2019年1月31日木曜日

奇跡の果実▷ウラ話②

【ウラ話②】
>>>2019/01/30
相変わらずカードリーディングの動画にハマってる。

4ヶ月ほど前にアップされたとされる動画を見ていた。

そのカードは私もいつか書店で見かけたカードで、なんなら自分でも触ったことのあるものだった。

見たことがあるから、どんな風に読み解くのかな…と気になった。

私が見たことのないカードばかりが続いて、どれもこれも斬新な気持ちで眺めていた。

途中であるカードに当たった。

私は絵柄を見てもわからなかったけれども、その動画の方がとりあえず解説書を読みますと言って読み出した時に、すぐ思い出した。

それは『魔法の小川』と題されたカードだった。

そういえばそれだった、と思い出すと同時に、その時自分が手にしていたものを見て度肝を抜かれた。

自分がちょうど手にしていたものにも『小川』と書かれていた。

その偶然にビックリしながらも動画の音声に戻った。

話を聞いていると、その方が解説書にはない独自の読み解きを喋り出して、あぁ全部繋がっていると感じた。

その方の読み解きのところで一番印象に残ったところを紹介したい。


【自分が気付いた大事なことは周りにもそのエネルギーが伝わる。
その気付いたことを表現すれば、世界に伝わっていく。】


この時点で私は『ウラ話①』をアップしたばかりで、タイトルも決まっていない⑥を書き途中になっている。

⑥も盛りだくさん、というかこの後もひたすら盛りだくさんの内容を前に、正直書くのも辛くなってきていた。

書いてても頭の中でさっぱりまとまらない。

というかそんなものを私は最初1つの記事で全て済ませようと思った、その思考回路について問い合わせたい、どうやってまとめるつもりでいたのかと(  ̄Д ̄;)。

もうすべてを伝えるなんて面倒だし、途中適当に選んで書くでもいいのかなと考えた矢先のこのカードだった。

気持ちを新たにした。

やっぱりこの『奇跡の果実』シリーズは、はしょったりとか要約したりとか、そういうことをしていいものじゃないと。

とにかく自分の中に印象が残ったものをひたすら言葉にして、それを発信すること、それが大事なんだと思った。

その魔法の小川の前なのかその解説の一部なのか、今自分のメモ書きを見ても思い出せないけれど、こうも言われた。


・自分のところにやってきた情報は自分だけのものじゃないから、積極的にシェアする。

・messenger(メッセンジャー)ーー
言葉で表現する力を多く与えられている。
多くの人に言うことを恐れないこと。


今回の一連のことはまさにそれで、自分だけのものだという感じがしない。

情報と呼んでいいかどうかはさておいても(ちなみに動画では『ガイダンス』という言葉だった)、とにかく大切だと私は感じている。

だから、それを独り占めするのじゃなく、他の人たちも見れるようにとりあえず見える化(=このブログ)しようと思った。

さらにメッセンジャーの部分を聞いて、「!」となった。

去年の7月に受けた人生2回目のホロスコープ鑑定の時にも、


・快適な文章能力や会話能力を持つ

・自分は何ができるかをまずは知ってもらうのが大事。セラピーのことなんかを書いていくと良い。書くことでファンやお客さんもつくのではないかと思う。


そして、去年、半年ほどかけて通った占星術講座の時にも先生から


・霊感、言葉が降ってきやすい

・メディア(インターネット)での発言力を持つ


ということを言われていた。

これは、いつかの『奇跡の果実』の中で書いていく予定だけど、私は書くことそのものは基本的に全く苦痛にならない。

これだけ書き続けていても、全く嫌にならないし、体や頭は多少疲れても、その疲れる理由は「書くこと」じゃなくてそれ以外のところにある。

「言葉が降ってくる」という表現が合っているかどうかはわからないけれども、言葉が思い浮かぶからそれを単に書き綴っているというのが、このブログもそうだし、他の何かにしても基本はそのスタイルになっている。

今回のシリーズで言えば、思い浮かぶというよりも、単に体験したこと・その時に感じたことをそのまま書いているだけだから、書くことそのものはさらに力が要らない。

ただ情報量があまりに多すぎて、それを頭の中で整理できてないから面倒くささが生まれているだけ。

たしかに「“言葉で表現する力”が多く与えられている」というのは本当だと感じる。

その辺りのことも、この『奇跡の果実』シリーズの中でどんどん気付かされることが出てきている。

⑦以降いつになるのやらさっぱり予定は立たないけれど、その言葉で表現する力についても書いていく。

とりあえず⑥…。

これは言葉が出てこないんじゃなくて、大元の情報量が多すぎてどこから手を付けていいのかわからないのと、言葉もすでにあるけれどもどう組み合わせて言えばいいのかがわからないだけ。

そう、だから「言葉がない」という事態ではない。

講釈はいいから、書き始めよう…( ̄∀ ̄)。



2019/01/30 夜9時すぎ
「啓示」について調べたくて、ヒーラーのOさんから紹介してもらった本があった。

その本は結局なくて、それを探しているうちに本当に必要な本に行き当たった。

その本をTSUTAYAのオンラインで注文かけて、到着したと連絡がきたから今日受取店舗に取りに行ってきた。

ついでに2軒ブックオフ寄って、他のTSUTAYAにも寄った。

他のTSUTAYAは別に行く用事もなかったけれど、ペンジュラムがGOサインを出して、それで急遽予定にもなかったけれども立ち寄ったに過ぎなかった。

驚いた。

その立ち寄ったTSUTAYAに、Oさんが紹介してくれた本のシリーズの1冊だけがなぜか置いてあった。

しかもないだろうと思って本棚を見ていたら、そして今日取りに行く予定の取り寄せた本の著者の他の本はないかな?と思って見ていたら、そちらがあった。

ものすごくビックリした。

専門書が揃っている店たちにもなく、TSUTAYAの中でも品揃え豊富な店舗にもなく、そして言うなれば今日行った店は品揃えは基本的にいつもイマイチ。

そして、サブカルチャーと看板掲げるだけあってスピリチュアル系もかなりライトな感じで、一般大衆ウケするようなものしか基本は置いていない。

なんなら、スピリチュアルと自己啓発と医療と心理と宗教が一緒くたんに置かれている、ものすごく適当な配置をしている店舗だったりする。

そんなところに置かれていた。

この本に出合うのが今日のタイミングだったことにものすごく合点がいった。

何軒も回って本がなかった理由がより一層とはっきりとした。

座って必要なところだけ拾い読みしてきたけれども、もし最初からこの本にきちんと巡り合えていたのなら、私は史上初のスピリチュアル本で涙を流した今回取り寄せた本には絶対に出合わなかった。

拾い読みしてわかった。

Oさん紹介の本は、霊的な教えを学術的に学びたい人向けという感じで、私にはかなり難しかった。

そして欲しい情報をそこから見つけ出すのは至難の業とわかり、その欲しい情報を見つけられなくてもさっさとあきらめたと思う。

さらに欲しい情報がありそうと思って開いたページに、その情報に関して、他の著者の書籍が紹介されていて、それらの名前やタイトルをネットで検索したら、本当に欲しかった情報にかなり近いものも手に入れた。

しかもそのネットの情報を見て、Oさんが言っていただろう内容にも行き着いて、それが今書いている⑥の話に反映されることになった。

当初、検索するための言葉さえ知らなくて、それでネット検索をあきらめて書籍に頼ることになったけれども、今は検索ワードも知ったから、余計と当初紹介された本は要らなくなった。

ごちゃごちゃと書いたけれど、結局言いたかったのは、その本を見つけられなかったおかげで私は今回の取り寄せ本に行き着けたということが本当にはっきりとわかった。

そう、ずっとどこにもなくて正解で、友達も図書館も持ってなくて大正解だった。



そのTSUTAYAを出て、車は大きな国道に入っていった。

遠くの赤信号に合わせて私も前の車の後ろについた。

見覚えのある形。

もう外は暗かったから、いくら交通量が多くて車のライトで全体的に明るいと言えども、そもそも車に興味のない私に前の車が何ていう車種なのかなんて文字の判別は不可能だった。

かなり近くて前の車の人には申し訳なかったけれども、私は自分の目で読める距離まで車を前に出した。

前の車の右側を見る。

やっぱり正解!

受取店舗の方のTSUTAYAに着いて、入口に向かった。

入口に一番近いところに止まっていた車を見てビックリした。

さっきの車の色違い。

というか、その車こそ大当たり。

同じ車の同じ色。

TSUTAYAに入る前から、取り寄せた本が本当に当たり本だと確信した。

少しだけ店内を見た後、即レジに向かった。

ビンゴ!

〇〇と書かれた名札を付けた店員さんだった。

1台目の車と2台目の車、そして店員さんには共通点がある。

その店員さんは、今回の一連の流れの中で友情出演的にやたらと見えないところで協力をいただいている人物と同じ苗字で、1台目の車がその人と同じ車種で、そして2台目の店の入口近くの車は、同じ車種のその人と同じ色の車だった。

たかが15分ほどの間の出来事だった。

これだけシンクロが起こって、しかもそのシンクロの共通項はある人物。

その人絡みのシンクロが起こる時、それは単なるYESのサインじゃない。

“超重要事項”を表すサインになる。

やっぱりこの本、タダモノじゃないんだなとわかった。

その人が直接関係していなくても、その人にまつわるサインを一気に3つも(見えない世界から)出してくる時というのは、相当珍しい。

そんなこと年に何回もないし、今回はそもそもスペシャルな本を取りに行く時だったから余計と特別感が増した。

しかも、その取寄せ本は今年の仕事始めでいただいたお金の一部で購入させてもらった。

自分ができることを提供して、それに対してお金をいただいて、さらにそのお金で学びの分野に投資して、そして自分に役立てる。

良い巡りを感じる。

帰りの車の中で、「そういえば今日は何の数字になるんだろう?」と思ってさっと計算した。

私の頭の中は何を勘違いしたのか、最初27日と勘違いして22が出た。
(2019年1月27日→
2+0+1+9+1+2+7=22)
↑どんな勘違いかと思う、相変わらず( ̄∇ ̄)

ゾロ目はマスターナンバーと呼ばれて、ちょっと特殊だったりする。

ちなみに通常、例えば足して12とか普通の数なら1桁になるまで足して、次は1+2で最終的には3になる。

いや、今日30日じゃん(  ̄Д ̄;)と思い直して、足したら7になった。

たしか…と思って計算して、納得。

その人と出逢った日も7だった。

あぁそういうことかと納得した。

通常なら22の方が凄いという風に見られるけれども、私にとったらこうした記念すべきことがある時に7という共通の数字が出ることの方が意味合いとして凄い。

この本はやっぱりお迎えするものだったんだと運転しながら思った。



今日の全体的な気分は、2週間ぐらい前に、おじいちゃんのご家族のAさんと会った後の感じに似ていた。

すごくやさしい空気に満ちていて、私は何度も泣きそうになっていた。

表面上は、本のチェックか車の運転という何も特別なことはないけれども、それでも胸に迫る想いが色々あった。

ゾロ目の意味もそのうち知ると思う。

今日はゾロ目だらけだった。



>>>2019/01/31
ウラ話を2連投するつもりはなかったけれども、⑥がまだ書き終わらないのと、ウラ話サイドもやたらに盛り上がってきて、すぐにアップできるのはこっちだからこっちをアップすることにした。
(明日こそ⑥[タイトル未定]を書き終えることができますように←切実な願い( ̄∀ ̄))

昨日のゾロ目の正体は、今日になってもっとはっきりとした。

あれは予祝みたいなもので(字のごとく、予めお祝いしておくこと)、やっぱり昨日感じていた「これで全部大丈夫!」という感覚で合ってたんだと知った。

そもそもゾロ目は2017年の夏から日常茶飯事になっていて決して物珍しいわけではないけれど、昨日はとにかく「またゾロ目?」と思うぐらいの多さだった。

普段30分のドライブで3〜5台なら、昨日はトータルで同じ時間の長さで10台以上見たんじゃないかなと思う。

実は昨日、新たな癒しのレシピをキャッチしていた。

私が『癒しのレシピ』と呼ぶものは、本人から何かしらの形で今現在ある状況や問題に関して話を聞くと、その答えやヒントが私のところにやってくる。

それだけを見ると、『奇跡の果実』シリーズには全く無関係のない人の話みたいに見えるけれど、実際は違う。

いつか書いた、私がメロメロ(o´艸`)になる男の子の癒しのレシピと連動している。

しかもその子は単に私に英語の添削のお願いのためだけに連絡をしてきたんであって、癒しのレシピは当初予定になかった。
(その子とか男の子とか呼んでるけれど、実際は成人した男性…( ̄3 ̄)。出会った時が子どもだったからその癖が抜けない。)

それが私のところに情報が来たから、それを伝えた。

というところに端を発して、今大きく事が別の方向に動き始めた。

そこは書くと長いから今は書かないけれど、このことさえ今回のおじいちゃんの件と見事にコラボしている。

おじいちゃんの霊のおかげなのか、それとももっと上の層の見えない世界の人たちのおかげなのか、物事の起こり方が半端ない。

そこもまた『奇跡の果実』シリーズの最後あたりに書くと思う…(多分)。

だから代わりに今日は、素敵な英語のフレーズを紹介。

この子が直近で送ってきた英文の内容が痺れそうだった(o´艸`)。

その子が最近ハマっているaviciiというミュージシャンの曲の一節を使いたくなったから試しに使ってみたと本人は言っていて、“the nights”というタイトルの曲の歌詞とのこと。

【live a life you will remember】

ーー記憶に残る人生を生きる

私に向けられたエールみたいだった。



カードリーディングの人の動画は、実はいきなり本物の人に当たっていることに今日気付いた。

その人が動画の中で「他のカードリーダーの方たちは(カメラの)三脚に引っかかった時はどうしてるんだろう?」という言い方をした時があって、もしかして普通にたくさん動画があるんだろうか?と思って、youtubeの中で「カードリーディング」と入れて検索してみた。

たくさん動画がヒットして、適当に「まだ見れるかも」と感じた3人ぐらいの人たちをチラ見した。

「まだ」とか言って失礼極まりないけれど、私は今も適当なスピリチュアルの人たちが本気で苦手で、甘い言葉を囁いたり、その情報おかしくない?みたいなことを平然と発信してたりとか、そういうのに対して蔑視に近いぐらいの感情を抱いている。

チラ見の3人も本当に内容が薄っぺらい感じで、完全に軸がズレていて、そして多分自分の内面が見れてないから言葉に深みがない。
(↑本気で失礼だけど、私の率直な感想)

私がハマっている動画の人のものは、超現実的なアドバイスや語り口になっている。

例えば、「泣く時は思い切り泣く」とか、「これまで経験してきたものは、あなたにしかわからないもの」とか。

簡単な言葉なのに、その人が言うとめちゃくちゃ深みや親しみがある。

そして、その方の動画の背景がすごく好き。

視聴者が見やすいようにすごく用意してくれているのは伝わるけれど、かと言って良く見せようとしてなくて、等身大のその人のまま撮影している。

普通に言葉かみかみになったり←ちなみに超それが可愛い♡、ピントが合わないとか言って何度もカードをカメラに近付けたり遠ざけたりを繰り返したり、その間も独り言のようにぶつぶつ言ってる姿も微笑ましい。

そしてテーブルセットとでも言えばいいんだろうか、それがまた私のドストライクゾーンで、私がここ数日前からメキシコの刺繍のランチョンマットみたいな布をテーブルに敷いているのもその人の背景に感化されて。

その布の上にペンジュラムやオルゴナイト、メッセージカード、名刺のお守り、占星術サイコロ、菩提樹の木の実のペンダントなんかを置いている。←形から入る人。

それに比して、今日チラ見した人たちのものはそもそも背景が好きじゃない。

いかにも怪しいスピリチュアル感を出していて、例えば不自然なくらいに白いとか←まるであの世、ヒーリングミュージックみたいなのが流れていたりとか←そちらの音が喋っている人の声を邪魔している、なんかピントがズレている。
(このぐらいで止めるけれども、私の中に超絶苦手スピリチュアルというのがあって、その辺りを喋り出したら聞くに耐えられないぐらいの毒を吐いてしまう( ̄^ ̄))。

ってのを見たら、私いきなり初っ端から超本物に当たったんだとわかった。

ちなみに私がその人を知ったのは、他の人のブログ経由のツイッターだった。
(私はツイッターしていないから、機能は知らないし、常にその画面がすぐ出る設定にしている)

私は1年前の12月から、そのツイッターというよりその別の方のツイッターサイトを毎朝起きてすぐに必ずチェックしている。

その人もきちんと言葉を下ろせる人だというのがわかる。

その人は何かで見つけて、実際にご本人とやりとりさせてもらった時もあって、そしてその方が毎朝呟くメッセージが本当に良くてそれで見ている。

私が見ている動画はその方がご紹介されたものだった。

その紹介者の方は私が毎朝チェックしていた1年の間でそんな風に誰かを紹介したことが一度もなかったから、その人が紹介するぐらいの人ということで気になって見たのが1ヶ月ほど前。

そのカードリーディングの方の世界観や癒す力が半端ない。

そんな風に最初からその人に当てさせてもらえて、私はめちゃくちゃラッキーだった。

ゾロ目見まくりだった昨日の夜、その人の動画を見て感じたことをノートに書いた私のつぶやき。


内面的な自信
X何かを成し遂げての自信
◯弱くなっている、何も社会に提供していない自分、そういう時の自分とも一緒にいられたこと
そうした時を何とかのりこえたり、やりすごしたことでついた自信
→だから揺るがない。

◯◯さんに愛されなくても
自分の足で立てたこと
ものすごく愛されたくて仕方なかったけれど、
それが叶わなくても、笑ってる自分や
楽しくすごせてる自分
他の涙も流せる自分
そういうものに気付けて、
そうした中でつけてきた自信。


【補足】
私がつけた自信は、究極にダメな自分といたことでついた。

何年か前までの私は、自信というのは、何かを成し遂げたり積み重ねてつくものだと思っていた。

ところが、いくらやってもキリがないことに気付いて、そして何もしていない自分では認めてもらえないって何?となって、私の中は完全崩壊した。

周りからも理解されないどころか何か色々言われたりしたけれど、周り以上に私を否定して駄目出ししまくりだったのは、他の誰でもない私だった。

そういう自分とも何とか妥協点を探して歩み寄りしたことが、今となっては良かった。

本当に愛されたい人から愛されなくても、それでも私は立っていたし、亀のような歩みでも時間の上を歩いてた。

色々ありまくりだったけれども、その中で立っている自分、立てた自分、そういう自分がいたから今がある。

そういう最低最悪な自分ともいられたから、やっと少し「大丈夫かも!?」というのが出てきた。

立ち止まっても、何にも価値を提供してなくても、むしろ社会のお荷物っぽくなってる時でも、その自分といられたことが私を何よりも強くしてくれたと思う。

ちなみに、◯◯さんは車の人物。

内面的な自信については、この『奇跡の果実』シリーズに含むかはわからないけれど、いつか発信したい内容の1つ。

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