2019年6月5日水曜日

「最後」からの連想




今日の夕空




今日は家電製品の大型店の仕事に同行。

何がビックリって、かれこれ10年近く大型家電を買ってないから、色んなものが進化していてビックリ。

自分の中でいつ電気屋さんに行ったのか、一生懸命思い出した。

前回は、去年の秋にiPhoneの画面が割れたことで機種変しに行ってきた。

でもその時はiPhoneコーナーだけ見て終わり。

その前は2016年の冬、新潟に戻って初めての冬、石油ストーブ(ファンヒーター)を買いに行った。

これも大型家電じゃない。

その時もささっと見て終わった。

となって思い出したら、1人暮らしのための最低限の家電、洗濯機と冷蔵庫を見に行ったのが最後で、それは2010年だった。

そんな化石時代からやってきたような私が当たった今回の家電は「テレビ」だった。

世の中には色んな仕事があって、今日は家電量販店でのテレビのディスプレイの変更のお手伝いだった。

面接行きますか?ばりな格好で力仕事をするという、何ともアホアホな感じになっているけれど(残り2日は違う格好して行く)、相手のおじさんもまさか女のスタッフが来るとは思ってなかったようで、重いの大丈夫ですか?と心配してもらった。

多少配慮してもらってはいるけれど、普通に重いものも運んだり持ち上げたりしてる( ̄∀ ̄;)。←普通にやれてしまってるあたり…。

で、おじさんは色々下準備で動き回っている中、私はテレビの前で待機ということになって、4K?8K?の大型テレビの前でひたすらテレビを見て待ってた。

普段テレビ見ないから、色んな意味で超斬新だった。

今のテレビって本当にすごいんだね!と思いながら、こんなに便利で何がいいのかわからなかった( ̄∀ ̄;)。

テレビのリモコンに話しかけると、エアコンがオンになったり、ルンバが掃除してくれたり、1ヶ月先のドラマ録画予約してくれたり…。

そんなハイテクテレビが庶民の手に届くところまで来たことには驚いたけれども、中身は何にも惹かれなかった。

多分私の電化製品知識は、20年くらい前のところでストップしていて、そして普段何かとアナログ的な感じで不便さも感じてないから、テレビ画面の向こうの便利さアピールに「で、そんなの持って何がいいの?」と毒づいてた。

体が不自由な人とか、日常生活を送るのに絶対的な支援が必要な人とかには本当に良いと思うけれど、自分で動ける人たちが使うのは、便利さと引き換えに何か大切なものが失われてしまうような印象を受けた。

私は3台の大型テレビを多分30分近く1人で見ていたけれど、残り2台のテレビ番組が超ツボだった。

1台は、色んな民族の暮らしを編集した短いもので、同じものが5分おきくらいにリピートされていたけれど、私はそれを何度も何度も飽きずに見ていた。

もう1台は、天体観測の何かを特集したもので、占星術と若干絡んでいて、これもまたすごい面白かった。

ちなみにその先では、44歳の息子を殺した元官僚のニュースをしていた。←これも個人的に超興味があるけれど、音声が聞こえなくて残念だった。

で、その私がどハマりして見ていた番組は、色んな国の色んな文化的風景を集めたもので、まず何よりも心惹かれたのは、水の上で暮らす民族とその間を行き来する小さなボートの映像だった。

またまたホロスコープ話題だけど、私の月星座のテーマは「ハウスボートパーティー」というもので、縛られない生き方や非日常的なエッセンスを取り入れた生き方みたいな意味を持っている。

「ハウスボート」という言葉を自分のテーマの1つと知ってからかれこれ1年半くらいになるけれど、リアルでハウスボートをテレビで見たのは今回が初めてだった。

水の上に暮らす人たちも、そこでは普通に生活を営んでいた。

そして、家ではなくリアルハウスボートを所有している人がボートで移動しながら人を訪ねるシーンが出てきた。

それ見て知ったけれども、ハウスボートの上の人も、誰でも彼でもの家には行かない。

おそらく自分の好きな人たち、会いたい人たちめがけて会いに行ってる。

自分のボートに乗せるのも同様で、きちんと相手を選んでいる。

それ見て「これこそ私だなぁ」と思った。

今は違うけれど、1人暮らしやルームシェア的な感じでどこそこに住んでいた頃、色んな人たちが来てくれたけれど、私も一応呼ぶ人は選ぶ。

入れたくない人は呼ばないし(当たり前か…)、来てくれる人たち共通の点は「沈黙を共有できること」。

沈黙が重たい人たちは呼ばない、自分が疲れるから。

なんてことを思いながら、テレビの向こうのどこかの国の誰かのハウスボートの家での暮らしを見ていた。

自分に通じるものがあって面白かった。

場面が変わると、今度は中南米のどこか先住民の文化が色濃く残る地域の人たちだった。

織物の布にそもそも自然の染料で染めていたり、そのできたものを織り機で織ったり、さらに出来上がった刺繍的なデザインの布製品がテレビに映し出された。

メキシコを旅した時に、友達と2日間だけ会えた日があって、その時に友達のはからいで現地の織物を織る女の人たちの集落に行くことができた。

複雑な幾何学模様で、なんとこれだけグラフィックデザインというパソコンを使ってのデザインが最先端をいく中、彼女たちがする織物は先祖代々伝わるもので、織る人たちの頭の中にしか図案がないとのこと。

その図案をパソコンどころか紙面にさえ起こせないと説明された。

最先端の技術を使ってもパターンを起こせないらしい。

彼女たちが織るものは、本当に許された人たちだけの間で儀式のごとく引き継がれるもののようだった。

私は自分が刺繍や編み物を多少はできるからわかる。

ものすごい細かいデザインを、頭の中だけに置いてそれを実際の布や糸で正確に描写するなんて、はっきり言って神業の域だった。

そのことを思い出してた。

テレビでは普通に何事もなく映っていたけれど、その織り物には、実際はリモコンに話しかけたら何でも動いてくれるのと同じか、もしかしたらそれ以上の緻密な計算や作業が織り込まれている。

この凄さが画面だけでは伝わらないことが残念すぎる。

単なる民族の暮らしの紹介VTRみたくなっているけれど、実際はもっと凄いのになぁ…と思いながら見ていた。

相変わらず、社会見学と化してる仕事の面白さを感じながら、今日は今日でまた新しい社会勉強をして帰ってきた。




今日はテレビのモデルチェンジに伴う総入れ替え作業で、私はなんと75型と呼ばれる畳1畳ぐらいもする大きさのテレビも入れ替えした。←おじさんと一緒に。

担当者のおじさんからは、それさえも持てたことに、すごいお褒めの言葉をいただけた( ̄∀ ̄;)。

まさかいけるとは思っていなかったらしい。

ちなみにただ持つだけじゃなく、自分の目線の高さぐらいの棚の上に持ち上げることもした。

か弱いフリでもすれば良かったかな( ̄∀ ̄)。

言うけれど、重たいは重たいけれど、持てないほど重たいものではなかった。←怪力じゃないと言いたい!!!

ただ、格好はやっぱり浮きまくってた。

名古屋で名古屋駅敷地内にあるツインタワーと呼ばれる50階ぐらいの建物に派遣に行ってた時並みに、小綺麗にして行った。

靴も黒のパンプスでOLさんみたいな感じ。

もちろん、服装に規定があったからそうしたんであって、そうじゃなけりゃ最初から動きやすい格好にスニーカーで行った。

家電量販店の人たちはみんなポロシャツにエプロン、スニーカーみたいな感じで、おじさんでさえもカジュアルなシャツとズボン、スニーカーだった。

そんな中、1人浮きまくりな格好で大型テレビの箱やら販促品やらの大きなものをカートで運んだりしていたら、平日の客もほぼいなくて店員さんたち私語しまくりみたいなところ、遠くからでも視線を感じて仕方なかった。

綺麗なお姉さんがいる!の視線じゃないのが残念だった。

ただ、男の人たち9割みたいな場所だから、みんなにこやかに挨拶してくれて、なんなら女性率ゼロのバックヤードでゴミの仕分けをしてて、どうしていいかわからないものは近くを通りかかった男前な男性を捕まえて「これどこに捨てたらいいですか?」って聞いたら教えてくれただけじゃなく、ゴミ捨てまで一緒に手伝ってくれたv( ̄∀ ̄)v。

これも紅一点という条件ゆえのおいしい経験だった(o´艸`)。

仕事の終わりに近い時間、見たかったNHKのBS版の古代の石特集をしていて、これが本気できちんと見たい番組だった。

タイトル調べたら『奇跡の巨石文明!ストーンヘンジ七不思議』だった。

暇さえあれば、その画面を見ていた。

ペンジュラムを生まれて初めて見た時に似た感覚だった。

遺跡やメキシコのピラミッド見ても「ふ〜ん」の反応しかなかった私なのに、その番組は音声が聞こえないのに目に入った瞬間、目が離せなくなった。

魂の故郷と通じてるのか(笑)、その映像が虜になるぐらいに気になった。

きちんと見たいから、これから毎日NHKの再放送予定サイトをチェックしよう( ̄∀ ̄)。




このブログの最初に「洗濯機と冷蔵庫を見に行ったのが【最後】で…」のくだりの部分を書いていて思い出した。

つい最近『令和初デート』と題して文を書いた時、じゃあ平成最後のデートってどれだろう…と思った。

そのことも書く予定でいたのに、書くことをすっかり忘れていたことをさっき思い出した。

ちなみに「令和初デート」とタイトルにはしたけれど、あれは私的にデートではなかったから、実際に元号が変わってからのデートはしてなくて、本当にいつかするような素敵な話が舞い込んだら、その時は本物の【令和初デート】になる。

それは素敵な思い出となるデートに絶対したいなと思った。

平成最後のデートは思い出すのがとても難しかった。

本当に「デート」とするなら、じゃあ誰と最後にデートしたのか…みたいな、記憶をほじくり返すほどたくさんはしてなくても、パッとは出てこなかった。

あまりにもどれもこれも曖昧過ぎた。

特に30代でしたものは、思い出しても「したかった」デートではなかった。

代わりにはっきりと覚えていることがあって、それを私の中の「平成最後のデート」の思い出にしようと決めた。←今日じゃなくて、「平成最後のデート」が何かを考えた日に決めた。

私がはっきりと覚えているのは、平成最後にデートしたかった人だった。

デートはできなかったけれど、ものすごく色濃く自分の中に残っている。

きちんと誘った。←人生における大快挙。

全く上手くいかなかったけれども、誘ったは誘った。

もしいいよと言われたら、どこに行くつもりなのかそんなのも考えずに、何はともあれ時間を共にするために「誘う」ことから始めないといけなかった。

すごい緊張もしたけれど、言わなきゃ動きそうにもない事態を前に、私はありったけの勇気と行動力を振り絞って誘った。

その後は色々上手くいかないだけじゃなく、起こって欲しくないこともどんどん起きてしまって、私は事を荒げただけで、デートなんていう甘い空気は微塵もなかったけれど、それでも思い出として色濃く残った。

それが私の平成最後のデートの思い出だった。

上手くいかなかったことや、その後の非常に受け入れ難い現実なんかは、今思い返しても全然良い意味では残っていないけれど、それでも最後を飾る人物がその人で良かった。

展開の良し悪しは抜きにして、自分の中に残って欲しい思い出に相応しい、そういう人が自分の平成最後のデートの思い出になるのは、単純に嬉しい。

きちんとしたデートよりも、デートさえできなかった諸々の方が私の中に残った。

したデートではなく、したかったデート、デートしたかった人物が平成最後を締めくくる「デートの思い出」になって良かった。

長生きするならもう一度元号が変わる瞬間に人生で立ち会うことになると思うけれど、その時も、なんなら人生が終わる間際も、平成最後のデートの思い出は残る気がする。

書いてて思った。

実は当時のことを「デートに誘ってる」と思ったことはこれまでなかった。

そう思ったのは、今回が初めてだった。

私はデートに誘ってる気はなくて、無我夢中で、とにかく一緒に過ごす時間が欲しくて、そのための声掛けと捉えていた、ずっとずっと。

その人と言葉1つでいい、交わす時間が欲しかった。

「(時間を作ることは)できない」という言葉はあまりにも残酷だった。

もちろんそんなのは相手に選ぶ権利がある。

だけど、少しの時間さえも作ることができないというのは、私を打ちのめした。

頭を鈍器で殴られたみたいな感覚だった。

色んな女の人たちから声をかけられそうな人だから、その人からしたら過去に何人十何人と誘ってくる女の1人と同じかもしれなくても、私にはたった1人の人だった。

私の精一杯の覚悟と行動力は、一言でバッサリと切られた。

全く大丈夫じゃなかったけれど、普通のフリして一言言葉を返した。

今思えば、その時だけが唯一、個人対個人として言葉を交わした時だったかもしれない。

棒読みみたいな終わりの挨拶ではなくて、個人の言葉、それがたとえ短くても、個人対個人だった感じがする。

「できない」と言ったその人は、一瞬だけ顔を上げて私の方を見た。

私の中でありとあらゆる感情が一瞬にして絡まり合ったけれど、相手の意志をどうこうすることはできないってわかっていたから、その場を離れた。

当時の感覚、今もリアルに思い出せる。

なんなら感覚を追体験できるぐらいに、はっきりと覚えている。

私の真意が何も伝わってない気がしたから、その後の私はさらなる暴挙に出たけれど(※告白じゃない)、本当は知ってて欲しかった。

私は少しでもいいから時間が欲しいだけだった。

一緒に過ごすわずかばかりの時間が欲しかった。

高嶺の花すぎて、最初から彼女になりたいとかいうような図々しいことは思わなかった。

そんなことを思うことさえはばかられた。

そんなことを思ってはいけない気がした。

少し、本当に一生に一度きりでいい、共に在る時間が欲しかった。

ただ同じ空間にいて、同じ時の流れにお互いいて、その瞬間を共にしたい、そういう気持ちだったと今になって思う。

相手のことも知りたかったけれど、それよりも共に在ることの方が、今となれば無意識のうちに重要だと感じていたと思う。

デートの誘いと思わなかったのは、そういう気持ちが裏側に強く強くあったから。

そして、私が誘っていたのは、今思うと魂の願いを叶えるべく誘っていたと思う。

少しでいいから2人だけの時間が欲しいね、って。

でも一刀両断するような相手のNOの返事に私は返す言葉もなく、時間は本気の本気で欲しかったけれど、あきらめるしかなくなってしまった。

苦くて鈍くて重苦しい時間だったけれど、あまりの痛みにすべてをぼやかそうとしていた自分もいたけれど、それが平成最後のデートの思い出だった。

どこまでも悲しい瞬間の出来事になってしまったけれど、一生忘れることのないものにもなった。

そして、どんなに悲しくてもそれを持てることの方に意味がある、今はそう思っている。

ハッピーエンドではない何もかもの中で、悲しくても悲しい時間が一瞬でもその人を通じて流れたことが、今となっては一生の宝物みたいに大切なことになっている。




今日伺った量販店の入口で入店証をもらう時に、担当してくれた人の苗字が、平成最後にデートしたかった人と同じ苗字だった。

しかもお店のこだわりなのか、すごいでかい文字の名札で、いきなりど出発がそれで、あぁ今日は良い日だなぁなんて単純に思えた私。←相変わらず頭の中がおめでたい 笑。

さらにさらに、入店するのに署名が必要で、先に担当者のおじさんが名前を書いた。

今度はおじさんの名前の一文字とそのデートしたかった人の名前の一文字が同じだった!

何このシンクロ祭りv( ̄∀ ̄)v

何か幸運が巡って来るのかと勘違いするぐらいにおめでたい仕事始めだった。



[写真]
メキシコのある先住民の民族が織りなす伝統的な織り物。

1枚アップされた模様のモチーフはカエル。

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