2019年1月27日日曜日

奇跡の果実④大事にしたいもの

霊視ができるヒーラーのOさんとの電話中におじいちゃんの霊が出てきて、その後の話。

おじいちゃんは、山で行方不明になって、秋の終わりにご家族から私にペンジュラムを使って居場所を特定してもらえないかとお願いされたおじいちゃんだった。

Oさんと私とで話し合い、このままにしていていいわけもなく、そしておじいちゃん側からも家族に連絡をして家族とおじいちゃんを繋いで欲しいというような要望があったから、それで私がその怪しさ満載の話をご家族の窓口になられているAさんに連絡を入れて事の顛末を伝えた。

Aさんにはあったことを正直に話し、そして捜索に関してもおじいちゃんが色々言ってきたからそれについても伝えたいから、近いうちに一度時間を作って欲しいとお願いした。

最終的な目標は、Oさんとご家族を繋いで、そしてOさんを介して家族とおじいちゃんとがやりとりできることだった。

さらには春を迎えて雪が解けたらまた捜索は開始になるだろうから、その時にOさんが現地に出向くなり、もしくはテレビ電話なんかで場所を映像で見て、おじいちゃんと繋がりながら何かしらの捜索の手がかりを伝えられたらいいなと思った。

ちなみにOさんを介しておじいちゃんとやりとりした時に、Oさんみたいな人を連れて来なきゃ見つけられないだろうとまで言われた。

ごもっともな話で、私は反論の余地もなかった。

実際にご家族のAさんから1週間以上先に時間を作ってもらえることになり、私はその時のためにOさんとどこをどう伝えるかについて話を詰めた。

当時は事の成り行きが全くわからなくて、ずいぶんと先になった約束の日を前に、ちょっとだけ「何でそんなにも先なんだろう?今回は」と思った。

前回は連絡をした翌日、なんなら半日後ぐらいにはもう会っていた。

今回は1週間も先で、忙しいのもあるだろうし、単純に話が怪し過ぎるからAさんからしてもあまり関わり合いたくないのかな…とか、私が言ってきたから気乗りしないけれど時間を作ってくれたのかな…とか、色々思った。

今振り返ると、その本当の理由が何であれ、すべては絶妙なバランスとタイミングできちんと予定通りに物事は動いていた。

ここからは時系列通りに起こった出来事を並べて話したい。

話がごちゃごちゃするから、先に登場人物の紹介。(洋書なんかによくある、表紙の内側なんかに書かれている[登場人物]の箇所みたい 笑)


[登場人物]
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・おじいちゃん…山で行方不明になって、今も身体の方の行方がわからないままの人

・Oさん…ヒーラーで霊視ができる人。今回おじいちゃんの霊魂からの呼びかけをキャッチして、それでおじいちゃん側の通訳をしてくれている人

・Aさん…おじいちゃんのご家族で、私がご家族と連絡を取る時の窓口となっている人

・リーダー(九州男児の1人)…私のドミニカと名古屋時代の友達。現在は九州在住

・G男(九州男児の1人)…私とリーダーのドミニカ時代の友達。九州在住

・シオくん(九州男児の1人)…私・リーダー・G男のドミニカ時代の友達。九州在住だったけれど、最近東京に栄転になった。リーダーとG男とはずっと仲良しで、不定期に3人で集まって飲んでいる模様。
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>>>1月7日
ーーーーOさんと電話

Oさんと私で電話をしていたその時に、おじいちゃんが登場した。

霊視ができるOさんが電話開始1時間後から私を「ふみこ、ふみこ」と呼ぶ存在に気付いて、それで大元の私たちの用事が終わったさらにその2時間半後にOさんから誰かが出てきていると私に伝えられた。

色々特徴を聞いて私の方も質問したことで、それがおじいちゃんだと判明する。

様々な話をOさんを介しておじいちゃんとして、最終的に家族と繋いで欲しいということがわかった。

私が家族に連絡を取るということで、電話は一旦終了する。



>>>1月7日
ーーーーAさんにLINE

事の顛末を説明して、Aさんに時間を作って私と会って欲しいとお願いする。

Aさんから返信がきて、とりあえず私に会って話を聞きたい、Oさんと話をするかどうかは聞いてから家族で決めたいというような内容が書かれてきた。

これは後日談だけど、Aさんは私から連絡が来る何日か前に、とても印象の強い後味の悪い夢を見て、それを調べたら【生と死に関する】とあって、それが自分の家族の誰かが死ぬとかだったら本当に嫌だなぁ、と心配しきりだったとのこと。

そうしたら私から連絡が入って、「あぁこの事だったんだ」とわかって、ホッと胸を撫で下ろしたと教えてくれた。



>>>1月11日 14〜16時過ぎ
ーーーーOさんと電話

前回の電話を元に、2人で内容を詰めるためにOさんと再度電話した。

今回もおじいちゃんは最初から最後まで私たちの会話に同席して、積極的に話し合いに参加された。


【実際にやりとりしたこと】
・事前に第1回目の音声を互いに聞いて、そこから見えてきたことや感想などを共有した

・私側が15個色んな質問を事前に用意していて、それに対してOさん又は通訳してもらっておじいちゃんから答えをもらった

・ご家族に会う際に気をつけた方がいいこと、伝えた方がいいことを検討した

・おじいちゃんから家族に向けたメッセージを聞いた
(↑これが後にとても重要な話に繋がっていく)

・なぜか私に、私の前職場の上司だった男性のことをOさんに聞かないのかとおじいちゃんに促された((((;゚Д゚)))))))
(↑そうでなくても情報が満載過ぎてグッタリとしていたから、それはOさんに今は要りません、逆に今色々言われても困りますと訴えて、何も聞かなかった)



最後の前職場の上司のこと。

その時は「何で今全く関係のないことなのに、その人の話をおじいちゃんは出すのか?」と、若干怒りすら湧きそうな勢いだったけれども、これもちゃんと意味があった。

怒りというのは、そうでなくても情報が多過ぎて頭の中がとっ散らかっているのに、そこにさらに全く関係のない話を持ち出してきてふざけているのかと思ったから。

けど、この上司の男性がおじいちゃん側の誘導によって話に出てきたのも、今となっては偶然ではなかったと思う。

私が思うに、この男性に目がいくことで私の中の別の回路を繋げるための伏線みたいなものだったと思う。

そして、実際にその後、この男性の存在は意外な場面で大いに役立つというかご協力いただくというか、とにかく本人不在な上、私でさえも連絡が取れないにも関わらず、その人のおかげで私も助けられた場面が出てくることになった。

(こういうことこそ、ザ・霊界の為せる技だと思う( ̄∀ ̄)。そして、霊界側の事情において必要な時はその人が出てくる(=その人の存在を示される)けれども、現実に生きている私側の切実な願い(=その人とのやりとりや再会)に関しては別に霊界の技を駆使してでも叶える必要がないのか、さっぱり出てきてくれない(T-T))



>>>1月11日 16:08〜
ーーーーリーダーからLINE

Oさんとの電話の終わりぐらいに、誰かしらがLINEかメールを送ってきたことがバイブ音でわかった。

Oさんとの電話が終わった後確認したら、それがリーダーからのものだとわかった。

九州に住むリーダーからLINEが来ていて、スペイン語で書かれたドミニカのオンライン新聞の記事が添付されてきた。


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16:08(リーダー→私)
ぶっしー!
大変!!!
〈スペイン語の記事〉


16:10〜(2人でしばらくLINEをやりとり)

(私)
日高さんじゃん!
日高さんどうされたの?
(↑読むの大変で挫折)

(リーダー)
交通事故で亡くなられたみたいよ。

(私)
ええっ(-_-;)(-_-;)(-_-;)
そんな!

[2人で冥福を祈る+日高さんにまつわる話をする]

(私)
実は今、私死者の方からのメッセージを通訳する人と話をしていてね。
人が死ぬ時に伝えてくるメッセージの本質、そうしたものに触れたそのタイミングでリーダーから連絡がきて驚いた!

(リーダー)
なるほど。
日高さん、何かしらのメッセージだったのかも。

(私)
自分の話になって申し訳ないけれども、2ヶ月前山に行ったおじいちゃんが行方不明になって、私はその捜索をペンジュラム(ダウジング)でして欲しいと依頼を受けてやってね。結局見つからずじまいではあるけれど、そのおじいちゃんの魂が、通訳の人と私とで数日前電話した時にやってきてあれこれメッセージを家族に向けて伝えられてね。
それを来週ご家族に伝える予定なんだけど、そのための細かな打ち合わせをしていた、まさにその時にリーダーからLINEがきた。

リーダー今更だけど、私がダウジングしてるだの死者の魂のメッセージのやりとりをするだの(するのは他の人だけど、今回私はそれをまず家族に伝えて、そして家族とその死者の方と通訳者を繋げるのが役割)聞いてひいたりしない?
まぁ今さらだけど。(17:09)

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上の部分を私が送って、そのまま一旦リーダーとのLINEは終了した。

少し補足説明をしたい。

リーダーとはかれこれ11年12年の付き合いになる。

ドミニカで出会って、その後私が名古屋に就職内定して名古屋に引っ越した半年後ぐらいにリーダーも日本に帰国した。

リーダーが元々いた職場が名古屋にあって、だからリーダーが日本帰国後は名古屋にそのまま戻ってきたことで、私たちは同じ名古屋市民となった。

リーダーには本当に頭が上がらないぐらいにドミニカでも名古屋でもお世話になった。

名古屋で13ヶ月に渡る引きこもりだった時も、リーダーだけはコーチングやスピリチュアル系の学び友達以外で唯一変わらずに私と居続けてくれた人だった。
(そうした学びを通じて仲良くさせてもらった方たちは達観しているところがあって、基本的に私の状況云々で関係を変える人というのはいなかった。)

その時だったと思うけれども。

ある時、リーダーと私は共通の友達の家に遊びに行った。

共通の友達は岐阜県の下呂温泉の近くの町に住んでいて、名古屋から車で2〜3時間ほどのところで、リーダーが車を出してくれた。

帰り道、あと1時間もしないうちに日が暮れるかなという時間、空は曇っていたかな…明るいけれど明るくないみたいな感じの空模様で、まだその町の中の広い国道を走っていた時に交わした会話を今でもよく覚えている。

私は何せその時、本気で何もしていなかったし、社会的にはニート+引きこもり、さらには先々のことも何も見えなくて、四方八方塞がりの頃だった。

2人で人生の話は山ほどしてきたしその時もそんな話をしていた延長の中でのことだった。

多分私は、今の自分が結婚できるなんて到底思えないみたいなことを、本気で言った。

とても静かに自分がそういう内容のことを口にしたのは覚えている。

リーダーと遊びに行った友達の家というのが、夫婦円満、子どももその頃2人?3人?いて(今は4人)、当時独身だったリーダーと私に大いに結婚に対しての希望を抱かせる、そういう家庭だった。

それでも私は、自分が結婚したいのと自分が結婚できるのは別物と考えていたから、だから結婚できるなんて思えないと静かにでもはっきりと言った。

社会的に何もないどころかマイナスで、そんな自分をいいなんて言ってくれる人はまずいないというようなことを思っていただけだったのか、それも口にしたかは忘れた。

リーダーは前を向きながらも静かに、凛とした声で私に言った。

「ぶっしー、そうじゃないよ、今こそなんだよ!
今のぶっしーを見て良いって言ってくれる人こそ本物じゃん。
そういうぶっしーを見ても一緒にいたいって言ってくれる人こそ、本当にぶっしーと一緒にいる人だと思うよ。
今がチャンスじゃない?」

言葉は多少違うかもしれないけれど、内容はおおよそそんな風だった。

私はリーダーの言葉を聞いて胸が詰まって泣きそうになってた。

他にも色んな場面があったけれども、リーダーは私のどんな状況や失敗、リーダーに対しての失礼なことも含めて、それでもずっと一緒にいてくれた人だった。

2016年の3月末にリーダーは九州での仕事が決まって九州に引っ越した。

そしてその2ヶ月後に私も新潟に戻った。

誕生日が9日違いだから、リーダーも私もその年は魂的な人生の転機を迎えることになってたから、今考えると2人ともその通りの流れに乗っていたと感じる。

で、話は戻って上のLINEの補足説明。

リーダーから年賀状が来るかと思っていたけれども来なくて、そしてそもそも私たちの連絡のやりとりは今はものすごく不定期になったから(名古屋にいた頃は飲むために月1ぐらいのペースでやりとりしてた)、どこかのタイミングでリーダーには自分のペンジュラムのことやスピリチュアル的な仕事が始まりつつあることを伝えなきゃいけないと思っていた。

リーダーとG男が県は違えど互いに行き来できる距離に住んでいて時々飲んでいることは知ってた(←本人たちから連絡がくる)。

G男には年賀状で私の今のことを伝えた。

でもリーダーからは年賀状が来なかったから私も出さず=何も伝えておらず、そうなると次いつどのタイミングで私とリーダーがやりとりするのかはわからなくて、でもその間にG男とリーダーで会ってG男から「ぶっしー、なんか怪しいことになってるよ」などと話に尾ひれ+G男の毒舌も加わっておかしな形でリーダーの耳に入ることも予想できた。

それは避けたいと思って、そして私もリーダーには自分の口からきちんと言いたいと思って、それでその日高さんの連絡に便乗して、ついでに自分のカミングアウトも行った。



【追悼の意:長年ドミニカ共和国在住だった日系人、日高武昭さんのご冥福をお祈りします。
日本でもニュースに出ていたので、あえて実名掲載しました。
そして、このすごいタイミングでこのニュースがリーダーはじめ私たちの耳に入ったこと、それはその後に色んなことを結んで繋いでくれました。
本当に心から感謝申し上げます。
日高さん、ありがとうございました。】



>>>1月11日 17時〜18:14
ーーーーAさんとLINE

あの時、私は自分がどうしてそうしようと考えたのかはわからない。

だけど、それが必要だろうと咄嗟に思って、Aさんに連絡をもう一度した。

おじいちゃんが会話の中で自分に関して言ってきたことがあった。

いくつかあるうちの3つをAさんに言ってみた。

当たっていれば、Oさんと私の電話の時に出てきたおじいちゃんが本当にその行方不明になった人だし、外れていたら違う人とかいたずらということになる。

そう、なぜか私はその時確認をした。

そしてAさんから、おじいちゃんはその3つのどれにも当てはまらない、と返信が来た。
(18:14)

その時の気持ちを何と言葉で表現したらいいのか、今でも上手く言葉では説明できない。

その時、体中の力が抜けてそこに重石を乗せられたみたいな重さと緊張が全身に広がった。

「どうして?」と思った。

混乱した。

すでに2回、時間にして3時間以上おじいちゃんとは話をしたわけで、3つが当たってない=すべて間違いなのか?、間違いにしてはあまりにも情報量が多すぎるし、話が色々出来過ぎだと思った。

Oさんが間違えたんだろうか?

間違えてたにしても、その日もその前の時も、私に関することは百発百中で当てていた。

Oさんが間違いというのは、ゼロではないにしても考えにくいものがあった。

じゃあ誰かの霊がいたずらでもしているんだろうか?

もしこれが霊のいたずらだとしたら、酷すぎると思った。

いたずらしたとして、誰が得するの?もしくは誰が損するの?と思った。

なによりもすでにおじいちゃんの家族を巻き込んでいるところがすごく嫌だった。

OさんにもLINEを入れた。

来たままのメッセージを転送して、どうなっているのかを伝えた。

夜遅くにOさんからLINEが来た。

とりあえず今のまま情報を家族に伝えるのは確実に混乱をきたすからストップすること、そして翌日どこか電話をするための時間を作って欲しいとあった。



>>>1月11日 18:29
ーーーーリーダーからLINE

私は上のAさんとのやりとりをホームセンターの駐車場に止めた車の中でしていた。

腕時計の電池が切れて、その電池交換に出すためにホームセンターに行った。

ものすごくモヤモヤしていたけれども、これから高校受験を控えた友達の娘の家庭教師が待っている。

行かないわけにいかない。

とりあえず、モヤモヤしたまま車を友達の家に向けて走らせようと思った。

そうしたらLINEが来たのか携帯がケースの合間から光ったのが見えた。

携帯を確認した。

リーダーからだった。


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17:09(私→リーダー)
今更だけど、私がダウジングしてるだの死者の魂のメッセージのやりとりをするだの(するのは他の人だけど、今回私はそれをまず家族に伝えて、そして家族とその死者の方と通訳者を繋げるのが役割)聞いてひいたりしない?
まぁ今さらだけど

18:29(リーダー→私)
特に引くとかはないよー(^^)
ごめんね!仕事先だったからすぐ返せなかった!
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リーダーにお礼を言って、私はそのまま友達の家に向かった。



>>>1月11日 23時半過ぎ
ーーーー24時間営業のスーパーにて

その日の家庭教師は未だかつてない、集中力散漫な日だった。

やることはやったけれども、どうしてもあの霊とやりとりしたことと、それをAさんに合っているかを確認したら全然違うと返事がきたこと、そのことが頭から離れなかった。

人生で3度目だと思う、仕事中にここまで集中力を欠いたのは。

最初は32歳ぐらいの時。

その時もショックなことを聞いて、そのショックのままお客さんへの営業をして契約を取ってた。

2回目は2017年の9月。

これは数回あったけれども、数日おきにショックなことがあって、その時は1人で黙々としていれば良い仕事だったから助かったものの、ぼーっとしてると泣いてしまいそうだった。

そして今回。

英語の勉強を子どもとして多少気は紛れたけれども、とにかく一連のことが頭から離れない。

今回は困ったことに、相手は生きていないということ。

どこに気持ちをぶつけたらいいのかさっぱりわからず、自分は夢でも見てたんじゃないかとか、これは何かの茶番劇で実は意味なんてなかったんじゃないかとか、とにかく色んな気持ちが錯綜した。

Aさんから違っていると連絡を受けてから4時間ほど経過した分、少し気持ちが落ち着いて徐々に冷静になってきた。

気分転換も兼ねて、夜中のスーパーに行った。

スーパーに着いて、ふと出てきた。

「私が信じたいものって何だろう?」

ここ数日間のことが走馬灯のように頭の中を駆け巡った。

そして、Oさんとのやりとりを出会いの日から今日に至るまでを思い出した。

Oさんは今回の一連のことを完全なるボランティアでしてくれている。

しかもOさんはきっぱりと私に言った。

「この件に関しては、“僕が力になれることがあるのなら僕を遣ってください”、という気持ちで関わらせてもらっているからお金を請求するとかは一切考えていません」

それはその日の日中にOさんと電話でやりとりした時に、今後Oさんをご家族に繋ぐとなるとご家族の方から必ず費用を聞かれるだろうと想定して、それで私が先に聞いてそれをそのままご家族に聞かれたら説明したらいいと思って、それで聞いたことだった。

すでにOさんはこのことに関して2回、計3時間以上私と関わってくれてる。

しかも録音した音声を聞いて確認して欲しいことがあると私から言って、その部分に関してもプラスアルファで見えないところで色々協力してもらっていた。

そして私は霊視できないから、霊視の部分やおじいちゃんの言葉の私への通訳は全てOさんが担ってくれている。

Oさんにすでに何の得もないどころか、負担にさえなっている。

そうでなくても、本業や家のことがあるのに、その合間合間を縫って色々してもらっている。

Oさんが何か騙そうとか弄ぼう(もてあそぼう)とかいう気が100%ないのはわかる。

そしてこれまでしてくれた数々のことを振り返っても、Oさんが常に誠心誠意を尽くして対応している姿を私はずっと見てきた。

そうした時に私の心は決まった。

私が信じたいのは、Oさんが見せてくれているその在り方で、もしOさんが間違えた情報を下ろしてきたとしても、私はそれが気にならないし、必要があればご家族にいくらでもすみませんと謝ることができるし、そしてOさんとやって何かやらかしたとしても私はそれが自分たちが精一杯やっての結果だとするならそれは仕方ないと最後は納得できる、そう思った。

そして、Oさんと私は、仮に霊のいたずらだったとしても、そんなのに屈することもなければ、うちらは全力でいくよ!と思った時に、これが私の信じたいことだとはっきりとわかった。

リーダーの言葉が今頃になってもっともっと沁みてきた。

私が自分のことをカミングアウトした後、それまでスムーズにやりとりしていたLINEが途切れた。

正直なところ、私はそのタイミングで止まってしまったこと、しかもたしか「既読」がついて止まってしまったから、ものすごく悶々とした。

口では「カミングアウトして相手が嫌がったら仕方ない。そこまでの縁だったと思おう」とは言っているけれども、正直なことを言えば、少なくとも私が自らの口で伝えたいと思う人たちには、これまでと変わらずに私との関係を続けて欲しい、そう思っている。

自分が世間から見てどれだけ怪しいものと関わっているのかはわかっている。

最近はさすがにみんなのおかげでカミングアウトすることで全てが崩壊するかも…という強迫観念めいたものはなくなったけれども、まだ誰にも言えなかった頃、私は大切な人たちを失うのが本当に怖くて、自分の人生にあるものたちが本気で嫌だった。

自分がスピリチュアルなことと関わるのは仕方ないにしても、それを周りに言っていくにしても又は隠し通すにしても、どちらも違うタイプの負荷が半端なくてとても嫌だった。

それを受け入れられない人たちは世の中にたくさんいる。

私だってその1人だったわけで、その気持ちはとてもよくわかる。

だから、相手の受け取り方が否定派又は無関心派でも仕方ないと思っていた。

だけど、私はそのせいで自分がこれまで大事にしてきた人間関係にヒビが入るのは本当に嫌だった。

でもかと言って、そういう自分を隠し通して今後も付き合っていくというのも、それもそれで嫌だった。

この何年間の時間の中でずっと隠し通してきた自分側の負荷と、そしてどこか嘘をついているみたいな、正々堂々としていないところが嫌だった。

究極、そういう自分も受け入れてもらえないかな…と、言うのはすごい怖いくせしてひっそりと願っていた。

その手の話を周りの人たちとしてこなかったから、各人の反応なんて私には未知数過ぎた。

だから、実はカミングアウトをする前の私はいつもすごい覚悟を決めて相手に伝えてた。

それが大事な人であればあるほどそうだった。

私のやることを認めてくれないのはどっちでも良かったけれども、私のやることによって相手と私の関係が変わるのは絶対に避けたかった。

しかも、私と長い付き合いの人たち、少なくとも30歳以前に出会った人たちは、私が言わない限り今の私を知らない。

派遣の仕事してるとか新潟に戻ったとかいうのと内容が訳違う。

本気で関係が悪い方に変わってしまう可能性を含んでいる内容ゆえ、私もその分の覚悟が半端なく必要になっている。

だから、リーダーが既読のまま何も返してこないことに本気で不安だった。

そうじゃなくても色んなことで頭がいっぱいだったから、私はもうこのまま何事もなかったかのようにしてリーダーのことはそっとしておいてもいいかも…とさえ思った。

そうしたら、まるで私の気持ちを察したかのように

【特に引くとかはないよー(^^)
ごめんね!仕事先だったからすぐ返せなかった!】

と来た。

あぁそうだった、と思い出した。

リーダーはそんなことで私を見切ったり絶対にしない人だということを。

上のリーダーと岐阜に行った時かまた別の時だったのかは忘れたけれど、とにかくニート+引きこもりの時に私は現金何十円という所持金しか無い事態に陥った。

リーダーに飲みか何かに誘われて、それで私は正直にその事実を告白した。

「都合が悪い」というのは通用しないから、もう正直に言う他なかった。

そうしたら、リーダーはお金は気にしなくていいからと言って私を連れ出した。

そして、本当にない時は言って、お金貸すからとまで言ってもらったこともあった。
(↑借りてはいない)

ぶっしー、そんなことで死んじゃダメだからね!絶対にダメだからね!とその時も言われたし、別の時ももう2〜3回言われた記憶がある。

いつだったかは、リーダーの友達か後輩が自殺したらしいと風の便りで聞いて、私に泣きながら電話をかけてきて、相手の死を悔しい悔しいと言いながら「ぶっしー、絶対に死んじゃダメだからね!どんなに苦しくても自殺だけは絶対にしちゃダメだからね!」と私に言った。

そうだ、そういう私の最低最悪の時をリーダーは知っている人だから、私が何をしていようと引くとか関係を断つとかは、そういう理由では絶対にしない人だということを思い出した。

自分のことで頭がいっぱいで全然気が回らなかったけれども、リーダーは本当にそうした見た目や肩書き、状況なんかで人を判断しない人だし、自分の大切な人たちのことはいつも大事にしてくれる人だということを改めて思い出した。

そう、私が信じたいのは、リーダーと積み重ねた11年12年の時間の中で築いてきたものだったり、Oさんとやりとりした中で積み重ねたものから見えたもの、そして何より私が大事だと思うその人たちを信じたい、そこなんだとはっきりとわかった。



>>>その後
真夜中のスーパーで、Oさんとリーダーとのやりとりを振り返って、私が信じたいものが周りの人たちやその人たちと積み重ねたものだとわかって、それでハッとした。

その日、Oさんと日中電話で話していた時のこと。

色々Oさんと打ち合わせしている最中、おじいちゃんに向けた質問もいくつかあって、それをOさんを介して聞いて答えを返してもらうという作業の一端であった会話。

おじいちゃんが若干機嫌悪くなりながら、
「おめえが一番大事にしてるものは何なんだ?」
と私に言ってきた場面があった。

私はOさんに「今答えなきゃいけないんですか?」と聞いて「いや、今じゃなくていいみたいですよ」と言われたけれども、なぜに突然そんなことを聞かれたのかわからなかった。

あぁ……。

おじいちゃんが聞いていたのはこのことだったのかもしれない、そう思った。



これが思いの外長い文章になったから、この続きは⑤として引き継いで書いていこうと思う。

登場人物の中のシオくんは、本当は今回ここに登場予定でいたけれど、長くなって2つに分けることになったから、そちらも次回へ。

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