2019年1月23日水曜日

奇跡の果実【執筆予定一覧】

『奇跡の果実』執筆予定のもの。

12月のクリスマス辺りの連休から1月の22日、今回は21日に部分月食があったこの間までにあった色々。

一応時系列に並べようとは思うけれども、実際に書く時は書きたいものからになる気がする。


【そもそものはじまり】
・今回の一連の流れのはじまりは、私の場合、自分の能力を軽視されたことに始まる。相手の人が私がしたことをどう思ったのか本当のところはわからないけれど、私の伝えたことがさっぱり伝わってないことに愕然とした。なんなら怒りさえ湧いた。
実はこれが後からとても大きな意味を持ってくる。
→この話に関しては、『奇跡の果実』よりもっと前に途中まで書いていた別記事があって、それを完成させてアップする予定。


【ペンジュラムが失敗したこと】
・11月に、山で行方不明になった人をペンジュラムで探して欲しいと依頼を受け、実際にご家族の協力のもとでペンジュラムを使っての場所の特定をした。結局見つけられず、現在に至る。
・「見つける」という意味では失敗なのかもしれないけれど、時間の経過と共に他のことたちが起こってきて、失敗は失敗でも必要があっての失敗だったのかもしれないと感じる場面をいくつか見るようになった。
(ご家族の気持ちを考えたらそんなことは言えないし、見つかるのが一番だと思っているけれど、それ以外の出来事たちを見て、失敗したからこその大切なストーリーが次から次へと出てきた。)


【信じたいもの】
【リーダーの年賀状】
・不測の事態が起こった。普通なら誰かや何かのせいにしたくなったりする。でも、そこで私が最終的に目を向けたのは、「自分が何を信じたいのか、何を信じているのか」そこだった。
・そしてその不測の事態の翌日に、九州男児たち3人が私に電話をくれる。その時に、その3人のうちの1人、リーダーが送った年賀状が届いていないことを知った。どういうわけか私ともう1人その場にいたもう1人計2人には届かなかった。
この年賀状が届かなかったことも大切で、届かなかったゆえにすごく変なタイミングでリーダーには私自身のペンジュラムや体質的なことに関してカミングアウトすることになった。
これらのことも全て見えない世界で微調整が行われていたのではないか…、そんな風に感じた。


【ご家族との再会】
・ヒーラーのOさんを通じて、行方不明になった人の霊魂とやりとりしたことをご家族に伝えるために、私が当初からやりとりしていたそのご家族の1人と再会した。
超絶怪しい話な上、まともに相手にされるような話ではないことは最初からわかっていた。
実際にお会いする前からも、そして実際にお会いした時も「史子さんから話を聞いてから家族みんなでどうするかを決めよう」と家族間で決めていたことを教えてもらった。
→とにかく無心に純粋に誠実に対応することの大切さを教えてもらえた瞬間だった。


【他者評価と自分評価】
・ご家族に死者の方の霊魂と繋がったことを説明するために動いていた時のこと。
私自身が相手からどう思われるかが気にならなくなった。
どう思われてもいいから、やることをやる、伝えるべきメッセージを相手に伝える、そこにだけ集中していた。そこを機に、他者からどう思われるとかが本当に気にならなくなった。どう思われたところで、「私は私」という確固たるものみたいなのが生まれてきた。
・今回は、嫌われるとかどう思われるとか、本気でどうでも良かった。それよりも、誰かの大切なメッセージをその誰かの大切な人たちの元に届けることにだけ目が向いていた。それさえ叶うなら、他はもう何でも良かった。


【自分の体質】
・ご家族とお会いして話した時に、私は基本的に私が受け入れられる範囲のものならオカルトなものでも平気だということを知った。これ実は結構大切なポイントだったことを、ご家族と話して気付いた。
結論から言えば、もし私がそうしたこと全般全てがダメだったとするなら、今回の流れを実際に流れたように流すことはできなかった。苦手なら多分最初から拒絶して、今回の件には一切携わらなかったと思う。
この辺りの自分の資質的なものにも今回気付かされた。


【怒り爆発〜自分の人生のテーマ】
・ご家族にお会いした後、私は全く別のところで数年ぶりに怒りが大爆発した。本当に24時間ほど怒り狂っていた。
その怒りを紐解いていくことで、自分が本当に怒っていたことが何だったのかがわかった。
・その自分の怒りが収まらず、収まらないのはいいにしてもそれだと周りにも迷惑をかける事柄もくっついていたから、私は名古屋にいた頃からお世話になっているSさんに連絡を取って、事の次第を相談した。あまりに怒り狂っていて冷静な判断に自分が欠ける状態にあることはわかっていたから、客観的に見ての判断を仰ぎたかった。
その時にSさんが私が人生で何よりも大切にしていることを教えてくれた。そして、それはそのまま私の人生のテーマになっていることも教えてくれた。


【自分にできること・できないこと】
・今回、霊視ができるヒーラーのOさんと組んで色々経験した中で、私にできることとできないことがとても明確になった。
できることはどちらかと言えば「私だからできること」だったし、できないことは「できないことが正解」だった。


【人と人が繋がる】
・今回の一連のことを通じて、新たに人と人とが繋がっていく様子を見ることができた。これは死者の方が繋いでくれたご縁だと私は思っている。


【全ては繋がっていること】
・去年の9月に私のiPhoneの画面が割れた頃からは想像も全くしていなかった出来事たちがその後に起こった。あれから約4ヶ月、当時見ていた風景とは全く違う風景を今の私は見ている(2019年1月下旬現在)。全ては繋がっていたし、その中の1つでも何かが欠けてはいけなかった。
ちなみに「繋がり」の部分に注目すると、それは2016年の5月にペンジュラムに出逢うこともそうだし、2017年の夏にある1人の男性に出逢うこともそうだし、1年前の2018年の年明けにオルゴナイトに出逢うことも全て含まれている。そのどれもが欠けてもいけなかった。


【私の想い】
・自分は失敗しても許されていた(ペンジュラムで失敗したことから学んだこと)
・とにかく自分を使う、自分を差し出すこと、迷ってもその自分でできる最大のことをする、それに対する今の自分の考え方
・どんなに生き方が不器用でも、自分にだけは嘘をつかなかった
・誰かに好かれたくて何かをするわけじゃないし、誰かに好きになって欲しくて生きているわけじゃない
・自分のままで勝負して、それでも相手にされなかったり、軽くあしらわれても、それは相手の判断だから仕方ない。後悔がないとは言わないけれど、やるだけのことをやってダメなら仕方ない、そう本気で思えるようになった
・『騎手』…自分のままで飛び込んでいく
→ホロスコープからのメッセージ
・細部に宿っているメッセージを見つけにいく
・死にかけていた自分をもう一度生き直す、そんな気分
・『メッセンジャー』というキーワード


上の【】で囲んだことが、多分1つずつの記事になっていくと思う。

最後の【私の想い】の部分は、全部ひとまとめにするか、分散させて書くかはまだわからない。

これは半分私の備忘録的なものでもあるから、今これを読んでくれた人からすると「で、これ何?」状態に見えるかもしれないけれど、これらが全て繋がっていく。

さらに余談だけど、年末にした郵便局の年賀状のバイトにも意味があった。

あれはもう募集を締め切っているのを知っていた上で私はしれっと電話で問い合わせをした。

それがまさか即採用されるとは思っておらず、本当にダメ元で問い合わせていた。

今どうしてそちらが採用されて、そしてこの慌ただしくバタバタしていた2週間ほど前に応募したものが不採用だったのか、その理由も多分これだろう…というのがわかる。

こんな風にして、一見バラバラの出来事たちが見事に1つの線に並んで大きなハーモニーを奏でている。

年賀状のバイトと死者の魂との会話に接点はない。

だけど、そこに私側の事情や他の出来事たちを足すと、それらが接着剤のようになって全く関係のない2つのものが繋がっていく。

全てがそんな風で、1つ1つは独立した出来事でも他の何かと足すことで新しい接点が生まれて、そして全体のストーリーに彩りを添える。

以上、『奇跡の果実』に書く予定のもの。

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