2018年4月28日土曜日

妄想パワー炸裂

私は20代の頃からいつだろう、多分37歳前後まで。

子どもを産んだらつけたい名前があった。

今はあまりにもそれを語るには世間の目がありすぎて、私がどんな風に考えてるかは自分の胸の内にだけしまっている。

少なくとも名前は考えなくなった。

それはそうと名前は、どういうわけか私は20代の後半のいつか、友達の友達で霊視ができる人に会った時に、「この名前を自分の子どもにつけたらどうなる?」とまで聞いた。

その答えもよく覚えている。

「頭が良くなることはそんなに期待できないけれど、性格はとっても気持ちの良いやさしい子になるよ」

もうそれだけで十分だった。

そんな子どもに恵まれたら、私の人生もう思い残すことないと思った。

今振り返ると、何でそんな質問をしたのか覚えていない。

ちなみにその名前はありそうなのに意外となくて、私はただの一度もその名前の人に会ったことがない。

漢字は1つは自分の「史」を入れて、もう1つは小学校2年生か3年生あたりで習う簡単な字。

ちなみに史の方が後にくる。

何でこんな話をしてるかと言えば、本当にこんなことあるんだ⁉︎ということに数日前出くわしたから。

ハローワークの雇用保険の説明会に行った。

やたらと色んな資料をもらう。

私はギリギリな上、席もやっと見つけたから、席に着いてやっと資料を1つ1つ見て「はい、いらない。はい、これもいらない」という具合に最初から捨てる気満々で目を通した。

その中の1つに漫画風な資料があった。

そのカラーの資料を見て、私は本気の本気の本気の本気で驚いた。

漫画の主人公の名前は、私の「子どもが生まれたら」の妄想が現実になったらつけようという名前だった。

年齢が上がるにつれ、子どもが生まれたら的な感じの名前を思い浮かべることは止めた。

だからもう長いこと、忘れはしないけど考えなかった名前がその漢字ごとあった。

そしてそれだけじゃなかった。

その主人公の苗字は、私が猛烈に惹かれた人と同じ苗字だった。

確かに多い苗字なのはわかる。

一時期あまりにも毎日毎日あちらこちらで見聞きするから私は苗字ランキングで調べたりもした。

まぁランキングでは武士俣に比べたら断然上の順位ではあるけれど、二桁の順位になってからはそんなに言うほどの上位ではなかったと思う。

「◯◯*史」という名前を見て、何これ⁉︎と思った。

その人と例えば結婚して子どもがいたらそんな名前でも付けたんだろうか…という、説明会そっちのけでおかしな妄想がしばらくは止まらなかった。

さっきも言った通り、私はこの10数年間、ただの一度もその名前を見たことがない。

本当に私の頭の中にしかない名前で、あんまりない名前なんだとわかってそれも若干嬉しかった。

それがまさかのハローワークで配られた資料の中に登場してきて、さらには苗字まで私の中では特別な苗字と一緒と思うと凄すぎた。

厳密に言うと、ハローワークの資料ではなくて、しかも発行元を見たら本当にこの地域でしか配られない限定物だとわかった(国や県からの資料が8割を占めてた)。

苗字は本当に不思議な形で相変わらず目にするから、見かけるたびにその人が「元気なんだな」と思うことにしてる。

ちなみにその人の下の名前も目にしたり耳にしたりかなりする。

数ヶ月に渡ってこんな風だけど、その人の名前(フルネーム)が強運だと思うことの1つに、私が目にする時は賞賛された人とか感じの良い店員さんとか新聞やテレビでもプラスの意味で取り上げられてる。

これだけよく目や耳にするのに、容疑者とかそういう悪い方のニュースではこれまで一度も見たことがない。

だから凄い強運な名前なんだろうなぁといつも勝手に思ってる。

まさかその苗字と私の妄想が爆発した名前とが合体して、どこの誰が書いたかもわからない漫画風な資料の紙面上に現れるとは、驚きの他の何物でもなかった。

架空の人物とは言え、名前なんて星の数だけあるだろうに、何がどうしたらこの組み合わせになるのか摩訶不思議すぎた。

他の資料は捨てようとすぐにしたのに、それだけは私は全部を読んだ。

その話の中では、私がその人を呼んだようにその主人公も呼ばれてた。

短い話だからすぐに読み終わったけれど、まさかこんなところで思いもよらない名前を見ることになって、私は最後まで驚いていた。

私の空想というか妄想はどこまでも果てしない。

その果てしない妄想、というか妄想以上のものがこうして現実に現れたのは初めてだった。

その名前に関して言えば、私は苗字をつけなかった。

本当に名前だけで、そして音よりも漢字を見て自分がなんだかしっくりくる、そういう名前だった。

その名前の存在は記憶の奥の方にしまってあったから最近は忘れていたけれど、そう、よく考えたら名前だけで苗字はなかった。

だから実質、私がその名前を思いついた20代のある時から初めてフルネームでその名前を見ることになった。

妄想に妄想を掛け合わせたかのようなフルネームに仕上がってたけれど、そんな形で目にするとは思ってもなかったから、何だかものすごいラッキーな気持ちになった。

はっきり言って、だから何だという話なんだけど、私には10年以上のブランクを空けての登場で「こんなことってあるんだ⁉︎」という気持ちが強い。

私の得意の妄想でこの名前を目にした意味を読み解くと。

「どんなことも起こり得る」という可能性を示唆していると思う。

子どもを持つとか結婚するとかいうことではなく、今の私では想像もしてないことがこれから先起こってもおかしくない、という意味で。

10年以上も前にどういう経緯か忘れたけれど、自分の子どもの名前を考えた。

少なくともそれを考えられるだけの夢を見ることができた頃だと思う。

2月のホロスコープ鑑定の時に、その少し前に実際にあった「自分の心がものすごく傷つくようなことがあったかと思われます」と指摘された時、本当に度肝を抜かれた。

まさか10数年前のことをピンポイントで具体的な何ということまではわからなくても、自分の中で受け止めるにはハードすぎたものが天体たちの動きでわかるんだから、それはもう驚いた。

だからそこを超えた後の子どもの名前の妄想だったから、私は文字通り夢を見た。

そして子どもが生まれることもなく名前だけが延々と私の記憶の中に残っていた10数年後に、今度はその名前を目で見ることになった。

しかも私にとって意味のある苗字を伴って。

当然10数年前にはその苗字の人には出逢っていない。

そして10数年後、私がハローワークの雇用保険の説明会に行くとか、そこで手にする資料の1つに私が子どもに付けたいと思って考えた名前が出てくるとか、挙句の果てにはその名前には10数年後に出逢った人の苗字が付いてるとか。

1つ1つのことには何の関連性もないのに、それらが突然1つの物語になって私の前に現れた。

だから、その架空の名前を見たということは、「どんなことも起こり得る」という可能性を示してるんじゃないかなと私は思った。

これはまだ動向を観察してる最中だから「絶対」とは言い切れないけれど、ここ数年の出来事たちを振り返ると「起こってもいい」と自分の中で思ったことは時差こそあるけれど本当に現実に起こってくる。

それは毎日イメージするとか何かしらの言葉を唱えるとかじゃない。
(そういうことも試した時期はあったけれど、私はその手のことが飽きっぽく長続きしないとわかって止めた)

自分の中で「そういうこともあるかもしれない」ぐらいに一度でも思うことで、その後本当にびっくりするようなことを目撃もしくは体験する。

だから今回の名前についても、名前そのものよりも自分の中では一度は諦めたり打ち消したりしたようなことが今後あり得るかもしれないというサインなのかなと思う。

それはどの分野のどんなことかまでは当然今はわからない。

だけど、その時が来れば「このことだったんだ」と気付くと思う。

全く先の読めない時間を迎えて今年が10年目。

2009年スタートの2016年の秋ぐらいまでは色々強烈だったけれど、1年と少し前からちょっとずつ落ち着いたり、過去を冷静に振り返る余裕が出てきた。

夢みたいな出来事や現実に起こってくれたら嬉しいなということも色々現実に現れるようになってきた。

どれもこれも本気で起こるとは思えなかったものばかりだけれど、起こったらいいなと一度は心の奥底で願ったことだったりする。

まっさらな気持ちで一度ぎゅっと願う。

願ったらあとは忘れる。

忘れるというより、現実とのギャップが激しすぎたから、もう忘れたい、忘れて日常のざわざわに戻るという感じだった。

そうやって忘れ去った頃、いきなり信じられない形で現実にもたらされたりした。

そういうことが少しずつ増えてきた。

だから今回の妄想×妄想の名前を目にしたことも、それはちょっとだけ夢見ることを自分に許可して、あとはどんなことも起こり得ると考えて、そして忘れる。

あとは未来に何かが起こった時、この最近願ったことをふと思い出して「また1つ叶ったな☆」と自分の中で色んな想いを噛み締めたらいい。

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