2018年4月2日月曜日

愛おしい人

3月の後半はある1つのテーマに的を絞ってブログを書いた。

私側から見えていた景色を、私の心情を、ひたすら言葉にして綴った。

4月から何も決まってない私のことを案じての、私にしては珍しく事前準備的なことをした。

多分4月以降のブログは自分のことを中心に綴ることになると思う。

不器用な自分のことだから、全てにおいて色んなことを幅広く書ける余裕なんかないと思う。

良くも悪くも一点集中。

となれば、3月の後半に集中的に書いていたことは多分もうあまり書かなくなる気がした。

純粋にそこだけに集中して書けるのは今だけかもと思って、それで書いていた。

私が書いてた理由はただ1つで、それがどんな形であれある1人の人に伝わったらいい、本当にそれだけの理由で書いていた。

当初そんなこと書いてどうする?というのもあったし、そんな個人的なことを公にしてどうする?というのもあった。

だから決して積極的に書きたいと思ったことではない。

むしろ自分の胸の内にだけそっと大切にしまっておきたかったことだった。

だけど、もし、万が一の可能性を思う時、これは書く必要があるというのもわかってた。

書く必要というのは、そうでもしなければ伝わらないことだから。

私が私の中だけに納めておいたところで、これは伝わって欲しい人には伝わらないから。

だから書く、とりあえず発信するという選択肢を選んだ。

私の中ではもうこんな状態を半年近く過ごしてみて、薄々気付いてる。

どこで何をしていようと、その人はいる。

私の中にものすごく明確な存在感を示して居る。

4月から自分のことにいよいよ忙しくなっても、それは変わらないだろうなと思ってる。

表立っての表現こそ激減しても(もしかしたらゼロ)、それは居なくなったとか気にならなくなったとかではなく、むしろ居るは居るけれど言葉にしなくなっただけ、そうなる気がする。

いよいよもうその人の存在を全く知らない日々に入った。

これまでみたいに、人づてに元気だとか生きてるだとかそんなことさえも確認できなくなってる。

もうこのまま何も知らずに何も交わらずにそれぞれ寿命が来たら死んで終わるのかもしれない。

もう人生で二度とは会えないのかもしれない。

すでに私の中にはたくさんのあきらめもある。

色々わかってきた今でさえも相変わらず変だと思う自分もいる。

この間、何かの記事を読んでたら「三次元的(俗世的な価値観という意味だと思う)な感覚ではとても変な関係です」と書かれているのを見てものすごく納得した。

「結婚」したいならどう考えてもさっさと次の出逢いに向けて始動したらいい。

ここにいつまでも執着したところで未来の展望は一ミリも抱けない。

頭で考えたら何1つ発展性のない、むしろ心のストーカーかと思わんばかりの状態で、痛いことこの上ない。

そういうことを考え出すと訳が分からなくなるから、私は考えることも放棄してるけど。

多分そういうことではない。

一度人生に現れてしまった以上は、多分生涯を通じて私の中に普通に居る人なんだろうなぁと思って見てる。

今でも妄想の世界かと思うことも多々あるし、普通におかしいと思うこともある。

だけど多分出逢うべくして出逢った人なんだろうなぁと思う。

そしてその人が私の人生に現れたことで、私はもっともっと自分の内面に向き合うことになった。

その人が何してるわけでもないけれど、否が応でも何かのスイッチが入ったようにそうなる。

その人の存在は不思議そのものだった。

こんなにも言葉を交わしたことなく、相手のことで知ってることもほとんどなく、とにかくないない尽くしなのにその存在そのものに惹かれて仕方ない。

外見に惹かれたのでもない。

内面は外に表れてる一部、例えば仕事の姿勢とかしか知らないから、それさえも知らないと言ってもいい。

何に惹かれてるのかもわからず、そしていなくなったらますます存在感がでかくなって私には混乱の他の何物でもなかった。

そのうち顔とか忘れるんじゃないかと思わなくもない。

完全に自分だけの気持ちがでかくなって、それ妄想でしょ!と自分で自分に突っ込むこともある。

だから俗世的な価値観で判断すると、はっきり言って狂気の沙汰だと思う。

2月にホロスコープ鑑定で魂的な繋がりの人ではと教えてもらっても、私はぶっちゃけ魂的な繋がりより普通の一般的な人間関係の方が欲しかった。

だって私は普通に生きて普通に生活を送っているから、そんなよくわからない魂的な繋がりよりも普通に友達でも同僚でもいいから、ちょっとご飯行く?飲み行く?みたいな感じで良かった。

もちろんそんな軽いノリで行けるような感じではなかったけれど、この答えも形もないなのに何だか強烈な影響力だけがある、本当に意味不明な何かは望んだものではなかった。

そしてもっと言うと、自分のこの異常なほどの執着具合も自分で嫌だと思ってる。

執着というか、どうにもできない感じなのに、何をいつまでもネチネチと…と思わなくもない。

書いてるとネガティブな話のオンパレードになってる。

そんなことじゃなくて話の軸を戻すと。

もし本当に魂的な繋がりとやらがあって、そういう繋がりの人であるなら、本当は出逢えて再会できて嬉しいが正解。

三次元的におかしくても世俗的にずれてても、ただただ真っ直ぐな気持ちで相手を感じて相手を見るのが魂的な繋がりの中では普通なんだと思う。

そして存在が消えなくていつも心の中にいて、意味もわからず大事だと思うその感覚は、もしかしたら一生モノかもしれない。

思考が働き出すと気持ちが揺れるし、あまりにも自分の中の「普通」とズレ過ぎていて全力で否定したりいい加減あきらめたらと思わなくもない。

だけど、そうではなくて、本当に純粋に感じてるところだけを真っ直ぐ見据えると、相手の人はただただ大切で、その存在そのものが尊くて愛おしい。

そんな感じ。

現実的な状態とかは大人だから考えてしまうけど、そんな状態とかさえ超えてしまう大切に思う気持ちを相手の人は私にもたらしてる。

大人な私は「そんな風に思ってどうすんの?」と思う。

だから私が相手を想いたくて想ってるというよりも、そういう誰かを大切に想う気持ちを相手からもたらされてる、と考える方がより正確に表してると思う。

おなかが空く感覚とか、緊張して胸がドキドキする感覚とか、心臓がいつも自分1人で動いてる感覚とか、そういう自分ではコントロールできない感覚に似てる。

その人に対してのものも自分でコントロールできない。

本当はそんなすごい人に出逢えてたんだって最後まで伝えられなかった。

手紙は書いたけど、書ききれなかった色々を今さらこのブログに書いて発信してる。

届く可能性なんてないに等しいのに、私はその時だけは魂的な繋がりがあるなら、数々の意味不明なこと同様、届くこともあるんじゃないかと思ってる。

だから書く。


もし生きてるうちにその人が私の人生に再び姿かたちを持って登場したら、その時はどれだけ大切な人なのかをきちんと伝えよう。

恥も外聞も捨てて、真っ直ぐに自分の気持ちを伝えよう。


この文章のタイトルをどうしようかと思って、そのまま出てきた言葉をつけた。

ものすごい恥ずかしいタイトルだけど、恥ずかしさを取り払った向こう側にはその言葉の気持ちがピッタリだと思う。

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