2018年4月19日木曜日

生まれ変わり

本当に縁があるなら何度でもまた会える。


〜夜寝る前に布団の中でホロスコープの調べ物をしたら出てきた言葉〜



私の友達で面白いことを言う人がいた。

この場合の「面白い」は「ユニーク」とか「オンリーワン」的な意味。

ちなみにこういう時に1番しっくりくる表現は、スペイン語の「único 」(ウニコ)。

「唯一無二」「その人・そのもの特有の」的な意味。

面白いことを言った友達は、数年前スペインに一人旅に行った。

その時に履いていった靴がある。

「自分のこの靴でこの足でこの地を踏むのは一生のうちで今日が最初で最後」
そう思いながらそれぞれの大地に立ち、歩き回ってたらしい。

その後1つ2つの季節が巡った後、スペインも旅した10年履いた思い出のズボンを友達は手放すことになった。

私がちょうどベージュの色の布を探してた時で、その捨てようとしたズボンをそっくりそのままもらってきた。

しかも使われる予定に関しても、友達もそれなら尚のこといいと言って、喜んで私にそのズボンを渡してくれた。

結局私も使わずに終わったけれど、何か蘇らせることはできないかと思った時に、ティッシュボックスのケースにすることを思い付いた。

ハサミで布を断ち、たまたま裏布の一部にちょっと洒落た柄の布があったから、それも綺麗に縫い糸をほどいて布として使えるようにし、さらにはボタンも取ってワンポイントにした。

人生の中で多分一番喜ばれた贈り物だった。

本当に思い出の詰まったズボンだったから、手放すのを最後まで迷ったらしい。

そんな折に私が家を訪ねてきて、私は私でちょうどベージュの色の布を探してて、それを次に活用してもらえるとわかってそれだけでも友達は満足してた。

それなのに今度は形を変えて、しかも一生使えるものに生まれ変わって、友達の目の前に現れたのだから友達は大喜びしてた。

袋から出して開けて見た瞬間、
「ねぇこれってもしかしてあのズボン⁉︎」
と言うぐらいにその布がどこからきたのかすぐにわかってた。



私が話したいのはズボンとか生まれ変わったティッシュボックスのケースじゃない。

今ついでに思い出したから書いただけ。

夜寝ようとした少し前に見た冒頭の言葉。

基本のきの話で、私は基本を思いっきり忘れてた。

もし本当に縁があるならまた会える。

普通に考えて、また会える方があり得ない。

ズボンの友達が「『有難う』って言葉は『有ることが難しい』から、だから『ありがとう』なんだよ」と、飲んだくれて夜空の下を歩いてた時に言ってた。

そう、本当に「有難う」という言葉の意味ど真ん中を突っ切るぐらいに、果てしなくあり得なくてそして有ること(再会すること)が難しい。

少なくとも今の私には手段がない。

手段というのは、場を設定するための手段を持ち合わせていない。

だから私が意図してどうとかできるレベルの話じゃない。

だけど本当に縁があるなら、再会するんだろう。

それは私が常々墓参りの目的を履き違えて願掛けを毎回しようがしまいが、本当は関係のないことなんだと思う。

「縁」はあったと思う。

まるでその時にピンポイントでたまたま会えたみたいな風に一見すると見えるけれど、本当はそうじゃない。

そこにピンポイントでたどり着けるように、何年も前から実に緻密な出来事たちがそこに向かうようにして起こってた。

私側の人生の流れは、紛れもなくそこを目指していたことは、今振り返るとわかる。

渦中は大変なことだらけで本当にどうなってるのかと思うことばかりだったけれど、でもあれだけの自分の力ではどうにもできない意味不明なことたちがそこに繋がってたと考えれば納得する。

私のその数年分の出来事は、この間友達がある1つの看板を声に出して読み上げるまでに起こったストーリーのように、よくわからないことや普段なら絶対に起こらないことで構成されてた。

だからその場所へ、半分は自分の意思で、半分はよくわからない流れに運ばれてたどり着いた時、そこには「縁」なくしては出逢えなかった人がいたとうんと後から知った。

自分の意思なんていうのも適当で、そこに何が何でも行くぞ!ではなく、来たものをそのまま受けただけという感じだった。

そこに強い意志や決心なんてのは全く介在していなかった。

だから、本当の本当に「縁」はあったと私は思ってる。

縁があったから出逢わせてもらえた人だった。

だけど、この先未来にそれがどうなるかと考えると、それはわからない。

いや、正しくは「本当に縁があれば再会できる」というレベル。

それは限りなくゼロに近い。

得意の私の勘違いだったと結論付けてもいいくらい。

縁があったと思ってるのは私だけで、相手の人の人生には何の影響もなかったのかもしれない。

私が勝手に相手の陣地に石を投げ入れたけれど、石ころの1つや2つ投げ込まれたところでそれがすなわち影響があったと考えるには無理がある。

だからこそ、本当に縁があれば…というところに繋がる。

なかったらもう一生会わない会えない人だから。

それは私の願いで何とかできるレベルじゃない。

確実に私の意志や願いなんて超えたところの話になってる。


時々ものすごく悲しくなる。

時々悲しいんじゃなくて、常に悲しい部分はあって、そんなのに直面してたら私の身がもたないから、だからわざと見ないようにしてる。

たまに直視するから、その時=「時々ものすごく悲しくなる」。

信じてもどうにもならないとわかってる。

だけど、本当に縁があると、縁があって再会できると祈ってる。

0 件のコメント:

コメントを投稿