな…と思っている。
どうでもいい情報だけど、どのひもが良いとか、長さはどれぐらいが良いとか、そういうのは全部ペンジュラムが希望を出してくるから、毎回その通りのものに仕立てている。

木箱は、職人さん手作りの裁縫箱。
その中でペンジュラムのひもを保管している。(←今回クローゼットから出したついでに写真をパチリ)
これを見つけた当初は発売後すぐに完売で、ずっと買えずにいた。
一生に一度の買物と思って、勇気を振り絞ってポチった裁縫箱。
かれこれ10年選手。
裁縫熱はもう復活しなくても、裁縫箱は予定通り一生モノとして使い続ける。

気になる方は「倉敷師匠 裁縫箱」で検索すると出てきます。
私が買ったのは「キナル」という店。
https://www.kinaru.com/fs/sense/kr7




ホロスコープ読み解きの具体的内容を書く前に、まずは長い補足事項を。

つい何日か前、職場で仲良くしていたSさんと会って、Sさんを通じてある人の誕生日を教えてもらえた。

ずっと知りたかった情報だった。

それを知れたら、私に起こった色んな出来事が、私だけじゃなくその人にも影響があったのかどうかを客観的に知れると思ったから、それで知りたかった。

その人の誕生日をはっきりと知れたことで、私はその人のホロスコープと過去の様々な瞬間のホロスコープとを重ね合わせて見てみた。

その人のホロスコープと言っても、生まれた時間と生まれた町がわからないから、きっちり100%のホロスコープではなく、大切な情報がいくつか欠落している状態のもの。

なんだけど、その状態でさえも、ペンジュラムとその人がとても縁が深くて、そしてその人がペンジュラムの能力アップに大貢献しているとはっきりとわかった。

その人のホロスコープを知った中でこれが一番嬉しい発見だった。

本当の本当に嬉しかったし、これまで「気のせいかもしれない…」と弱気になっていたことに、初めてものすごく自信が持てた。

そしてこれこそが「魂のご縁」なんだろうと思った。

動かぬ証拠として、ホロスコープが教えてくれた。

いつそのことに気付いたのか忘れたけれど、去年のある時に、ペンジュラムが能力アップする時というのはその人が必ず関係していることに気付いた。

それも見事なくらい毎回のことで、百発百中の的中率を誇っている。

今回このことを書くにあたってもう1つ思い出したシーンがある。

それも含めて3つもの新しいペンジュラムの動きが最初私の目の前に現れた時、それというのはどの時もその人にまつわる何かが必ずあった。

さらには、去年の秋、山で行方不明になった人をペンジュラムで探すということをしていたまさにその時に、私はその人が祈ってくれたんだろう…とわかる言葉を耳にしたし、ある状況を目にした。

本気で凄い緊張を伴って、そして失敗は許されないじゃないけれど、とにかくたった一度だけ与えられたものをきちんとやる必要があった。

私はこのブログを使って、多分それ一度きりだったと思う、大真面目にその人に向かって、私とペンジュラムがきちんとやれるように祈って欲しいと書いて発信したのは。

届かないかもしれないけれど、万が一私の願い事が届いて本当にそうしてもらえたらめちゃくちゃ心強い。

人命というか人の運命を左右する依頼で、そもそものマインドセットをするのがとても大切とわかりながらも、本当の本当に怖くて私がそんな凄い依頼を引き受けていいのか最後までわからなかった。

それも、内容だけ見たら1人の人の場所探しみたいだけど、今振り返ると1人じゃなくて
複数の人たちの人生における運命的な流れも左右するようなことだったから、私はあれは凄い冷静に考えたら引き受けられるようなことではなかった。

無知過ぎたから引き受けられたとしか言えない。

それぐらい凄まじいほどに硬い気持ちを持って臨んだことで、1人じゃめちゃくちゃ心細かった。

そんな時に「その人」とわかる何か目印のような言葉を耳にするってどれくらいの確率なんだろう…と思った。

その時には、ペンジュラムの力とその人とが関係しているということに気付いていた私は、そんな晴れの舞台の時にその人が応援なり祈りなりをエールのように送ってくれたらとても心強いと思った。

だからそうして欲しいとこのブログで書いてみた。

実際はどうだったのかは知らないけれど、本当にペンジュラムで読み解こうと地図の上にペンジュラムをかざしていた時、隣りの席の会話からその人の当時の役職名が耳に飛び込んできた。

変わった役職名ではないけれど、私はその時以外偶然耳にしたことのない名前で、この間職場で仲良くなったSさんにその話をしたら、「それ珍しいね〜!っていうか、本当によくそのタイミングで耳にしたね!!言われてみれば、私も外で聞いたことないかも」と言っていた。

Sさんは16年勤めた人で、その人がそう言うぐらいだから、本当に普通には耳にしない。

でも、私だけじゃなくペンジュラムにとっても生涯で一度きりの一世一代の舞台の場で、その人だとわかるサインが私たちの元に届くなんてどれくらいの確率なんだろう…。

ホロスコープが指し示すように、やっぱりその人もペンジュラムとの縁が深いんだと思う。

そこを疑いまくるよりもそうだと素直に信じる方が、今の私には心地良い。




1つ前の記事には、その人のホロスコープを無断で作って見て、色々な過去の日々や時間と重ね合わせて検証したことをひたすら書いた。

書いているうちにペンジュラムが来た日とその人のホロスコープの重なりのすごさに気付いて、そしてそれも他の検証した日のように少しだけ書いてアップしようとしてた。

ところが書き始めたら、そんな単純なことではなかったことに気付いた。

忘れてはなかったけれども、どういうわけか他のこととある瞬間のことが全く繋がらなくて、頭の中では別々の思い出としてしまわれていた。

ところが今回、「ペンジュラム」にターゲットを絞って見てみたら、後ろにのけぞりそうになったぐらい、やっと全てのことが1つの線上に浮かび上がった。

きちんと全てが繋がっていて、その中の1つでも欠けてはいけなかったことに気付いた。


・異動を知らされた瞬間
・倉庫で整理してるところに話に行った日
・手紙の日
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・77777の日
・本人最終日の最後の瞬間
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・その人にメッセージを届けるためにブログを再開した瞬間
・短いメール下書きの日


上に書いた箇条書きは、前回の記事でそれぞれの日とその人のホロスコープとを重ね合わせて見えたことを検証して書いたことの一覧。

ーーーーで囲まれた、・77777の日と・本人最終日の最後の瞬間は不可抗力だからとりあえず除いて、その他の部分はペンジュラムなくしては絶対に成り立たないことばかりだった。

ペンジュラムがありえないものを私に見せてくれて、それでそこに書かれたように実際の私やその人が生きている世界にも新しいストーリーが加わった。

もし、あの時ペンジュラムがそんな風にならなければ、この上に書いたことたちは1つとして起こらなかった。

あまりにも色々ありすぎて私は冷静にそのことだけを見つめたことが今の今までなくてわからなかったけれど、本当はすごい奇跡たちを目撃していたことに今さら気付いた。

多分今のタイミングじゃなきゃ気付けなかったんだと思う。




異動を知らされた日は水曜日だった。

恒例の週に1回だけの掃除をやり終えて、席に戻った時だった。

私の教育係の人が私を見るなり話しかけてきた。

部屋には彼女と私しかいなかった。

「〇〇が異動します」

教育係の人は、普段その人を役職名か愛称で呼んでいた。

だけどその時は苗字を呼び捨てで言っていて、言うなれば「武士俣が異動します」みたいな風に告げられた。

それだけで、それが冗談でも嘘でもなく、本当に近未来に起こってしまう決定事項なんだと悟った。

あまりにも驚いて、私が唯一聞いたのはいつ付で異動になるのかだけだった。

予定では月末で、その後は彼の後輩が引き継ぐというところまでしか説明を受けなかった。

どこに異動するのかを知りたかったけれど、あまりにパニックで何かを聞くとかいう発想すらなかった。

ちなみにその1ヶ月後、今度は教育係の人と私の直属の上司が異動することになったけれど、その時はただの一度もそんな風に報告されなかった。

変な話だけど、その人の異動は私の仕事には何一つ影響がなくて、直属の上司の異動は色んな書類や資料において変更がいくつも生じるから、仕事上の影響は甚大だった。

それでも、私に伝えられた異動はその人の方だけだった。

トップが代わるんだから報告を受けるのは社会的常識では当たり前かもしれないけれど、それでも私にはそこにはもっと別の深い意図があったように思えてならない。

事情や流れが違うにしても、直属ではないその人の異動がそんな風に儀式的に伝えられたのは、今となっては必然だったのかもしれないなぁと思う。

当時の私の仕事は、社内の資料や書類整理が主なもので、はっきり言って社内事情を知らされなくても仕事にはほとんど影響が出なかった。

だから、社内のことで教育係の人が「別にいいかな」と判断したものは、私には伝えられないこともかなりあった。

今振り返ってみても、あんなにも深刻な感じで何かを言われたのはその時だけだった。

そして、それをそのタイミングで知らされたからこそ、その後のことたちが実際に起こったように起こったと知ったのは、実は今この書いてる瞬間だった。

今だからわかる。

その人に関することは、絶対のタイミングでやってくる。

この時じゃなきゃダメだった…、どのどれもそういうタイミングで起こる。

だから、あの異動を告げられた時もこれ以上ないタイミングで起こっていたとわかる。

今思い出した。

その時のホロスコープを出した時、あれ、あの日、本人はどこにいたんだろう…?と定かではなかったけれど、いた、事務所にいた。

それぞれ持ち回りが終わったら1人また1人と事務所に戻ってきた。

その人もどこかのタイミングで戻って来ていて、私はその戻ってきてしばらく後、その人の席から一番近いキャビネットの前に立った。

1秒1秒が長く感じた。

ショックな感情がものすごいスローモーションで沸き上がりっぱなしで、いつまで経っても慣れなかった。

そのキャビネットの前に立っていた時、気付けば涙が目に溜まって今にもこぼれそうでどうしようかと思った。

キャビネットの扉が私を隠してくれるから、私がどんな表情なのか誰かにバレることはなかったけれど、それで少し気が緩んだのか涙が自分でも盛り上がっているとわかるくらいに出てきた。

シレッと手で拭いて、何事もなかったかのように振る舞った。

そこに立っていた時、電話がかかってきたのか、それとも私の思考の中の話かは本当にあまりにも呆然としすぎて覚えていないけれど、その人の声を思った。

私はその人の声が本当に大好きで、理由なんかよくわからなかったけれど、とにかくいつも耳をそばだててその人の喋っている小さな声を全力で聴こうとしていた。

もうその声をこの至近距離で聞けなくなるんだな…。

キャビネットの前に立ってそう思ったことをとてもよく覚えている。

今なら聞こえる。

今聞こえる声があと少ししたら、どんなに聞きたくても聞こえなくなる。

そのことにとてもショックを受けた当時のことは今でも忘れない。




その日の昼休みのことだった。

とにかくその場から少しでも離れて1人になる時間と空間が欲しかった。

川が見える場所に行った。

その日は雨で、車を止めるとフロントガラスに雨がツーっとつたって流れて、距離の関係でその向こう側に見える小さな川は雨の日の川の色になっていた。

私の気持ちと外の色はきれいに重なっていた。

色んなことを思っただろうけれど、細かな記憶は何もない。

でも、今でも唯一記憶に鮮明に残っていることがあって、そのことと今回のペンジュラムにまつわる全体的な星読みとが重なった。

もちろんだけど、当時の私はホロスコープのことは一切知らなかったし、私が見ていたのはペンジュラムだけだった。

その時私は賭けに出た。

私が異動を知る前の日に、本気で嫌がられてるというのをその人の反応で知った。

実際にはどういう心情でそうした行動に出ていたのかはわからない。

嫌がられてると言葉で説明するならそんな感じではあったけれど、それはその人が何を表現していたのかは最後までわからなかったし、今もわからない。

その人はとにかく仕事の用事で話しかけざるを得なくなった私に、完全なる無視を敢行した。

聞こえてないわけないけれど、返事も返ってきた感じはなかったし、絶対に私の方は見ようとせず、画面なのか手元のキーボードなのかをひたすら見ていた。

私は仕事の用件を伝えているのに、私の話というより私の声を私そのものを拒絶するように、手なんか止めずますます手を激しく動かして、私なんかそこにいないみたいな感じだった。

普通の声で普段のよそ行きの口調で何とか短い伝言を伝えるだけで精一杯だった。

私だって好きで伝言しているわけじゃないのに、回ってきた仕事ゆえ頼まれてやらざるを得なくなったから伝えてるだけなのに…、とか考える余裕さえないぐらいに、その人は私をものすごい態度で遮った。

それを目の前にした私の心は完全に崩壊していた。

そんな風だったから、私は自分がその前にその人をごはんに誘ったことも嫌なのはわかったし、迷惑だったんだろうと思ったし、仕事のことでさえ話しかけられたくないんだな…と思った。

それぐらいに、仕事のことでさえ耐えられないぐらいに、私が嫌なんだなと思った。

個人の用事じゃなくて仕事の用事なのにな…、それさえもそんなに嫌なのかと思ったら、もう私は何をどうしていいのかわけがわからなくて、口は一生懸命用事を伝えようと動いていたけれど、口が動いていることが奇跡的で、私の心は口とは真逆の状態になっていた。

解離するってああいう感じなのかもしれない。

そんな風だったから、私はもう完全に全てから身を引く気でいた。




そんな状況を知って、頭ではもう私もその危険極まりない状態をさらに悪化させてさらに自分の気持ちが落ちるのは嫌だったから、そっとするのが一番と思っていた。

だけど、あの雨の日の車の中で、私は全く違うことを思った。

もうこのままでいることがベストだと思って、頭の答えは100%それだった。

だけどしっくりいってないのも事実だった。

そこで私は、賭け事を思い付いた。

それは100%絶対に起こらないと知ってやる賭け事だった。

だけど、もし万が一、その起こらないことが起こったら、もう一度その人に話しかけてみようと思った。

私はそんなの起こるわけないと確信していたから、話しかけることもないだろうし、もうこのまま転勤でいなくなる時まで静かにその時を待てばいいと思った。

仕事の用事で話しかけることは、仮にまたそういうことが出てきても、これまでの頻度を思えば1回ないし2回だろうから、その時だけ耐えたらいいと思った。

もうこれ以上何かをこじらせるようなことはしたくなかったし、このままそっとしておけば、私もその人も最低限の平和は保たれる。

あの時の私は、それを納得するために、賭け事をした。

自分が賭けていることと反対のことが起こるわけないと確信していたから、そして頭ではもう全てそっとするのが一番と思っていたから、それに納得するための賭け事という感じだった。

その万が一が起こるなら、その時はその時でまた考えよう…、そう思った。

というか、万が一なんて100%起こらないから、その心配はしていなかった。

もう目の前のことを淡々と受け入れて、時間が来るのを待って、あとは自分の中で整理していく…、そういうものだと思った。

起こらないとわかってする、賭け事だった。

私は何をしたかというと、ペンジュラムを2つ出した。

写真にある水晶の透明なものとドミニカ共和国産のラリマールの青いものと2つを用意した。

私はペンジュラムたちをそれぞれ、右手に水晶、左手にラリマールを持って、聞いた。

「もし〇〇さんにもう一度話しかける、時間が欲しいとお願いするなら、これまで見たことのない動きを見せてください」

おおよそそんなようなことを聞いた。

前半部分の言葉はうろ覚えだけれど、後半のペンジュラムにこれまで見たことのない違う動きを見せて欲しいと言ったのは覚えてる。

ペンジュラムに関して、私が動きを決めることはできない。

あれは何なのかと思うけれども、ペンジュラムの方が勝手にYESやNOの動きを決める。

そして、当時はYESの意味の時計回りとNOの意味の縦揺れしかなかった。

1年以上毎日使い続けて、その2つだけだったし、そしてペンジュラムを買った店のポップにもYESとNOの動き方を最初にペンジュラムに聞きましょうということしか書いてなかった。

いつだったかペンジュラムの講座を開くとかいう人たちのブログを何個か立て続けに見たことがあった。

実際はどうしてるのか知らないけれど、講座を開く人たちでさえ、YESとNOの動きのみ説明していて、違う説明があるとするなら、微動たりしないものだけだった。

そもそも読んでも、私は何様なのかと思うけれども、「あれ?これ間違っているんだけど」みたいなことがペンジュラムについてはけっこう書かれていて、だから私がペンジュラムに関して第三者の情報を取り入れないのはそういう意味からだった。

それはそうと、動き方については鉄板のYESとNO、それ以外もあるなんて情報は見たこともなければ、私自身も自分のペンジュラムを見てそれ以外にないことは知っていたから、だから私は最初から起こらないと知ってのペンジュラムへの問いかけだった。

もう少し言うと、私のペンジュラムは微動だにしないなんてことはなくて、必ずYESかNOを即座に出してくる。

そしてそれ以外の動きは絶対の絶対になくて、だから最初からYESなりNOなりの動き方しかできないと知っての問いかけだった。

(今書いてて思い出した。微動云々の話は後から書き足したい。1回だけ例外があった。)

賭け事をしたというのは言葉だけで、初めからそれは100%起こらないと知ってやることは「賭け事」とは本来呼ばないと思う。

だけど、何でもいいから納得できるもの、自分がそれでいいと思える背中を押してくれるものが欲しかったんだと思う。

私は縦か時計回りに動くだろうペンジュラムの姿を想像していた。

ところが問いかけた次の瞬間、ペンジュラムたちはこれまでに見たことのない動きを始めた。

2つのペンジュラムたちは互いに横に揺れて、時間の経過と共にどんどん横揺れが強くなって、そして最終的に2つの石たちはお互いに当たって、パチパチと音を鳴らしながらぶつかってはまた戻る、ぶつかっては戻るを繰り返した。

あまりにもビックリして、しばらく魂が抜けたようにボーッとした。

感情もぐちゃぐちゃ過ぎて涙が出た。

色々何なのかと思った。

何でペンジュラムたちがその新しい動きを見せたのかは知らない。

私には「まさか」の動きで、ペンジュラムの動きにもだし、自分のそもそもの賭け事にも頭がついていかなかった。

そんなこんなのうちに戻らないといけなくて、職場に戻った。

午後はどういう気持ちで仕事をしたのかは覚えていない。

今も私の脳裏に焼き付いているのは、あのペンジュラムのシーンだけだった。

絶対の絶対にYESとNO以外の動きなんか見せたことのなかったペンジュラムたちが、突然新しい動きを披露した。




余談だけど、当時のことを描写している時、胸の辺りから背中にかけてとても痛くなった。

体はあの時の感覚を今でも覚えているんだな…と思った。

だから、記憶がその全体的なことや心に受けた衝撃ばかりに目がいって、肝心要のペンジュラムのことは、覚えてはいるけれど、色々スポッと記憶が抜け落ちてるというか、他のことたちと繋がらないのは仕方のないことだった。

ペンジュラムの新技よりも、その前後のストーリーや状況ばかりに目が行ってしまったのも無理がない。

(今書いてて思い出した。微動云々の話は後から書き足したい。1回だけ例外があった。)

↑この部分についても書きたい。

1回というか、期間にして1回。

回数にしたら数回あったと思う。

これもその人絡みだった。

いなくなる2週間前ぐらいか10日ぐらい前から本当にいなくなるその時までだった。

ある時からその人関連のことを聞くと、ペンジュラムはじっと動かなくなった。

本当に微動だにしなくなった。

わざと揺らしてその勢いでYESなりNOなりが出ないかな…と思ってやったこともあったけれど、そうやってもそのうちペンジュラムはゆっくりになってピタリと動きを止めて静止するようになった。

ペンジュラムに聞いた。

「教えられないの?これは聞いちゃダメなの?」って。

ペンジュラムいわく、教えられないし聞くこともダメだと言った。

例えば、その人の送別会に出ないとかは「出なくてもいいよね?」と聞くと「大丈夫」とか教えてくれたけれど、そういうことじゃなくて際どいものは、ペンジュラムは「口開きません」と言わんばかりに動かなくなる。

その人が無事に引越しできたかどうかも教えてくれなかった。

だから本当にその人がきちんと移動したとわかったのは、異動初日の週明けの月曜に、後任の後輩くんが電話でやりとりして、事務所内でも異動後さっそくその人から新部署に移った状態でのメールが来たという話が出て、それでようやく知れたぐらいだった。

ちなみにSさんはその人と個人的にやりとりしていたから、「本人は最終日終えたらすぐに出るって言ってたんだよね」と次の日に私にそっと教えてくれたことがあった。

それを聞いたにも関わらず、ペンジュラムは頑固なのか何なのか、とにかく移動が無事にいったのかどうかさえ教えてくれなくて、その時も沈黙を貫いていた。

コントみたいな話だけど、本当に当時はそうで、細かくは覚えていないけれど、とにかくタブー質問系が確実にあって、それに当たるとペンジュラムはその人同様「沈黙を貫く」ようになっていた。

ペンジュラムと3年もの仲になったけれども、そんな動き方というか沈黙の仕方はその時一度きりだった。

これも含めて、そんな意味不明な動き方をするのは、その人がいなくなる間際の時だけだった。




・異動を知らされた瞬間
・倉庫で整理してるところに話に行った日
・手紙の日
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・77777の日
・本人最終日の最後の瞬間
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・その人にメッセージを届けるためにブログを再開した瞬間
・短いメール下書きの日

この話に戻る。

もし、あの時ペンジュラムがYESなりNOなりのいつもの動きを見せて、その後何もせず静かに最後の時を見守っていたとするなら…。

・異動を知らされた瞬間
・77777の日
・本人最終日の最後の瞬間

になる。

他の部分はすべてなくなる。

当然、このブログも今みたいに稼働していなかったと思う。

そもそもが色々無理だったわけで、どう考えても嫌われてるとか嫌がられてるとか避けられてるとかいう風にしか見えない人に、話しかけるとか手紙を書くとか、はっきり言って狂気の沙汰だと思う。

その後に起こった色々は、もし、私が静観すると決めて何もしなかったとするなら、今の私含めてどんな風だったんだろう。

ちなみに後日談だけど、あの時に見せてくれた2つのペンジュラムによる共演ワザは、あの後から今に至るまで、本当に必要な時にだけ使う手法として重宝している。

普段は水晶ペンジュラムで、もしくは歩く時や店なんかで水晶を出しづらい時、まるでキーホルダーのように見せかけてるつもりで青い方のラリマールを使うこともあるけれど、どちらにしても片方しか使わない。

だけど、ここ一番!っていう勝負じゃないけれど大切な何かの時は、最後の確認の意味も兼ねて2つ同時に持ってあの時と同じ動きをするかは見る。

あれはYESとかスーパーYESとかを飛び越えて「絶対的なYES」だと私は判断している。

ペンジュラムもそうだと言っているから間違いないと思う。

あの時、目の前で鮮烈な新技デビューを飾ったペンジュラムをよそに、私は「えっ……」ってなってた。

自分からふっかけたくせして、予想外の出来事に取り乱した。

その日の午後なんて色んな意味でまともに仕事してなかったと思う。

その後のことは書き出したら、この長さのブログをあと100個ぐらい書かなきゃ追いつかない長さ・量になるから割愛するけれど、本当に色んなことが起こりまくった。

上に書いた箇条書きの部分は、あの時のペンジュラムの功績なくしては絶対にありえないことだった。

何が言いたかったかと言うと、あの時現実を動かした1番のキッカケはペンジュラムだったということ。

ペンジュラムなくしては、私はその後の行動は1つも起こさなかった。

いくら私が鈍くても、さすがに実際にされたみたいな避けられ方をして、「私まだ可能性あるかもだからもう一度声をかけよう!」なんて絶対に思わない。

あまりの鋭い切れ味抜群の態度に、心はブロークンハートなんてものではなく、心臓発作起こして危篤状態みたいな感じだった。

施す術なんか何もなくて、これ以上傷付かないようにそっとしておくのが一番だった。

それでもそんな無茶ぶりな感じで動けたのは、ペンジュラムの後押しがなければ1000%無理だったし、さらにはあれはペンジュラム側が先に察知していたと思う。

その人とは魂的なご縁で繋がっていて、本当の本当にこれが最初で最後のチャンスだよって。

この時を逃したら、もう二度と何も伝えられなくなるよって。

今世だけじゃなくて転生してきた中でずっと引き継いできたものを伝えられる唯一無二のチャンスが今なんだよって。

ペンジュラムだけは知っていたと思う。

もしペンジュラムがあそこでいつも通りの動きをしていたのなら、私が動かないことも、何もせず最後の日を迎えたことも、そしてその後に続くブログを再開しないことも、全部お見通しだったんじゃないかと思う。

私はペンジュラムに全幅の信頼を置いているけれども、その中でも特に魂絡みのテーマの時にペンジュラムは絶対に外さないと思っている。

特に、それにより生きる道が変わる時、絶対にその道が変わってはいけない時、ペンジュラムはその絶対の方に導くために尽力する。

その時もそうだった。

あまりにも外の状況や自分の感情に手一杯でそれどころじゃなかったけれど、あの時私が今ある道の方に進むためにペンジュラムたちは全力で奇跡を見せてくれて、そして私の背中をものすごい勢いで押した。

今を逃しちゃダメだよと言わんばかりに。




ペンジュラムが私の元にやってきた瞬間のホロスコープとその人のホロスコープを重ね合わせてわかったこと。
(「〜してくれる」という言い方なのは、そう読む方がピンとくるから。)

・ペンジュラムの見えない世界の情報を言語化してくれる。

・ペンジュラムの冒険心に溢れ自分の可能性を試したい気持ちに対して、その人は創造性や独自性をそこにプラスして、さらには調和を図るエネルギーも注ぎ込んでくれる。

・ペンジュラムの存在目的を強化する。集中力・仕事能力アップのお手伝いもしてくれる。ペンジュラムの仕事に対する堅実さを揺るぎないものにし、より一層きちんとしたお仕事をペンジュラムがこなせるように影で支える。

・ペンジュラムの資質に対して、より良いひらめきを与える。ペンジュラムの目的に対して、客観性・普遍性を伴う視点をプラスして、より安定した働きを促進する。

・ペンジュラムが果たす社会的役割に対して、宇宙的要素(見えない世界の要素)を補完して、ペンジュラムの動機とやる気を無限に(=半永久的に)供給するのに一躍買っている。

・ペンジュラムの深い意図の部分において、ペンジュラムの基盤となる部分を支えてくれる。
ペンジュラムからもたらされる情報をきちんと精査して、真実の理解が深まるように手助けしてくれる。
また、宇宙言語のごとくわからない言葉で情報を伝えてくるペンジュラムに対して、その部分を言語化してわかる形にする手助けをする。

・他者との関係の中で自分の知性を本領発揮するペンジュラムに対して、ひらめきや鋭い直感をもたらしてくれる。天才肌と呼ばれる鋭さが魅せどころで、それに直結する宇宙的能力のダウンロードを促進してくれる。

ちなみに最後の特徴部分は、私の中では超鉄板の、ペンジュラム側のホロスコープの地平線軸にその人の天体がピッタリとのっていて、さらにそののった天体というのが影響大なもの。

宇宙的なものと言ったのは比喩ではなく、本当にそういう読み解きが一般的とされる天体がのっている。



ここでもう少し解説したい。

その人は私がペンジュラムを持っていることも使っていることも当時は知らなかったし、実際に現物を目の前で見たこともない。

だからと言って、その人の役割が机上論ということは絶対にない。

例えば、人間対人間の関わりの中で、誰かにとてもお世話になったとする。

その時に、相手の人が一から十まで手取り足取り何かをしてくれたという場合の方が少ないと思う。

その人は直接は教えてくれなくても、その人がいてくれただけで組織全体が調和していたとか、その人のあり方が周りの人たちに良い影響を及ぼしたとか、そういうことはよくある。

その人がペンジュラムに対して及ぼしている影響もそういうものに近い。

私やペンジュラムに目に見える形で何かをしてくれたとかいうことじゃない。

だけど、その人の存在そのものがペンジュラムや私に及ぼす影響がとてつもなく大きい。

そしてペンジュラムに限って言えば、その人がペンジュラムに及ぼす影響は本当の本当に大きくて、過去にペンジュラムの能力アップした瞬間はすべてその人が関わっている。

ここで紹介した横揺れになったサインの他に、スーパーYESとスーパーNOのサインが初めて現れた瞬間も、その人が関係していた。

もはやペンジュラムの能力アップはその人なくしては有り得ないのかと思うほど。

さらに言うと、深い意味の意図を見るための特殊なホロスコープを算出すると、私のホロスコープよりもその人のホロスコープの方がペンジュラムに与える影響が大きい。

別の言い方をすると、ペンジュラムは深い意図の部分になると、その人との繋がりの方が強くなる。

それを思うと、なぜその人が毎回ペンジュラムのバージョンアップの時に関係しているのかわかる気がする。

持ち主である私では起こせない変化も、その人という化学反応が加わるとペンジュラムはきちんと反応するようになっている。

なんなら、すぐに検証を怠りがちな私の性格も加味して、その人のことなら私がしつこいぐらいに確認することも知っていて、そうなってる気がする(苦笑)。

冗談抜きで、ペンジュラムがバージョンアップした時は検証を色んな角度からしないことにはその情報をその後使えないから、検証は必須になる。

それが私の興味ないことなら、私は基本サボる。

だけど、その人のことだから、ものすごい集中力(執念とも呼ぶ)で検証・分析を行う。

だから、その後新しい動きたちは定着するし、私が使いこなせるようになっている。

その人は興味ないかもしれないけれど、その人の方がよほどペンジュラムと相性良くてペンジュラムを使いこなせるんじゃないかと思っている。




1年半前に人生で初めてホロスコープ鑑定を受けた時。

そこで私は初めて自分が過去世でペンジュラムを使っていたことを鑑定士さんから教えてもらった。

鑑定士さんいわく、その過去世の中で私は体が弱くて10歳くらいまでしか生きられなかった男の子で、ペンジュラムを自分の分身のように大事にして持っていたとのこと。

そして私の面倒を見ていたと思しきおじいさんがペンジュラムを使っていて、それを見て私も自然と使い方を覚えたんじゃないかと言われた。

私は自分の両親ではなく、血縁関係の有る無しはわからないそのおじいさんおばあさんに面倒を見てもらっていて、そしてそこの家にいた私より少し年上の男の子、おじいさんおばあさんにしてみたら本物の内孫がその人のようだった。

鑑定士さんは必要があれば、相手の過去世やそこに一緒にいた人たちが映像で視える体質のようだった。

生まれついた能力ではあったけれども、それが嫌で嫌で、そして大人になってからそういう能力は消えると聞いて、自分もそれを一心に信じて本当に消えてくれた、でも今でも相手の人たちの必要性に応じて情報がもたらされる(=視える)から、その時は視えてしまうとのことだった。

そんなことはホームページに一言も書いてなくて、私も会って初めて聞かされたことだった。

鑑定士さんいわく、自分で見ようと思って視えるわけじゃないから、だからそういうことができるということをホームページとかで外には出さないと言われていた。

付け足しだけど、数ヶ月前、山で行方不明になったおじいちゃんの霊魂に気付いて、おじいちゃんの通訳をしてくれた霊視ができるヒーラーのOさんからも、その鑑定士さんの言ったことを裏付けする話を教えてもらえた。

私が自分のペンジュラムが何と繋がっていてどこから情報を持ってきているのかわからないと言ったら、Oさんが霊視してくれた。

ペンジュラムを霊視すると、まずは10歳くらいの金髪でそばかすのある男の子が視える、その子はペンジュラムで遊んでいると言われた。

それ多分過去世の私だと思いますと言ったら、Oさんは否定しなかった。

Oさんは本当に違う時ははっきりと否定してくるから、そうではないということは、多分そうなんだろうと私は解釈した。

2人の人から同じ人物と思しき過去世を指摘された私と、そしてその人生で共にあったペンジュラム。

そして私とペンジュラムの先にもう1人その人生に深く関与した人物がいる。

それがその人だというのは、当初はまだどこか夢物語みたいな感覚があった。

私が信じたいように信じたらいいかと、そう思った。

だけど、今回ペンジュラムのホロスコープとその人のホロスコープとを見てはっきりと悟った。

その人がその人物だろうこと。

多分だけど、今のその人はペンジュラムの予備知識なんか一切ないと思う。

そっち系の人なら、今の会社には勤めてないだろうなぁと思う。

だけど、そんな社会的なことや本人の持ってる今世の才能的なものは関係なくても、間違いなく私やペンジュラムに対してものすごい影響力を持っている。

それは本人さえも無意識の知らない領域でそうなっていると私は思う。

私はすごい長い時間をかけて証拠集めみたいなことをしてきた。

してきたからこそ思うのは、その人がペンジュラムとは全く無関係なところで生きているのにこうして影響を及ぼしている、そのことこそが本物だと思っている。

その人もその世界の人ならもっとわかりやすかったかもしれない。

だけど、そうなら私はこの長い時間をかけて積み重ねたことを何一つやらなかったと思う。

おかしな言い方だけど、この突き放されたような距離感は、少なくともペンジュラムやペンジュラムを使う私には必要なプロセスだったと思う。

こんな修行じみた時間、私はちっとも嬉しくないけれど、ペンジュラムやペンジュラムを使う自分を考えると、必要不可欠で絶対に外せない。

その部分を影ながら支えてくれたのは間違いなくその人だった。

その人はそんな気はなかったとしても、これを目にして「俺はそんなつもりはない」などと思っていたとしても、それでも現実はどこまでもそうで、否定してもしきれないぐらいにすごい大きな影響を私に与え続けている。

そして、何が嬉しいって、過去世での繋がりの風景の中にペンジュラムがあって、それが今世でもひょんなキッカケで私が持つことになって、そしてそれを持った後その人に出逢って、そしてその人がいた人生の時間やペンジュラムにとって大きな転機となる瞬間、毎回その人が何かしらの形で関わっていること。

私とその人だけで繋がりを見るにはあまりにも難しかったけれども(その人の最後の態度なんてもう私に「大嫌いです」と言ってるようなものだった)、そこにペンジュラムが入ってくれることで繋がっていることをもっと客観的に、そしてもっと強く知れるようになっていた。

あの雨の日の車の中で見たペンジュラムたちの見たことのない動きも、今なら頷ける。

ペンジュラムたちは、あの時全力で魂の繋がりが私の勘違いで絶たれないように、そのための役を引き受けてくれたんだと思う。

それは、多分だけど、ペンジュラムはその人側の意志、正しくはその人側の魂の意志も汲んでのことだったんじゃないかな…と思う。

5月の終わりに、私が手を滑らせて畳1畳弱の大きさの木のテーブルをひっくり返して、そうしたらその先にペンジュラムやオルゴナイトが置いてあって、たった1つの小さなオルゴナイトが体を張ってその木のテーブルを支えてくれて、数ミリのところでペンジュラムたちを守ってくれたということがあった。
(ブログにも書いた。)

もしその3センチほどのオルゴナイトがテーブルを支えてくれなければ、ペンジュラムは木っ端微塵に砕け散ったと思う。

その話を長年の友達でオルゴナイトフリークになっている子に写真付きで報告したら、こんな返信が返ってきた。

【「このペンジュラムは絶対に割れたらダメ!!(たぶん〇〇さんにとっても、重要な知らせをくれるものだから)」って、瞬間的に強烈な意志をもって、身を呈して机をガードしたんだろうね!】

友達は面白い言い方をするなぁと思った。

「〇〇さんにとっても、重要な知らせをくれるものだから」なんて、私は考えたこともなかった。

だけど、友達の目にはそう映って、そうやって言葉にして教えてくれた。

こうして誕生日を知ってホロスコープを見れたことで、私にもその人とペンジュラムの繋がりが見えるようになった。

そして、友達が先に伝えてくれてた言葉に、私も素直にそうなのかもしれないなぁ…と思えるようになった。




ここに書いたことは、何一つ科学的に証明できることはない。

私のALL勘違いという可能性ももちろんある。

だけど、私は自分が信じたいもの、信じられるものを信じてたらいいんだな…と思っている。

正直なところ、魂がどうだというのはどうでもいいというか、重要視していない。

私にはその人に出逢えたということが全てだし、その人に出逢ったことで体験したことが全てだから、それが魂絡みだろうがそうでなかろうが私には何も変わらない。

ただ、そうだと知ったことで、より繋がりが私の気のせいだとか勘違いだと思わなくて良くなったというところが大きい。

しかもその繋ぎ役がペンジュラムだったことはさらに嬉しい。

私の中で今少しずつ決意が固まっている。

書けることはもうなるべく書いてしまおうと。

もう会って直接伝えられないことたちは、私の中だけの話にせず、どんな形であれその人の目に触れるなら書いて知ってもらおうと。

会えないのであれば、せめて自分が後悔しないように、後悔しそうなことを1つでも減らそう…、そう思っている。

参勤交代みたいな時代と違って、今ならどんな風にも連絡が取り合える時代なのに、それさえ叶わない私の今は、ひたすら絶望しかない。

どんなに悔しくてどんなに悲しくても、それをこの超ハイテク時代の時代の申し子に埋めてもらえるわけじゃない。

変えられない現実に変えられない人の気持ち。

唯一私が自分の力で何とかできるものはここしかない。

そして、書けないカウントダウンがずっとずっと鳴り響いている。

だから、今書こうと思う。

その人の心にきちんと届くように。

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