2019年1月10日木曜日

私の時代読み

私が思うことの備忘録。

これからは「個」の時代になると言われている。

これはもう2011年東日本大震災が起こる前、多分2010年あたりから私は耳にしていた。

私がスピリチュアルだの精神世界だのと学び始めた、本当の駆け出しの頃からそれは時々色んな人たちを介して聞いていた。

その人たちに繋がりはなくて、なんなら職業も全く絡みがそれぞれになくて、ないのに似たり寄ったりのことを言うから、私はそれで「そういう風になっていくんだろうなぁ」と漠然と思った。

そして、1年ぐらい前から、少しずつ「本来、その人に備わっている能力というのは、誰にも継承できない」というのを、実際にそれを実践している人たちから聞き始めた。

要は、技術的に説明できる部分はあっても、じゃあどうやってやっているのかという感覚や思考回路の部分は説明できないし、当然同じやり方を他の人たちも真似はできない。

私は自分がこうした体質になってわかったことは、例えば他の人たちからその人本人の潜在意識や魂から情報をもらう時、どうやってもらっているのかは説明できない。

いつも勝手にそうなっているから、反対に「情報をください」とお願いしてももらえるものじゃない。

はっきり言って、魂同士の合意のレベルで起こっている、と考えるのが私には一番スムーズだったりする。

占星術に触れている人なら絶対にわかる。

1人として同じ星の配置がない=それぞれの思考パターンも感覚も成功パターンも価値観も性格も、とにかく全部全部違う。

どれが良くてどれが悪いということはない。

私は自分が色んな子どもたちや大人たちと関わってみて、たとえ同じ課題を持っていてもその取り組み方は個人によって全然違うし、そしてその課題においてどう向き合うといいのかも個人によって全く違う。

塾の時、同じクラスの小学生がいた。

明日漢字のテストだという。

1人はさらっとミニテストだけして、すぐに違う課題に移った。

その子は漢字は得意だから、特別にそこに力を入れる必要がなかった。

もう1人別の子にも、同じミニテストをさせた。

こちらは予想通り、すごい結果を出す。

本人もできないから落ち込む。

こちらは、他の課題は全て一旦やめて、漢字をひたすら書いて覚えるとかそうしたことをさせて、再テストをする。

場合によっては、もっと問題数を減らす時もある。

漢字ができるから良い悪いではなくて、それぞれの課題が違うから、そういう結果やプロセスがあるだけの話。

今度は、大人2人の例。

2人ともそれぞれ自信が持てないところに、1つの大きな個人の課題があった。

自信が持てないことは良くもないかもしれないけれど、悪いということでもない。

ただそれによって、その人自身の生き方が苦しくなっていたり、人間関係とか仕事とかで本人が問題を抱えていると感じるなら、自信を持つための何かはした方がいいと私は考える。

そして、もう少し掘り下げて言うと、2人とも自信がない材料をあえて自分で探して、「だから自分には力がない」と思い込んでいることにも私は気付いていた。

まぁそんなの2人だけじゃなく、私も他の世の中の大勢の大人たちもそうだから、なんら特別なことじゃない。

その「自分には力がない」という思考をあえて選択している(←本人たちは無意識に選択)、そこに私は目をつけて、それぞれの人たちが今とは違う選択を自分に取り込むことができるように、それぞれにこのように強化する方法を伝えた。

《Aさんの場合》
・何を最初に感じたか、自分の思いをはっきりさせる
(例ー今の体制だと自分が困ってしまう)
・思ったことに対してどう行動したか、その行動の内容を明らかにする
(例ー周りに相談した)
・結果、どうなったかを振り返る
(例ー相談したことで、周りが配慮してくれることになり、体制がスムーズに変更された)

というように、【思い・行動・結果】をそれぞれ分けて見ること、なるべくならそれを紙に書く方が整理されるし、自分が動いたことで状況が変わると、それが成功体験となって積み重なるから、そうした体験の1つ1つを大切にするといいことを伝えた。

《Bさんの場合》
・夜寝る前、又は1日の終わりに、その日1日の中で手にしたものを10個書き出す
(例ー仕事で新規契約が取れた、先週から続いていた風邪が良くなってきた、混雑した電車で座れた、ランチで先着のサービスをもらえた…などなんでもOK)
・それらを見て
>それらを自分に与えたこと
>自分で自分にそれらを受け取ってもいいと許可したこと
を自分に対して伝えるようにして、そして最後は自分自身にお礼を言って1日を終える
この2つのステップを伝えた。

同じように自信がなく、自分には力がないと思い込み、その思い込みを無意識に選択してしまう2人ではあるけれど、その課題に対しての取り組み方は全く違う。

AさんにはAさんの、BさんにはBさんの在り方というのがあるし、細かな思考回路やパターンは違う。

それは私も実際に話さないとわからないし、話を聞いてどこに重きを置くかは人によって全然違う。

よくある自己啓発とかビジネスセミナー的に、「自信がないなら行動しまくろう!」みたいな画一的な手法が全員に当てはまるわけじゃない。

で、前置きが長くなったけれど、私が言いたかったのは別のこと。

占星術の某ブログを読んでいた時に、あるビジネスのコンサル的な人と組んだプログラムの紹介(売り込み)があった。

見た瞬間違和感を覚えて、私は詳細を見に行った。

占星術側の人の話はすっと入るのに、そのビジネスの人と組むと何かが確実におかしくて、それでそれが何かな…と思って見た。

見て速攻納得した。

占星術の人は、「個」の時代に入ることを軸に今回のプログラムを作っている。

それに対し、ビジネスの人は口ではそうだと言うのに「誰でも1億円稼げます」的な文言を掲げてアピールをしていた。

それが悪いと言うんじゃない。

なぜに個の時代を謳っているのに、一昔前のビジネスセミナーみたいな「あなたも1億円稼げます!」というアピールになるんだろう…、そう思った。

これが私より年配の人ならわかる。

なぜなら、世代によって生きてきた時代が違うから、当然上にいけばいくほど、決まりきった形の成功を世の中で賞賛されてた時を生きているから、それならわかる。

でも今回は私より数歳下で、相手はまだ30代前半。

それを悪いと言っているのではなく、1人1人全く違う人生の計画があって、当然成功や幸せの定義も違う。

それを打ち出すならまだしも、社会的にわかりやすい成功を打ち出してアピールしているところに私はドン引きした。

お金とか社会的地位とか業績とかは、今後おそらく意味合いがかなり変わるというか、多様化していくと思う。

2023年ぐらいまでには相当変わっているはずだし、2023年からはもっと徹底的に多様化の時代、個がそれぞれ社会の中で生きていく時代に変わる(←これは冥王星が山羊座から水瓶座に変わる関係で、私はそう思うし、多分占星術やってる人なら大半はそう予想すると思う)。

だから、わかりやすい成功や幸せの形を最初に出すよりも、反対に個人がどう生きるか、どうだと生きやすいのか、そこが確実に今後スポットライトを浴びることになると思う。

そして、個が強調されればされるほど、正解はなくなるし、雛形もなくなる。

これまでは画一的な成功や幸せが世の中のスタンダードだったからそれでいけたけれども、今後はそこが大きく崩れて新しい価値観が社会の中で出来上がっていく。

私が小学生の頃、毎週金曜日楽しみにしていた『ドラえもん』の中で、ドラえもんがドラミちゃんとテレビ電話しているなんて、夢のまた夢の世界の話かと思っていた。

大真面目にそう思っていた。

たかが20年そこそこで、未来型ロボットのドラえもんの世界を、一般庶民である私が体験することになる。

夢じゃなくて現実になっている。

少し前までは「ファンタジー」の世界のものが、今はそれが現実のものとしてある。

私の予想で、これからは社会的ムーブメントのようなものが起こると思う。

今なんとなく私が思っている「個の時代」よりも、もっと多様化した社会になっていく、そんな気がする。

このブログをいつまで書き続けるかわからないけれど、何年か先に読み返した時に、これを読んでどんな心境になっているかや時代の流れを見るのが楽しみ。

わからないけれど、画一的な成功はこれから絶対に衰退していくと思う。

話が飛ぶけれど、私は今2人のプロの人たちとやりとりしてわかる。

1人は親子カウンセリング主体の人、もう1人はヒーリングや霊視・透視をする人。

多分世間から見たら「カウンセリング」とか「ヒーリング」は全部同じに見えるかもしれない。

けれど、それぞれの人たちができることと私ができることは違う。

基本的にかぶらない。

かぶらないとどうなるかと言うと、お互いにできないところはお互いにカバーし合えばいい。

そこで争いは生まれない。

個人が個人の持っているものをそれぞれ極めると、お互いにかぶりようがなくなる。

それは医師なんかと同じだと思う。

「医師」という大きな括りではみんな「医療従事者」になるけれど、実際は外科の先生もいれば耳鼻科の先生もいて精神科の先生もいる。

まさか外科に患者さんが最初に来たからと言って、耳鼻科のことは素人同然なのにそのまま外科的処置や診療をするなんてことはないだろう。

適当な耳鼻科を受診するように促される。

要はそういうことが、もっと社会の色んなレベルで起こってくるのかな…と思う。

今の子どもたちはわからないけれども、少なくともある程度の大人たちはそうした個別化の教育を受けてはいない。

だからこれからは、ますます個人に合わせたサービスが流行っていくと思う。

要は、社会のこれまでの仕組みや価値観がガラッと変わった時に、最後頼れるのは保険やお金とかそうしたわかりやすいものよりも、個人の生きる力だと思う。

私が言うと非常に説得力を欠いて仕方ないけれども、多分その読みは本当に当たりだと思う。

画一的なものから個別化へとなる時、この文中に書いた、例の「あなたも稼げます!」タイプの社会的価値は多分変わる。

億単位のお金を稼ぐ人がいなくなるということではなく、億単位の稼ぎの人も平均年収に達しない人も、金銭の差はあっても差別的意味合いの人間的な差は何もないというところにいくんじゃないのかなと思う。

そうしたものに左右されない、個人個人の人が持っている力にもっと敬意が払われるような、そういう時代に突入していくと思う。

だから、私がこれから何かを習ったり学んだりする時も、個人の差別化を図っているかどうかを相当見る気がする。

理論や万国共通的な技術を学ぶ時はいいけれど、個人の生き方と直結するような系統のものは画一的なものは片手落ちな感じが否めない。

そここそ1人1人全く違うから、その違いにスポットを当てないと、これからの時代はますます生きづらいのかな…なんて思っている。

私が子どもの頃、枠からはみ出してしまうというか枠内の中で正しいとされる行いがあれこれ出来なさすぎて、矯正された。

多分これからは逆を行く。

枠内で収まろうとすることが危惧されてしまう、個を発揮させる取り組みが主流となる、それは今日明日ではなくても、仮に今からあと30年生きたら見られる光景かもしれない。

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