2019年6月21日金曜日

もやもや綴り

 eat LOVE
(↑リンク飛びます。超超超オススメ)


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2019/06/19

朝、Sさんに連絡した。

私「昨日のこと今ブログの下書きしてるんですが、Sさん的に書いて欲しくないことあったら言ってください」

S「特にはないですよ!
あ、誕生日バラしたことだけですかね(笑)
自由に書いてください」

私「誕生日は超書きてーです!
誕生日の話も、あのKさんがケーキ買ってくれた話とか、書きたい!!!
Sさんがバラしたというより私が聞き出したから、書くとするならそういう書き方します!
仮にSさんがバラしたと知っても、本人絶対に何も言えないから(言ってきたら奇跡です奇跡(!!!))。
だってまさか『俺、前派遣でいた武士俣さんのブログ見つけて読んでさ、Sさん誕生日バラしたでしょ(怒)』なんて言えるわけないので(笑)」

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Sさんの気遣いは相変わらずすごいし、優しさを感じる。

書いて欲しくないこととして、自分じゃなくて自分の大切な人のことを守ろうと相手を大切にする視点が常にある。

この後「そうですね!誕生日のこと、特に秘密って事でもないので大丈夫です(笑顔)」と返ってきた。

誕生日を知った時の会話の裏側を今日は書く。

なるべくその時に思ったままを文章にしようと思う(基本的に暗い)。




Sさんがその人と今も繋がっていることは、何ら不思議ではない、逆に切れてる方がどうしたのかと思うから、そこは何の違和感もなかった。

すごく羨ましいとは思ったけれども、違和感はなかったことだけは強調して言いたい。

だからこの先出てくる「私の違和感」は「【私の】違和感」であって、SさんでもなければSさんとその人の関係でもない。

読み直していて出てきたからこれもここに書いておこう。

私は今回Sさんに、その人がSさんといる時の顔というのは本当に良い顔をしていたことを言った。

相手がどんな人なのかをその人はすごく見るタイプだと思うけれど、そしてどちらかと言うまでもなく自分をさらけ出すタイプでは絶対にないはずだけど、そんな風なその人がSさんと話してる時は本当に楽しそうだったし、穏やかな表情をしていたし、会話は当然聞こえないけれど心を許してる感じが伝わったとSさんに言った。

Sさんの自己認識がだいぶズレてたのもあって、私から見えていた2人のやりとりを伝えた。

いくら趣味が同じでも、それだけじゃその人はSさんと付き合わないと私は思っている。

Sさんだからこそその人はSさんと会うんであって、Sさんがちょっと違う性格の人ならその人はプライベートで会うなんて絶対にしない人だと思う。

Sさんも言われてみればそうかもね〜、と何が私が嬉しいのかわからなかったけれども、私の言ったことが伝わったみたいでほんのりと嬉しかった。




「8月に行かない?みたいな誘いをもらって、今どうしようか迷い中でね〜、(会話は続く)」

このSさんの話に私はどれだけ気持ちが落ちたか、言葉では言い表せない。

私には、8月だけじゃなく、それが数ヶ月先だろうが、1年先、数年先だろうが、永遠に来ない時だと改めて知った。

普段自分から声を掛けないその人が、8月のイベントには誘ってきたとのこと。

長い付き合いの人にでもそんななら、私なんかとてもじゃないけれど、その時はやってこないと確信した。

その話の後に、その人の誕生日を教えてもらった。

当時の思い出話に花が咲いて、その時に私が積極的にSさんがすごい嫌がってた仕事を引き受けた本当の理由を言った。

Sさんいわく、1年に一度個人情報満載の書類の整理をしないといけないらしく、それが普段全く使わないのに監査とかでは必須資料になるらしく、絶対にきちんとしないといけないものだった。

私もやったからわかるけれど、本当にごちゃごちゃしているし、似たような書類を種別に分けるだけじゃなくきちんと規定通りの順にファイリングするところまでをやらないとで、本当に気が遠くなりそうな作業だった。

10センチ幅のファイルを使ってもまだ足りないぐらいの書類をひたすら確認して挟むという、作業自体は本当に全く楽しくないものだった。

個人情報には誕生日も含まれると知って、私はただその人の誕生日を知りたいという、本当にしょうもない不純な理由1つで引き受けて、それをずっとやった。

ところが、やってもやってもその人の誕生日なんてどこにも出てこなくて、その超面倒な手順だけをこなすだけで収穫ゼロとなった。

それをSさんに言ったら、「待って!私〇〇さんの誕生日知ってるかも…」と言って、調べてそして教えてくれた。

「Kさんがケーキ買ってきて渡していてね、それで私もLINEで誕生日おめでとうって送ったから、それ残ってると思うんだよね…」

そう言いながらSさんはLINEで検索をして、見事にそれを探し出して、それで私も知れることとなった。

私がいつか職場で盗み聞きというか勝手に耳に入ってきた情報と同じ日だった。

何で誕生日の話になったのかなんて覚えてないけれど、まさかのその人の誕生日が話題にのぼって、それで私もたまたまそこに居合わせて耳にすることになった。

でも、言い方がうろ覚えな感じで、仕事のことなら事務さんには私の教育係だったから何でも聞けたけれども、まさか仕事には全く関係のないその人の誕生日を確認するなんてそんな荒技はできるわけもなかったから、私はそれを確認する術もなく、今現在に至った。

Sさんいわく、私の隣りの席の人はみんなの誕生日を基本覚えていて、だから私がある時聞いたのも当てずっぽうではなく、本当に知っていて言っていたことが今回初めてわかった。

ぶつくさと当時の悔しかった想いをぶちまけてみるもんだなぁと思った。

ちなみにその面倒な資料整理は誕生日こそ知れなかったけれども、その人の名前を署名するチャンスに恵まれた。

署名の有無もチェックしないとで、いくつか抜けていたところがあった。

書類が届く順でするから、Sさんは書類が来る度にその人に署名をもらいに行っていたとのこと。

何その超おいしいお仕事!!、私もその係になりたかった!!、とすごく羨ましいと思ったことも覚えている。

私が整理した時はすでにその人が異動でいなくなった後だったゆえ、署名をもらうこともできず、でもそのファイルが監査とかでチェックされてそこまで指摘される確率は1%未満みたいなもので、そのためにわざわざ郵便代使って書類をやりとりするのもナンセンスで、それで苦肉の策として、Sさんと相談してその部分を代筆することにしようとなった。

その代筆係を私がすることになった。

すでに同じ書類バージョンでその人の直筆の署名は至るところにあったから、私は書類ごとまずは出して、その上に無地の紙を当てて上からなぞり書きをした。

普段ならそんな面倒くさいこと絶対にしないけれども、その時はそうまでしてでもなぞりたくて、超やる気満々でその作業についた。

ドキドキしながらなぞった。

なぞった後、今度は何枚か本人の署名を並べて見て、文字の癖をよく観察して、その後適当な紙に練習を何回かした。

そして本番でその人の名前を書いた。

Sさんに「似てますね〜」と言ってもらったぐらい、よく観察してなるべく本人の筆跡に近い感じの名前を書いた。

練習した紙はそっと家に持ち帰って、今も手元にある。

それはたった一度だけの超ミラクルチャンスだったけれども、私にとって当時の事務仕事の中で、一番楽しく一番テンションの上がった仕事だった。

今でもその時のことはよく覚えている。

署名は単なる署名でしかない。

でも、そこに確実にその人の足あとがあって、生きたある1日のある瞬間の形跡が残されていて、私がものすごい時間差でそれを目にする。

もういなくなってだいぶ経ってからのことで、何の繋がりもない、もう会うこともその人の姿を見ることもなかった私にとって、ただそれだけのことがとっても嬉しくてとっても特別なことだった。




先に言うと、私はそのSさんから教えてもらった誕生日でホロスコープを改めて設定して見たは見たけれど、見たようで見ていないし、色んな気持ちが湧いてきちんとは全く見ていない。

ちょっと変わった見方はしているけれど、それは個人を特定できるような内容には一切触れていない。

個人の生まれ持った性格や人生の流れは全く読み取っていない。

がっつりやろうと思えばある程度できるけれども、それは私も色んな理由からやりたくないからやっていない。

さらにそれはしちゃいけないような気がして、そして幸いにもパッと見てわかることが少ないホロスコープだったおかげで、私は普段を10割とするなら1割も紐解いていないし、今後も紐解かないと思う。

(パッと見てわかるホロスコープというのは、特徴的なものが見ただけでわかっちゃうものを指す。どのぐらいの頻出度で出るかわからないけれど、そんな人は今のところ、出生時間不明の自分の母親含めて3人しかいなかったから、私の場合見てわかるレベルはそんなにいない。)

ホロスコープでその人を知るのは嫌だった。

すごい知りたいし読み解く方法はある程度わかるけれど、そうやって知るのが先なのは嫌だった。

自分のこの発想もどうかと思うけれど、もし、もし、もし、その人と再会できたのなら、私はホロスコープ情報抜きで目の前のその人を見たい。

だから私はあえて「よく見ない」選択をした。

そして、そうではない、差し障りのないことと私が勝手に思っているところだけちょこちょこと確認してる。

例えば、出逢った瞬間のホロスコープとその人のホロスコープの重なりとか。

例えば、ペンジュラムがやってきた時のホロスコープとその人のホロスコープとか(←これはかなり面白いことがわかったから後述する…予定でいたけれど、別記事に書いて近日中にアップ予定。)

いずれにしても、知れて嬉しい反面、絶望的な現実を前にどこまでも悲しい気持ちが続いた。

私の欲しい繋がりは手に入らない。

そのことへの自分の気持ちの折り合いの付け方がわからない。

気持ちの折り合いはすぐになんて付かないのは、さすがに40年も生きていればわかる。

だけど、なんとなく付け方がわかるものはまだ希望が持てるけれど、自分が全く望んでもいないことへの気持ちの落としどころなんてわからない。

望んでいる気持ちはそのままにして、でもそうではない、むしろ一番望んでいない現実を「これがあなたの現実なんだよ」とひたすら自分に教え込むなんて、私はこれだけは何回やっても慣れない。

上手くやれた試しなんて一度もなくて、ものすごく時間をかけてある時に違う心境になれたら御の字だね、というすごい底辺の変化、自分にしかわからない変化を目指すしかない。




私はSさんに会って色んなことを知る前までは、もしかしてまた会える日が来るんじゃないかと本気の本気で思っていた。

私1人だけは本当にそう思っていた。

別にそう思っていても相手に迷惑をかけるわけじゃないし、思うことは自由だよねと開き直って、その辺り自由にそんなことを思っていた。

でもSさんが普通に繋がって今も自由にやりとりできてるのを見て、私がそんな風に繋がれることはないんだな…、何か違うんだな…、と思った。

後からもっと書くけれども、冒頭のeat LOVEを知らせるメールをSさんと会っている最中に作者のNさんからもらって、Sさんと別れて家に戻った後、サイトを開いて見てみた。

14話全部読んだ。

時々泣きながら読んだ。

その文章にある風景を私は自分が求めていたと知った。

そして、それが叶わないことも知った。

未来は来ないんだ…。

絶望感ばかりで、ほんのりと自分の中に持っていた希望は一気に掻き消された。




きちんと会えてるSさんと、全く会えない私。

趣味繋がりの人でさえやっとやっと誘えるみたいな話だったから、そこに色んなものがくっついている私はもう誘うとかそういう次元にはそもそもいないんだと思った。

私はその人の人生にとって、多分別の場所を担当する人なんだと思っている。

何の担当なのかはわからないけれど、少なくとも「会う」担当ではないんだと思う。

後からホロスコープで知ったことをいくつか書こうと思っているけれど、明らかに「何か影響する」部分を私なり私も含まれる環境内の何かがもたらしたことはわかる。

深い内容や相手の心の中まではわからない。

だけど何も感じずに過ごせたというより、何かしらは気持ちが揺れる状況があったのかもしれないなぁ…と当時の空模様とその人のホロスコープを重ねて見て思った。

気持ちの揺れ方は、気持ち良いものも逃げたくなるものも両方可能性としてはある。

前者なら今頃私の扱いは違っていたと思う。

私はいてくれるだけでありがとうの人になれたと思う。

残念すぎるけれど、残念すぎるぐらいに私は後者の逃げたくなるものを与える人物みたいだった。

ありがたいと思われてるとは微塵も感じず、一歩間違えるととても嫌なんだろうなぁ私のこと…と思う場面がどうしても思い浮かんでくる。

被害妄想ではなく、あからさまに嫌なんだとわかるぐらいだった。

嫌だと思われていた可能性が高いんだろうなぁと認めざるを得ない。

どこまでも悲しい結末にしか繋がらないんだろうか…。

自分の中がぐちゃぐちゃだった。




妄想みたいな話だと思われたくないから、少しだけ踏み込んだ話をする。

どんな意図を持ってそうするのかは知らないけれど、少なくとも何かしらの意志が働いてその人は私のこのブログを読んでくれてるのは知っている。

それもちょっとじゃない、相当な時間をかけて読んでくれている。

だから、そういう部分に関して言えば、私には何かの役割的なものがあるみたいで、そこだけを切り取って考えたら「何でもない存在」より「何かの存在」になれてるみたいなのは嬉しい。

ここまではいい。

だけど、その「何かの存在」の部分は、私が望むような形ではなく、全然別の形なんだろうと思った。

そしてその別の形の計画があるとしたら、その計画の中に「再会」という文字は無いような気がした。

相手が望んでいる気がしない。




書いていて変な気持ちがする。

もしかしたらもう同じ気持ちで書けないのかもしれない。

Sさんと話した時、私の目の前には歴然とした差を感じた。

これから長い時間、時々でもその人とやりとりすることが可能なSさん。

終わりなんて考えなくて良くて、これから何十年と続く可能性だってある。

「可能性」なんて考えずにSさんとその人はやりとりするだろう、何度でも「再会だね」なんて思わずに普通に会えるんだろう。

一方で私は、どれだけ長い時間をかけようが、何度こうして訴えようが、大真面目に真剣に色んなことを願おうが、叶わないことはどうやったって叶わないし、再会なんてありえないと思った。

生きている限り可能性があるなんてのは嘘だと思う。

生きていても可能性のないことは存在するし、願っても望んでも叶えてもらえないことは叶えてもらえない。

生きながら絶望するみたいな、私が最も苦手とする心情だ。




事務所自体が近い将来になくなると聞いて、全部消えて無くなっちゃうんだなぁと思った。

形あるものはいつかは無くなるにしても、まさか事務所が事業計画の変更に伴って無くなるなんて考えたこともなかった。

ますます幻の夏の日みたいに今後なっていく。

手が届きそうな距離にいられたことは、今もどこか夢物語だったんじゃないかと思うことがたくさんあるけれど、箱物がなくなったらいよいよそれが本当にそうなる気がしてしまう。

建物はどうなるのかはわからなくても、あそこにあった色んなものは、いつかそこから撤退する。

私はひっそりと想像をしてみたことがあった。

もし叶うなら、その人ともう一度その場所に一緒に行ってみたかった。

今の長なら、その人の後輩だから、上手く言えば日曜日とかに潜り込めたらいいのにな…なんて思った。

想像は自由だから、私はそんなことをちょっぴり考えては、なんとなく楽しい気持ちになっていた。

バカみたいな想像でも、私には本気で叶えたいぐらいに、もう一度あの場所に一緒に立ってみたかった。

最後の瞬間は今でもものすごく息苦しい感じのものだから、もし可能なら新しい記憶をそこに足したかった。

自分でも何を書いているのかよくわからないけれど、もう書けないのが自分で体感的にわかり出してるから、書けるうちに書きたい。

多分、私は封印していくんだと思う。

Sさんとその人が会えている事実を知った後eat LOVEを読んで、叶わない色んなことが明るみになってしまって、あまりにもしんどいし向き合うのも辛いから、これ自分から遠ざかろうとするような予感がした。

そうなってくると、もう言葉を書けなくなる。

ブログは書き続けるけれど、当初のことも自分が何を思っているかも書かなくなるというか、書けなくなる。

書かないのと書けないのは違う。

書かないというのは、書けるけれど書かないということ。

書けないというのは、書きたくても書けないということ。




ブログを読んでくれてると知れた時、本当に本当に嬉しかった。

夢にまで見た光景だった。

私は勝手に「いつか再会できるのかも」と期待した。

本気で期待をした。

でも、Sさんとその人が顔を合わせるように、私とその人が顔を合わせることはない。

今日だけじゃない。

明日も明後日も、うんと先の未来も合わせることがない。

Sさんとその人の関係が何十年と続くかもしれないと想像できるのに、私とその人の関係になると何も起こらない「無」しか想像できない。

Sさんと約1年ぶりに会って、それはそれは楽しい時間だった。

その人が元気なのも知れて良かった。

仕事は忙しいみたいだけど、元気そうなのは何よりだった。

1年以上前、まだ肌寒いある春の日の夜に、Sさんに初めてその人のことを告白した日、Sさんは自分のことを仲介役だったのかな…と言った。

仲を取り持つということではなく、その人と私の間の見えない部分を繋ぐ、そういう意味で言っていた。

なぜならSさんにとってその人と仲良くなるきっかけとなった共通の趣味は、30年ぶりに再燃したもので、何で趣味が復活したのかな…とずっと不思議に思っていたとのこと。

だけど今私の話を聞いていたら、仲介役だったのかな…と。

「私、熱が再発したのとか、なんでこんなに好きなのかって思うことが時々あるんですよね。
今日の話でもしかして、なんて思いました。
私、仲介役の役目があったんですかね?そう考える方が自然な気がします」

当時Sさんは、とてもゆっくりとぽつりぽつりと言葉を手繰り寄せるようにして話していた。

そのシーンを私は今も覚えている。

Sさんと職場の中の色んな思い出話をして、私が言ったことのいくつかは忘れてたりもしたけれど、この仲介役の話は今でもはっきりと自分がそう言ったことを覚えてると言われていた。

それぐらい、Sさんにも何か強い印象を残すものだったらしい。

Sさんは相変わらず、時間がかなり経ってもその人の話をする私をそのままにしてくれて、一緒に話してくれるのはとてもとてもありがたかった。

私は色々変だと自分のことを思っているけれど、Sさんはそんな風に捉えていないみたいだった。

ブログを読んでると知ったことも言った。

おかしな話だけど、さすがにそれにはビックリしていたけれど、それも絶対に否定しなかった。

その時にSさんがふと言った。

「そういえば、小説読むんだよね。そうだった、そうだった!」

この情報は知れて嬉しかった。

私は正直な話、私のブログの何が面白いのかといつも思っている。

1回は読んだことない内容だから読むのはわかる。

でも2回以上となると、そんなに2回も3回も読みたくなるほどの面白いことも感動することも書いてない。

ましてや1つ1つが長い。

どういう読み方をするのか知らないけれど、本を読むなら私のブログも読めなくはないか…ととても都合のいいように解釈した。

その人と繋がれない現実の悲しさは果てしないけれど、こうやってその人を知ってるSさんと話せるのはとても特別で、人生のご褒美みたいだった。




当初この文章は3部構成にするつもりでいた。

ここまで書いたことの他に、ホロスコープで読み解いたこと、eat LOVEを読んで感じたこと、その2つも書く予定だった。

だけど、残りの2つを書くと、終わりがいつになるかわからなくなるから、これだけ先にアップすることにした。

eat LOVEを読むと、その世界にすごく惹かれながらも、その世界に似たものがその人を含めて私に起こってくれるかと想像したら、未来永劫訪れないと、読めば読むほど感じてしまって、すごく素敵な世界観とすごく絶望してる自分の心の中と色んな気持ちがごちゃ混ぜになった。

eat LOVEは改めて紹介したい。

でも今回は紹介抜きで、アドレスだけ冒頭に貼り付けた。

私はサイトを見る前に本人から多少説明はもらっていたけれど、中身を見るまでどんなかは知らないも同然だった。

開いて見たら、想像もしていなかったものが広がっていた。

しいて言うなら、涙が出るかもだからティッシュの用意がいるのと、公の場で読むよりも家とかで1人でコーヒーとかビール用意してしっとりとした空気の中で読むのがオススメ。




ホロスコープに関して、1つだけすぐにわかってしまったことがあった。

先生が講座の時に説明はしてくれたけれど、そのタイプのホロスコープを一度も見たことがなかった。

クラスメイトの1人がそれに準じたものを持っているけれど、本人はそれに当てはまらないと言っていたし、私もこれまでに8回顔を合わせているけれど、たしかにそういう特徴を持っているホロスコープではあるけれど、その特徴のない人で、全然参考にならなくて、どんな風なんだろうと思った。

そうしたら、その人が持っていた!

本人は言われたら怒ってしまうかもしれないけれど、本気でわかりやすいぐらい、ほとんど知らない私でさえもそうだと思うぐらいに、そしてSさんにそれを言ったらSさんも肯定した。

ちなみに、生涯を通じて、その人の持ってるその特徴の部分と同じものを持つホロスコープには今後行き当たらないと思う。

そもそもある条件が重ならないといけなくて、今年に限って言えば365日ある中でその特徴を持つ日は1日もない。

1年の中で1日もない年もおそらくけっこうあると思うけれど、だからそもそもその条件を持ってくること自体が難しい。
(クラスメイトの人は、その特徴はあるけれど、その人ほどの強度じゃない。クラスメイトの人ぐらいの確率なら年に1回は普通にある感じはするけれど、その人ほどの強度になる天体配置の確率は超ーー低いはず。)

そのやりとりはこんな風だった。


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私:ちなみに1つすぐわかったのは。

先生があるパターンが揃った場合の性格として教えてくれたことの、もうこれ以上ないピッタリな性格を〇〇さんは持っていて、超納得。

例えば、「これおいしいよね」って普通は言うのに、「この味嫌いじゃない」と逆説的というか、ストレートに表現しないみたいなもので、これは別に会話に限らず自己表現全般に言えることで。
そのパターン持ってる人に会ったことなくてわからなかったけれど、〇〇さんがそれ持っていて、「こういう感じなんだ…」と妙に納得(!!!)」

S:逆説的かー、たしかにそういう言い方するかもですね(笑)
ブシ俣さんの観察眼は本当にすごいね!

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会話はどんな風かは知らない。←したくてもできなかったから。

だけど、今ある状況はまさに上に書いたことの1つのバージョンじゃないかと思う。

ストレートに表現できない感じは、ホロスコープにそうだとわかるものが出ていた。

知れて嬉しい反面、複雑な気持ちにもなった。

私は、ホロスコープやこんな今みたいな私からして理解不能な状況からではなく、本人を目の前にしてその特徴がどんな風なのかを知りたかった。

ホロスコープの特徴も要らなくて、ただただ目の前のその人を見て、その人にしかないオリジナルの感性とか、癖とか、考え方とか、こだわりとか、抜けてるところとか、変わってるところとか、ユニークなところとか、本人は嫌がっても周りからは愛されるポイントとか、とにかくそういうもの1つ1つを見てみたかった。

特徴ありきで見るのではなく、その人を知りつつ、そしてある時ホロスコープを見たら「これ、まんまじゃん!」みたいなのが良かった。

その部分は、何も調べなくても見て即わかってしまうポイントだからわかってしまったけれども、本当はそれさえも知らずに済むのなら知らない方が良かった。

ホロスコープも見ているけれど見ていないというのは、英文の長文読解で文字は見るけれども読んで中身までは理解しない、ああいう感じで見ている。

わかってしまったのは、例えばその長文読解の中に「Japan is…」という文章があれば、何か日本について書かれているんだなぁとわかる。

そうやってわかってしまったのは仕方ない。

そもそも見るな…という話だけど。

(※先生からは、本人の許可なしにホロスコープを見るのはダメだと教えられたし、私もそう思う。だけど、今回だけは本当にごめんなさいと思いながらも、どうしても当時のことで知りたいことがあったから、それで見た。)

嫌なら嫌で、「勝手に人の個人情報を詮索しないでください。ましてやSさんにベラベラと話すのはやめてください。」でもなんでもいいから、連絡が欲しい私はおかしいんだろうか…。




ホロスコープ調べは半分以上文章に起こしたからそれと、あとeat LOVEを読んだ時に超憧れてそしてその反面超絶望した話と、おいおいアップしようとは思ってる。

ちなみにホロスコープはすぐ上に書いたみたいな性格的なものは何も見ていなくて、ただただ本人の星の配置と特定の日や瞬間の空の星の配置の重なりを見て、その影響がどうなのかだけを見ている。

Sさんと会った日が火曜日で、今この部分を書いているのは金曜日。

上手く言葉に紡げなくなり始めてる。

あの時の衝撃の感覚ではもう書けないと知る。

だから、残りの2つもなるべく間を空けないようにして書きたいと思う。

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