2019年6月26日水曜日

夜のピクニック









夜のピクニックを今東京駅の目の前ぐらいの場所でしている。

メニューは、
・おにぎり 大麦スーパークリームチーズおかか
・メンチカツバーガー
・焼き鳥の皮(たれ)
・レモン味のスパークリングウォーター

今回の東京旅は楽しすぎた。

人生の中の贈り物だった。




今回は贈り物を受け取るために、占星術講座の前日の朝早くに東京入りした。

朝の5時台に池袋で降りて、モーニングのお店が開くまで20代の頃に時々使っていた公園でしばらく時間を過ごした。

普段自分が頑張ったとか、よくやってるとか、ここまで本当によくぞ歩み続けたなとか、そういうことは思わない。

だけど、今回は本当にそのことをとても強く思った。

自分の人生は、20代半ばくらい、今から15年ぐらい前には全く想像もできないところに辿り着くことになった。

当時から今を思うと、本当に想像だにしていなかった今になっている。

ここに今いる自分を見て、周りからは90%以上理解されないものでも、私1人だけはそれをずっとそばで見ていて、「なんか色々がんばったな」と思った。

茨の道というよりも、道さえあるのかないのかわからないまま、先も見通さずその時その時で選んで、もしくは選びたくなくても勝手に色んなことが流れて込んできて、時間をものすごいかけて亀の歩みのような感じでひたすら自分との闘いみたいな、そういう時間だった。

そしてその時間を何だかんだと通り過ぎることができた自分を想った。




そんなことを朝思って、モーニングでは一切手をつけなかった宿題を広げたら、いきなり寝落ちした。

そもそも、宿題のための資料を忘れて(←今回は色々楽しみすぎて4時間以上かけて準備してたにも関わらず…)、それも加わってさらにやる気が失せ。

そうしたら、見ても意味がわからなくて、寝落ちした。

前回の講座の内容はすっぽりと抜け落ちていた。

気付いたら、自分の前に座っていたお客さんが変わっていてビックリした。

もう頭さえ働かないと思って、早々と宿題はあきらめた。

過去最低の宿題完成度だったけれど、実際に講座に行ったら、できてなくても問題なかった。




10年ぶりぐらいに立ち寄った新宿には驚きつつ、ペンジュラムがこっちだよと教えてくれた大型書店に行った。

後から意味がわかった。

その書店に、いつか買うだろう未来の占星術の本の見本があった。

他の書店を見て知ったのは、通常ビニールでパッケージされてて、中が見れない本だった。

その中身がきちんと見れる本で、中身見て「これいつか手にするな」と思って帰ってきた。

新宿の駅前の花屋さんではもうひまわりが咲いていて売られていた。




時々ノムとやりとりしながら、電車の乗り方や時間を確認して、いざeat LOVE邸の聖地へと移動した。

eat LOVE邸での、ノム(占星術講座のクラスメイト)とミッチー(ノムのパートナー)とレイさん(ノムたちの大家さん)との時間は改めてまたすごい長文のブログで書きたい。

書く前から「長くなる」と確信できるぐらいに濃密だった。

私が1年前の5月に、今の占星術講座に初めて行った日のことを私は「夢の国」と題した。

その時は単純に非日常の世界を「夢の国」と呼んだに過ぎなかったけれど、それは最後「愛を食べる」ことに変わった。

本気でそれは人生の贈り物だった。

さっき、eat LOVE邸でパシャパシャ撮らせてもらった写真を見ていて、涙が出てしまうほどだった。

その人たちが、その人たちとの時間が、その人たちとの空間が愛おしかった。

大人になって、しかも40歳になってから、血縁でもない人たちと家族より濃密な時間を過ごせるなんて思ってもいなかった。

愛って食べれるんだなと知った。

そして、本物の愛は、もうそこから離れてそれぞれがそれぞれの日常に戻っても、何度でも思い出して食べ続けられることを知った。

今回だけは、自分の記憶の中だけじゃなくて、道具も使って瞬間瞬間を記録してきて良かった。

37歳と40歳と43歳と51歳とで織り成す、魂の家族の集いみたいだった。

その時がもしもう二度と訪れなくても、私は一生忘れない、そういう時間になった。




最後の講座が終わって、質問タイムのカフェタイムも終わった。

私は電車の中で日傘を忘れてきて、すべて終わった後、地下鉄の改札の駅員さんがいるところに行くことになった。

道がパッパラパーすぎて、ノムにお願いして降りた駅まで一緒に行ってもらった。

私はそれだけで十分だったのに、ノムは「僕も付き合うよ」と言って、問い合わせしてる間もずっと付き合ってくれた。

結局見つからなくて、それでもノムは最後の最後まで付き合ってくれた。

今日はその後大事な約束があるのも知っていたから、全然私はいいから行ってもらって良かった。

でもノムは、「大丈夫だよ。それ終わってから行くでも間に合うから」と言った。

そうやって最後まで付き合ってくれて、最後は銀座駅の改札前にいて、私は改札で見送る気満々だった。

「ノム見送るから行って!」

「いや、僕が見送るからぶっしー行って!」

そう言われて、ブンブン手を振って最後別れた。

東京に行く用事も完全になくなった私は、次いつノムに会えるかはわからない。

だけど、またいつか会えるんだなと心でわかりながら、私は背中を向けて歩き出した。

ちょっと歩いてからクルッと振り向いて、ノムも改札に向かって歩いてるのが見えた。




少しだけフラフラと目に飛び込んできた個人書店に入った。

そこで見つけた、初めて目にした多分最近の吉本ばななさんのエッセイには、今の私にピッタリの言葉が書いてあった。

今日ミッチーが運転する車の中で、ノムが吉本ばななさんの本を助手席から後部座席の私に向かって見せながら手渡してきた。

なんとそこにはばななさん自身のサインが書かれてあった。

知り合いがばななさんのトーク会のチケットが1枚だけあるから行かない?と聞いてくれて、行けることになった時のものだと言った。

サインをもらった時、すごい手にエネルギーを感じて、その後10分くらいずっと手が痺れてたと教えてくれた。

羨ましすぎてすっかり見落としていたけれど、ノムはその本を私にわざわざ見せてくれるために持ってきてくれたんだなとわかった。

書店では新しいノート1冊を購入した。

その1冊は、私のホロスコープ鑑定デビューの鑑定代から出した。

何のノートになるかは知らないけれど、とても大切な1冊、生涯を通じて一度しかない買物で手に入れた1冊になることは間違いなかった。

その後東京駅前の丸善に行った。

ホロスコープの広辞苑みたいな定価1万円以上する本が、なんと初めて封が切られていて読めるようになっていた。

本当に良かったらいつかは手に入れようという1冊で、でも絶対に中身が見れなくて、買う買わないの判断ができずにいた。

それが奇跡的に開いていた状態で置かれていて、私は迷わず手に取って、重たいリュックに重たい広辞苑みたいな本という組み合わせで少し読んだ。

これもいつかの買物リストに入れた。




時間が中途半端すぎてどうしようかと思ったけれど、丸善が入っている建物の前は1人で静かに過ごせると知って、それで夜のピクニックを決行することにした。

コンビニで買物して、それで良さそうなところに座って、ピクニックを始めた。

風が適度に涼しくて、1人の世界にどっぷりと浸りながら1人ピクニックを始めた。

色々感極まって泣いていても、誰にもバレないのが良かった。

21時間限定のeat LOVE邸の写真を見ながら、それぞれを美味しくいただいた。

そして、食べ終わってからこれを書き始めた。

途中で、サラリーマン風の20代から30代前半ぐらいのゲイカップルと思しき男の人2人が腕を組みながら楽しそうに私のすぐ近くを通り過ぎて行った。

もしかしたら、初めて街中で男性同士が腕を組んで歩いているのを見たかもしれない。

2人を見ながら、ノムとミッチーを思い出した。

2人とも腕こそ組んではいなかったけれど、お互いがお互いをお互いの方法で大好きなのは本当によくわかった。

2人の様子も近いうちに書いてアップできるのがとても嬉しい。




移動するのに良い時間になって、東京駅前を通過してバス乗り場に向かった。

高いビルの横には、すごい明るく光る星があって、土星か木星だと思いながら昨日の夜のことを思い出した。

ミッチーが外に出た時、流れ星が見えたと言ったことから、ミッチーとノムとレイさんと私の4人でしばらく流れ星待機をした。

4人で首が痛くなるほどに星を静かに見上げていたことを思い出した。

時々ないね〜などと言いながら、東京の夜空とは思えない星空を4人で見続けた。

新幹線のレール下辺りにある居酒屋街みたいな道を歩いている時だった。

女の人の後ろ姿が目に入って、見覚えのある髪型だった。

今日講座が始める前に一瞬だけトイレの前ですれ違った私と1日違いの誕生日の子の髪型に似ていた。

最初は気のせいかと思ったけれど、よくよく見ると、もう1人は背の高い別のクラスメイトに似ていた。

まさかと思ったけれど、私はバス乗り場に向かうのをやめて2人を追いかけた。

やっぱりそうで声をかけたら、2人も超絶ビックリしていた。

今日は魂のご縁的な話も質問タイムの時に盛り上がったから、1日違いの子がまずは「ソウルグループが一緒だから、こういう強いご縁があるんだね!」と言い始めて、私たち3人でそうだそうだとひとしきり盛り上がった。

あとよく見える星は木星だと教えてもらった。

普通にはありえない偶然だったけれどもとても嬉しかった。




東京にいるうちにこれをアップできて嬉しい。

また家に帰ったらゆっくりと今回の旅について書きたい。

本人はどの程度自覚があるのか知らないけれど、想いとか念って本当に相手に届けられるんだと思う。

今回制服こそ見なかったけれども、下の名前だけなら多分両手使わないといけないぐらいの回数耳にしたり目にしたりした。

会えなくても繋がってる気がした。

もはや私の気のせいでもなんでも良くなった。

その名前を目にする耳にすることで私の中に温かいものが広がるなら、もうそれが何であっても「良い」とわかるから、今はそれを受け取ればいいんだと思った。

そう思えるだけのメッセージを、ノムの家で私がどうしても見たいと前々から言っていた本からもらえることになった。

それもまた順にブログに書こうと計画している。

本人も気になってることもわかったから、せめて今私が感じたりしてることはまた書こうと思う。



夜のピクニックの途中、そういえば私の斜め前くらいを外国人2人組の男性が通って会話が聞こえた。

「was able to survive」

生き残ることができた。

写真の中に入ってる高尾山の広告は、今日電車の駅のホームで見つけたもの。

紫陽花は京橋の近くで見つけた。

東京駅のごく近い土壌でも紫陽花が育って大きく咲き誇る様には感動した。

紫陽花は大地に根付いたら、毎年花が咲く。

こんな大都会のビルの一角にも紫陽花が咲くんだと嬉しくなった。

バス乗り場近くで見たのは「はじまり」と書かれた英語の単語。

これが東京を出る直前に撮った最後の1枚になった。


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