2018年11月16日金曜日

奇跡のファンファーレ②喫茶店

>>>2018年11月15日(木)喫茶店にて

待ち合わせの喫茶店に着いた。

Aさんは先に着いて一番奥の席にいるとのことだった。

私よりいくつか年上の女性がいた。

互いに自己紹介して、モーニングセットも頼んだ。

どんな人が来るのか想像もつかなかったけれど、サバサバとした付き合いやすい感じの女性で、初めて会ったとは思えないぐらいにスムーズに話ができる方だった。

モーニングの中にオムレツもついてきて、「家じゃオムレツ難しくて作らないから、オムレツ食べれて嬉しいです!」と言われた。

私もわかります、ぐちゃぐちゃか固くなるかで、本当に加減が難しいから作らないと言うと「そうそう、わかるー!卵焼きになるんだよね!」と言われて、一気にリラックスした。

事が事だし、家族の人がどんな風か全く想像ができなかったけれど、AさんはAさんで自分の日常を送っていることが話からも雰囲気からもわかった。

モーニングセットが来るまでに、少しずつ話を伺いながら、ペンジュラムの紹介もした。

知らない人たちに毎回最初言われるけれど、そういうのって精神統一とか瞑想をして静かな空間で手をかざして行うのかと思ってました!とAさんにも言われた。

私は店でもどこでも使っていて、ザワザワしてようが、人が近くにいようが、基本どこでも普通に使っている、スーパーとかでも普通に使うから周りから見たら怪しい人ですよ〜、などと紹介した。

やってる最中も意識飛んだりとか、儀式めいたことしたりとか、もちろん瞑想や精神統一もせず、ごく普通にやって意識も普段の時と何ら変わらないのでと言った。

「どうしていいかわからなくて、今日資料持ってきて、それで武士俣さんにお渡しして武士俣さんがお家に持ち帰って後日返信いただけるのかなとか、そんな風に考えてたんですけど」
と言われたから、
「いや、もうこれから食べて落ち着いたらこの場でして、もし他に何かあればまた連絡くださればいいので」
と説明した。

オムレツ食べながら、状況を伺った。

個人情報が関係しているから詳細は割愛するけれど、家族としては何でもいいから出がかりが欲しくて、それで私に今こうして繋がったとのことだった。

美味しい手作りのモーニングプレートを食べた後、早速地図を見せてもらった。

本当に地図見ただけで感動した。

捜索に関わっている家族の手書きの地図がテーブルに広げられた。

画用紙3枚と自宅の場所がわかるグーグルマップ的な印刷された1枚の紙とがセロハンテープで貼られていて、そして探した場所には全て赤でチェックが入っていた。

チェックが入っていない場所はないほどだった。

ここまで用意してもらえたのは私としても本当に助かります、と言いながら早速ペンジュラムをかざした。

大まかな説明を受けながら、最初にどの紙かを特定した。

何回か確認したけれど、その中の1枚しかYESにならなかった。

その中でどんどん範囲を特定して、最終的に4センチ四方ぐらいの四角を蛍光ペンで囲んだ。

話を聞いていると、普段そこで動くなら…という動き方とは全く別の地点だったけれども(なんなら、地図の紙さえ違う紙だった)、意識の上では「うっそー!これ違うの?」とも思ったし、実際にそう言われると私もかなり戸惑いもあることも正直に伝えたけれども、ただペンジュラムが指すのはそれだし、そこしか反応しないからと、何度もやって何度も目の前で見てもらって、それでその部分をマーカーした。

話を聞いていくうちにまず驚いたのは、その方が行方不明になった日にちと時間帯だった。

行方不明になった日の日にちをAさんは言われた。

何か聞いたことある日だと思って、一通り落ち着いた後に携帯でその日が何曜日なのかを見た。

ビンゴだった。

Aさんは言う。

午前中に出て、お昼には家に帰ってくる予定でいたことを。

だから恐らく行方不明になってしまったのはその日の午前中ではないかということ。

ここに繋がっていたんだ、と携帯を見てすぐにわかった。

その方が行方不明になった日と大体の時間というのが、私が9月にホロスコープの講座とヒーリング勉強会で東京に行った日で、そして時間は私が携帯をデパートの化粧室の床に椅子ぐらいの高さから落として画面をバリバリに割ってしまったそのぐらいだった。

まさかのまさかだった。

実は私は、あの携帯の画面がバリバリに割れてしまったことで機種変することになったことが、ずっとずっと引っかかっていた。

携帯が逝ってしまう時というのは、人間関係の整理だったり、情報の整理だったりするとよく言われる。

私の場合、元々電話帳登録している人たちが少ないのと(家族や親族、お店なんかの登録を外したら40件、さらにその中で密に連絡を取るのは両手で数えても指が余る)、別に困った人間関係もなかったから切りたい人もおらず。

情報は、きれいに新しいiPhoneにも引き継がれてきたから、大して困りもしなかった。

無職で分割を組ませてもらえるのかも心配していたけれど、それも滞りなく済んだ(←ちなみにこの辺りの契約やお金関係が一番の懸念事項だった)。

こんなこと滅多に起こらないのに、私なんか4年半ぶりの機種変で、なのにこの程度というのが拍子抜けすると同時に、「何で今割れた?」と思った。

ブログに書いたかも忘れたけれど、同じ日、その後に道ですれ違った男性が胸ぐらいの高さから携帯をアスファルトに落としたにも関わらず、その人の携帯は何と無傷だったのを目撃した。

それ見てさらに私は「あーん(ToT)、何で私の携帯だけこんな風?」と思ったこともよーく覚えている。

私は昨日Aさんに会って話を聞いて、とにかく色んなことが重なっての今で、そして私が本当に決断するためにそして人生で抵抗しまくって避けていたこともものすごくスムーズに進むようになっていて…。

そのきっかけがあの携帯が割れた時にあったと思っている。

あれがサインとして送られてきた、正しくは贈られてきたと思っている。

これは終末医療に携わっている人から聞いた話。

人は最期の瞬間、25mプールの水を一瞬で沸騰させるぐらいのエネルギーを出して、必要な人たちにメッセージを届けるらしい。

全く面識のない私にそれが飛んでくるというのは考えられないけれど、だけど、昨日1日、そしてそこに至るまでの数年分の色んなことが全部1つに繋がっていたとわかって、私は後から1人になった時おいおいと泣いた。

そして、私が感じたことが本当だとするなら、9月のあのタイミングで携帯が壊れた意味もよくわかる。

私の場合、画面が割れて見づらい以外は、中身は全部無事だった。

打ちにくい見にくいはあっても連絡も普通に取れてた。

なんならマックス打ちにくかったけれども、このブログさえその状態で書いてアップしたほど。

だから、その携帯が割れただけで壊れてはいない、これが何なんだろう?と引っかかっていた。

だけど、それは昨日全部繋がった。

そして、Aさんから話を聞きながら色んなことが自分の中でも腹が座った。

そのための携帯画面事件だったと確信に近いものを持った。

この話は長くなるからまた後で。



実際に特定する時に嬉しいサインが2つ来た。

私たちの通路挟んで隣りには、4人組の還暦間近ぐらいの女性がいた。

どうやら仕事の仲間らしく、色々愚痴を言い、これはみんなで訴えていこう!みたいな、おばちゃんたちの愚痴&決起集会のようだった。

詳しくはわからなかったけれど、子どもがどうのこうの言っていたから、保育関係とか福祉関係なのかな?と思われた。

その時に、窮状を訴えていく相手として、その職場の長の役職名を2回か3回耳にした。

私は地図の上にペンジュラムをかざしながら、その言葉が耳に入った瞬間、度肝を抜かた←集中しろ!。

その役職名は、私が祈って欲しいなどとお願いした人の当時の役職名だった。

聞いたこともないような珍しい役職名ではないけれど、かと言って私は自分の人生の中で今回がもしかしたら2回目、あっても3回目ぐらいにしか直接聞いたことない役職名なのには違いない。

一度目は「うっそー!?」と思った。

次も出てきたから、「本当に聞き間違いじゃなかった」と確信した。

しかも、本当にペンジュラムを使っていたその時に飛び込んできた役職名で心底ビックリした。

おばちゃんたちの方が先に帰って、その後も周りを見たら何組かお客さんがいたけれど、その名前は後にも先にもおばちゃんたちしか言わなかった。

だからその人たちが隣りにいない限り、そしてその人たちの上司の役職名がその役職名でない限り、絶対に耳にしないもので、何という偶然だろうと思った、ペンジュラムで場所を特定している時に…。

さらに。

地図の上での特定作業が終わった後は、もう少し掘り下げて、色んなことを見ていった。

例えば、迷子になったのか、それともどこかで滑ってしまったのかなど。

Aさんが「そうだ!」と言って1つ当日のエピソードを私に教えてきた。

その時も「〇〇〇の人たちがいてすれ違わなかったみたいなんだけど、どうかな?」と。

私は一瞬「うん?」と思って、聞き間違いじゃなければともう一度「〇〇〇の人たちがいたんですか?」と聞き返した。

そうです、〇〇〇の人たちがその日はいて、それですれ違わなかったともう一度説明してもらった。

これまたビックリ。

〇〇〇にはその人の名前が入る。

まさかそのタイミングで名前を聞くなんて思っていなくて、またもや度肝を抜かれた。

だから、頭の中がひどいぐらいにスーパーポジティブでお花畑過ぎるけれど、私は来る道中のシンクロと言い、役職名と言い、名前と言い、もうどこまでもその人を表すものがやってきたから、「大丈夫!見守ってもらえてる!」と思った。

これは私が短い期間で見て感じていたことだけれど、とても静かで余計なことは基本的に喋らない人ではあったけれど、いざという時はいつでもみんなが頼れる人で、そして本人も黙々と自分の役目を果たしている人だった。

いざという時は、絶対に頼りになるしそばにいてくれるタイプの人なんだろうなぁと思っていた。
(普段も頼れる人だけれど、いざという時はさらに!という意味)

この話は、私のウルトラスーパー勘違いの可能性ももちろんかなりな確率であるけれど、今回だけは事が事だっただけに、仮に偶然のたまたまの産物だったとしても、私がそれでめちゃくちゃ勇気や元気をもらったのは本当だったから、その人からも祈ってもらえた!と結論付けた。

しかも、本当に大切な日で、人生の中でもベスト10に絶対に入るような重要なこと満載のそのタイミングでやってきたサインたちだった。

だから祈ってもらえたんだろうなぁと、いざという時に本当に助けてくれるんだと感じた。



色んな話をする中で、Aさんはその日しか都合がつかなかったというのもわかった。

他の日では仕事の予約が入っていて都合がつかず、そうすると私に会えないまま次の捜索日に当たることになっていて、本当に上手い具合に物事が起こっていて、行方不明になっている家族の人が引き合わせてくれたのかもしれない、と2人で話をした。

私は朝昼晩問わずしばらくはいつでも空いていると言ったけれど、AさんにはAさんの日常があって、そしてよくよく考えたら私が今も何もしないでじっとしているのも、最近はそれが日常でも、人生全体から見たらそんな時の方が珍しいわけで、本当に上手く組み込まれているなぁと思った。

最後諸々の確認をお互いにして、そしてさぁあとは荷物を片付けて帰ろうか、という頃。

突然上から、まるで紅白でド派手な演出で頭上から登場する小林幸子のごとく、ツーと一本の糸が垂れてきて、そして蟻ぐらいの小さな蜘蛛が私たち2人の間に落ちてきた。

食べ物も飲み物も全部終わってきれいになって、さらに地図とかもしまって、とにかく帰り支度を始めるその段階で蜘蛛(クモ)が突然登場してきた。

2人で顔を見合わせて、これもしかして…と言いながら、蜘蛛を追い払わずそのままにした。

明るい時間の蜘蛛だったし、全く悪い感じがしないどころか何かのメッセージのようにも見えて、これが良い報せのサインだといいですね、と2人で言い合った。

(続く…)

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