2019年6月1日土曜日

令和初デート【後編】





『令和初デート【前編】』の続き、というか本当にあったことのリアル・ストーリー編。

まずは、Kさんと私の関係について。

【前編】に出てきたKさんは、生物学上男性だし、年齢的に私と多分4つ違いだし、お互い独身だから、そこだけを切り取ったら「デート」になる。

でも正しくは、Kさんはゲイで10年以上、話の感じだとそろそろ15年になるパートナーがいる。

だからあれは「デート」とわざとタイトルを付けたけれど、実際は本当に「お茶」をした。

私が今回Kさんをこれまでブログで使った「Nさん」にせず「Kさん」にしたのには理由がある。

ちなみに呼び方は相変わらず「Nさん」と呼んでいる。

Nさんって書いたらコアなファンからはばれちゃうと思ったのと(笑)、大事なのはKの方の文字にあったから。

Kの文字は、私が死者の魂である“おじいちゃん”と呼んだ人とのやりとりやそこから発展した色んな話『奇跡の果実』シリーズのベースを支えている人と同じ漢字だから。

Kさんのことは「Nさん」と呼んでいたから、漢字には全く注目していなかった。

『奇跡の果実⑧覚醒』をアップした後にKさんと個人的にLINEをやりとりするようになって、その時に画面に表示されたフルネームを見て初めて気付いた。

私にとってハートの恩人みたいな人と同じ漢字なことに気付いて、1人でまた勝手にテンションが上がった。

講座の資料内には各自のフルネームが載っていたけれども、そこは見る場所でもなかったから全然注目していなくて、私は10ヶ月近くそのKの文字を華麗にスルーしていた。

だから私はKさんと個人的にLINEをやりとりする今年の2月まで、Kの漢字の存在には全く気付かなかった。

当然、その時はまだKさんが魂的な繋がりの強い人だということにも気付いていなかった。

Kさんは、占星術講座のクラスメイトとして知り合ったけれど、実はそうして知り合うより前に私はKさんのブログを見つけていて、それがとても気に入ったからブックマークしたぐらいだった。

ある時、Kさんと駅まで向かう道を並んで歩いた時に、Kさんから絵の個展の案内をもらった。

家に帰ってから、そこに記載されていたブログのアドレスに見覚えがあることに気付いた。

まさか!?と思って自分のブックマークのページを見たら、大当たりで、それがKさんのブログと一致した。

そんなすごい形で出会う前から繋がっていたんだと知ったけれども、2人だけで会ってお茶する仲にはならなかった。

そうだと知った後も、そのことで2人でビックリはしたけれど、相変わらず単なる占星術講座のクラスメイト止まりで、普通に講座で顔を合わせて、講座後のカフェタイムのカフェまで移動する時やカフェの中で席が近くになったら話す程度だった。

Kさんは早々とゲイであることをカミングアウトしていたから、男性は男性でも「異性」を意識しなくていい人だったから一緒に話をしていて楽チンだったけれど、2人で時間作ってまで会おうとはならなかった。

2人で会う流れを運んできたのは、今年の節分の前に書いた『覚醒』の文章がきっかけで、そのきっかけの発端には山で行方不明になったおじいちゃんの魂が絡んでいて、そしてさらにその件にはペンジュラムが関わっていて、そしてさらにさらにペンジュラムを使っておじいちゃんを探して欲しいという依頼が来るまでにはペンジュラムの能力アップが必須で、そしてその能力アップを影でずっと支えている(と本人は全く知らない)人の名前がKさんのKの部分の漢字と一緒だった。

『覚醒』を書いた2月初めの頃は、まだ2人でお茶するなんてことは、Kさん然り私然り、2人とも全く頭になかったと思う。

事の次第が動き始めたのは、Kさんの『覚醒』を読んで教えてくれた感想からだった。

今だからわかるけれど、あの時の私はまるで無作為のようでいて、本当は魂側からすると作為的に連絡を取る人を選んでいたと思う。

私の中で「なんとなく」を感じた人たちには個人的に連絡を取って、『覚醒』の文章を送った。

占星術講座のクラスメイトたちにも、どういうわけか「なんとなく」と感じて、それでグループラインに送った。

そうしたらKさんだけが意味深な返信をグループライン内で返してきて、それが気になって個人的にLINEを送って、意味深な返信の裏では何があったのか教えて欲しいとお願いして聞いた。

その内容が『奇跡の果実』の最後を飾った『奇跡の果実(25)愛という名の果実』の話に繋がった。

その中に登場するNさんこそ、今回のKさんにあたる。

その後にKさんは、私に数日前プレゼントしてくれた絵を描いて、そしてそのやりとりから今回の2人での会合の話に発展した。
(ネタバレになるから、この話は今度また【『奇跡の果実』のその後】として書こうと計画中←今もまだ小さなことたちがそれぞれのペースで続行している。)

とにかく色んなことが重ならないと、KさんもといNさんとの2人だけの会合には繋がらないようになっていた。




ここからはいつも通り呼んでいる「Nさん」に戻す。

だから、「令和初デート」と題したNさんとの時間は、正しくは「魂の会合」だったと思う。

「魂たちのデート」でも良かったかもしれない 笑。

ちなみにこの後詳しく書くけれど、「魂的な縁の強い人」ということに気付くには、Nさんに実際に会って話してみなきゃわからなかった。

2人で会って一緒に時間を過ごして色んな話をしてみて、そういうものを総合的に見て私の中で「本当に魂的な繋がりが強いんだろうなぁ…」と感じた。

魂的な繋がりの強い人に会うと「ビビっとくる」なんて言う人たちもいるけれど、その辺り私はとても鈍い。

今も続いている老若男女問わずのソウルメイト的な強い繋がりのある人たちとの最初も、私には「この人そうだ!」なんて思った人は1人としていなかった。

時間を一緒に過ごす中で「この人そうだろうなぁ」とわかる程度で、そういう視点から言えばNさんがそうだろうと気付くのは私の中では早い方だった。

実際に2人で会うまで1年かかっても、会った後私の中ではそうだと気付くまでの期間が早い( ̄∀ ̄)。

あまり重要視してないし、はっきり言って私は何でもいいと思っているけれど、ソウルメイトにも分類的なものがあって、一番強い繋がりの人はとりあえず除いて、その他の強い繋がりの人たちは、それぞれ役割別に7人いるとか12人いるとか言われている。

一番強い繋がりはガチのパートナーシップとしてやってくるから(LGBTのカップル含む)、それは普通に考えても1人あたり一生のうちに出逢えるかどうかぐらいな確率だと言われている。

ちなみにこれは法律的に婚姻関係があるからそうだとはならない。

結婚して一緒になるぐらいだからもちろん縁が強い相手とはなっても、魂的にガチに強い意志を持って出逢うというのとイコールではないらしい。

この辺りは話がややこしいからここでやめておく。

ただそうではない、老若男女問わず、魂のグループが同じだったり縁があって、互いに高め合うとか協力して何かをするとか、そういう目的で出逢うソウルメイトというのももちろんいて、それが目的別に7人ないし12人いるとされる。

で、今この中に登場しているNさんは、そういう繋がりの中の1人なんだろうと感じた。

人との人間関係をこんな風に分析する趣味はないけれど、今回だけはそうだと感じることがあまりにもたくさんあったから、だからあえてそういう視点も入れて話したいと思う。

そして、何よりも今のこのタイミングでNさんに引き合わせてもらえたことに本気で感謝している。

これも余談だけど、私は自分からNさんをお茶に誘うことは考えたことがなかった。

私の中でルールみたいなのがあって、パートナーのいる異性の人、たとえそれがゲイの人であっても、2人きりで会うことを最初から前提として誘うことを私はしない。

相手のパートナー(奥さん・彼女・彼氏問わず)がどういう気持ちになるのかは私にはわからないから、だから自分からは絶対に誘わない。

だけど、講座とかで一緒になって、気が合ってそれで2人で会うとかになるのはいいけれど、そうでない限りは私は自分からはいかない。

そういう意識が普段からあって、Nさんにパートナーがいると知っていたから、2人で会うなんて私はただの一度も考えたことがなかった。

それはNさんに興味がないということではなくて、NさんとNさんの先にいる人の大切な関係に対して、私は決して土足で踏み込まない、という意味で自分の中で線引きしていた。

自分は単に友達的な感覚で会っても、そして相手もそうであっても、その先のパートナーがどう感じるかはまた別物で。

私みたいに男女間の友情は成立するなんて、みんながみんなそう考えるわけじゃないから、とにかく男性全般に対して、誰かいる人の場合は自分からは誘わない。

だから、Nさんが講座の後にお茶しませんかと誘ってくれなかったら、そもそもこの会自体が誕生しなかったわけで、そういう意味で本当の本当にありがたかった。

この話とは関係ないけれど、前にゲイの人の家に呼ばれて私含めて3人で訪ねた時があった。(パートナーは気を使って不在だった)

女は私1人だけで、他2人は男性だった。

ゲイのパートナーの人が他2人(男)にヤキモキするならわかるけれど、なんとそのパートナーの人は後日「女の人来た?」ってそこから詰問が始まったらしい。

ゲイの人から後日話を聞いて2人で「えっΣ(꒪◊꒪; )))) 」ってなったけれど、そのパートナーの人は男の人を呼ぶよりも女の人を家に呼ぶことがダメだったらしい。

要は何が嫌かなんて個々に違うから、だから私はNさんのこともそんなに知らない上にそのパートナーはもっと何も情報がないから、だから私はNさんと2人で会うという選択肢を一度も思いついたことがなかった。

それが今回、色んなことのおかげでNさんと会えることになった。

ここからは会った時のリアル・ストーリーの話。




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話の途中でペンジュラムも登場させて、「合ってるかどうかはわからないけれど、私それ多分ペンジュラムで答え出せるよ」と言って、私はKさんの長いこと知れなかったことに対して、ペンジュラムを使ってそのことを特定した。

Kさんは喜んでその答えを受け取って、ノートを出してささっとメモをした。

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上の文は【前編】に書いたこと。

この時何をしたかと言うと、Nさんとホロスコープの話になった。

その中で、Nさんは自分のパートナーの生まれた時間がわからないからホロスコープの正式なものが出せないんだよねと言った。

私はNさんの気持ちがものすごくよくわかった。

私は残念ながら相手がいないからそれはできないけれど、私も相手がいるなら、相手のホロスコープは超本気で紐解きたい。

相手をもっと深く知るために、相手のホロスコープを自分ができる目一杯の力で読みたい気持ちはわかる。

ざっくりしたのではなくて、本当にきちんとしたものを読みたい。

これは相手のことがどれだけ好きかとかどれだけ大事かという気持ちと比例していると思う。

ホロスコープを読むのは、正直手間だし、ただ見たらいいというのとも違うから、本当に何かしらの気持ちがないと私なんかは見れない。

仕事ではなくプライベートで読むとなれば、より一層何か強い動機がないと読まない。

それが自分のものではなく誰かのものとなるなら、それは本当に大切な人だと私は思う。

1年前妹2人分のものを読んで、そこは超実感した。(←1ミリも興味を抱くことなく、妹たちのホロスコープを読んだ私( ̄∀ ̄;))

しかもNさんたちは10年以上一緒にいて、さらには一緒に住んでいる。

それぐらい関係が密なのに、それでもNさんが相手のホロスコープを見たいというのは、それだけ相手がNさんにとって大切な人だということがわかった。

そこまでして読みたい=相手のことを知りたいって、本当に純粋な想いがないと成立しない。

だから私はペンジュラムで特定できると思う、合ってるかどうかはわからないけれど…と前置きした上でペンジュラムで調べることを申し出た。

しかもNさんも占星術の知識があるから、本人に合っているかどうかを確認する方法も知っている。

それで違えば本人とまたすり合わせればいいだけの話だから、それでやってみよう!ということになった。

何時というのは知らされていたから、一応それで合っているかどうかを確認してから、何分という部分の特定をした。

ちなみにNさんのパートナーが、こうしてペンジュラムで出生時間調べをした3人目だけど、00分から59分までの全60通りの中で、どの人も絶対に1つの数字のところにしかYESが出ない。

Nさんのパートナーの分もそうで、Nさんはそれをとても喜んでそしてすぐにノートに時間をメモした。

家に帰ったらその時間でホロスコープを出してみる!と言って、ルンルンとスキップしそうなぐらいに喜んでくれた。

これには後日談があって、Nさんと会った2日後にNさんから連絡がきた。

あの後Nさんは、パートナーのホロスコープをあの時に出した時間で出したとのこと。

そしてこれまで時間がわからなかったから出せなかった何よりも大切なその人の生まれ持った性質の部分、そこがはっきりして(360通り中の1通りが明らかになった)、Nさんはこんな風に言っていた。

「出してもらった時間でチャートつくったら、◯◯のシンボルがぼく的にはまさに!!!!!!! だった!!」

そう、隣りでずっと一緒に生きてきたNさんから見ての「まさに!!!!!!!」だったわけで、さぞかしピッタリなものだったんだろうと予想している。

『令和初デート【前編】』には、他にもNさんのパートナーの話が出てきている。

前編ではわざと隠したけれど、ここでは一挙公開!

>Kさんはフード付きのデザイントレーナーを着て、自分の頭にフードをかぶせた。

この中に出てくる「デザイントレーナー」というのは、パートナーの方のデザインで、本当にオシャレだった。

Nさんのためにデザインしたのかどうかまでは知らなかったけれど、Nさんにとても似合っていたし、デザインがこれまた斬新でパッと目を引いて惹き込まれるタイプのものだった。

もう1つ。

>リュックから白とショッキングピンクまでいかなくてもかなり濃い艶やかなピンク色の2色で作られた帽子みたいなのを出してきた。

「白と…かなり濃い艶やかなピンク色の2色で作られた帽子みたいなの」、これもまたパートナーの方がNさんのカードを入れるための道具としてさっと作ってくれたものだった。

本当に2人ともがすごい素敵なのは、お互いがお互いを想い合って大切にしていることだった。

私は全く別の意図を持って、わざと「令和初『デート』」とタイトルに付けたけれど、書きながら「Nさん、パートナーさん、大変申し訳ございません」という気持ちでタイトルを付けさせてもらった。

2人の素敵なパートナーシップに土足で踏み込むみたいな乱暴さを自分に感じながらも、少しだけ私に協力して下さい…などと思いながら付けたタイトルだった。

だから、ぶっちゃけ私もデートと思ってNさんに会っていなかったし、Nさんとてまさか私があの時間に「デート」なんて題名を付けて文章を書いてたなんて青天の霹靂だろうと思う。
(この後謝罪かたがたブログ書いたよとNさんに連絡する予定)




ペンジュラムと占星術とを組み合わせたヒントの出し方は、この2週間ほどで編み出した新技で、私は突然「そうだ!Nさんならこれに付き合ってくれる気がする!」と思って、やりたいと提案した。

さすがに誰でも彼でもにはできないし、条件が揃わないことにはできないものだから、「千載一遇のチャンス☆」と思って提案した。

私の説明が足らなくて、Nさんもどう扱っていいのか迷っている風だったけれど、話の流れで、次に星回り的にNさんにやってくる中年の危機に対して、それを緩和するヒントをもらうのはどうかと提案した。

Nさんもそれいいね!と言ってくれた。

ペンジュラムはヒントとなることをバッチリと示してくれた。

意味は私にはよくわからないから、出てきたものを出てきたように伝えて、あとはそこから連想されることでパッと閃いたものを言うに過ぎなかったけれど、Nさんはそれを気に入ってくれた。

しかもその前後で、そのヒントと連動することでNさんが長らくやってみたいと思っていたことを話してくれた。

聞いた瞬間、「それ絶対に実現する」と確信に近い感じで思った。

それは何かしら見えない力でそう思ったのではなく、現実的に「必要とする人」X「Nさんが持っている資質」X「プロとしての経験値」X「Nさん自身が体験として持っている自分の弱みや気持ち、その克服するまでのプロセス」、それらが綺麗に重なって1つのものを生み出す、その姿がパッと浮かんだから、それをそのまま伝えた。

Nさんとその話で盛り上がったし、そしてそのやりとりが私的にとても楽しかった。

私が嬉しかったのは、何もそのやりとりだけじゃなかった。

Nさんが私が言っていることを本当に素直に受け取ってくれる、その姿勢がすごくすごく嬉しかった。

こんな風に、相手の強みや資質、それにまつわる関連話を私はかなりな回数でしている。

だけど、これは私の伝え方というよりも相手の心の準備の具合なんだと思うけれども、それを素直に真っ直ぐに受け取ってくれる人はすごい少ない。

1割いるかいないかだと思う。

私は話を盛っているわけでもないし、純粋に感じたことをそのまま伝えている。

今思うとけっこうな確率で、相手の潜在意識や魂から伝えられている本人の資質だとさえ思う。

だけど、受取拒否的な反応は、多々目の前で起こる。

今書いてて気付いたけれど、私はそれをされるのが、けっこう地味に嫌なことだったんだな…と気付いた。

百歩譲って、自分を見ない人なら「仕方ない」と割り切れる。

そうではなく、自分を見ている人たちからそれをされると、私はドッと疲れる。

さらに自分から聞いてきて受け取らない人も中にはいるわけで、そんな人に当たった日には「もうそもそも聞くなよ!ばか!」ぐらいに心の中で毒づいてる。

信じてもらえないこともストレスだし、否定されるのもストレス、だけど私が言うことは受け取らなくても別の何かは求められる、そんなの疲れて当たり前だと今気付いた。

とかいう体験を経ていたから、Nさんの真っ直ぐに受け取る姿に私はすごく感動したし、そしてそういう人もきちんといるんだよ、と存在丸ごとで示してもらって、私自身が癒された時間でもあった。

「ほんとに楽しかったし、いろんなヒント、インスピレーションももらえて、魂がよろこぶミートだった!! いやあ、ご縁に感謝。マンツーマンで会えてよかったなあ。」

お互いに会った後のLINEでNさんはそう言ってくれた。

あの時のやりとりがそれぞれにとってプラスになったのは間違いない。

本当の本当に楽しいやりとりだった。




その後、ピンクのカードを引かせてもらった時の話。

私は今、色々決めなきゃいけない時に差し掛かっている。

けれど、自分でもどう動いていいのかわからない。

だから、自分がこれからどう働いていくのか、自分を使ってどう社会と関わっていくのか、そもそもどうやって動くのか、そのヒントが欲しいと念じてから引かせてもらった。

・平和
・安全
・忠誠
の3枚が出た。

平和はすぐにピンときた。

今目の前で体験しているNさんとの時間の平和具合を思った時、まさに仕事で私が欲しい感覚もそれだと知った。

ネガティブなことを排除しようということではなくて、ネガティブであっても平和を体験できることを感覚的に知っている。

私が欲しいのはそういうものだということ。

忠誠もわかった。

私は今初めてのホロスコープ鑑定のお客さんのホロスコープを読み解いている。

その子に引き合わせてもらって本当の本当によくわかった。

ホロスコープ鑑定だけに限らないけれど、どんな仕事でも、その相手にも仕事そのものにも忠誠であること、その大切さを教えられている。

余談だけど、ここではわかりやすく「ホロスコープ鑑定」と言っているけれど、今回の初めてのお客さんとなってくれた子とのやりとりのおかげで、私がするのはホロスコープ鑑定ではなく全く別のものだということに気付かされた。

それも近いうちにアップする予定だけど、そのことを通して「忠誠を尽くす」ことが、人と関わる時の大大大前提だということを学びつつある。

単なる仕事ではなく、本当に忠誠心・誠実さを持って相手に仕事に臨むことが何よりも大切だと感じている。

もう1つの「安全」だけは、どう読み解くのがいいのか、いまいちわからなかった。

そうしたらNさんはこんな風に伝えてくれた。

「『自分が平和であり安全であることを覚悟する』、僕にはそう映ったんだよね。
そして役割に対して、メッセージに対して忠誠である、僕もそんな風に感じたよ」

Nさんが言った
「安全であることを覚悟する」
という言葉に、脳天突き抜かれそうなぐらいに心に刺さった。(←もちろん良い意味で!)

「安全だといいな」とか「安心感欲しいな」なんて私は年がら年中思っているような人だけれど、【「安全であること」を覚悟したこと】はこれまで一度もなかった。

Nさんがその時言ってくれたのか、今自分が思ったことかはわからないけれど、「安全であることを覚悟する」ってすなわち「自分は安全だと自分を信じること」だと思う。

私の中で足りないものをズバリ、そしてわかりやすくNさんはさらっと伝えてくれた。

Nさんのそれってすごくて、押し付けが一切ない。

そして前回の【前編】で表現を間違えたなぁと思ったけれど、Nさんは「カードを【読み解く】」という言い方はしていない。

Nさんからもそこは言い改められて、「読み解くというより、カードを見て感じたままのメッセージを受け取るって感じかな…」みたいな言い方をされてた。

だから、Nさんの話には押し付けは何にもないし、自分の考えを話してる時ですら「それは僕の考えね」というスタンスだし、「わかってもらえたら嬉しいけれど、違ってても当たり前だしそれでいいんだからね」という無言のやさしい空気が流れていて、スーパー居心地がいい。

適度に近くて、程よく距離感があるみたいな感覚が最初から最後まであって、本当に安心しきって私はその場にいた。

この感じが未来の仕事の中にあったら本当にいいなぁとしみじみ思いながらその場にいた。




「忠誠」に関して、ホロスコープと絡めてNさんと話ができたのもとても良かった。

はっきり言って、Nさんと私が取っている占星術講座の先生はめちゃくちゃすごい。

本気で博識だし、細かいところもきちんと丁寧に見てくれる先生だし、これから私が仮に10年間朝から晩までずっと占星術を学んで鑑定もやりまくったとしても敵わないのがはっきりとわかる。

先生の凄さがわかるからこそ、自分なんかが鑑定などして良いのかと真面目に思っていた。
(今もそちらの気持ちは強いけれど、今目の前で向き合う人(=ホロスコープ鑑定を私にお願いしてくれた子)がいてくれるおかげで、その辺りの気持ちはだいぶ変化しつつある。)

Nさんもそれは同じ気持ちだったとのこと。

だけど、それこそ私が『覚醒』の文章を節分前に発表したその日、Nさんはその日会った人からこんな話をされたということを教えてくれた。

「『自分が星読みをするなんておこがましい』と思うことこそ、おこがましい」

そう言われてきたと聞かせてくれた。

おこがましいと思うことこそが自分勝手な考えで、同じようにやろうとするんじゃなくて、自分のやり方でやればいいんだよって、そのようなことを言われてきたと話してた。

先生のやり方を2人で振り返りながら、Nさんは言った。

「僕ね、星読みを通して可能性を伝えたいんだよね」

私もその考えにはブンブンと頭を縦に激しく振るぐらいに同感だった。

私も同じ気持ちで、ホロスコープを通じてその人の強みだとか可能性、生まれ持ってきている唯一無二のもの、そういうものを伝えていきたいと思っている。

それはネガティブをゼロにしようということじゃない。

色々足りないことやできないこともあっても、それでも自分にしかできないこと、それを極めていくための1ツールとして占星術を使いたい、私もそんな気持ちでいる。

そしてNさんは言った。

NさんならNさん、私なら私で、それぞれがそれぞれのカラーを生かして独自の星読みをしたら良いことを。




私がNさんとの時間を「魂の会合」とか「魂たちのデート」と呼ぶのにはわけがある。

Nさんとの時間を通して、ずっと居心地の良さを感じていた。

その居心地の良い中で、私がしていることが相手にも私にもどんな意味があるのかを見せてもらえたことはとても大きかった。

この1年以上、本当に色々迷った。

今も迷ってる。

色々上手く立ち回れない自分、決められない自分、怖くて立ちすくみそうになっている自分、他にもなるべく表に出てきてほしくない自分がどんどん出てきて、本気でしんどかった。

自分が低空飛行なのもわかっていて、おまけにこの1年メンタル不調体調不良半端なかったな!!!と思っていたら、つい最近の占星術講座でその根拠がわかって、そのわかった根拠はこれから数年続くことも判明して( ̄ཀ ̄;;)…。(←先の長さに遠い目になった)

メンタル落ちてる時は、気持ちを明るい方に持っていくことは難しい。

落ちるだけじゃなく、些細な一言がずっと引っかかってみたり、いつまでも暗い海底に潜るように自分が落ち込んだり…。

はっきり言って気持ちの良いものじゃない。

だけど、Nさんといた時に感じた安心感や自然に湧き出る高揚感、自分の役割に対しての明るい気持ちや前向きな展望、あれはもう絶対にお金では買えないすごいものだった。

効果絶大なセラピーを受けるよりもうんとパワフルで、そして心の奥深いところ、魂の安息場みたいなところまで到達するものがあった。

この感覚は絶対に忘れないから、ブレたり迷ったり悩んだり落ちたりしたら、この時の感じを思い出して自分が目指したい場所を再確認しよう!と決めた。

Nさんと話していて、そして今こうして書いて気付いた。

Nさんは多分すごく自分の内面を見つめ続けてきた人だと思う。

もちろん今も普段から見つめる習慣のある人だと思う。

自分の内面を見つめるって簡単なことじゃないし、自分の中でも受け入れられない自分もじゃんじゃかと登場してくる。

でもNさんはそういう自分1つ1つと丁寧に対話してきた人なんだろうなぁって感じる。

なぜなら、Nさんはネガティブな考えやネガティブになってしまうことに対して否定がない。

否定しても何にもならないって、自分の体験を通じて理解してる人だと感じる。

それは他人に対してもそうで、とにかく否定がない。

とにかくあるがままを受け入れる、そのスタンスがはっきりと確立されてる。

だからNさんの発する言葉は真っ直ぐ届くし、そもそも私に届けようと意図さえしてないみたいな感じだから、余計な抵抗がそこにはなくてすっと届く。

相手が教え諭そうとかアドバイスしようなんてすると、私はその先に今の自分が否定されてるみたいな感じを受けて、まずは耳を貸さなくなる。←この辺りは超絶頑固。

Nさんの言葉が私に色々響いたのは、NさんはNさん、私は私という、良い意味での線引きがあって、その線や1人1人の人を本当に尊重してくれてるところを感じたからだと思う。

Nさんは同意も共感も求めてない風だったから、余計と共感を覚えたりした。

そして、魂、魂と連呼するのもどうかとは思うけれども( ̄∀ ̄;)、私の場合、自分の生きる道筋の中に自分と考えや想いを共有できる人たちと集って何かをすることが、人生の大きな目的に入っている。

そして、それがおそらく相当独特な形になるのもホロスコープにはっきりと出ているし、自分のこれまで歩いてきた道を振り返ってもそう思う。

ただ、私はそういうことから実は逃げたくてたまらないし、元々1人が楽だと思うところも大いにあるから、人と想いを分かち合って集うなんて、やる前から一番やる気のないことだったりする。

それは人と深く付き合うことになるわけで、たとえそれが「同士」のレベルであっても私には怖いことだったりする。

パートナーシップならまだしも、人と友達や志が同じグループとして付き合うことさえも私には怖いと感じる面がある。

さらに私の場合は、その「人と繋がる」時に自分の見えない世界の体質もセットで使うことが求められている。

単に繋がるんじゃない。

超絶怪しい体質の自分を正々堂々と出して、それで繋がっていくことが求められている。

上手く説明できないけれど、そういう素の自分を出すのも私には怖いことだったりする。

でも、Nさんと過ごしていた時、そんなことは全〜部忘れていた。

そんなことが気になっていたことさえ頭をかする暇もなく、ひたすらその時与えられた時間を心から楽しんでいた。

これは私にとって本当に『希望』で、こういうものを見せてもらえる相手、体験させてもらえる相手、それって魂繋がりだよねと思った。

気持ちの良い時間っていうのは、ある程度の仲なら持つことはできる。

だけど、さらにその上を行って、自分が自分のままでいて、その自分で何かしらパフォーマンスをして、相手も同じようにそのままでいて何かしらパフォーマンスをして、互いに何か交換したり共有し合ったりする、そしてそこからヒントやインスピレーションをもらう。

これは誰とでも起こせる化学反応じゃない。

魂の為せる技だと私は思っている。

しかも最初からペンジュラムを説明もせず目の前で使うなんて、早々ないことだった。

ちなみに帰り際、東京駅近くのバス乗り場まで迷子になりつつ向かっていた時に、Nさんが言った。

「僕もペンジュラム欲しいなぁって、見てて思ったんだよね」

これはすごい嬉しい話だった。

ペンジュラムに興味を持った人はこれまでにもいたけれど、自分も欲しいと言ったのはNさんが初めてだった。

私が宣伝したわけでもないのに、私が使っているのを見てそう思ってもらえるというのは、“なんとか”冥利に尽きる。(なんとかには何を入れたらいいのかわからない)

自然体でいて何かを交換できることの快感を知った。

これだけのものを受け取ったからそれ相応に何かを返さなきゃなんて思わなくて良くて、自分が知ってるものを伝える時も全然嫌な感じが一切なくて。
(人によっては、私じゃなくて私の持ってるもの欲しさに近付かれてると感じることが時々あって、それを感じると私は自分が知ってることを出すのに抵抗を覚える)

魂が喜ぶってこういうこと言うんじゃないかと思った。

自分のこの体質に気付いてから初めてとても心安らかに過ごせた時間だったように思う。

等身大の自分で何も隠さなくて良くて、もちろん取り繕うこともしなくて良くて、あるがままでいてお互い好きなことを話す。

本当に心安らぐ楽しい時間だった。

色んな意味で次元が違い過ぎたから、これは単なるお茶ではないとわかった。

私の魂が今世やりたい!体験したい!ということのヒントをNさんが持ってくれていたんだと感じる。

そして、私も私のままでいて自由気ままに喋った中にNさんが感じる何かがあったというのはとても嬉しいし光栄だと感じる。

本当に素敵でワンダフルな時間だった。

「ワンダフル」という言葉は、「ワンダー(不思議)」+「フル(たくさん)」イコール「不思議がたくさん」という意味から来ている。

魂たちのミートはいつだって不思議に満ちている!


[写真]
Nさんが描いた絵の裏に書いてもらったサイン

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