2019年1月2日水曜日

私の体質について

「癒しのレシピ」として発動させたことの裏側を書きたい。

そして、この癒しのレシピこそが自分の体質に気付くための大切なプロセスだった。

多分、最初に気付いたのは、まださくらが満開に咲いていた頃の話(2018年4月)。

色んなことが重なってなかなか眠れないと話を私にしてきた友達がいた。

その友達は別に眠れないことを相談したのではなく、単に今の状況を私に話しただけだった。

一瞬「ハーブティー」という言葉が出てきたけれど、無視した。

そうしたらその後、「ハーブティー、ハーブティー、ハーブティー」と3回、音のないでもやたらと強い言葉がやってきた。

そこでようやく友達の話を中断して、なんかよくわからないけれど、ハーブティーという言葉が出てきて、多分それは眠りを助けてくれることだと思うと伝えた。

ペンジュラムにも聞いたらYESと出た。

これが、初めて私が「自分の体質」に気付いた時のことだった。

言葉で「自分の体質」を説明すると、私は目の前の人からその人自身もしくはその人に関わりのある人の問題や悩み事なんかを聞くと、瞬時にその問題や悩み事の解決策やヒントを得る。

そしてその解決策やヒントは、どうやらその当事者の人の潜在意識や魂からもたらされているようで、それを伝えるとその後色んな変化を相手の人が体験するようになっている。

この体質というか能力というかに気付いたのはほんの数ヶ月前で、私自身もまだまだ自分のこの体質の全容がわかっていないし、本当に相手の潜在意識や魂から情報をもらっているのかどうかも定かではないし、そして自分でコントロールできることでは一切ないから、正直まだまだわからないことだらけだったりする。

コントロールできないと言うのは、私の方で意図して相手から情報をもらおうと思ってもらえるわけではないし、来るタイミングや内容も自分では選べない。

しかもどこまでが自分の考えでどこからが相手からの情報なのか分別がつきにくいから、その辺りも毎回混乱する。

そして伝えた後の予後に関しても、私はどうなるかなんて予見もできないから、後から教えてもらって初めて知ることばかりが続いている。

これはのちにわかるけれど、私の場合、この体質が発動したのが実際にいつからかはわからない。

自分で自覚できたのが2018年の4月にしても、それ以前も無意識にキャッチしてたと思う。

というのも、実はそれまでも普通に人の話を聞いていると、何かしらそのテーマに関してポンポンと色んなことが勝手に浮かぶのは常だった。

色々感じたことを感じたまま話してはいたけれど、私はそれは単なるちょっとだけカウンセリング的なことをしているのかと勘違いしていた。

さらに言うと、人によっては相手を怒らせていたから、私は相手から求められない限り言うことを避けていた。

今ならわかる。

おそらくだけど、怒った人たちは私側の伝え方に問題があったのではなくて、相手側にすると図星で本人が避けたいテーマをズバリ言われるからそれに反応していたと思う。

だけど、私は自分に自信がないのと、無駄に人から怒られてこちらもその後意気消沈してズルズル引きずるのが嫌で、それで私は相当相手の空気を読むクセがつくことになった。

私もアドバイスとして言ってるつもりもなく、パッと出てきたものを言ってるに過ぎなかったから、そして私は客観的にその出てきたものがなぜか「良い」と感じていたから、その時は迷わずに伝えていた。

けれど怒られる可能性はあるし(ちなみに本当に怒らせたのは記憶にある限り2人だけだけど、私にはトラウマ級に記憶に残った)、そういう事態を自ら招くのも嫌で、だから色々わかっていてもあえて何も言わないとか、色々と避けていた。

で、話は戻ってハーブティーの友達の時のこと。

一応友達には「言ってもいい?」と確認してから言った。

これはこの後私をめちゃくちゃ助ける魔法の言葉になるわけだけど、私はまず相手に「今パッと出てきた言葉があるけれど、言ってもいい?」と聞くことをしてから言うようになった。

今後に関しては、相手が私をどう思ってもいいから、何か出てきた時には私の体質も伝えた上で出てきた言葉を伝えようと思っている(←2019年正月現在)。

その友達と会った後、やたらとだるくなった私は他の用事をすべて取り止めにして帰ったけれども、2018年は何か自分の体質的なものに気付くと一度は体の具合が悪くなるのも特徴的だった。

おそらく、自分の中の古い価値観や自分が苦しくなる思考パターンなんかを手放すことで一時的に具合が悪くなっていたんだと思う。

好転反応と呼ばれる、体や心が良くなるために起こる1つ前の状態みたいな感じ。

大体半日から1日もすると良くなるし、回復するとそれ以前よりも体の調子も頭の中もスッキリするから、良い変化だと私は認識している。

次は、オルゴナイトを紹介した人40人くらいの中の1人の方からだった。

オルゴナイト作家さんに会う前に、オルゴナイトが渡った人たちから感想を聞いて回っていた時に起こった。

感想に付け加えて個人的な気持ちや思いを聞いて、「えっ!?それ絶対に違う気がする!」と瞬時に感じた。

本人も苦しくなっているし、オルゴナイトが悲しんでいるのか何が悲しんでいるのかは全くわからなかったけれども、何かが違うことはわかった。

そこで私は出先の車の中で、色々メッセージ的なものが思い浮かんだから、車を適当な駐車場に止めて、それをひたすらメールに綴った。

すごいぶっ飛んだ内容で、その時はさすがに「これ私の意見や考えじゃない」というのはわかった。

その時相手に向けて書いた文章にもその形跡が残っている。

>>>私書いててなんなんですが、本当に何と交信してるのか全くわからないのでその辺りの細かなことは一切答えられないですが(なんで、疑われても反論の余地もないです 苦笑)、少なくともペンジュラムがグルングルン勢いよくYESに回るので、それだけが唯一私が「絶対的に私ではない何か別のところからの**さんに向けたメッセージ」という風に断言できます。>>>

次の人は、私は相手の名前も顔も知らず、友達の友達として紹介され対応した人だった。

少しその友達の友達の抱えてるものが何かを聞いて、その子に向けて何か癒しのヒントがあったら教えて欲しいと言われた。

当時の私は何もわかっていなくて、本当に興味の赴くままに、前々から試してみたかったことをした。

ペンジュラムと図解的なヒーリングの本を使って、そこからその人個人に向けたヒントを得ることだった。

本は全部で7つの主要な体のチャクラについて解説されていて、それぞれの癒し方や扱い方が書かれている。

それをペンジュラムを使って、どのヒントがその人に必要かを探り当てたのと、他にも私独自の発想や感情の癒しのヒントから、ポンポンと思い浮かんだことを組み合わせて、その人専用の癒しのヒントを書き上げた。

それを私の方で『癒しのレシピ』と呼ぶようになった。

これもおかしなもので、「癒しのレシピ」という言葉がパッと浮かんで、それで自分の中でそのまま使っている。

それは友達の友達に非常に喜ばれたのと、この行為がまさかまさかの展開を生み出した。

なんと、友達の友達は、その後何年も患っていた健康面での症状が劇的に回復した。

私は医療の専門職でもなんでもないけれど、それらに関して心理的なアプローチをいくつか提案した。

そして、そのぐらいの時期に、こうしたことを話せる友達から私は脳の松果体についての本を借りた。

友達は「これ読むと、ぶっしーのしていることが載っているんだよね!多分ぶっしーがしているのはこういうことだと思うよ」と説明されながら、渡された本だった。

当時私が立てた仮説はこうだった。

私自身が何を情報として引っ張ってきているのか、そしてその出どころがどこかはわからないけれど、癒しのレシピがそれぞれの人たちのパターンを変える1つのきっかけになっているんじゃないかと。

例えば毎朝起きてすぐは何もしなかった人が、ストレッチをするようになったら体が柔らかくなる。

そうしたパターンを変えることで起こる変化たちなのかもしれないと思った。

私が伝える癒しのレシピには、そのパターンを変えていく効力みたいなのを持っているのかもしれない…、と自分では予想している。

ちなみにそれは私がすごいのではなく、単に相手から直接情報をもらっているとするなら、本人が本人に向けて私を使ってメッセージを伝えているようなものだから、良くなるのはある意味とても理に適ったことだと感じる。

実際はもう少しマニアックな言葉でこれらのことに仮説を立てたけれど、その仮説はおそらく当たりで、私はその直後発熱して体調不良を起こした。

それもすぐに治ったけれども、今も振り返るとその考えで合っていたと思う。

で、これは今思うけれど、私はすでにその時から相手の潜在意識から何かしらのヒントを得て癒しのレシピを作っていたと思う。

というのは、そんな顔も名前も知らない誰かに向けて、やたらと具体的なアプローチをいくつも書き出すというのは、普通に考えて有り得ない。

本だけではなく、どういったポイントにヒントがあるのかもパパパッと瞬時に思い浮かんだし、あとはペンジュラムでYES NOを確認して必要なメッセージだけを抽出して言葉に起こすだけで良かった。

私からすると、そうしたことをしている最中は、それが合ってるのか間違っているのかさえもわからない。

だけど、よくよく考えたら、その時の方法も私はいきなり思いついてやって、そんなのどこにもやり方なんて書いていない。

いきなりやっていきなりできたわけだから、そのこと自体が普通ではないことがわかる。

今頃になって普通じゃなかったなぁと気付いた。
↑相変わらずぬけてる。

私もそのやりとりが面白くて、さらに別の友達にモニターをして欲しいと頼んだぐらいだった。

そのモニターの友達にも、同じ手法でやった。

これはけっこうキツいものがあった。

なぜなら、1回目の友達の友達の時とは違って、やたらとキツい言葉ばかりがその本から抽出されて、「えっ!?これ言うの?」という感じだった。

案の定、友達からはものすごくショックな言葉が並んできつかったと言われ、その後に友達は大きな出来事を体験して、そこでようやく色んなことが中和されたことがわかった。

で、その数ヶ月後の先月のいつだったかに、友達の個人的な話を聞いた。

私はまだその時もピンと来ていなかったけれども、今さっき読んで納得した。

その数ヶ月前にそのモニターの友達に書いたキツい内容は当たりというか、もっと大切なメッセージが含まれていたことに気付いた。

そして、友達が口にした個人的な話と数ヶ月前に渡した癒しのレシピが見事きれいに繋がった。

だから、余計と私は確信が持てた。

たしかに言葉はキツいものではあったけれども、それは本人にとって大切なメッセージで、そしてそれは当人だからこそ響くようになっていること。

そして、どの癒しのレシピも共通して、それを受け取る人たちが良くなるためにやってきていることもわかってきた。

続いては、別の友達にもモニターをお願いしていて、友達のタイミングで「今欲しいな」と思ったら私に連絡して欲しいと伝えていた。

本当は友達から連絡がくる予定だったにも関わらず、その時は全く予定外の時にやってきた。

別件で友達と連絡を取った時に、友達は返信に最近の近況を数行だけさらっと書いてきた。

友達は単に近況を話しただけで、私に何かを求めていることは一切なかった。

だけど、私はそのメールを読んだ瞬間、その数行の情報から一気に色んな情報をもらい受ける感じになった。

その日は本気で寝込むぐらいに具合が悪かったくせして、今書かないと忘れると思って、私は一気に来た情報を布団の中で横になったまま書き上げた。

たかが30分ほどで19個ものヒントを書いた。

そうしたら友達から返信がきて、まずは私が友達の様子を透視してるのかどうかを聞かれた。

透視もしてないと言うよりできないし、私の話したことが本当に必要なのかどうかも私にはわからないことを伝えた。

実際にどんな風だったのかをもっと詳細に説明したけれど、友達いわく私が友達の生活の中に潜入して実際にその状況を目の前で見て、それでそこから分析をして情報を得ているのかと思ったらしい。

それぐらいに私の情報は的確且つ超具体的で、隣りで見ていたとしか思えない、あまりの情報の正確さに度肝を抜かれたと言われた。

さらに、その中で使ったある言葉が、友達もまさに全く同じ言葉をその状況に対して自分の中にも持っていて、まさかそれと同じ言葉を私が言ってくるなんて思ってもみなかったと言っていた。

言葉自体、超マニアックで知ってる人いるのかな…というレベルのものだったから、そんな言葉を私がさらりと書いていたことに心底驚いたと言われた。

その友達は他にも細かく分析してくれて、その分析内容をすべて私に教えてくれた。

この友達のおかげで、私の方でも、どうやら相手の潜在意識や魂から情報を得ているということに対し、本当にそうなっているのかもしれないと思えるようになった。

最初の頃は、何と交信しているのか本当にわからなかったけれども、今もそれは相変わらず感覚としてはわからないままだけれど、それでもメッセージを私から受け取る側の人たちの話を聞いてて、どうやらその人たちの意識体とどういうわけか繋がることはわかってきた。

ある日のホロスコープ講座の後のクラスメートたちとの集いの時のこと。

この時も、最初は私は自分が知っている情報を喋っているのかと思った。

ところが、後日になってその方に伝えた言葉を私は具体的に思い出せなかった。

調べてまた連絡しますと言っていたことを連絡しようとしたら、前回会った時に話した言葉も一部必要なのに、それが出てこなくて自分でも驚いた。

内容は覚えていても言葉が残らない。

そして、内容に関しても、ベラベラと流暢に流れるようにその時は話していたのに、数日後にはその大半を忘れた。

それでようやく、あの時に話したことは、相手の潜在意識なり魂から情報をもらって喋っていたことに気付いた。

何せ普通の会話の延長でそうした話が出てくる。

話してる最中に、これをした方がいいとか、こんなところに力を入れるといいとか、これがヒントになりそうとか、そうした諸々が見えてくる。

普段の会話の時とそうした誰かの潜在意識や魂から情報を得て喋る時とに、明確な差はない。

私自身はその差がわからないし、自分の意識の状態も変わらないから、本当に区別することができない。

だけど、時間が経つと差が徐々に出てくる。

今現在わかった差は
・同じことを話そうと思ってももう記憶がかなり抜けて、時間が経つと最初の時のようには話せなくなる
・自分のことじゃないから、どんなにキツい内容でも自分の気持ちに全く響かない
の2点。

その2点の条件を満たす時は、基本的に相手から情報を得ているとわかる。

次の話は年内最後の癒しのレシピをしてわかったこと。

これはもっともっと数を打たないと本当にそうだとは言い切れないけれど、数々のことを積み重ねた結果、基本的に私が情報をキャッチする時の条件として、相手側が何かしら本人の状態や問題、課題を話してもらうことが挙げられる。

それは最初の友達のように、色々悩んでいて眠れないという程度で十分で、とにかく何かしらの状況を説明してもらう。

そこが情報が開く時のスタートで、それを皮切りに情報が私の方へやってくる。

私の場合、言葉としてくる時もあれば、感覚としてくる時もある。

対面や電話で話してる時は、普通に会話するかのごとく話せばいい。

そこはいちいち言葉を組み立てない。

普通に会話のように話しているから、基本とても気付きにくい。

相変わらずどこからが自分の考えでどこからが相手の意識体からもたらされた情報なのか、その差がわからない。

これがメールなんかで送るとなると内容を組み立てないといけなくなるから、キャッチしたものを相手にわかるように言葉に起こす。

これはやっていく中で気付いたけれども、人によって書き言葉の言葉の種類が違う。

やたらと丁寧な言葉になる人もいれば、無機質みたいな機械的な言葉ばかりが並ぶ人もいれば、まるで私が私の意見として書いているような言葉の人もいる。

この辺りもまだまだわからないことだらけではあるけれど、基本的に私は書き言葉のタイプさえ私が選んでいる感じとは違う。

年内最後の人の分は、私の普段使うような言葉で書いて、私自身も相当混乱した。

これ私が自分で単に自分の意見を書いているだけじゃない?と思った。

でも色んな理由からそうではないと思ったのと、そして受け取り手の当人からそれが私ではなく本人の魂的なものから伝えられていることを、私が書いたある部分の言葉によって証明された。

ちなみにその方の分は内容が強烈過ぎて本当に書きたくないことのオンパレードだったけれど、おかげで色んなことを学ぶことができたのと、最終的に自分のしていることに自信が持てるようになった。

年内最後の分やそれにまつわるエピソードは、また別記事に書いてアップする予定(今途中まで書いた)。

春先から本格的に始まって、 9ヶ月ほど色んな形で癒しのレシピと関わってみて、今ようやくそこに向き合えるようになった。

「癒しのレシピ」と名前を付けた頃はまだ興味関心の方が強くて面白いと思えたけれども、その後は自分の体質が何で自分のところにきてしまったのか、できれば避けて通りたいと思うようになった。

しかも、何と交信してるのかもわからないし、もしかしたら全部嘘かもしれない…、そんな風に思ったこともあった。

葛藤したことはたくさんあったし、今は一山は超えた感じはするけれど、これからも葛藤することは色々出てくると思う。

ペンジュラムを使って山で行方不明になった人の人探しをして欲しいと頼まれたあたりから、少しずつではあるけれど、自分を使うことに対して抵抗ばかりじゃなくて、それをすることもありかも…と思えるようになった。

この謎に満ちた体質的なものも、使ってもいい、ようやくそう思えるようになってきた。

相手がどう受け取るかは相手に任せたらいい。

私ができるのは、あくまでキャッチしたものを相手に言葉にして伝えるところまで。

それに対して相手がどう反応しようと、反対に何も反応しなかろうと、それは私が立ち入る区域じゃないというのがはっきりとわかった。

今回の一連のことを自分なりに見てきて、7月に受けたホロスコープのS先生の言葉がよみがえる。

【プライベートがなく、プライベートな時間や空間でも何かしらをしてしまうこと】

【自分が星を使うんじゃなくて、星にどうぞ私のことをお使いくださいという生き方】

相手の情報が来る時は、私がその時何をしているかは関係ない。

具合が悪くて寝込んでいても来るし、私用で外出中でも来るし、他にも自分は家でゆったりモードでいる時でも来る。

毎回待ったなしで来るし、来たら来たで私もそれをどこかにメモするなりしないと全てを後から思い出すことは難しいから(ハーブティーの時みたいに量が少しの時はいいけれど、いつも大抵異常なほどの数でやってくる)、とりあえずまずはどこかに吐き出しておかないと(=メモ)自分も他のことが手につかない。

だから、プライベートがないというのはこういうことを指すのかなと思う。

私が星を使うんじゃなくて、星に私をどうぞお使いくださいというのも、まさにそれだと思う。

そもそもこんなことやりたいかと言われるとそんなことはないし、しかもどこかで誰かに習ったわけでもなく勝手にできてしまっているあたり、自分自らが選んでやってるというよりも勝手にそうなってしまっている感じが強い。

今回は書かないけれど、私がこの能力的なものを扱うに際し、必要なその他の力を人生の他の場面で積み重ねていた。

私はそうとも知らずにひたすら目の前のことをやっていたわけだけど、結局はこの能力的なものを扱えるようになるための土台に繋がっている。

例えば言いたくないような、ハードな内容のメッセージももちろん容赦なくやってくる。

私の個人的感情は、「言いたくない」。

何もそんなトラブルになるような、相手も一時期は確実に辛くなるような、そうした内容は言いたくない。

だけど、そうした個人的感情と来たメッセージとを切り離して考えないといけない。

それは私のものではなく相手のものだから、その相手のものに対して、私が勝手に個人的感情で言う言わないを決めることはできない。

そうした姿勢や思考パターンも、過去の色んな経験で積み重ねてきたから、今できる限り冷静に私情を挟まずにすることができる。

今後、この体質的なものがどんな風になっていくのかは未知数だけれど、それを私はとにかく淡々とそして自分にできる最大限のところでやっていきたいと思っている。

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以下、7月末にS先生の鑑定を受けた時に言われたことの中で、今回の話に通じるもの
【書いた当時は2018年の7月の終わり】

・(私の場合、ヨッドの1つが太陽+月+冥王星で構成されていて、月は過去生の太陽を表し、冥王星は先祖の意思を表す。)
表面上はやりたくないと思っていても、そこには先祖でもDNAでも神でもなんでもいいけれど、そういうものにロックオンされているから、やらないわけにはいかない。
しかももうスイッチが入っているから、やらざるを得ないところに来ている。

・2020年の年末に冥王星が自分の社会的役割を意味する軸に乗るまでには、何らかの肩書きを定めないといけない。内緒で勉強してるだけじゃ済まなくなってくる。

・「霊能者」と名乗るのは抵抗があるかもしれないけれど、そういうものになっていく。霊能者と言っても、誰かの真似はできなくて、自分の中にある何かと何かを組み合わせていくタイプで、その組み合わせたものを提供していくチャートになってる。
(注意:私自身は自分が霊能的なことができるとも思っていないし、やりたいとも思わない。普通にみんなができるかと言ったらできる人はとても少ないと言うより会ったことないちょっと変わった、見慣れない聞いたことない能力的なものはあるけれど、でもそれは「霊能」とは違うと思ってる)

・自分で組み合わせてメソッドを作っていかないといけない。

・こんなに重たいものが来てたら、覚悟しておいた方がいい。自分で自分の星を使うと言うよりも、星にどうぞ私をお使い下さい、というようなレベルになっている。

・私の場合は、太陽と月がそのヨッドに参加してそこに冥王星もくっついて、さらにそのヨッドがブーメラン化しているから、まずは『プライベートがない』。
家にいても常に仕事のことで何かを思い付いたり、メッセージがダウンロードされたりする。

・上記に合わせて、そもそもそうした見えない力の部分を継承して生まれてきているから、どうしてもプライベートにもその部分が侵入してきやすい。

・スピチュアルなことは、これまでの過去世で散々やってきたから、わざと封印してた可能性がある。封印することで現実的な感覚を養うために。
だけど過去の資産だから才能にはなっていて、ある一定の時を過ぎたら出てくることが多い。ペンジュラムがそれに該当すると思われる。

・今の時期は、「再方向付け」「方向転換」という意味の時期になっている。あと1年半したら私自身の太陽が牡牛座に移るため、牡牛座になると自分の肉体に備わった資質をもっと発揮していくことになっていく。

・上記に対して、逆らうことはないのかを質問したら、「それはない」とのこと。ただ、今は葛藤がある(配置がそうなってる)。

・自分の才能や自分が持って生まれたもの、自分からは逃げられない。
だから、いかに自分の星を好きになって手慣れていくかということが大事になってくる。
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【番外編】
上の例には書かなかったけれど、1人だけ例外的に癒しのレシピをしたためた人がいる。

本人に頼まれたわけじゃない。

本人が私に自分の今の問題や悩みを言ったわけでもない。

あの時はなぜか「その人に向けたメッセージだ」とわかって、出てきたものをそのまま拾って言葉にした。

この9ヶ月で、私が「癒しのレシピ」として何かしらをしたのは、その人を含めて10人。

その中でその人の癒しのレシピだけは全く色彩の違うものだった。

それを作っていた時はもとより、その後読み返すとぬくもりを感じるものだった。

その人へのメッセージだけは、ぬくもりのある温かいものだった。

基本的に私は言葉を選べない。

出てきたものをそのまま出すしかない。

本当にそれらの言葉がその人の潜在意識なり魂なりから出てきた言葉なのかはわからない。

だけど、個人的に、その人の癒しのレシピの時だけは本当に心からほっこりして、温かいなぁと感じた。

他の人たちのものを作る時には絶対になかった感覚だった。

多分だけど、癒しのレシピはこれからもたくさん数を重ねていくと思う。

色んなドラマや物語を見ていくことになると思う。

だけど、その人に作った時みたいなほっこりした感じや温かい感じをそこから感じとることは、もしかしたら最初で最後かもしれない。

本当はその人にも聞いてみたい。

その癒しのレシピはきちんと届いたのかどうか。

届いたとするなら、読んでどう思ったのか。

何を感じたのか。

もしかしたら私の思いっきり勘違いなのかもしれない。

勘違いでもいいから、勘違いだよと教えてもらいたかった。

色々と不明なことばかりのメッセージではあったけれども、私はそのメッセージに触れられて良かった。

最初で最後の癒しのレシピかもしれなくても、それに触れて、あの温かい感じに触れられて、すごく貴重な体験だった。

色んな人たちの癒しのレシピをした中で、その人の時だけ唯一出てきた言葉がある。

「愛」

みんなに出たわけじゃなかったから、とても印象的だった。

本人拒絶しそうだけど、その人は実は誰よりも愛深い人なんじゃないかと私は思ってる。

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